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 ●持丸長者-幕末維新篇
 
 先日、「疑史 76回」で記したように、『持丸長者』から数回、紹介していこうと思う。

 理由のひとつは、「疑史77回」(未紹介)の章末に落合氏が下のように記しているからで、

 その章末部分だけを紹介しておく。

 
 ********* 

 
 ●疑史 第77回  堀川辰吉郎と閉院宮皇統(4)   評論家・落合莞爾 

 
 ・・・略・・・
 
 万延元年(一八六〇)一月、条約調印と通貨交渉のために、新見豊前守を正使とする幕府使節が出発したが、その四日後、天保小判一両を三・三七五両に通用させる増歩令が出され、四月には万延小判(雛小判)が新規発行される。小栗忠順は遣米使節に目付として同行するが、これに先立ち、元中間の三野村利左衛門に命じて、秘かに天保小判を買占めさせた。三月三日に井伊大老を暗殺した水戸浪士が、井伊の罪状の第二条として小判買占めの私曲を掲げたが、取り調べの結果、「上のために行った」と判り、井伊に咎めはなかった。大老の命令で買占めを実行した小栗は、利益金を隠匿したために、慶応四年(一八六八)官軍の命を受けた高崎藩・吉井藩らの藩兵のために斬首された。
小栗は利益金を赤城山に埋蔵したと偽装して、秘かに京に送り、本願寺に保管して「堀川政略」の基金としたのである。これだけの大事を悠々実行した小栗忠順が、雑兵の手に徒死する筈もなく、姓名を変えて再び渡米し、明治史に残る一大事を成すのであるが、其れは後日に述べる。

 つらつら思うに、治承寿永の乱と言い、幕末樵耕の変乱と言い、実態は想像を超えた大計画の下に諸事が運ばれた一大リストラ戦争であった。計画した中心人物は、自らの死を以て世間を欺隔する必要があったが、実際に死ぬ必要はないから生き延びた。平家の公達は固より、孝明天皇・睦仁親王・壽萬宮・徳川家茂・小栗忠順らは皆それである。

 ************

 小栗忠順

 
 ●持丸長者-幕末維新篇      広瀬 隆  ダイヤモンド社 2007年2月1日 

 
 ★あとがき 

 
 ・・・略・・・
 結論を述べるなら、本書で詳しく述べたように、日本を開国して近代化に着手したのは、明治政府ではなく、徳川幕府であった。こうなると、見過ごせないのは、日本の近代化を進めた幕末のすぐれた人間たちまでも、傲岸な幕府権力者と同じ箱に入れて愚弄する、多くの人の姿勢である。これでは歴史が、われわれ自身の愚かさとしてはねかえってくるだろう。

 この間違いの原因は、明治維新後に、明治政府と明治文化の主導者たちが自分たちを美化し、脚色して書き残した記録をもとに、後代に膨大な数の物書きがこれを歴史事実として固定化し、映画とドラマがその通りに描き、それがすべての日本史であると教えてきたことにある。そのため日本人は、すぐれた人格者の名前と業績を知らず、まったく無駄な名前を数々頭にたたき込まれてきた。数々の伝説・伝記にはよほどの注意を要する。

 明治維新を礼讃し、維新の志士を英傑と祭り上げるのもよい。が、それは観音開きの扉の片面にすぎない。タワシでごしごし磨いて侍 魂を光らせ、武士道を脆拝しても、もう片方の汚れが落ちるものではない。幕末に、日本人を病から救おうと必死に努力を傾けていた医師たちを含め、農民、職人、商人のことなど眼中になく、維新の動乱は、勤皇か佐幕かという武士同士の闘いを民衆生活のなかに持ち込み、実に暴虐の限りをつくしている。そのとき、国民大衆は被害者であり、見物人にすぎなかった。

 明治維新は、歴史では自由思想の革命と讃えられてきたが、実際には日本人大衆の手になる自由思想の革命ではなく、ただ権力支配者が交代するだけの、一部の人間によるクーデターであった。さらに、史実を一行ずつ丹念に追えば、明治政府が主導した日清戦争・日露戦争勝利によって懐胎した日本人の優越的な思想と感情が一方的にふくらみ続け、ついには大正、昭和にかけて暴走し、日本人全体がとんでもない間違いを犯したことは、すでに悲痛な敗北の歴史に実証された動かし難い事実である。

 日清戦争・日露戦争までの日本はよかったが、それ以後に間違えた、という物書きの言は、でたらめも甚だしい。しかし現在のわれわれが重々知り尽くした知識だけから、明治時代の人間を誇ることはできない。当時の人間は、ゆうべも暮れ落ちれば真っ暗闇という世界に生きていた。外界を知ることさえ、至難の日々であったろう。日本に初めて電灯が灯ったのは明治十一年(一八七八年)三月二十五日のことである。それも、アーク灯による瞬間的な実験にすぎない。エジソンが白熱電球の実用化に成功したのはその翌年、明治十二年のことである。人はみな、地球の成り立ちさえほとんど知ることなく、本心よりきわめて信心深い情感に満たされ、ことあれば神に祈り、仏に祈った。家族を病に奪われようとする時、病の原理さえ知らぬ彼らの祈りがどれほど切実、真剣、悲痛なものであったかと、想像せずにはいられない。

 中国で孫文が清の王朝を倒そうと辛亥革命を起こさんとする時、長崎から出て東京日比谷に松本楼という料亭を創業した梅屋庄吉が、家産の大半を注ぎ込んで孫文への財政支援をおこない、熊本の宮崎滔天が、孫文を全面的に支援し、中国の封建社会を崩壊させるのに大きく貢献した。朝鮮半島では、大正八年三月一日に日本の植民地化に激怒する全国的な「三・一独立運動」が勃発すると、日本の美術工芸研究家の柳宗悦が独立運動に共感を示して論説『朝鮮人を想ふ』を発表し、日本人の非道さを堂々と世に訴えた。ソウルに朝鮮民族美術館を設立したのが彼である。岡山県倉敷の大原美術館の建設者として著名な大資産家、倉敷紡績社長の大原孫三郎たちがその柳宗悦を援助して、東京駒場に日本民芸館を設立し、日本の大衆文化を守ろうとした。それらのすぐれた日本の先人がいながら、なぜ同じ日本が、台湾、朝鮮と中国を手始めに、アジア全土の侵略をおこなったのか。

 本書は、私にとっては、日本の近現代史の流れを追う『持丸長者』三部作のうち、幕末・明治維新時代に焦点をしばった一冊目である。最後の第四章では、維新後に明治政府が犯した過ちの全体的な流れにふれ、その結果としての植民地台湾における製糖業について、ほんの一端だけを記したが、この時代に勃興した産業のすぐれた発展について、二冊目を執筆中である。

 最も興味深く、日本技術界の維新であった印刷、製紙、写真をはじめとして、巨大な資産を築きあげた鉄道、石炭、電力、あるいは新時代に向かってビール、肥料、ガラス、セメントが切り拓いた化学工業、さらには石油・ガス産業の勃興、自動車、鉄鋼、電気製品、建設、金属、医療、製薬、酒造、映画、石鹸、どれをとっても事始めとなった創始者の知恵ほど、われわれの心を奪うものはない。その歴史を解いてくれるのは、持丸長者の群像であろう。

 日本人の過去の過ちに無縁な日本人は一人もない。しかし誇らしくも、日本人のすぐれた歴史的な文化に無縁な日本人も一人としてない。

 二〇〇七年一月五日      広瀬 隆

 ***************

  続く。 

 

 
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この記事に対するコメント
The opening of Japan
厚生労働省は2011年1月26日、経済連携協定(EPA)のもとでインドネシアとフィリピンから受け入れた外国人看護師のうち3人が、日本の看護士国家試験に合格したと発表した。
合格したのはインドネシア人2人とフィリピン人1人で、受け入れ事業が始まってから初の合格者となった。しかし残りの251人は不合格となった。全員が母国ですでに看護師の資格を持っているので、日本語が壁になったとみられる。同じ試験を受けた日本人受験者の合格率は約90%だった。

我々日本人は、英語を通して世界中の人々に理解されている。
かな・漢字を通して理解を得ているわけではない。
我が国の開国は、英語を通して日本人が世界の人々から理解してもらえるかの努力に他ならない。
我が国民のメンタリティを変えることなく、ただ、法律だけを変えて交流したのでは、実質的な開国の効果は得られない。
鎖国日本に開かれた唯一の窓ともいうべき英語を無視すると、我が国の開国も国際交流もはかばかしくは進展しない。
この基本方針にしたがって、我々は耐えがたきを耐え忍びがたきを忍んで、万世のために太平を開く必要がある。

英米人は、「我々は、どこから来たか」「我々は、何者であるか」「我々は、どこに行くか」といった考え方をする。
我々日本人にしてみれば、奇妙な考え方であるが、彼らにしてみれば当然の考え方になる。
それは、英語には時制というものがあって、構文は、過去時制、現在時制、未来時制に分かれているからである。
3時制の構文は考えの枠組みのようなものとなっていて、その内容は白紙の状態にある。
その穴埋め作業に相当するものが、思索の過程である。

ところが、日本語には時制というものがない。
時制のない脳裏には、刹那は永遠のように見えている。
だから、構文の内容は、「今、ここ」オンリーになる。新天地に移住する意思はない。
思索の過程がなく能天気であるので、未来には筋道がなく不安ばかりが存在する。
TPPの内容に、行き着く先の理想と希望が見出せないので改革の力が出ない。

必要なものは自分で手に入れるのが大人の態度である。
だのに日本人には意思がない。それで、意思決定はできない。無為無策でいる。
常に子供じみた他力本願・神頼みとなる。
意思がなければ、意思疎通もはかどらない。それで、察しを遣う。
だから、日本人の独りよがり・勝手な解釈は避けられない。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
だから、我々日本人は、自重に自重を重ねて、常に事態を静観する必要に迫られていた。
我々は、変わらなくてはならない。

http://koshin.blog.ocn.ne.jp/koshinblog/2011/02/nago_7890.html

【2011/02/27 02:57】 URL | noga #sqx2p0JE [ 編集]


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