カウンター 読書日記 ●『言い残しておくこと』 (1)  鶴見俊輔
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●『言い残しておくこと』 (1)  鶴見俊輔
 
 ●『言い残しておくこと』   鶴見俊輔  


 第一部 "I AM WRONG" 

 私にとって、おふくろはスターリンなんです


 <<鶴見さんは、一九二二(大正十一)年六月二十五日、東京市麻布三軒家町に生まれた。父親は戦前のベストセラー作家にして官僚・政治家、戦後は第一次鳩山内閣の厚生大臣を務めた鶴見祐輔、母愛子は逓信大臣、東京市長などを歴任した後藤新平の娘という政治家の一家だった。>>*以上、編集者の紹介文。

 こうして八十五年生きてみて、私はおふくろに大変感謝してるんだ。おふくろは私が生まれたときから、ぶったり、踏んだり、蹴ったりして、私を育てたんです。人道倫理からいえば、生まれた子どもにそんなにひどく当たるというのは、残虐で不当ですよ。でも、この間の安倍内閣には二代目、三代目のばか殿様たちがいっぱいいたでしょ(笑)。私だって、母方でいえば政治家の四代目だから、もしかするとあそこに一緒に並んでいても不思議じゃない。そうならなかったのは、おふくろのおかげだね。

 私のおふくろというのはほんとに愚かな女なんだけれど、思想の芯があった。その芯は何かというと、当時のプロレタリア小説の芯、つまり、細田民樹の『生活線ABC』などで描かれる、でかい家、裕福な家の子どもは必ず悪人になるというテーゼなんですよ。あるとき、日銀総裁だった池田成彬と話をしていたら、「『生活線ABC』というプロレタリア小説で、私が女中に手を出して、最後は火で焼かれて、焼け死ぬことになっているんです」つて、笑っていたけどね。

 そういう思想の芯がおふくろにはあって、華族の跡取りというのを軽蔑していた。華族女学校(後の女子学習院)に通って、華族の子どもということでちやほやされるんだけど、自分はこんなに取り柄がなくてばかなのに、優遇されている、それが苦痛なんです。

 で、私は麻布のいまの中国大使館のあるところで生まれたんですけど、この家がでかいんですね。だから、生まれたばかりの私がどういう人間になるかわからないにもかかわらず、お前は悪い子だ、悪い人間だといって、ぶったり蹴ったりする。こっちはまだ言葉をもってないから、それがまず頭に入っちゃうんです。それが三歳ぐらいになると言葉をもつようになって、こっちが何かいうと、おふくろは、「それがあなたの一番悪いところです」と叱る。そしてまた別のときにも同じことをいう。だから、「うん、母さんの一番悪いというのはいくつもあるんだね」というと、さらにさらに怒っちゃって、「もうあなたにはひと言もいいません」つて(笑)。

 私にとって、おふくろはスターリンなんですよ。彼女が正義も道徳もすべて独占している。だから、こっちは命を賭して戦うしかないんです。たとえば、おふくろは、飯を食うたびに、箸の持ち方が悪いといって叱るんです。こっちは、どういうふうに箸を持つかはわかっている。でも絶対その通りにはしない。教わった通りにはしないというのが、私の抵抗の所作なんです。

 おふくろに叱られながら飯を食ってるから、いくら食べてもちゃんとした栄養にならなかったんでしょう。そのせいか、小学校のときは男女一緒の組だったんですけど、私は男女を通じて一番体重が軽かった(笑)。

 でも、もしおふくろが早く死んで、おやじに育てられたとしたら、私はあの絆創膏の赤城(徳彦)大臣のようになっていたかもしれない。そこは感謝している。ただ、あの赤城大臣のじいさんの赤城宗徳というのは、私は好きなんだ。赤城は六〇年安保当時の防衛庁長官で、岸(信介)がデモ隊を抑えるために国会に自衛隊の治安出動を要請したんだけれど、彼はそれを拒否して、結局治安出動はおこなわれなかった。それだけのことを岸に対していえるというのは、立派な男ですよ。じいさんはえらかった。だけど、三代目はね(笑)。

 ともかく、私はゼロ歳のときから、おふくろに殴られながら、「おまえは悪い人間だ」といわれつづけた。だから、自分は悪い人間だ、というのが私のなかに生じた最初の考えなんです。これは、親鸞のいう「悪人正機説」とも通じるのだけれども、親鸞を読むのはそれから十年以上経ってからだから、この考えは親鸞に植えつけられたんじゃなくて、私の心の先住民であるおふくろに植えつけられたものなんですね。
 当時私はまだ言葉をもってないから、おふくろに言い返せない。そこで行動的に抵抗するんだよ。つまり悪い人間として生きる。この流儀は、八十五年の間通していて、全然ブレない。それが、私の信仰といえば信仰でしょう。

 私の細君はキリスト教徒ですが、私はキリスト教徒になったことはありません。私は、キリスト教の定義は、you are wrong 、おまえが悪い、という主張だと思っている。イスラームもyou are wrong だから、両方がyou are wrong となれば決着はなかなかつかない。それに対して私の立場は、基本的に、I am wrong なんです。私の細君がyou are wrong といって、私がI am wrongといえば、その決着はどうなるんですかね(笑)。

 マルクス主義もyou are wrong 。ウィメンズ・リブもyou are wrong 。私はI am wrong だから、もし、それらから「おまえが悪い」といわれても抵抗しない。この対立においては結局決着はつかないんですよ。私がyou are wrong の立場に移行することはないし、you are wrong は私の説得には成功しないから。

 私のファミリーについていえば、私のおふくろはキリスト教徒になったし、おやじもキリスト教徒になった。妹も弟もキリスト教徒です。キリスト教徒についにならなかったのは、姉の和子と私だけ。和子はどういう立場かというと、国家神道になる前の神道、つまりアニミズムなんです。彼女が南方熊楠を高く評価したのは、彼がアニミストだからなんです。熊楠は生態系を破壊するというので国家の神社合祀令に反対して牢屋に入ったでしょう。彼女もそういう立場です。和子は、アメリカにいた間と戦後の初期の三、四年は、
マルクス主義というyou are wrong の宗教に入っていたけれど、結局そこから離れたんです。

 私にとって大事なのは、you are wrong の宗派に対して同調しないことがひとつですね。共産党もイスラムも全学連も、みんなyou are wrong なんだけど、それには同調しない。そして、オーソリティに対して、申し訳ありませんと謝らない。天皇に対しても謝らない。共産党に対しても謝らない。もちろん、おふくろにも。そこは、私の細君だって非常に苛立たしいと思っても私を説得できない。デッドロックだね(笑)。

 向こうがyou are wrong といいつづけても、こちらの答えはいつもIam wrongなんだ。もちろん、それでずっとこられたというのは、運が良かったといえますよ。他人にこういうふうに考えろとは強制しない。ただ、自分はこうこうこういう理由でこう考える、それだけなんですよ。それで、八十五年きちゃったんだ。

 私には弟子がいません。つくらない。でも、師というべき人は一人だけいる。都留重人さんです。十五歳で都留さんに会ってから、一貫して彼は私の師でした。それが揺らいだことはない。最初都留さんは、「君は佐野碩の従弟だろう」というところから私に好意をもってくれたんです。無理だというのに、私にアメリカのカレッジボード(大学入学試験委員会)の試験を受けろと勧めたのも都留さんです。偶然試験に受かったものだから、都留さんは、私を学問のできる人間として思っているんだな。だから、不良少年としての
私を知らないんだよ、都留さんは(笑)。

 **************


 『共同研究 転向』は、私のおやじに対する答えなんだ


 <<一九二九(昭和四)年、鶴見さんは東京高等師範学校附属小学校に入学する。同級生には、後の小説家の中井英夫、文部大臣の永井道雄、中央公論社社長の嶋中鵬平らがおり、三級上には宮沢喜一がいた。同校卒業後東京府立高等学校尋常科に進むが、二年生のときに退学、府立五中へ編入するが、ここも二年生終了後休学、のちに退学。三八年に渡米、翌三九年、十七歳でハーヴァード大学に入学する。>>

 私は小学校のとき、ビリから六番でしたけど、ビリから六番になるのはなかなか難しいんです。ビリになるのはもっと難しい(笑)。ビリになるには、ある種の天与の才が必要なんだ。だから山下清なんかに対して、私は及び難しって思うんですね。で、ビリから六番ということが試験で確定したとき先生がびっくりした。もっとできると思ったんだね。そこでおふくろを呼び出して引導を渡したわけですけど、こっちは徹底して自らを不良と位置づけているから、学校に行かないで本ばかり読んでいる。それを知ったおふくろがま
た怒る。とにかく本、それも講談本とかの「悪い本」を読むことがおふくろから逃げることでもあったわけですよ。そうやって、小学校を出るまでに一万冊は読んだかな。

 夢野久作の『ドグラ・マグラ』なんかもその頃読みましたね。優等生はそんなもの読みませんよ。同級生でいうと、中井英夫は読んでいた。永井道雄は読んでない。少し上だけど、宮沢喜一も読んでないだろうね。宮沢は大変な秀才で、彼は附属中学には行かずに私立の武蔵(旧制武蔵高校)へ行って、そこから東大に行ったんだね。東大生のときに日米学生会議(一九三九年)があって、彼は学生代表としてアメリカに行っている。そこでいろいろな話をして、戦争は避けなければいけないという考えをもったんだな。だから、彼には戦争に対する反省は確かにあったと思う。総理大臣までいったけど、蛮勇を振るう、そういう人間じゃない。長く秀才をやっているとそうなります(笑)。

 私のほうは附属小学校から七年制に進んで、以降二度学校から放り出されるわけですが、放り出されるごとに、おやじが説教するんです。おやじは雄弁家だから、説教の型が決まっている。どこから始まるかというと、「日本は英国とは違う」。これが演説の始まりなんだ。英国でそこそこの家に生まれれば、オックスフォード、ケンブリッジに行って外務省ぐらい入れるが、日本では、東京帝国大学を出ていなければ外務省に入れない、と。一高から東京帝大、そして外務省というコースが一番だと思っているおやじにとって、私のような存在は恐怖なんです。実際、私のせいで頭が白くなっちゃったんだから、おやじには気の毒なことをした。おやじは私を迫害したんでもなんでもないんですよ。迫害したのはおふくろのほうなんだから(笑)。

 だけど、そういう説教を聞いていると、この人は東大を無条件に信じている気が小さい人だと、子ども心にわかるわけ。おやじは『英雄待望論』なんてのを書いて、「ルソーを見よ」とかいってるけど、ルソーは、彼を世話してくれたヴァラン夫人と男女関係ができて、その男女関係のなかで彼女に教育してもらったんです。おやじの考えている一高、東大なんていうのとは、全然違う(笑)。

 その説教を、学校を放り出されるごとに聞いているうちに、「お父さんのいうとおりです」とはならずに、逆回りするというか、それとは真反対のほうへ行くようになった。私がちゃんと卒業した学校は東京高等師範附属小学校と、もう一つは、牢屋の中の私に卒業証書をちゃんと送ってくれたハーヴァード大学、この二つで、日本では私は小卒なんです。

 おやじは「一番病」で、それが生涯抜けなかった。姉の和子も途中までそうで、彼女はずっと一番できていた。でもそれを砕いたのが脳出血で、病気で倒れてからは、一番病のインテリではなくて、一人の老人、身障者として生きた。彼女の晩年の仕事はいいですね。

 ともかく、小学校に入ったときからずっと一番なんていう人はダメなんです。明治初期ならいいですよ。若槻礼次郎しかり。若槻はずっと一番できていて、あまりにできるので、卒業してすぐ校長先生にされたんです。それが明治初期というものなんです。ところが、日露戦争が終わった後になるともうダメなんだね。私のおやじは最後の明治人だけど、これはダメなんだよ。日露戦争以後の日本国の航路どおりに生きた。私か自分の生涯の大作と思っている『共同研究 転向』を手がけた動機はおやじにある。それが私のおやじに対する答えなんだ。

 一番病というのは、大体、世間を師とする人なんですね。私はゼロ歳からおやじと一緒に飯を食っていて、食卓でしょっちゅう一高・東大の話を聞いていたから、初めのうちは偉い人だと思っていたけど、だんだんそこから離れていって、最後には逆回りになる。つまり、「一高・東大」とか「一番」とかいうことを言い出した途端に、ああ、この人はダメだなと思っちゃうんです。

 それは、安倍内閣の面々を見ればわかりますよ。東大を頂点にしたエリート連中と、たとえば宝塚少女歌劇とを比べてみれば、明らかに宝塚のほうに人材が出ている。新珠三千代とか、新藤兼人の細君になった乙羽信子とか、ずらりといるでしょう。人間として立派だし、あれがエリートなんです。それは小林一三にエリートを見る目があったからですよ。エリート組織というのは宝塚のほうなんだ。ちゃんと才能によって選ばれている。エリートという言葉は、本来そういうふうに使うんです。

 文科省が研究費を増やして、今後五十年の間にノーベル賞受賞者を三十人出すとかいうのがあったでしょ。あの発想は一体なんですか。つまり、スロットマシーンに硬貨を入れるとチューインガムが一個出てくるみたいな、科学者の頭もそうなっていると思っているんだね。文部科学大臣がそういう発想をするというのでは、断じて未来がない。


 これは都留重人さんからのまた聞きですけど、シュンペーターが、日本の知識人の文化をずっと見て、「これは輸入とか模倣というんじゃなくて、ブランダー(blunder)だ」といったんだそうです。シュンペーターは、オーストリアの大蔵大臣をやったこともある経済学者ですけど、ナチスから逃れてハーヴァードの先生になって、そのときに都留さんが彼の下で助手をしていた。

 そのシュンペーターが日本に来たことがあるんですね。彼はまず日本の民衆の表情に非常に感心したんですよ、とてもいい表現の力に。それから歌舞伎を見に行って、これにもまた感心した。そして日本の知識人とも話した。彼らはドイツ語ができるし、シュンペーターの本もよく読んでいる。しかし、それは「ブランダーだ」、とシュンペーターがいうんです。

 ブランダーというのは、英和辞典で引くと、「へま」と書いてある。つまり間違いだね。ふつう日本の近代文化・思想というのは、ヨーロッパ文化・思想のイミテーションといわれるでしょう。ところがシュンペーターは、いやイミテーションじゃないといって、あえてブランダーという言葉を使った。つまり真似ではなく、西洋文化を間違って訳している。これはへまだ、と。

 さっきのエリートという言葉でいえば、あの人は東大を出ているからエリートだという言い方はブランダーなんだ。エリートというのは、宝塚のように、大衆の中から、マスから抜いてくるものなんです。その「抜くメカニズム」が大衆の中になければエリートは出ない。ところが、日本の多くの官僚や教育者は、いい小学校に行って、いい中学校へ行って、いい高等学校へ行って、いい大学へ行ってという仕組みしか考えずに、そうやって競争して勝ち残ることが、エリートをつくるやり方だと思っている。そのメカニズムのへぼさを、シュンペーターは鋭く見抜いたんです。優れた大衆が能力のある人間を見きわめて抜いていく。それがエリートなんです。英米はそういう時代だった。

 私は都留さんからその話を聞き、その後の戦争に突入していく日本を見ていくと、なるほど、疑いようもなくブランダーだということがよくわかった。それに比べると、明治維新の前後にはエリートがいた。坂本龍馬はエリートだし、高杉晋作もエリートです。高杉晋作というのは、おやじは二百石取りだったけど、高杉自身は部屋住みで無禄ですからね。あの時代に、坂本、高杉らをちゃんとリーダーの場所に置けたというのは、日本の大衆自身にその眼力があったということです。これは江戸時代三百年の力でしょう。江戸時代というのはすごいところがあるんですよ。


 **************

 少しずつ紹介していきます。

 


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