カウンター 読書日記 ●『言い残しておくこと』 (3)  鶴見俊輔
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


●『言い残しておくこと』 (3)  鶴見俊輔
                     日本の百年 001


 ●『言い残しておくこと』 (3)  鶴見俊輔
 
 ★江戸と明治、二つの世を生きた「エリート」たち 


 では、明治初期と日露戦争以後とでは何が違ったのか。それは落差なんです。つまり、同じ東大に行っても、初期の東大に入った人たちは江戸と明治という二つの世界を生きていて、その時代の落差を自分の身体の中に抱えていた。夏目漱石がまさにそうですね。漱石は数代つづく名主の息子で、彼の家の床の間には掛け軸がかかっていて、それを二、三歳の漱石が見ると、なかなかいい絵のように見えていたずら書きなんてしていたらしい。それから掛け軸には大体、讃がついてますね。讃は漢字だから、漢字の型とか気分が幼い漱石の中にちゃんと残ったんだね。だから、漱石は漢詩がうまいですよ。

 そういうところから出発して、一高、東大へと進むわけですね。そして、大学で英文学を専攻するんだけど、そこで彼が感じたのは、「イギリスの文学というものが、日本と中国の文学とこれほど違うのはどうしてか」ということだった。その命題を学生のときにつかむんです。その問題は、英国へ留学したときも手放さなかった。だから、その問題解決の参考になりそうな本を非常に幅広く読んでいますね。たとえばウィリアム・ジェームズの心理学。しかも岩波文庫に入っている『心理学』じゃなくて、「大心理学」と呼ばれる『心理学原理』という大著を読んでいる。これを読むのは大変ですよ。そのほか、レスター・ブランク・ウォードの社会学とかも読んでいる。でも、いずれも問題解決の手がかりなりそうでならないんだ。

 いまから二十年以上も前のことですけど、東京の山の上ホテルで、ばったり前田愛に会った。立ち話の中で、前田愛が、「ぼくはいまでも漱石より鴎外を上に置くよ」というんだな。その理由は聞かなかったんだけど、その後まもなく彼は亡くなってしまったので、聞いておけばよかった。残念なことをしたね。で、漱石に話題を転じて、「漱石はあんなに勉強したけど、結局解けるはずがないんですよ。漱石が解こうとした問題は、I・A・リチャーズのときになって初めて解けたんだ。リチャーズはマリノフスキーを引いているでしょう。マリノフスキーのような文化人類学者が世界各地に出かけていってはじめて、違う文化の中から違う文学の趣味が生まれるプロセスがはっきりとしたんだから。そのおかげでリチャーズは文学理論を書くことができた。だから、漱石がいくらジェームズやウォードを読んだって、自分の立てた問題を自分では解けないんだ」というようなことをいってましたね。だけど、自分が立てた問題を死ぬまで手放さないというところが漱石の偉大さなんです。それが明治の偉大さなんだ。

 明治以来、日本に英文学の先生はごまんといるわけだけど、漱石が立てたような問題を出して、それと生涯取り組んだという人はほとんどいない。漱石以降の人は、学者として偉いように見えても、根本の問題をグリップする力が弱いんだな。その人物が優れているかどうかは、二つの項目で見るとわかるんですよ。一つは、この人には閃きがある。もう一つは、この人にはその問題に対する持久力がある。別の言葉でいえば、アブダクション(abduction)とリテンション(retention)のパワーですね。これを二つながらにもっている人は、ざっと見渡しても大変に少ない。

 湯川秀樹さんがそういう人だったらしいね。これは湯川さんの弟の小川環樹さんから聞いたんだと思うけど、湯川兄弟はみんな、おじいさん(小川駒橘)に、子どものときから漢文の素読を授けられたんですね。しかし、たくさん本がある中で、荘子を読んだのは湯川さんだけだそうです。現に、湯川さんは随筆の中でよく荘子を引用するんですが、ああいう閃きは、湯川さん独特のものですね。長男が小川芳樹、次男が貝塚茂樹で、三男が湯川、四男が小川環樹でしょう。ほかの人はみんな「子曰く」の論語だけ教わっていて、荘子は読まない。湯川さんには荘子が入っているから、閃きがあるんですよ。

 実は、後藤新平も荘子を読んでいたんです。後藤は牢屋の中で漢詩を書くんですね。牢屋から出て、漢詩を書いたメモを大きな書にして、その軸がいま私のうちにあるんですが、どういうのかというと、「荘子は胡蝶を夢に見た。胡蝶は自由であって、どこにでも飛んでいく。先のスケジュールなんていうのは考える必要はない」というような意味の漢詩です。後藤が牢屋に入れられたのは一八九三(明治二十六)年。そのとき彼は、わずか十数年後に自分が鉄道大臣になる(一九〇八年)なんて考えていない。鉄道大臣がスケジュールを考えないというのは困りものだけど(笑)、とにかく彼には荘子が深く入っていた。だから牢屋に入ってすぐにそのメタファーが出てくる。彼もまた二つの世界を生きた人なんです。

 *********** 

 
 ★メモラビリア④ 

 ★境目としての一九〇五年 


 馬上天下を取った明治元年から明治三十八年〔一九〇五年〕までは相当の自制心が、新政府の功労者たちに働いていた。ところが日露戦争に勝ったとたんにそのたががはずれ、もう大盤振舞で、おまえは公爵、おれは伯爵と・・・。
 そのときから昭和の種が蒔かれたんですね。三十八年を境に、ジキル博士とハイド氏のように、人間の内面が入れ替わってしまって、あとは同じ人間の皮を着た別の人間になった。金子堅太郎にしても、明治の初め、憲法制定のときはもっとずっと頭を働かせていたと思うんです。ところがあとは、ときどき宮内省や何かに行って歴史の偽造をやり、おれはこんなに働いたとかなんとか言って、だんだん自分の爵位をつり上げてゆくようなタイプの人間になってしまう。
(★82一九七九年)

 児玉源太郎と小村寿太郎は、ナポレオンもヒットラーもできなかったことを成し遂げたんです。ナポレオンもヒットラーも、ロシアに向けてワアーツと攻め込んだが、途中でブレーキが利かなくなって大負けに負けて帰って来た。ところが、児玉、小村は二人で組んでうまくやった。あの時にいい気になってブレーキを踏まずにいたならば、大負けに負けて大変なことになっていたでしょう。指導者側があれだけの抑止力を働かせることができ、また、国民の側でも、日比谷焼打ちなどで不満を表わしたにせよ、とにかく自分を抑えることができた。あの相互の抑止力の利かせ方というものは、すばらしいものだと思うんです。
 ところが、明治三十八年以降は、幕末から続いていた一種の指導精神が跡切れてしまった。仕事を成し遂げられさえすれば自分は死んでもかまわないというのが幕末の志士とすれば、三十八年以降の元勲は、彼らと同じ人間の皮をかぶりながら、中身が全く違う。
(★83 一九七八年)

 だから、この百五十年のどこでこんなに悪くなったのかをじっと考えると、私は一九〇五年だと思う。それからの長い衰退は、これからも続く。そのなかで、自分個人はどうして生きられるかという問題がずっとあるんです。「日本に帰る」と決心したことも、その問題にからむんです。アメリカの牢屋に入っているんだけれども、その問題が出てくるんです。
 六月十日に交換船が出る、乗るか、乗らないかというわけです。私は「乗る」と言った。どうしてかというと、「負けるときに、負ける側にいたい」という、なんだかよくわからない、まったく不合理な気分からです。それだけです。日本が勝つなんて、ぜんぜん思ったことはないですし、日本が正しいと思ったこともない。だけど、そういう決断をした。
(★84二〇〇四年)

 *********** 


 ★つくる人とつくられた人 


 <<鶴見さんは、一九四二(昭和十七)年三月、米国連邦捜査局(FBI)に逮捕され、東ボストン移民局に留置された。無政府主義者との嫌疑だった。その際、聴聞会で弁護人となったのが歴史家のアーサー・シュレジンガーだ。その後、エリス島連邦移民収容所からメリーランド州フォート・ミード要塞捕虜収容所へ移送。同年六月十日、収容所内でハーヴァード大学哲学科を卒業。要塞捕虜、日米交換船グリップスホルム号で米国を離れ、途中アフリカの口レンソ・マルケスで浅間丸に乗り換え、帰国した。>>

 一九四一年の十一月に、ワシントンの日本大使館の若杉要駐米公使が、私宛に万年筆で書いた手紙を寄こしたんです。何月何日に最後の引き揚げ船が日本からカリフォルニア西海岸まで来る。すぐに学籍を抜き、それに乗って引き揚げよ、と。私はそのとき、飛び級してハーヴァード大学の三年生になっていたので、来年には卒業できる。ものすごい努力してせっかくここまで来たのに、いま帰ったらそれがすべて無になってしまう。私はそのとき非常に狼狽しましたね。

 そこで私の後見人に電話をしたんだ。それはアーサー・シュレジンガーといって、この間亡くなったシュレジンガー・ジュニア(○七年二月没)の父親で、ハーヴァード大学の米国史の教授です。そうしたら、すぐ家に来いというんだよね。それでシュレジンガーの家へ行くと、先客が来ていた。都留重人なんですよ。都留さんのところにもやはり若杉公使から手紙が来ていたんだね。

 そこで問題となるのは、日米戦争が起こるかどうかです。すべては、その判断にかかっている。都留さんは起こらないという。いま、日本の資本主義の代表とアメリカの資本主義の代表が上海あたりで会って、お互いの交渉の落としどころを探っているところだ、と。これまで日本政府が公に日米開戦やむなしといっているのは、単なるおどしだというんだ
よね。ところが、私は起こるという結論なんです。

 都留さんの資本主義の論理からいえば、たしかにそうなるでしょう。でも、私はそうは思わない。私は現役の政治家の息子なんです。ゼロ歳の頃から食卓を共にし、ずっと見てきたおやじは、どうやってもそんなに頭のいい人とは思えない。よほど頭のいい人でなければ、自分を騙さずに他人だけを騙すことはできないんです。結局、長い間には自分をも騙してしまう。もはやおやじはその域に達しているし、日本の政治家全部がその域に達している。だから戦争は起こる、と。結果としていえば、都留さんが間違っていて私が合っていたわけですけど、それはもちろん、都留さんより私が頭がいいというわけじゃない。ただ、私が日本の政治家の気分を知っていたからなんです。

 都留さんとそんなやりとりをしているところに、シュレジンガーが口を出した。自分は日本史の専門家じゃないけれども、ペリーの黒船が日本に開国を迫ったときに、幕府は大変狼狽して、なんの方向性も出せなかった。実際、将軍が大名諸侯に開国についての意見を求めるアンケートを出したんだけど、「よろしいように」というのがそれに対する大名の答えだった。その
*アンケートが今も残っていますよ。

 そこで幕府は周章狼狽したにもかかわらず、明治維新によってわずか十年のうちに世界の列強と渡り合えるだけの指導者、エリートを新しく引き出すことができた。これが社会学でいうエリートという言葉の使い方なんです。抜き出す力ですね。こういう国の指導者が、この百年のうちに― そのときペリー来航からほぼ百年だったんですね ―負けるとわかっている戦いにみすみす国民を引き込むとは思えない。これがシュレジンガーの答えなんです。

 日本は戦争をしないという点では都留、シュレジンガーは一致して、私だけが対立していたわけです。そのときから六十七年たっていますけれど、ずっとそのことを考えてきて、途中点というのがあると思ったんです。なるほど、答えだけで見れば、到達点で見ればシュレジンガーは間違っていた。しかし途中点て見れば、シュレジンガーの考え方、分析は合っているんじゃないか、と。

 つまり、プロセスでは当たっていたんです。幕末から一九〇五(明治三十八)年までは当たっていた。はずれ始めたのは一九〇五年の日露戦争以後からなんですよ。偶然、私のじいさんはそれまでの日本を引っ張った人の一人で、無一文から出発して牢屋にも入った。対しておやじは、一九〇五年以後に一高に入り首席になり、東大法学部を出て官吏になった人なんだ。この違いがある。

 それはスピノザの『エチカ』でいう、「natura naturans (ナトゥラ・ナトゥランス、能産的自然)」と「natura naturata (ナトゥラ・ナトゥラタ、所産的自然)」のちがいなんですね。つまり、つくる力とつくられた力、つくる人とつくられた人とはちがう。後藤新平は高杉晋作、坂本龍馬ほどではないけれども、偶然その末端にいて、つくる人だった。一方おやじはつくられた人なんです。つまり、“一高一番”というのはそういうものなんだ。そういう推理がいまの三人の議論の後、私が日本に帰ってきてからずっと考えてきたことなんです。アメリカに負けても、結局つくられた人が指導者になるという形は変わらなかった。

 つくる人は敗戦後全然あらわれなかったのかというと、そういう問題を出した人はいた。たとえば、勝田(しょうだ)龍夫がいる。彼は勝田主計という大正時代の大蔵大臣の息子なんだ。敗戦後すぐに、彼が文部大臣の前田多門のところに行って、「この際、東大をやめたらどうですか」と聞いたんです。勝田龍夫も東大出なんだけどね。だけど、そのとき前田多門は、「それでは指導者を養成する場がなくなる」といった。これは勝田龍夫から直接聞いたことですけど、つまり、そこで指導者養成の方法は戦前も戦後も同じになってしまった。それがいまに至るまでずっとつづいている。


 *アンケート 鶴見俊輔編著『日本の百年10巻シリーズ ①・御一新の嵐』(筑摩書房、1964年、今は、筑摩学芸文庫で読めます。)所収の「黒船以後」― 17・意見なし(文庫版では、P85~87)。


 **************

   続く。



スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/836-89ae84ad



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。