カウンター 読書日記 続・落合論文
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


続・落合論文
 
  (3)ー6)
  上原勇作の学歴と野津道貫、高島鞆之助との関わり
 


  上原勇作は、初め大学南校(後の東京大学予備門)でフランス語を学んだ。当時の陸軍がフランス式であったからだろう。
 明治8年、陸軍幼年学校第三期生として入学した。年齢がオーバーしていたが、野津大佐が年齢を1歳ごまかした願書を出し直してくれたことで入学となった。

 幼年学校は当時フランス語が主流である。上原勇作は大学南校でフランス語を修め、堪能だった。
 
 明治10年2月、西南戦争が起こる。上原らの三期生は、5月に陸士に進学したが、臨時士官に任官する前に戦争が終ったので、出征することはなかった。

 明治12年、士官生徒第三期工兵科を首席で卒業し、12月22日付で陸軍工兵少尉に任じられるが、引き続き少尉生徒として士官学校に在学した。
 明治14年2月5日、東京鎮台工兵第一大隊・小隊長に補せられるが、同期の楠瀬幸彦、森雅守の両少尉と共にフランス留学の沙汰があった。時に勇作25歳、洋行を前にして帰郷する途中、熊本鎮台に司令官高島鞆之助を訪ね、その官舎に宿泊する。
 
 西南戦争後の財政逼迫を以って、今回の留学は中止との噂もあったが、4月20日決定した。
 上原の送別会は、警視総監・樺山資紀の目白別邸で、盛大に行われた。東京出発は6月5日。
 
 当時、上原は軍・政府の高官の中で、特に高島と樺山の二人に対して親近感を持つように見える。これが二人とギンヅルとの関係によることは間違いない。
 樺山と高島はこの14年後に台湾総督と副総督となり、その地位において某重要事を秘密裏に決し、それが後日上原勇作と吉薗周蔵の生涯に大きく影響したと思うが、論究は別状で。

 
      
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/93-bec3e126



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。