カウンター 読書日記 ●持丸長者-幕末維新篇
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●持丸長者-幕末維新篇
 
 ★小栗上野介の天才 

 
 のちの三井の大番頭・三野村利左衛門と組んだ男として知られる小栗忠順(ただまさ)は、次のような出自であった。遠祖は平将門の従兄弟にあたる平貞盛の弟・繁盛から出て、徳川家康の父・松平広忠時代から徳川家に仕えた。小栗家四代目・小柴又一が家康の家臣となり、姉川・三方ヶ原・長篠の合戦に活躍して槍の達人として聞こえた。この旗本屈指の名家、新潟奉行・小栗忠高の息子として江戸駿河台に生まれた小栗剛太郎が、のちの忠順その人である。数え年八歳かから漢学を学び、剣術、柔術、砲術、馬術、弓術を修得して、文武両道に秀でた才人として台頭した。ペリー来航後、次々と出没する異国船から江戸を守るため浜御殿の警備役を任じられたが、早くから「大いに貿易を進めるべきである」との開国論を公言する開明派であった。安政二年、二十九歳の時、父忠高が新潟奉行在任中に死去したため家督を相続した。

 小栗忠順がすぐれていながら井伊直弼によって抜擢された理由は明白だった。外国と折衝した岩瀬忠震、永井尚志、井上清直、川路聖謨たち幕府最高頭脳が処分されたのは、この四人が一橋家の徳川慶喜を将軍に望んで活動したからである。四人は文化年代より前の生まれだが、小栗は文政十年生まれで、初代の外国奉行たちより十歳以上若く、将軍継嗣争いの時にはまだ江戸城から遠くにいて、争いに無縁だった。

 もともと江戸時代後半から飾り職位とみなされてきた大老職を、老中の上に立つ最高権力者に復活させた井伊はおそろしく知恵の働く男であり、幕末・明治を生きた福地源一郎は著書『幕末政治家』のなかで、井伊直弼について次のように評している。

 ―「時勢に逆行し、世論に背反し、不測の禍害を徳川氏に与えて、その衰亡の命脈を促したり」との断案を受けること、決して辞すべからざるところなりといえども、幕府の権威を維持して異論を鎮圧し、その強硬政略を実施するにおいては、あえて断行して仮借する所なきがごとき、決して尋常政治家がなし得るべきことではない― と。
 
 つまり己の周辺を固めることに関して、井伊直弼は愚かではなかった。そこで、新将軍に忠義をつくす若い男を求めていた井伊が、小栗の図抜けた頭脳に目をつけたのである。かくて、小栗は井伊に抜擢されて本丸目付となり、外国掛に任ぜられた。さらに安政の大獄のために井伊が殺されたあと、すぐれた外国奉行に代って、またすぐれた外国奉行の小栗忠順が誕生することになった。この時代には、まだ上野介ではなく、豊後守という官職名だった。

 目から鼻へ抜けるような小栗の天分が世に広く知られるようになったのは、咸臨丸を随伴船として、日米修好通商条約の批准書を交換するためポーハタン号で渡米した時か収である。この渡米中、小栗はサンフランシスコとフィラデルフィアで造幣局を二度も訪れた。ここで、日本人が損害を受けている通貨問題を明らかにし、アメリカ人を論破した時の出来事は、幕末の伝説となっている。くわしく述べよう。ことの発端は、その三年前に遡る。

 安政四年五月二十六日(一八五七年)、下田奉行・井上清直らがアメリカ総領事ハリスと、通商条約の締結に先がけて日米両国の貨幣を交換する割合を定めるため、下田で日米約定(下田条約)を調印した。これは全九条から成り、アメリカと日本の貨幣を同種同重量で交換することを取り決めた。つまり金は金で、銀は銀で、同じ重さで交換することになった。当時、アジア地域で唯一の国際通貨はメキシコドルで、これは洋銀と呼ばれていた。この洋銀と、幕府が発行する長方形の1分銀の交換比率を、1ドル(メキシコドル銀貨1枚)=3分(1分銀3枚)と定めたのである。

 含まれる銀の重さでは、洋銀24.1グラムと天保1分銀3枚で25.5グラムなので、一見するとほぼ平等な交換比率である。だが、実は金と銀の交換率が日本国内と外国では異なっていた。
 
 欧米では金1=銀15の交換比率だったのに対して、日本国内では金1=銀5の交換比率であった。そのため、実際に外国商人が日本に人ってくると、これが日本に重大な問題をもたらした。
 
 外国商人は、日本の両替商でメキシコドルを1分銀に交換したあと、これを小判に交換して本国に持ち帰った。するとその金が外国では高価なので、たちまち1ドルが3ドルになるという手品が実現し、外国から持ち込んだ少量の銀で大金を手にすることができた。この取引きにより、日本で大規模な金の流出と銀の流入が発生したのである。前頁の図9に図解した式(*略)を、順に追ってゆくと、狡猾な外国人の手品の種が理解できる。実に面白い算数ではないか。

 この問題に幕府が気づいたのは、金銀が交換され、金の大量流出が始まってからであった。

 そこで開港翌年の安政七年一月十八日(一八六〇年二月九日)に、日米修好通商条約の批准書を交換するための使節団が品川(築地)を出発してアメリカに向かった。外国奉行の正使・新見正興、副使・村垣範正、目付として小栗忠順が任命され、日本使節を迎えるためアメリカから派遣された軍艦ポーハタン号で七七人もの侍がアメリカに乗り込んで、至るところで絶大な歓迎を受け、日本人の礼節がアメリカ人から讃辞を浴びた。大統領のジェームズ・ブキャナンと会見し、国務省で批准書の交換を終えたあと、いよいよ一八六〇年六月十四日に小栗忠順はフィラデルフィアのアメリカ造幣局を訪れた。造幣局長官ジェームズ・スノウデンと会って、日本の小判とアメリカの金貨との交換条件に疑義を唱えたのである。

 さて、日本の1分銀3枚とアメリカの1ドル銀貨1枚が等価として交換され、アメリカ人はその1分銀を1両小判(金貨)に取り替え、日本から金貨を次々と持ち帰っていたわけである。この時、すでに日本は、前記の天保小判に代って、前年の安政六年(三港開港の年、一八五九年)に、純度は同じだがひと回り小さい安政小判を発行していた。「正」の字が極印されているので正字金(しょうじきん)と呼ばれた。小栗は造幣局で、その安政小判三枚を取り出した。そしておもむろに、わざわざ日本から持参した、台座に象牙が施された精緻な秤を使って、アメリカ人の目の前でその重さを測り、三枚とも重量が完全に等しく、日本の小判がいかに精巧に作られているかをまず実証してみせた。

 次いで小栗は、小判の中に含まれる金をアメリカ人の手で自ら分析するように言った。造幣局のアメリカ人係官は、自信ありげな小栗の言葉を耳にして、面白い申し出だと思いながら、言われるままに小判を分析してみたが、なるほど、小判三枚とも、含まれている金の純度がほぼ完全に均一で、57.2%であった。日本では、重さも純度も、このように精巧に金貨を鋳造していることを納得させると、いよいよ、これからが日米の頭脳の対決となった。

 日米の協定では、小判と金貨が完全な純金と仮定して、重さだけを基準にして、3両=4ドルの交換比率が通用している。しかし、アメリカの金貨にはどれぐらいの金が含まれているかが問題になる。そこで、一ドル金貨に含まれる金の含有率と含有量をアメリカ人に答えさせたあと、1両小判と1ドル金貨に含まれる金の量を比較してみせた。その結果、含まれる純金の重さは、
  日本の1両小判に含まれる純金    = 5.14グラム
  アメリカの1ドル金貨に含まれる純金 = 2.08グラム  であった。

 3両=4ドルなのだから、それぞれを三倍、四倍すれば、実際に交換している純金の比率が求められる。 つまり、次の純金を同じ価値として交換しているのである。
  3両  = 金5.14グラム×3枚 = 金15.42グラム(日本)
  4ドル = 金2.08グラム×4枚 = 金 8.32グラム(アメリカ)

 これでは二倍近くも不平等な交換比率で、いかに日本が損をしているかということが、すぐに分る。しかし日本人をなめていたアメリカ人が、小栗の論理の鋭さに驚いたのは、そのあとだった。ここまでは純金だけを議論してきたが、さらに小栗は、日米の金貨がどちらも純金ではないなら、日米の金貨に含まれている金以外の不純物がどのような金属で、どれぐらいの量であるかを、これもやはり疑いを持たれないよう、アメリカ人自身に分析させたのである。

 その分析の結果、日本の小判に含まれる金以外の不純物は、微少の銅のほかは、ほとんど銀であるのに対して、アメリカ金貨の不純物が安価な銅ばかりであることを、造幣局員は認めなければならなかった。そこで小栗は、同行した計算係の者に、銀の含有量も加味した価値を計算するように命じた。すると部下は、算盤玉をはじいて「一両小判の価値は、金3ドル41セントに、銀16セントを加えますと、合計金3ドル57セントに相当します」と、あっと言う間にその複雑な計算をやってのけた。これは、純金の比率と不純物の比率と、それぞれの異なる価格をドルに換算して足し合わせるので、相当に面倒な算数である。アメリカ人も同時に計算してみたが、長い時間手間取って、ようやく答を出してみると、日本人の言う通りだったので、その計算の早さにたまげた。

 ここで小栗は言った。実際の貿易では、アメリカの1ドル銀貨四枚(4ドル)が、1分銀12枚となり、これが小判3両に化けて、アメリカに持ち出されている。

 その小判3両は、いま計算した通り、本来(3ドル57セント)×3枚、つまり10ドル71セントなのだから、これが4ドルでは、通商条約によって日本政府が2倍以上も損失を受けている。きわめて不利な通商であり、金が安値でアメリカに流出しているのは不平等である。こう指摘し、その明晰な頭脳をしてアメリカ人を驚嘆させたのである。

 アメリカ側は、小栗の話があまりに理路整然としているので、反論もできず、貿易の不平等さを認めざるを得なかった。しかし条約はたった今、批准されたばかりであった。小栗もまた、このように事実を指摘しただけで、この場をおさめた。

 さて、小栗はなぜワシントンに引き返して交換比率の変更をアメリカ政府に申し入れず、黙ってここで引き下がったのであろうか。

 この謎を解くのは、日付である。小栗がフィラデルフィア造幣局を訪れたのは、和暦では、井伊直弼が桜田門外の変で殺されて二ヶ月近く経ち、安政を改暦した万延元年四月二十五日にあたっていた。ちょうどその四月、日本国内では幕府が万延小判という新小判を鋳造していた。小栗が造幣局でアメリカ人に分析させた安政小判に代って、純度は同じだが、重さを約三分の一に引き下げる金貨の悪鋳をおこなっていたのである。つまり小判に含まれる金が三分の一になったのだ。そして万延元年四月十日から新小判として万延一分判金、万延二分判金、万延二朱判金、万延小判金の四種の通用開始を命じていた。このため、外国商人は三倍のもうけがなくなってしまい、おかげで金貨の海外流出がぴたりと止まったのだ。四月に小栗がアメリカで指摘した不平等問題が、国内ではすでに解決されていたことになる。まったく同じ四月に、アメリカと日本で、何という奇遇であろう。いや、奇遇であるはずがない。

 何という頭のよさ。国際的に、日本の通貨を外国の略奪者から守った見事な外交経済政策であった。元禄時代の荻原重秀にも匹敵する、この頭脳的な改鋳を、一体、勘定奉行の誰が計画し、命じたのであろうか。少なくとも、改鋳の三ヶ月も前の安政七年一月十八日に江戸を出発して渡米中の小栗忠順ではないと考えられる。しかも小栗はこの時、改鋳を命ずる勘定奉行ではなく、外国掛である。しかし……

 幕府の記録をたどってみよう。小栗ら使節団のポーハタン号が江戸を発った二日後の安政七年一月二十日に、幕府が「安政小判(正字金)と天保小判(保字金)の増価を命じた」との記録がある。増価とは、同じ貨幣でありながらそれが世に通用する価値を引き上げることである。この時の増価令では、天保小判一両を三両一分二朱に、安政小判一両を二両二分三朱として通用せよというのだから、古い天保小判を持っていれば一夜で一両がたちまち三両以上の価値を持つ。大変なことである。逆に考えれば、小判一両分に含まれる金が三分の一になるということである。

 十進法で示すと、天保小判の三両一分二朱は3.375両になるが、一両に含まれる金の重量を天保小判と万延小判(悪貨)で比べると3.417である。つまり増価は、この三ヶ月後におこなわれた万延小判の悪鋳と誤差1%しかなく、まったく同じである。したがって、ここにおける増価今は、のちに万延小判を鋳造する計画をあらかじめ含んだ上で、実施されたものであった。

 不思議な符合ながら、この三両一分二朱という数字は、まったく別の有名な伝説に登場する。のち、幕末に破綻の危機に直面していた江戸三井両替店を窮地から救い出し、ついには三井銀行を設立し、三井総元方で筆頭取締役に就任する「三井の大番頭」三野村利左衛門の出世物語である。三野村がまだ三井に入る前、美野川利八と名乗っていた時のことであった。「洋銀との交換比率を調整するために、天保小判一両が万延小判三両一分二朱と交換される布令が出る」との噂を、旧主の小栗家に出入りするうち耳にし、天保小判を買い集めて巨利を得た男が三野村利左衛門である。三井の社史として有名なこの三野村伝説は、次のような意味を持っていた。

 まだ両替商のはしくれ、脇両替と呼ばれた美野川利八が、万延小判の発行という幕府の重大計画を「小栗家から」事前に聞き知ったということは、ポーハタン号が江戸を発った二日後におこなわれる幕府の増価を、小栗邸の者、つまり小栗本人が知っていたことにほかならない。つまり小栗がアメリカヘ出発する前に、増価が決定されていた、ということになる。小栗が出発する前に、すでに「万延元年四月に実施される万延小判の発行という金貨の悪鋳」が小栗の計画の中にあり、それを利八にそっと教えたのである。

 すべてを仕組んだのは、小栗忠順当人であった。実は、美野川利八(三野村利左衛門)が小栗の知遇を得たのは、ほかならぬ金座後藤が、自分の親戚筋にあたる深川の干鰯問屋・丸屋で働く美野川の利発さに目をつけて小栗に世話したからである。したがって小栗は勘定奉行になる前から、小判の改鋳を指揮する金座後藤と接して、金銀貨幣の裏にある問題をくわしく知る専門家となり、そのため目付として抜擢され、アメリカ造幣局を訪れて交渉する役を仰せつかったのである。小栗はおそらく日本を出発前に、勘定吟味役に日米の通貨に含まれる金銀の純度をすべて分析させ、計算の数字を頭に入れてから、自分がアメリカに渡った留守中、「フィラデルフィア造幣局を訪れる予定の四月」に金貨改鋳をおこなうよう命じてアメリカに向かって出発したに違いない。アメリカでその悪鋳の正当性を造幣局長官に証明し、反論できないようにしてから、素知らぬ顔で日本に帰国したのである。

  続く。 

 

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この記事に対するコメント
The opening of Japan
宇宙の成り立ち、古代文明の有様、外国の実情などを知る場合にも、我々は英語を使わなくてはならない。
外国人が我々日本人を理解する場合にも、英語を通して行われている。かな・漢字を通して理解されているわけではない。
だから、英語は、我々にとって単なる一外国語ではなく、とりわけ重要な国際語というにふさわしい情報交換の手段となっている。

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

【2011/02/28 13:50】 URL | noga #sqx2p0JE [ 編集]


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