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続・落合論文(補注)
  
 (1)-5)渡辺ウメノと政雄にまつわる数多くの秘話 

  として、以下の通り(一部略)記した。


 渡辺ウメノが生んだ哲長の種と称する一子は、性別ははっきりしないが、女子と思われる。とにかくその子を通じて、ウメノの孫の渡辺政雄が生まれた。政雄は大正6年ころ盛岡の医専を出たらしく、周蔵と同年輩である。
 
 手塩にかけて育てた政雄を、ウメノが医専に入れたのは、上田吉松・出口ナオらと組んで始めた皇道大本(大本教のこと)の仕事に携わらせる目的があった。
 外科医となった政雄はそれを警戒し、同じ哲長の孫として従兄弟にあたる周蔵を頼り、大正6年に東京に移ってきた。・・・
 
 政雄は後年、祖母・渡辺ウメノの母系の丹波国桑田郡曽我部郷穴太村の上田家の伝承を、周蔵に詳しく教えた。

 渡辺ウメノが哲長に教えた薬の原料は特殊のケシで、その種子は江戸時代にオランダからはいってきて、穴太村・上田家に伝わったものらしい。
穴太村は、古代に朝鮮半島の南端の加羅の安羅(アナ)から渡来してきた石工・穴太(アナフ)衆の旧址である。
 
 穴太村を本拠とする上田家の家伝では、上田の本姓は海部(あまべ)で、丹後一宮の籠神社の神官から出た旧家である。海部・上田家は、古代に渡来したイスラエルの子孫で、なかでもアヤタチと呼ばれた特殊の家系という。
 これは、戦前の皇国史観や戦後の弥生史観に泥んだ耳には荒唐無稽に聞こえるかも知れぬが、他の伝承などに照らしても、充分首肯しうるものである。

 さらに、古くからオランダとの取引をしてきた上田家には、夙にオランダ人の血が入り、吉松の五代前の先祖で画名を丸山応挙として知られる上田主水も、オランダ血統であったという。幕末の当主は上田吉松で、「言霊呼び」という御祓いをしながら、全国を巡ってケシ薬を売り、裏では朝廷の諜者として働いていた。

 その子が上田鬼三郎(*これが本名で、どこかで喜三郎と変えたらしい)すなわち後の大本教の聖師・出口王仁三郎である。渡辺家に嫁いだ吉松のオバ(叔・伯は不明)がウメノを生むが、そのオバがケシ薬の秘伝を渡辺家にもたらしたものと考えられる。いとこのウメノを愛人としていた吉松は、同じような関係にあった出口ナオと図って、明治25年に皇道大本を立ち上げるのである。


  ここには、私などが抱いていた<イメージ>とは一変の、大本教に関して極めて興味深い記述なので、少し、それについて記しておく。

 <私の「大本教」イメージ>とは、以下のようなものである。
 思いつくままに、記すと、以下のようになる。

 1)貧しい農家の未亡人・出口ナオが突然「神懸り」になり、膨大な量の「お筆先」
   を記した。
 2)それを「文章化」した、養子の出口王仁三郎が実質的指導者。
 3)出口王仁三郎という人物の筆力にも感嘆した。
   「満洲行」等行動力もある人物。
 3)日本の近・現代宗教史を語る時、欠かすことの出来ない一大民衆(間)宗教である。
 4)二次にわたる大弾圧を受けて壊滅した。
   近・現代日本における宗教弾圧としては、最大級のものであった。
 5)「お筆先」を書籍化した、『大本神諭』がある。(東洋文庫等)
 6)旧軍人の間にも浸透していた。
 7)学生運動の渦中、故・高橋和巳には『邪宗門』という著作があった。
 8)関連著作は多数あるし、蔵書もあるのだが、例により何れも中途で積読状である。

 ざっと、書き記してみたが、いくつか興味のわいた点について、以下<メモ>しておくことにする。
 
 

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