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*続・落合論文
  吉薗周蔵の手記(3)ー4)
 
 周蔵が陸軍特務として仕えた上原勇作の家系
 


  周蔵の前・半生は上原勇作個人に仕える陸軍特務であった。

 元帥・陸軍大将・従一位大勲位功二級・子爵に上がった上原勇作は、島津支藩・都城の藩士・龍岡伝五左衛門資弦の次男として、安政3年(1856)11月9日宮丸村に生まれた。
 龍岡家は島津の士族で都城藩の家老格である。家紋は三階菱で、もとは北郷の姓を称したが、正徳3年に龍岡と改めた。

 資弦(養子)は武士的気象の人で、よく言えば豪放磊落、悪く言えば短慮粗暴の嫌いがあった。生産をこととしない為、龍岡家は裕福ではなかった。
 勇作が「・・頭脳明晰にして打算的に長ずる所あるは祖父・親宝の感化により、その思想純潔にして私なく、武士道精神に富んだ所は、父・資弦の感化によるもの」と『元帥上原勇作伝』は評している。
 勇作は、大学南高在学中の明治7年上原家を継ぎ、以後上原姓を称した。上原氏の祖先は薩摩・伊佐田城主で南北朝時代は北朝・足利直冬に属し、後に北郷氏の重臣となる。家紋は丸に四つ目結びである。

 勇作の実母は、龍岡家に嫁いだ四位治兵衛昌張の娘タカ(後に貞、1823年生まれ)である。タカの母は有馬氏の長女でタカを生んで早死にした。後妻が岩切氏から来て異母妹のギンヅル姉妹を生むが、双子のために「畜生腹」のそしりを受け、姉を抱いて入水し、妹のギンヅルだけが残された。ギンヅルの生年を天保7年(1836)とすると、タカより13歳の年下である。

 龍岡家に嫁いだタカが慶応元年に43歳で世を去る。勇作10歳のときである。資弦は後に美坂派長谷右衛門の娘ナカを後妻に貰う。
 タカの異母妹ギンヅルはこの年に林次郎を生む。当時数え年30歳のギンヅルは哲長を伴ってしばしば宮崎に帰り、実家の吉薗家に逗留し、小林地方の農村医療に携わっていた。

 四位次兵衛はしごくの好人物で、岩切家に戻した娘のギンヅルを気に懸け、何くれとなく面倒を見た。
 母を亡くした勇作に叔母ギンヅルを近づけたのも次兵衛だった。

 明治2年4月に死去した哲長の葬式費用を賄ったギンヅルは、次長(林次郎)の認知を求めて明治5年まで京に居座っていたというが、精確には京都と宮崎を往復していたのであろう。当時は日向と大阪の間に船便があったものと思われる。
 

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