カウンター 読書日記 ●『ユダヤは日本に何をしたか』新版
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


●『ユダヤは日本に何をしたか』新版
                     ユダヤは日本に何をしたか 新版

 
 ●中野正剛と甘粕正彦について、参考となる論考をアップしておきます。

 当ブログ(主に落合氏の論考)の関連記事は、左下の検索に「中野正剛」と入力していただければ、出てきます。 

 
 ⇒ ★関連記事

 
 ************* 

 
 ●『ユダヤは日本に何をしたか』新版   渡部悌治  成甲書房 2009年刊 

 
 ★大川に接近した甘粕正彦の真意  p156~

 
 満州の赤化が満鉄の調査局を中核としてようやくその激しさを増してきた頃、時の満鉄副総裁・八田嘉明は、赤化防止の方策を立て、安田生命問題のとき、北一輝とともに大川と袂を分かった島野三郎氏を東亜経済調査局長の椅子に据えようとしていた。このポストを狙っていた大川周明が、河本大作を操って自分が局長になる工作をし、それが実現して大川の局長就任となったのである。だが、それによって満鉄内には赤色勢力が滔々として流れ入り、防共の策も立たぬほどになったのである。このあたりの経緯については、戦時中、成城の島野氏の自宅を訪ねて詳しく聞いたところである。後になってから大川周三氏(周明実弟)に確かめたが前述のとおりの経緯ということであった。

 満鉄を赤の巣窟にし、大川に甘粕を加え、さらに黒川を足して満州協和会を作り、さらに石原莞爾が加わり、それに支那問題研究所とソルゲ・ルートの昭和研究会及び国際問題研究所まで取り入れた頃には、ユダヤの企てていた中国を中核とした一連による極東攻略の陰謀も、ほぼその実現の域に達していたのではなかったか。

 それゆえにこそ尾崎秀実は獄中にあって、「日本の革命準備は、九分どおり成れり」とうそぶいていたのではなかったのか。

 大杉栄殺害に関係した甘粕が、満州に渡る機会を得たのは参謀本部の人選による。甘粕が大川に師の礼をとり、大川の周辺に身をおこうとした真意が何であったかは不明だ。

 甘粕が金を出し、大川が人選にあたるということで、私の友人・香川文雄君が偶然にも選ばれてドイツに留学することになったことがある。満州からわざわざ東京・渋谷の私の下宿まで、渡独留学のことについて相談に来たのであったが、今さらドイツにまで出かけて勉強でもあるまい。ドイツで出来る勉強なら日本でも出来る。つまらぬ真似はしないことだということになって、留学の件を甘粕に返上した。だが、機縁というのは不思議なもので、香川君の代わりに選ばれたのが、やはり知人であり、同郷の★斉藤信治氏であった。留学先はカイロであった。日独交換学生を望んでいたのだが、同輩に出し抜かれて失意のうちにあったときの朗報であった。東北大学の小山教授の人選で、大川が甘粕に推薦したのである。★留学の目的は回教研究ということであった。もちろんこれは甘粕の特務機関用務であったと思われる。

 大川の弟の周三が、特務関係の仕事で南方に行けるつもりでいたところ、それが沙汰止みとなり、東京の近親のもとに身を寄せていた頃、その南方行きの沙汰止みは単なる甘粕の邪魔くらいにしか考えていなかったが、それは周明の行動に疑いの持たれるふしがあって、達識の士が周明の行動を調査させていたからであった。

 この調査にあたった者たちは中野学校系であった。行動に移る前の事前説明において、その説明にあたった人物が甘粕正彦その人だったのである。甘粕はその説明のなかで、大川がユダヤ財閥と特殊な関係を持って行動していることを明確に指摘したというのである。


 鮎川義介、大川周明、石原莞爾らが、ユダヤ利用論者であったことは周知の事実であった。甘粕が日華事変の長引くのはユダヤの陰謀によるものと断じ、世界を牛耳るのがユダヤであり、大川をその一連の者として厳重に監視するよう指示したことは、一体どう解釈したらよいのか。表面は大川の指示によって動いていたように見せて、裏では大川の動きを封ずる策に出ていたとみるべきであったであろうか。

 石原莞爾が戦後、郷里の山形に仮寓していたとき、私の友人でかつて石原の秘書であった桐谷誠君を使って、石原の対ユダヤ観を徴させたことかあった。桐谷君に石原は「利用論者」と告げたということであった。これで石原将軍もユダヤ利用論者であったことが明確になったのである。

 甘粕が日華事変の長引くのはユダヤの陰謀によるものと断じ、世界を牛耳るのがユダヤであり、大川をその手先の者として厳重に監視するように指示したのは、いったいどう解釈したらよいのか。表面は大川の指示で動いているように見せて、実は大川の動きを封じる策に出ていたとみるべきであろうか。甘粕は「南方に出張しました」と言っては大川宅に立ち寄り、妻女にワニ革のバッグなどを土産として持参していた。

 
 ★大杉栄殺害の裏にユダヤ禍 

  
 北一輝が刑死して、その遺骸が北家に送り届けられたとき、焼香に来た大川を北夫人が拒絶した話が伝えられていた。その大川は機会をとらえて、北と自分の関係が最後までうまくいっていたように見せようとしていた。自分が北に信じられていたということを、ことさらに印象づけようとして、極端に作為したのはどうしたことか。それは遠藤無水氏や横山雪堂和尚に尋ねる必要もなかった。愛国陣営の大川に対する不信を糊塗するための作為にすぎなかったのである。

 革命者として一家を成した北一輝が、単にその場その場だけの気分に駆り立てられる煽動屋にすぎなかった大川を、どの程度相手にしていたかは、北の腹のうちにあったことであり、私の想像は許されない。

 猶存社に堀やす子(*堀保子。堺利彦の義妹で大杉栄夫人)がおり、北の弟(*吉)が大杉栄からフランス語を学んでいたりしたためか、甘粕が大杉らに手をかけたことを知ったとき、北は激怒したという。その北一輝がヨッフェ問題では、その来朝を願っていたところの大川や満川亀太郎らとは反対の行動をとり、これが原因で北が大川や満川らと訣別するにいたった、と言われるほどの態度に出たのは何ゆえか。
 *北一輝『ヨッフェ君に訓(おし)ふる公開状』は、大正12年5月9日付で約3万部が全国に配布されたという。

 ヨッフェの来朝の工作をしたのは藤田勇だともいわれ、あるいはその以前に、大杉栄が後藤新平の内意を受けて北京に潜行し、事前の工作をしていたのだとも言われていた。その大杉を死なせた甘粕が、出獄してから川渡(かわたび)温泉に身を潜めていた理由は何か。単なる静養のためではなかったはずである。
     
 朝日新聞の国見特派員が甘粕を川渡温泉の高友旅館に探しあてる前に、既に渥美先生の懐刀の熊谷甚平(寂)先生が甘粕を訪ねている。そのとき甘粕は身辺に危険を感じ、身を潜めていたという。

 甘粕が出獄後、身辺に危険を感じなければならなかった理由として熊谷先生から説明をうけたが、大杉は愛国陣営から好感を持たれていたからだったという。大杉たちが憲兵隊員に連行されたときも、淀橋署員が尾行していたし、検束されたことが直ちに警視庁に通報されたのも、大杉に対する警察当局の特別の慮りからだったと当時の愛国陣営では考えていたようである。またある者は、大杉は警視庁の特命を帯びて危険思想の陣営に入りこんでいたものだとも想像していた。

 この大杉の★警視庁密偵説の真偽を確かめるため、私が私設秘書をしていた貴族院議員で元警視総監の赤池濃氏に尋ねたことがあったが、氏は言下に否定された。ちょうど会話が大和の水平社や朝鮮人の頭目の鄭寅学のことにふれていたときであった。「私が警保の当路にあたったときのことであり、間違いない」とのことであり、故意に事実を蔽うふうでもなかった。生前の赤池氏からは、大杉栄と後藤新平との接触のこととか、ヨッフェ来朝の真意などについても聞いておくべきことが多くあったが、空襲を受けて話も中断し残念なことをした。その後間もなく大阪駅で暗殺の厄にあわれ、まったく心残りであった。

 大杉栄の警視庁密偵説を赤池濃氏にただしたことには付記することがある。甘粕が大杉を殺さなければならなかった理由を、甘粕自身の口から聞くこととする。

 ―上海のガーデンブリッジを渡り、一つ目の四つ角を右に入ったところに、酒池肉林の地下室を持つキャバレーがあり、その奥の部屋に、長身で黒眼鏡に鳥打帽の男が入っては消えてゆき、数日間は出て来ない男といえば、それは上海においての大川周明のことであった。大川は上海に現われると、その宿舎とされていたホテルやビルには入らずに、大抵は、まずこのキャバレーを通路としていずこへか消え、上海に出先機関を有するユダヤ財閥と連絡を保っていた。

 その大川の動静を探らせるための機関員に対して、予備知識を与えるために大川を解剖した甘粕の説明のなかに、甘粕の渡満のきっかけとなった大杉栄事件があった。甘粕の言うところによれば、大杉は★後藤新平の内意を受けて、ヨッフェ来朝に使いし、それが成功したので、いよいよ名声を博するようになった。甘粕がその大杉を抹殺しなければならなくなった理由は、★大杉がユダヤ財閥と深い関係を持っていたからであり、その殺害は、ユダヤと大杉との関係を絶つためであったという。警視庁は、親英米派である重臣どもの息がかかっていて実行できないから、憲兵隊でこれを始末するしかなかったというのであった。

 甘粕のこの説明のなかで、特に興味を覚えるのは、彼がはっきりユダヤ禍を口にしたことである。そのユダヤの陰謀が日本に禍いしていたこと、さらにはユダヤの陰謀に大杉が関与していたことを甘粕が知っていたということである。日本の重臣どもが既にユダヤの虜となっており、その重臣の意によって動く警視庁では、このユダヤの禍根は絶ち切れぬと甘粕らが判断してかかった事実は、ユダヤ問題をナチスの宣伝とした大川や石原らの主張に反駁するに足る証左といえよう。 

 
 ★頭山翁に問うた中野正剛自刃の原因 

 
 確かな人から確かなことを聞いておきたいと思い、私か確かめに訪れていった人物に頭山満がいる。それは中野正剛の死について真相を知りたいと思い、末永節翁と中野佐柿(さかき)先生に相談したところ、中野の遺書は頭山翁に宛てたものだけだから、東京・渋谷の常盤松に翁を訪ねてみたらどうかとの指示によったものである。

 古い話だが、小泉輝三朗の『大正犯罪史正談』が出版されたとき、赤松克麿や三田村武夫らにひどく叩かれたものだが、私は特に、《中野正剛の謎の項》に深い興味を覚えていた。

 ユダヤに日本を売り渡した者たちによって招来された敗戦後の今日では、外国から金をもらってその手先になっても、節を売ったとして自らを恥じることもなく、他もまたこれを売国奴として難ずることもなくなったが、昔はそうではなかった。張学良経由の米国からの対日謀略資金を、キリスト教婦人運動家たちの手を経て受け取っていた者や、労働者が残業までして最高一ヵ月に十円程度だった頃、日本共産党に巣喰った煽動屋たちはソ連から月二百円ずつの支給を受け取っていたものであった。

 中野正剛がきわめて勢い盛んであった頃のことであったが、私たちは中野が右翼ではあっても、真に愛国陣営に属する者であるかとうかということを疑っていた。それで中野が死んだということを聞き、その死がわれわれの疑念をはらしてくれる何かを持っているのではないかと期待したのである。そこで私は中野の死の直後、先輩を訪ねて中野が死ななければならなかった理由を問うたことがあった。先輩は即座に答えて、それは中野がロシアからもらった金を苦にしたからだと言うのであった。

 正剛の死はきわめて立派なものだったと言われていた。その模様については頭山翁からも築地の高乃屋の女主人からも聞かされた。それほどまでして死んだ中野の死が、単に東条の弾圧の結果だという風評は、にわかには信じえなかった。東条の圧迫といわれていた政治管制は、なにも東方会に限ってなされたものではなかったからだ。

 これでは説明にならないので、今度は、中野の取調べが進められると、累が宮様に及ぶことになるから、中野は責めを一身に負って、事実が明るみに出るのを防いだのだという解釈が出た。一身に負うなら負えばよろしいので、死ねば負えないことになる。説明にはならない。

 私自身もその渦中にあったからふれておくが、当時、宮様担ぎ出しには二つの流れがあった。中野がそのどちらかに加わっていたということは、当時は聞かなかった。近衛は東条内閣の末期、弟を使って、次期政権への野心を重慶に表明していたが、既に重慶の軍令部には、東条の次には東久邇宮の内閣という情報が入っていた。もちろん、この情報も黒田善治の判断によって修正され、日本の重大危機にあたって、皇族が内閣の首班になるなどということはありえないという見方に変わったのであるが、宮様担ぎ出し工作は実際あったのである。東亜連盟、ゾルゲ関連系統による東久邇宮、私たちによる高松宮様内閣構想であった。東久邇宮様担ぎ出しは、最後の狙いを赤色政治犯の釈放におき、終戦への早期借置を急務とし、ソ連の対日参戦をも計算の上で、対英・米工作にソ連を仲介させ、次に重慶を足がかりにした対米和平工作をするという東条抹殺の運動であった。

 これに対し私たちのものは、敵国と通ずる君側の奸を除き、一挙に宮様内閣を樹立し、必戦の態勢を打ち立てようとしたものである。しかし、この頃には陛下の大綱も既にソ連仲介、対連合国和平交渉に傾かれており、時機は既に去ったとの感が深かった。

 それで、中野がそのどちらかに加わっていたということは聞いていなかったので、中野取調べの進むにつれ、彼がのっぴきならぬ立場に追い込まれることになるのだとすれば、その理由はやはり純正愛国陣営が言っていたごとく、ロシア系の資金を受け取っていた事実が明るみに出されることを苦慮したからのものと考えられたのである。

 中野への工作費が、ロシアから渡されたものであることがはっきりすれば、日本の右翼も左翼も、ともに同じくユダヤに踊らされてその資金と指令とを受けて操られていたことの立証がなされる。そのため、私はこの中野の死の原因を徹底的に洗い出す必要を感じていたのであった。

 私が中野正剛の死の理由を知るために、渋谷の常盤松に頭山満翁を訪ねた日、翁は病臥しておられた。枕元でゆっくり話すつもりであったところ、起き直られて丹前を羽織られ、私はその横に坐して、耳近く話すことにした。病中のことであり、三点にしぼってご教示を願った。それは次の点についてであった。

 一、中野は右翼といわれながら、ロシアの《赤い金》、背後関係のある第三国の資金を受けたといわれるが、赤色革命関係の金を実際に受け取ったことがあるのか。中野の死は、それを苦にしたものか。
 二、日支事変は日支闘争計画によって起こされたものであり、日本の敗戦と革命とを招き、支那を米・英・ソと連合させて、日支戦争を世界戦争に発展させたのだから、翁が蒋介石は話せばわかるといって事を進めても、いたずらに敵側に乗ぜられるばかりだと思うがどうか。
 三、大川周明と米国ユダヤとの資金関係、及び二・二六事件のとき、岡田首相は官邸にいなかったのだということ。その真偽。

 以上三項目のうち、第三項の大川と米国ユダヤとの交渉に関するものは知らぬとのことであった。岡田啓介が二・二六事件の起きた日に官邸にはいなかったことについては、世間ではどう言っているかとの問い返しであった。岡田はあの夜は赤坂の料亭で、頭山翁その他と会っていたのだと言い、岡田の弟の松尾大佐はぜひ岡田に会って話す必要があったので、戻らぬ兄を待って一泊したために兄啓介と間違われて殺されたのだと言われている。岡田の天機奉伺が遅れ、後藤文夫が臨時首相代理となった理由もそこにあった。もしそれが本当ならば、岡田を官邸から助け出したという★迫水久常の正体を明かす必要がでてきますと話したところ、いちいち頷かれていたが寡黙、ついに語るところがなかった。

 蒋介石とはよく話しさえすればわかってくれるのだということについては、翁が日ごろ考えておられた構想をいろいろ話されたが、やはり蒋を昔日の彼と同一視しておられ、彼がユダヤーフリーメイソンの指令によって動き、ユダヤのサッスーン財閥と結託して、支那の金銀をユダヤに提供して、紙幣という紙屑と取り換える制度を立て、己れの利得は外国のユダヤ銀行に預託して、中国をユダヤに売り渡したのですよと話し、米英の援助で対日戦を継続しているので、和平の心などありませんと説明しても、翁の理解を得ることは既に遅すぎていた。

 第一の主題の中野正剛に死を覚悟させた理由について、東条の退陣工作に宮様を関係させたことで、累の皇族に及ぶことを恐れたからだという憶測もあるが、以前ロシアから赤い工作資金を受け取ったことが明るみに出ることを慮ったためというのが正しい見方ではないですかと尋ねたところ、巷間の噂や、赤色資金の情報の出どころなどを聞かれたのでお答えしたのだが、ロシアからの赤い金のことについては、一言もそれを否定する言辞はなかったのである。私はこれによって、中野の死の理由は、検察の調べがその赤い金に関したことであったと理解し、右翼に身を置きながら、左翼の金を受け取っていた汚点ゆえに身を潔くするための自刃と確信したのであった。

 翁の語るところは、故人にきわめて同情的であり、愛弟子を追憶して悼む心情に切なるものがあった。ことに中野の後半生における生活態度の立派さを褒めてやまなかった。その語るところを略述すれば、

 ― 中野も若い頃には数多く馬鹿げたことをしたものだ。しかし一切を清算してしまった今は、それは許してやれ。後半生における彼の精進ぶりは、立派に昔の愚行を償ってあまりあるものであり、ことに彼が妻に死なれた後の生活やその心境は、まさに透徹した清らかさを持っていた。まことに見上げた神韻の域に心身を置いたというべきで、遠く余人の及ふところではなかった。ようやくあの男もものになると思っていたところ、今度のようなことになってしまい、まことにかわいそうなことをした。中野の若い頃の愚行は責めてはいけないよ。

 ― というものであった。
 それで、頭山翁の以上の言辞から、中野がまだ血気さかんであった頃、いわゆるロシアからの資金と関係があったということを理解し、小泉輝三朗著するところのものによって、その証左を得たとしたのである。

 小泉氏は、東方同志会系の人たちからいろいろと反駁を受けたが、中野自らが師事していた頭山翁の私に語られた口吻を跳ね返すに足る中野側の論拠に接したことはない。

 ************* 

 

 
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/856-447f6ad0



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。