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続・落合論文
  2)-4)吉薗林次郎の戸籍ー七歳まで無戸籍だった当主
 

  明治5年に作成された壬申戸籍の、萬助を戸主とする吉薗家の戸籍にギンヅルの名はない。
 つまり、ギンヅルは別に戸籍を作ったわけである。姓は本来吉薗の筈だが、本人は公家になったつもりで堤の姓に拘り、終生堤姓を名乗っており、周蔵への手紙にも<堤・ギンヅル>と書いている。
 後年、そのことで、小林市役所と訴訟になったようだが、詳細はわからない。現在の市役所によれば、「当時の戸籍は既に廃棄済み」ということなので、もう調べようもない。
 小林に連れ戻された次長は、認知争いの渦中にあったため、7歳まで無戸籍のままであった。最後には吉薗萬助とギンヅルの長男ということにして、萬助の戸籍に入れられ、以後吉薗林次郎と呼ばれることとなる。
 
 一方ギンヅルは、壬申戸籍で生年を6歳も若く偽った結果、萬助よりも年下になり、今でも曾孫たちは萬助の妹と思い込んでいるという。
 年齢詐称は、愛人・哲長を惹きつけておくためで、「女は化粧の仕方で5~6歳は化けられる」と周囲にうそぶいていたらしい。
 そんなわけで、昭和6年に他界したギンヅルは享年95歳の筈だが、詐称の度合いをもっと大きく見る周蔵は、実際には99歳はこしていた、と目算していたと伝わる。

 吉薗家に住んだギンヅルは、明治6年(1873)自分の姪(?)にあたる細野村の岩切八右衛門の長女ハツノ(安政2年生まれ)を養弟・萬助の嫁にし、以後吉薗の家内事に悉く関与した。
 明治23年、林次郎の嫁に細野村の木下キクノ(慶応3年生まれ)を貰うと、家内の不和は頂点に達し、ハツノは明治25年、細野の岩切家に戻ってしまう。

 明治34年に萬助が死に、林次郎が当主となると、隠居に準ずるという意味の方言で「三居」と呼ばれるようになったギンヅルは、吉薗家の家事一切を支配した。

 
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