カウンター 読書日記 ●『大逆事件 死と生の群像』
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●『大逆事件 死と生の群像』
                               

 
        ★百年後の「高知白バイ事件」(週刊文春 11月4日号)

        ➔ ★高知白バイ事件  
 

 
 ●『大逆事件 死と生の群像』

 
 引用<続き>。

 七月初め、紀州・熊野に鬼検事として知られた武富済(たけとみ・わたる―後、民政党衆議院議員五期)が新宮に派遣され、彼の強引かつ威圧的な取り調べで新年会参加者らが次つぎと「大逆罪」の網にかけられ、七日に高木、崎久保、峯尾がそれぞれ勾引され、起訴された。続いて10日には、新年会には出ていなかった平四郎の兄で、薬種業を営んでいた勘三郎(一八八〇年生まれ)が起訴された。彼は、商用で新宮へ行った○九年七月二一日、弟や新村忠雄、大石を老舗料亭の「養老館」に招き、大石から東京の土産話を聞き、酒の勢いもあって「やるべし、やるべし」と放言し、弟の頼みで爆裂弾の製造を試みたこと(不成功)などが「大逆罪」容疑の理由だった。いっぽう魚獲り用のダイナマイトを押収された弟の平四郎は、いったん釈放されたが、六月下旬に爆発物取締罰則違反容疑で再び勾引され、友人のあやふやな「証言」によって、七月一四日に無理やり刑法弟七三条に切り替えられて予審請求された。

 熊野地方は風水害や火事の多いところだが、一九一〇年初夏の熊野は無法のつむじ風が吹き荒れ、六人とその家族そして周囲の運命が突然、ひっくり返った。当時の和歌山県知事・川上親晴が七月二〇日付で内相・平田東助に宛てた「社会主義者陰謀事件検挙の顛末報告」には、家宅捜索を受けた人は大石らを含めて四十人を数え、証人として呼ばれた人はさらに多数に上ったとある。

 七日に起訴された高木顕明は愛知県西枇杷島町出身で、★真宗大谷派・浄泉寺の住職になったのが一八九九年、三五歳のときである。当時、浄泉寺の門徒は約百八十戸で、うち百二十戸が差別に苦しむ被差別部落の人びとだった。宗教者として差別の実態に初めて触れた顕明は、自らに染みついていたそれまでの差別感情・意識を、門徒の日常に触れる中で少しずつ変えていき、「部落差別」の解消に取り組み、○六年ごろから浄泉寺で部落問題などをテーマに談話会をたびたび開き、そこでは大石や○八年に中村から上京の折に来新した秋水らも講演し、顕明自身も語り手になった。全国水平社の創立が一九二二年であるから、顕明の差別問題への実践的な取り組みは際立っている。また大石らと一緒に人間の尊厳を踏みにじる公娼設置に反対し、さらに仏教者として非戦の立場から日露戦争に反対し、本山・大谷派の積極的な戦争協力とは逆の生き方をしていた。開戦に盛り上がった戦勝祈祷を拒み、戦勝記念碑や忠魂碑建立にも反対した。今ふうにいえば反差別・反戦で、人権獲得のために実践的に社会と関わった。顕明のこうした活動は、すべて真宗の教えから導かれ、支えられていた。内に閉じこもる宗教者ではなく、積極的に社会と関わる生きる仏教者だった。それゆえ顕明は、社会の矛盾や問題と関わらず、国家の良き伴走者だった町内の他の宗教者には疎んぜられたが、いっぽうで新宮教会の牧師・沖野岩三郎との交流は密で、沖野が事件後に書いたいくつかの作品のモデルにしばしば顕明が仮名で登場する。沖野は弁護人の平出修宛ての書簡の中で顕明を紹介するに当たって「極めて単純で正直です。感情に激し易くて何事にでも感心し易い」と、書いているが、これは他者の人柄をズバっと評する沖野の独特の言い回しで、悪意はなく、ここでは顕明の性格の一端を捉えていた。

 顕明には『平民新聞』や田辺にあって一時期管野須賀子や若き寒村らが健筆を揮い、社会主義義にシンパシーを持っていた『牟婁新報』などへの投稿もなく、書き残した原稿、また獄中手記の類や家族宛ての書簡も発見されていない。獄中からはわずかに平出と堺利彦への短いはがきが各一通あるだけである。そんな顕明が、真宗仏教者としての生き方や思想などを綴った貴重な草稿を新宮時代に残していた。六月三日の家宅捜索の際に押収された「余が社会主義」で、日露開戦後の○四年四月ごろの執筆と思われる。四千字にもならない小論で、真宗の教えを軸に昂揚する当時の社会の戦争歓迎の実相を鋭く捉え、実践的な平和や平等の思想を語っている。泉惠機★の校訂によって「余が社会主義」の内容を見ておきたい。

 緒言で顕明は言う。「余が社会主義とはカール・マルクスの社会主義を稟(う)けたのではない。又トルストイの非戦論に服従したのでもない。片山(潜)君や枯川(堺利彦)君や秋水君の様に科学的に解釈を与へて天下二鼓吹すると云ふ見識もない。けれども余は余丈けの信仰が有りて、実践していく考へであるからそれを書いて見たのである」。

そして顕明は、真宗教義の核心である「南無阿弥陀仏」は、「闇夜の光明」で、「絶対的平等の保護」であると述べ、「余ハ南無阿弥陀仏には、平等の救済や平和や安慰やを意味して居ると思ふ」と続けて、平等を軸に仏教教団の主戦論を厳しく批判し、平和を説く。

 「余は南条(文雄。梵語学者。真宗大谷大学第二代学長)博士の死(ぬ)るハ極楽ヤッツケロの演説を両三回も聞いた。あれは敵害心を奮起したのであろーか。哀れの感じが起るではないか」
 「極楽世界には他方之国土を侵害したと云ふ事も聞かねば、義の為に大戦争を起したと云ふ事も一切聞かれた事はない。依て余は非開戦論者である。戦争は極楽の分人の成す事で無いと思ふて居る」
 「名誉とか爵位とか勲章とかの為に一般の平民が犠牲となる国に棲息して居る我々・・・或は投機事業を事とする少数の人物の利害の為めに一般の平民が苦しめられねばならん社会・・・富豪の為めには貧者は獣類視せられて居るではないか。飢に叫ぶ人もあり貧の為に操を売る女もあり雨に打るゝ小児もある。富者や官吏は此を翫弄物視し是を迫害し此を苦役して自ら快として居るではないか・・・実に濁世である。苦界である。闇夜である」
「此の闇黒の世界に立ちて救ひの光明と平和と幸福を伝道するは我々の大任務を果すのである。諸君よ願くは我等と共に此の南無阿弥陀仏を唱へ給ひ。今且(しば)らく戦勝を弄び万歳を叫ぶ事を止めよ」

 タイトルのとおり顕明の理解する「真宗的社会主義」である。
 非戦・平等の地平に立った顕明の思想は、貧しい箱根・大平台の地域に生き、天皇制国家・社会から離脱した地点にまでたどりついた禅僧・内山愚童の思想につながっていくようでもある。そんな顕明が「大逆罪」で起訴されたのは、明治国家が非戦・平等の思想を許さないというメッセージでもあった。

 突然、勾引された顕明らはどうして「大逆罪」に絡めとられてしまったのか。顕明が公判廷で語った言葉を弁護人・今村力三郎が書き留めている。「田辺ノ検事ノ調ベヲ受ケ此死ゾコナイメトー喝サレ林トイフ巡査力扇子ヲ首二当テパット云ハレ自分ハ到底殺サレルモノト思ヘリ」。つまりは強迫である。警察官や検事というむき出しの国家権力と直接向き合った経験もない真っ直ぐな僧侶にとって、警察官の問い詰めがどれほどの恐怖であったか。震え上がってありもしない捜査当局のつくった筋書きを認めさせられていったのは、ひとり顕明だけではない。「大逆事件」の真相を戦中から密かに追っていた神崎清が偶然、発見した厖大な「獄中手記」の中に峯尾節堂の「我懺悔の一節」がある。それを読むと、逮捕された無実の人びとがはめられていく取り調べの様子が、ネガに光を当てたように浮かび上がる。峯尾のケースを「獄中手記」から追ってみよう。

 峯尾は大石宅で薬局生をしていた新村忠雄らが勾引されたのを新聞で読み「何が理由でひっぱられたのだろう」と、不思議に思う。その火の粉が、結婚して間もない浮きうきした気分の中にあった二五歳の已に降りかかってくるとは思いもよらなかった。社会主義から離れていたという自覚もあったから。・・・田辺警察署に勾留されていた峯尾が検事・武富に呼び出されたのは、七月八日の真夜中だった。尋問の瞬間から峯尾は「鋭い眼付」で、「きつとにらみ」つけられて怯えた。

 「お前は新村からおやぢ(天皇の意)をやっつけると云ふ事を聞いたことがあるだらう」
 「そんな事を聞いたことはありません」
 峯尾はがらがら声だったというが、そんな声で応答したのだろうか。
 「真直ぐに白状せぬと、偽証罪に陥すぞ」
 「真実私は左様な事は聞きません。而して私は社会主義を既に止めてをります」
 「其方は大石から幸徳から四・五十名の者を集めて諸官省の焼打をやるといふことを聞いた事があるだらう」
 峯尾はふっと思い返した。そういえば、去年(一九〇九年)の一月の新年会で、大石が東京で幸徳と会って聞いた放談を軽い話として紹介したなあ。でも誰もあんな話は、真面目に受取っていなかった。
 「ハイそれは聞きました」と答えると、武富はすぐに追ってきた。
 「其時誰れが何といつたか。某甲は何といつたか」
 「それは覚えてをりません」
 「覚えてゐないことは無い筈だ。そんな大事な秘密を打ち明かされて覚えてゐないとは横着千万。承知しないぞ。其方はどう云った」
 「どうも言ひません」
 「嘘を云へ。そんな一大事を明かされて何んとも言はないといふ事があるものか」
 一大事とは思ってもみなかった峯尾は、返答に窮した。
 「お前が既に社会主義を廃めてをるといひながら、さう隠蔽する処を以つて見ると、お前は矢張り社会主義者だ。廃めて居るとは□ばかり、愈々以つて承知が出来ない」
 武富にぐっと睨みつけられた峯尾は、一気に崩れてしまう。
 「他の人は何と云つたか、それは覚えませんが、私はやりますと申しました」
 「よく言った。よしお前はやると云つたんだな」
 武富は直ぐに筆を執って紙に書きつけた。そしてさらに尋問を続けた。
 「新村がおやぢをやつつけると云ふのも聞いたらう」
 「ハイそんな言葉は聞きませんが、皇室を尊崇するのは迷信だと云つてをりました」
 密室で事件がつくられていく様が見えるようだ。
 顕明や峯尾が特別だったわけではない。古河力作も獄中の手記の中で予審調書について書いている。会ったことも、手紙のやりとりもない大石について無政府主義者かどうかを訊かれて、「何主義者か知りませんが」、新聞や雑誌で書いたものを読んでいたから、天皇や国家を「有難がっては居ますまい」と答えた。それが調書では、大石について「有力なる無政府主義者です」と古河が言ったとされた。

 公判が始まって間もないころ、一〇年一二月一八日付で、秋水が今村力三郎ら三弁護人に長文の手紙(「陳弁書」)を送っている。これは、秋水が事件の核心とされた無政府主義の革命観、その運動の性質に対する正確な理解を得んために草した非常に重要な書面で、後に見るが、 
この中で彼は検事聴取書と予審調書についてとくに一項を設けて、その杜撰さと危険性について弁護人の注意を喚起している。 
 
 「検事の聞取書なる者は、何を書てあるか知れたものでありません、私は数十回検事の調べに会ひましたが初め二三回は聞取書を読み聞かされましたけれど、共後は一切其場で聞取書を作ることもなければ随って読聞せるなどゝいふことはありません」。ところが予審廷で検事の聞取書がときどき読み上げられ、それを聞くと秋水の述べたこととほとんど違って、たいてい検事がそうであろうといった言葉が「私の申立として記されて」あった。「多数の被告に付ても皆同様であつたらう」と秋水は推測し、検事の聴取書と被告の申立てとどちらを重視するのか「実に危険」だと書いている。

 取り調べのやり方も「カマをかける」ことが多く、それを見破る力と、検事と台頭に議論ができる抗弁力がなければ、検事の言うとおりになってしまい、「地方の青年などに対しては、殊にヒドかつたらう」と心配する。巧妙な「カマ」には、何人も引っかかり「アノ人が左ういへばソンナ話があつたかも知れません位の申立をすれば」、「ソンナ話がありました」と確言したように書かれ、これがまた他の被告の「責道具になる」という。結局、検事聴取書は「曲筆舞文牽強附会で出来上つてゐる」と秋水は断言している。

 また予審調書については、仮に予審判事がどれほど公平であっても不完全だと指摘して、次のような実態を明かしている。
調書は速記ではなく、被告の申立てを聞いた後で、判事の考えで問答の文章を作成し、「申立の大部分が脱」し「言わないが言葉が挿入される」。そのうえ、調書の訂正がすこぶる困難だと述べる。一応、調書の読み聞かせはあるが「長い調べで少しでも頭脳が疲労して居れば、早口に読行く言葉を聞損じないだけがヤツトのことで、少し違つたやうだと思つても、咄嵯に判断がつきません。それを考へてる中に読声はドシドシ進んで行く。何と読まれたか分らずに」終わってしまう。誤りが何十箇所もあっても「指摘して訂正し得るのは一ケ所位に過ぎない」。文字をよく知らない者は「こう書でも同じではないかと言はれゝば争うことは出来ぬのが多からう」。秋水でさえ「一々添削する訳にも行かず、大概ならと思って其儘にした場合が多かった」。
 
 最後に秋水は、自身を含め初めての予審体験について「下調べ」であまり重要ではなく、公判で訂正すればいいのだと思っていた被告がほとんどで、予審調書は決定的に重要だったと述懐している。その予審調書が「甚だ杜撰なもの」だった。秋水は、「気の毒な多数の地方青年等」のためにその点をよく含んでほしいと、今村らに訴えていた。

 
 まるで現在の冤罪事件の原形を見るようだ。 

 
 ***************

    続く。
 

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