カウンター 読書日記 ●『言い残しておくこと』 (4)  鶴見俊輔
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●『言い残しておくこと』 (4)  鶴見俊輔
 
 第二部  まちがい主義の効用 

 
 ★東大から小田実のような人間が出たのは奇跡だ 

 
 ともかく、べ平連を支えていたひとつの特質がファリブリズムなんです。ことにジャテックというのは、もっともファリブリスティックなんてすね。なにしろ、脱走兵はみんなファリブリストなんですから。彼らはもともと戦争はいいと思ってベトナムヘ行き、「まちがえた」と思って逃げてきたんですから。それを受け入れる我々のほうもファリブリズムの運動なんです。ここでまちがえても、次にそれをどう取り返すかということを考える。

 ジャテックでは、ジョンソンと名乗る米軍のスパイを受け入れてしまったことがある。我々は、ジョンソンとメイヤーズ ― こちらは本物の脱走兵 ― の二人を北海道まで連れて行って、そこから国外へ逃がそうとしたんですが、ジョンソンは途中で消えて、結局メイヤーズは捕まってしまった。ジョンソンを入れた責任者は私と世話人の深作光貞(文化人類学者)なんです。私と深作がスクリーニングをしたとき、ジョンソンと名乗るその男は、「これは帝国主義戦争だから間違っている」というんですよ。帝国主義なんて言葉は、それまでの脱走兵はだれも使わなかった。「とにかくひどい」とか、「嫌だ」とかいうふうなことしかいわないんだ。そこで疑うべきだったんですね。しかし、私と深作は気づかずに受け入れてしまった。

 こういう場合、それまでの東大新人会、共産党、あるいは戦後の学生運動のようなファリブリスティックではない運動だったら、「責任者はだれだ。あいつを幹部から外せ」と責任者を追及する。あるいは、「あいつをぶっ殺してしまえ」となって、私は殺されていたかもしれない。しかし、そうはならなかった。現に、「イントレピッドの4人」の会に、私はちゃんと招かれて話をした。まちがいを犯した人間が、まちがいを犯したことを隠さずに中心に座っている。そのときの脱走兵援助の東京コミッティは、ジョンソンがスパイではないかという疑いをもっていたわけです。それを私は受け入れなかった。そのコミッティには、ソ連ルートを絶たれた以降のジャテックの活動を書いた高橋武智もいて、彼もあの会に来ていたでしよ。批判される側・批判する側が、四十年の歳月を超えてともにいる。こういうことは、ふつうのセクトの会ではありえない。

 脱走兵のスパイ問題のようなことが起きたときに、べ平連が、どうして査問とか責任追及といった方向をとらなかったのか。このことの意味を、これまで日本の知識人から私は問われたことがない。それは、彼らが「べ平連はファリブリスティックな運動である」という特質を見きわめられないからですね。そういうカテゴリーをいまだにもっていない。そこが問題なんだ。

 それから、秘密の保持の仕方もちょっと違うんですね。たとえば、京都の私の家にケネス・グリッグズという脱走兵を匿っていたことがある。彼は、ずっと家に閉じこもっているのは嫌だから、たまには外へ出たいと言うんです。それで、当時二、三歳だった私の息子を一緒に連れて行かせたんです。もし怪しまれて誰何(すいか)されたとしても、一緒にいる子どもが何か喋っていれば何とかなるでしょう。外の人に余計なことをいってはいけない、それくらいの危機感を二、三歳の子どもでも持っていて、判断できる。その年齢ですでに息子は、二重の世界をもっていたわけですよ。そういうふうにして、ケネス・グリッグズは自由に京都の街を歩いていた。それが、われわれの流儀、マナーなんですね。

 それから、べ平連というのは、やはり小田実のパーソナリティが大きかったね。小田ははっきり区切り目をつける人じゃない。だからまちがいも受け入れることができる。しかも、小田は東大を卒業しているし、ハーヴァードにも行っている。小田を見て、ハーヴァードや東大を感じることは難しいでしょう。東大から小田のような人間が出てきたのは奇跡だね(笑)。

 小田の破格ぶりは、六八年一月に、佐世保に原子力空母エンタープライズが寄港したときにも見えたね。小田は吉川勇一と一緒に佐世保まで行って、航空母艦の周りをボートでぐるぐる回って、脱走を促すビラを撒いたんです。最初、小田はヘリコプターをチャーターして空の上から撒こうと思っていたんだけど、飛行機会社が拒否してそれは叶わなかった。それでも小田は諦めない。そこが、既成の知識人の枠をはみ出しているところなんですよ。自らモーターボートに乗り込んでビラを撒きながら、メガホンで肉声で航空母艦に向けて、「こんな愚劣な戦争は止めろ、すぐ脱走しろ!」と怒鳴った。痛快だよね。

 それから、デモのあと飯を食うんだけど、あの当時、小田はビフテキを二枚食うんだ。十七、八の予備校生なんかがそれを見ると驚異なんだ。小田は、ベストセラーを書いてるから大変金を持っている。でも、計画性というものをあまり持ち合わせていないから、調子に乗って、晩飯にばんばんいろんなものを頼んでいって、「おっ、金が足りなくなった」っていうんだ(笑)。そういうイメージがべ平連なんですよ。だから、小田がべ平連のイメージをつくったともいえる。幕末から現代までの百五十年のなかでいうと、ジョン万次郎と小田実。なかなか、ああいう仕草と身振りの大きな人は出てこない。大きいことを装う人は、いくらでも出てくるけどね。

 ただ、小田と付き合うのは、健康上あまりよくなかった。一日一緒にいたら五回も飯を食うんだから(笑)。

 私のおやじは一高で一番だったけれど、実は、私がよく知っている人のなかに、おやじを含めて。“一高一番”が三人いた。一人は、アメリカに留学していたとき、ケムブリッジの私の下宿にやって来て、自分がお金を出すから、もっと広いところに移ってくれといった男です。それが東郷文彦なんだ。後にアメリカ大使になりますけど、彼は一高一番。東大の法学部へ行っても優秀で、優の数からいって、当時はもうなかったけど、かつてで言ば(恩賜の)銀時計組だよね。そういう人です。

 残る一人が高畠通敏。最初にベ平連をつくった人ですね。高畠については、丸山真男さが私のところに来て、「これは秀才だからつぶしてくれるな」とわざわざ釘を刺した。私とつき合っているとつぶれちゃうという不安を持ったんだ(笑)。しかし、高畠は早くに死んでしまったわけだから、結果的につぶしたことになるのかもしれないね。ともかく、彼は東大法学部のきわめつきの秀才なんです。でも東大の教授にはなっていない。そのように彼は生きたんです。

 六〇年安保のときに、小林トミが無党、無派のだれでもが参加できる市民運動として「声なき声の会」のデモを始めたわけですけれど、高畠はその事務局長をやっていた。で、その高畠が、米国の北ベトナム侵攻に的を絞って新しい運動を起こそうと提案したんです。初めは高畠ひとりで、次に私が相談を受けたわけです。それから小田を引き込んだ。だから、べ平連というのは、高畠、私、小田という順序でできていった。その「声なき声の会」にもファリブリズムがあったし、それに、『思想の科学』も、ある意味ファリブリズムなんですよ。 P139

 ****************

 
 ★メモラビリア⑩

 ★天皇および天皇制  p183 

 
 私は「満州」事変の前に小学校へ入っていますから「満州」事変の前のニヒリズムというのがある程度自然のものとしてあるわけです。それこそ大杉とか高橋新吉とか辻潤とか、みんなそうじゃないですか、佐藤春夫に至るまで。それは自然のものだと思っていたんです。子供として考えると、それは当然に天皇制と対立するものなんですよ。
(★172 一九七六年)

 わたしなんかだと、受けた教育のせいもあって、天皇はそうとう好きじゃなかったということもあるのですけれども、とくに空襲のあとを天皇がまわったでしょう。あのときにイヤーな感じがしたな、これはもう限度だという感じがした。それでもまだいい感じ、つまりいまの天皇は穏やかな感じをもっているでしょう。それもあって、天皇制を廃止するのがいいのかわるいのかというのを、戦後の十二月にやってきた占領軍の伍長に聞かれたことがあるんですよ。その伍長というのは、すごく権力もっているんだけれども、そのときになんとなく心のなかでスーッと寒くなった感じがしたね。自分が廃止すると言っていいんだろうか。あとでひっかけられるとか、それとは違うんですよ、その道を日本がとれるだろうか、そういう感じですね。それはどういうのかな、天皇に、民族文化の同一性にかかっているというか、そういう感じもまたそのころのわたしにはいくらかあったんです。(★173 一九七三年)

 ある友人が天皇の御召艦の話をきいて涙をこぼしているのだなあ。それを見てなぜ社会主義を信じている学生で天皇に涙をこぼせるのかわからない。こわかったなあ。おれだけが疎外されているという恐怖。天皇という感覚、これが日本人の泣きどころだなあ。
(★174 一九五三年)

 昭和二十年の八月十五日に、突然に、私は天皇への信仰を失ったわけではない。かなり早くから天皇制はよくないと思うようになっていた。中学校を二年でやめて家にこもっていたころ、年長の友人・石本新にすすめられてクロポトキン著・大杉栄訳『革命の思い出』を読んで感心した。石本はそのころ私が読んでいた和辻哲郎の小冊子『日本精神』をけなし、それらが天皇制という不合理なものの基礎づけをおこなっているわけのわからない思想だといった。そのことばは、私の中に入った。
(★175 一九七五年)

 **************

 
 ★石川三四郎について 

 
 明治の社会主義者・石川三四郎氏をたずねると、この昼は屋根にのぼって修理をしたということで、自分の飼っている山羊の乳をすすめられた。もっとあとになって、戦争の末期、近藤憲二氏(*通称コンケン、堺の女婿)に葉書を出してカーペンター翁(イギリスの社会主義者。石川さんの訳した『文明とその救治』の著者)の命日を二人で蘆花公園のどこかであって記念しようとさそったという記事を読んで感動した。あのながい戦争の中で、七十代、八十代の老人の何人かは、戦時十代の私をとらえていた恐怖感にとらえられてはいなかった。それぞれ、日本の国の形のさだまらぬうちに生を受け、この国をつくりかえるために生涯努力した。
(★176 一九九六年)

 昭和十三年ごろ『科学知識』という雑誌をとっていた。その中に、「潮の干満」と題して、石川三四郎の短い文章が出ていた。〔略〕
 私はこの記事を切り取って、自分の日記帳にはっておいた。そのときには石川三四郎がどういう経歴の人かを知らず、中学生むきの英語小辞典の編者石川林四郎と混同していたくらいだ。石川の文中にあるキングズリー・ホールにしても、イギリスのキリスト教社会主義者チャールズ・キングズリーに影響された運動とは知らず、ぼんやりとイギリスの何かの出店だろうと思っていた。このように、歴史的知識なく、社会科学的知識なしの読み方でも、その時代のふんいきになじむことなくゆっくりした語り口で何か別のことをいっている筆者の物の見方は、私につたわってきた。
(★177 一九七五年)P186

 ************ 

 
 ★花田清輝に叩かれて開眼する 

 
 埴谷の『死霊』を最初読んだときにわからなかったのと同じように、私には花田清輝の『復興期の精神』(一九四六)もわからなかった。たしか一九四七年だったと思うけど、二十世紀研究所で花田の「八犬伝について」という話を聞いたんです。しかし、一時間半、話を聞いていても話のポイントが全然わからなかった。それが花田との出会いなんです。それがどこでつながるかというと、久野収さんとの共著『現代日本の思想』(一九五六)という岩波新書、あれを花田清輝が図書新聞で叩いたんだよ。私たちが取り上げた五つの思想のうち、四つ(白樺派、日本共産党、生活綴り方、超国家主義)まではすでに不毛なもので、残る実存主義も、その起源を転向者の思想に求める限り、これも不毛である、と。こう叩いておいて、別のところで、私が書いた白樺派について、さらに批判をしている。「鶴見俊輔は、『白樺派の多くにとっては、女中との肉体関係をもつことが、最初の深刻な人生問題であった。武者小路、里見、志賀、有島生馬など。』といっているが―しかし、わたしは、むしろ、そこに、かれらの『最初の深刻な人生問題』ではなく、かれらの最初の美の発見をみたいとおもう」と。つまり、私はモラリスティックに考えたんだけれども、花田はそこをくるっとひっくり返して、白樺派の美学のきっかけはその辺にあったかもしれないじゃないかというんだ。これはおもしろいね。そうかもしれない。花田にはいろんなところでよく叩かれたけど、叩かれることが、私にとって一つの開眼のきっかけになっている。

 それから花田は屈指の伯楽でもあった。司馬遷のいう「千里の馬はいつの時代にもいる。しかし、千里の馬を見分ける伯楽のいない時代もある」というやつですね。たとえば、昭和初期に登場したまま、その後長いあいだ忘れられていた尾崎翠を再評価して、苔が恋をするという『第七官界彷徨』を自分の編んだアンソロジーに入れた。花田がいなければ、尾崎翠は永遠に復活しなかったでしょうね。

 私が当代の立派な文章家と認める小沢信男も花田が引っ張ったんだね。小沢は、『江古田文学』に「新東京感傷散歩」という作品を書いて、それを花田が読んで認めたわけです。小沢は俳句もやっていて、「学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地」という名句がある。そうして彼は、山下清の伝記を書いたでしょう。私は山下清を尊敬してるんです。山下清そのものがオリジナルなんだ。それを小沢みたいな人が出て、その力を見抜いていく。その小沢は花田によって見出された。それがエリートを抜く力なんです。 P189

 ************** 

 
 ●『言い残しておくこと』 鶴見俊輔     <了>。

 



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