カウンター 読書日記 ●『大逆事件 死と生の群像』
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●『大逆事件 死と生の群像』
 
 ●田中伸尚・『大逆事件 死と生の群像』
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 外道・山縣主導のデッチアゲで遂行され、戦後の新憲法下の再審請求も最高裁以下、司法総がかりで「疑惑たっぷりの終焉」(★<13・疑惑>は後日紹介します)を迎えた大逆事件だが、今回から宗教者の対応-信仰の側面から見てみたい。

 まず、竹内芳郎の『意味への渇き』を読むことから始めたい。 

 
 ************** 

 
 ●『意味への渇き』  竹内芳郎(筑摩書房 1988年6月)

 第五章 日本における宗教表象の特質

 D 鎌倉仏教の革命性とその限界 

 

 前略・・・わが国の宗教表象の特質を以上のように粗描してくるとき、法然にはじまって一遍にいたる鎌倉仏教の始祖たちが断行した宗教革命がどんなに瞳目すべきものであったかは、もはや誰の目にもあきらかだろう。それは単なる一つの宗教改革というにとどまらず、むしろ、わが国の宗教史上はじめて既述しておいた普遍宗教としての仏教の本質が全的に開花した、実に特権的な瞬間だったと言ってよい。ただ残念なことは、それはその後ふたたび更新されることのない、最初にして最後の機会となってしまったことであって、したがって現代に生きる私たちとしては、これらの先人たちのかがやかしい業績を単純に賞揚しているだけでは足りず、彼らのその貴重な業績そのもののなかに、それを自己更新していくことを妨げてしまう何か大きな欠陥があったのではないか、あったとすればそれは一体何だったのか―そうしたことをも探究してゆく思想的責務があるわけである。以下、そのような視点から、鎌倉仏教の代表者たちの宗教的営為を、すこしたち入って検討して行ってみよう。

(ただし、ここでは栄西(*臨済宗)は除外した。中世禅の開祖として仏教史上の意義は大きいけれども、つねに権力に依拠しようとするその宗教者としての姿勢からしても、主著『興禅護国論』の理論内容からしても、本書の主旨からはとりあげるに価しないと判断したからである。)

 さて、まず最初に法然〔1133-1212〕であるが、私はここで、彼の営為を親鸞[1173-1262]のそれと一つづきのものとして把えておきたい。ふつうは法然の立場はまだ「善人正機」、親鸞になってはじめて「悪人正機」となったと解されているようで〔たとえば笠原一男『親鸞』1963〕、もしそうなら、そこに信仰態度の根本的な転換を見なければならなくなるが、すでに増谷文雄〔『歎異抄』1964)も指摘しているように、『歎異抄』に先立つ勢観房源智の見聞になる醍醐本『法然上人伝記』のなかの法然の語録に、「一、善人なおもて往生す、況んや悪人をやの事、口伝これあり」として『歎異抄』と同主旨の文が見える以上、「悪人正機」という親鸞独自の宗教恵想とおもわれているものですら、実は法然出自のものだったと解さねばならない。『歎異抄』自体の記述からもそう解すべきだろうし、大体、親鸞としては、法然の思想に自分が何かをつけ加えたという意識はまったくなく、ひたすら師の教えを忠実に継承し、まさに師の教えにこそ「浄土真宗」の名を冠していたのである。けれども、だからといって増谷のようにこの点で両者をまったく同一視してしまってよいかといえば、事態はそう簡単でない。というのも、法然のしたためた「黒田の聖人へつかわす御消息」には、「罪人ナホ(浄土ニ)ム(生)マル、イハムヤ善人ヲヤ」という、『歎異抄』とはまるで逆の「善人正機」思想が述べられてもいるからだ。とすれば、要するに、法然ではまだまだ浮動していた新宗教思想が親鸞において徹底化され、もはや動かしようもなく明確に定着化されたのだと解するほかはなく、本書ではそのように把えて論じてゆくことにしたい。

 ところで、普遍宗教が己れの本質を顕現するためには、既述したように、まずなによりも権力―から自立し、むしろ権力とは明確に対決する姿勢をうち出さねばならない。法然にしろ親鸞にしろ、わざと事をかまえて権力と争おうとは生涯いちどもしなかったようだが、しかし、彼らの信仰の根抵にそうした反権力なものが本質的にふくまれていたればこそ、国家宗教たる旧仏教(興福寺、延暦寺)からの訴奏を容れて朝廷権力(後鳥羽上皇、土御門天皇)のおこなったあの有名な専修念仏弾圧(四人が死刑、法然・親鸞をふくむ八人が流刑)がおこったことは、疑う余地があるまい。『興福寺奏状』に見られるその弾圧の理由づけは野間宏『親鸞』〔一九七三〕に詳しいが、そのなかにとりわけ「霊神にそむく矢」つまり「神祇不拝」の問題が入っていることは、法然らの専修念仏信仰がいかに国家宗教と相容れぬものをふくんでいたかを、よく示している。そしてこの弾圧にたいして後年の親鸞は、「主上臣下、法に背き義に達し、忿(いかり)をなし怨を結ぶ」云々〔『教行信証』化身土巻後跋〕と怒りをこめて反撃し、この反撃の言葉そのもののなかに、仏法こそが天皇およびその権力の行動を上から裁き得る至高の超越性原理であることを、昂然と誇示して憚らない。おなじ『教行信証』化身土巻に、『菩薩戒経』を引用しつつ「出家の人の法は国王に向て礼拝せず、父母に向て礼拝せず」云々と記されているのも、けっして偶然ではないし、またわが子善鸞を義絶する最大の理由に、「余のひと(領家・地頭・名主など権力者たち)を強縁として念仏をひろめよ」と詐って指示したことを挙げているのも、まことに当然であった。

 こうした反権力的態度は、鎌倉仏教のなかでもとくにこの派に際立っており、であればこそ、まさにこの派から百年間にもおよぶわが国空前絶後の大衆叛乱「一向一揆」がおこったばかりか、平時におけるこの教団の権力者への態度も、かなり末ながくまで、「権力に依存せず、組みこまれず」という非王法的姿勢を貫き、権力者にたいして愁訴したり嘆願したりしないことが、この派のいわば不文律だったと伝えられているのである。

 さて、権力によって強制的に還俗させられてからの親鸞は、「しかればすでに僧にあらず俗にあらず、この故に禿の字を以て姓とす」と告白しているように、みずから自覚的に非僧非俗のいわばliminalityに身を置き、これをいみじくも「愚禿」と自称したわけだが、すでに文化論で展開しておいたように、こういうliminalityこそは社会的アウトサイダーの徴しであり、ここに彼は、社会の底辺からいかなる社会的身分にも捉われぬ裸形の目でもって社会を照射する決意を固めたわけだ。阿満利麿はその好著『中世の真実-親鸞・普遍への道』のなかで、親鸞だけが当初から「上人・しょうにん」でなく「聖人・しょうにん」と称されていたことに着目し、彼のなかに古代からの宗教的漂泊者「聖・ひじり」の系譜★を読みとっているが、事実、一向一揆においても、井上鋭夫『一向一揆の研究』いらい、原始宗教団の基礎としてのワタリびと=<非人>たちの役割の重要性が注目されつつあり、石尾芳久『一向一揆と部落-被差別部落の起源』(三一書房)もこの点を強調している。親鸞が「或る村で念仏が弘まるかどうかは仏の御はからいによるもので、権力からの弾圧でその村に念仏の弘まる縁が尽きてしまえば、無理をしないでどこへでも移住して布教せよ」と指示しているのもこのゆえであって、東国配流の期間をつうじて、こうした漂泊する社会の最低部の人たちの目をおのが目としたればこそ、法然出自のあの「悪人正機」の深い信仰を、彼は真に確乎不動のものとし得たのである。なぜなら、社会の最低部にあってきびしく差別されながら悪しかおこなえないように社会的に強制されている人たちこそがまっさきに救われねばならぬ人たちであることを、彼はその民衆体験をつうじて痛感したに相違ないからであり、こうしていまやこの浄土真宗の信仰において、「抑圧されていたケガレの方が既成の聖の価値貶下をつうじてあらたな積極的価値をもって輝きはじめる』という普遍宗教の記号学的価値顛倒〔本書141P〕、「ケガレにまみれることこそがケガレを除く初発の必須条件だ」という原始仏教の教訓〔同157P〕が、みごとに再現したわけである。★★

 【註】

 ★ちなみに川元祥一『差別部落の構造と形成』〔1985〕は、この「聖」はもともとは原始共同体の聖職者であり、それが侵攻してきた〈天皇の軍隊〉によって共同体から追放され、その聖性を天皇によって剥奪吸収されて逆にケガレたる者とし賤民化されたのだとの、興味ぶかい議論を展開している。

 ★★阿満は前掲書のなかで、すでに法然がケガレを徹底的に忌む神道の伝統、およびそれに同調してしまった旧仏教の伝統に逆らって、はじめてケガレの価値復権を成就した(「仏はきよき、きたなきの沙汰なし」、「仏法には、い(忌)みといふ事なし」)となし、「それは、従来、ミカワリを前提とする宗教意識しかもたなかった日本人には、革命的な、新しい宗教意識の発見となるのである」と断じている。なお、一般に「一揆」にあって、一揆衆がケガレの象徴としての蓑笠姿などの「非人拵」をすることについては、勝俣鎮夫『一揆』〔1982〕を参照。一揆の主体は、たとえ〈構造〉内の定着農民であっても、一旦はその社会的身分を捨てて〈構造〉外の「非人」つまりアウトサイダーの立場に身を置かなければ、一揆に立ちあがれなかったのであり、ここのところに、真宗信仰が一揆にふかく寄与した最大の理由もあろう。まことに一向一揆とは、文化論第八章で詳述しておいた「コスモスヘのカオスの叛乱」としての〈コミュニタス運動〉の、最も典型的な事例のひとつだったわけである。


   続く。

 

 
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未来 世界 哲学 道徳 宗教 教育 政治 法律
悪人正機をプログ検索中です
善悪の判断の違いの人がいる。その 善悪の因果が 未来になる。心口意。悪いことの結果が恐ろしい。BATIとはあるのだろうか?
宿命 宿業 因果と償いと生死
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悪人とは 仏教の戒律を 守れない人と 聞いたことがります。
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【2012/04/21 15:03】 URL | 村石太ガール&アニメーター #l5CnV//6 [ 編集]


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