カウンター 読書日記 ●『アメリカン・ドリームという悪夢』(11)
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●『アメリカン・ドリームという悪夢』(11)
 ●『アメリカン・ドリームという悪夢』 
  第三章 アメリカ史の学び直し 

 
  ************** 

 
 ◆アメリカ独立宣言 
  これで、一区切りです。
 
 
 一七七六年七月四日の「独立宣言」は、アメリカ論のアルファでありオメガである。アメリカ合衆国のこの宣言が一つの大いなる欺瞞であったことが、善かれ悪しかれ、その後のアメリカ合衆国の歴史を決定した。アメリカを叩くための誇張では決してない。あらゆるアメリカ論者が、その心底では、認めざるを得ない歴史的真実である。この宣言が語っている精神的レベルで、いったい誰が「すべての人間は平等に創られている」と認めるであろうか。例えば、『アメリカという理念』の著者アンヌーマリー・スローターは、苦し紛れに、"All men (and women)”とチョッピリ訂正する(9p)。

 二〇〇六年三月三日、インドの首都で行った演説の中で、ブッシュ前大統領がアメリカを「世界最古のデモクラシー」と呼び、インドを「世界最大のデモクラシー」と呼んだことを捉えて、一人のインド人思想家(N.D.Jayaprakash)が「アメリカ合衆国国は世界最古のデモクラシー国の名に値しない」と批判した。彼は、一つの国が民主主義国であることの判断基準として、一般参政権の適用範囲の広さを選んだ。アメリカ合衆国は、一七七六年七月四日の独立宣言以来、下層白人男性、黒人男性、女性、インディアンに広く投票権、参政権を与えることを、あらゆる口実、術策を弄して、渋り続けた。

 アメリカ・インディアンにアメリカ合衆国の市民権が与えられ、それにともなって投票権を獲得したのは、一九二四年のことであった。人口の半数を占める女性が、合衆国全体で投票権を戦い取ったのは一九二〇年だが、女性参政権獲得の長い戦いに関わった三重苦の偉大な女性ヘレン・ケラーが「我が国のデモクラシーはただ名ばかりだ」と喝破したのは一九一一年のことであった。形式的に黒人男性に参政権が与えられたのは一八七〇年、下層白人男性には、それより二〇年ほど早く参政権が与えられるようになったが、それには奴隷反乱対策と奴隷制廃止の問題と複雑に絡む理由があった。しかし、連邦政府の法令だけて黒人やインディアンの投票権の実際の行使が保証されたわけでは決してない。そのことは黒人の法的市民権獲得から九〇年後の一九六〇年代のキング牧師たちの公民権運動で流された血を思い起こせば理解できよう。インディアンの投票妨害については二〇〇四年にも具体例が報じられている。

 普遍的な参政権の最初の実施時期を目安にして、デモクラシー政体の古さを定めるとすれば、アメリカは決して世界最古の民主主義国家ではない。例えば、フィンランドでは一九○六年には参政権が普遍的に認められている。それにもかかわらず、二〇〇八年三月、オバマ上院議員は、臆面もなく、ブッシュと同じ言葉を繰り返して、「世界最古のデモクラシーと世界最大のデモクラシーは、重要な権益と民主的価値を共有する、自然なパートナーである」と在米インド人向けの雑誌に投稿して、媚びを売っている。おそらく、来るべき大続領選挙戦でのインド系大の票集めを計算しての発言であったのだろう。

 アメリカ合衆国が世界最古のデモクラシーであるという虚偽の主張の出どころは、ひとえに一七七六年七月四日のアメリカ独立宣言にある。この宣言文は一枚の紙面に書かれていて、長いものではない。「アメリカの一三合州国の一致した宣言」というタイトルがついていて、「独立」の文字はない。書き出しは次の通りだ。

 人類の歴史において、ある国民が今まで彼らを他国民の下に結びつけていた政治的紐帯を解消し、地上各国の間にあって、自然的法や自然の神の法にとって本来当然与えられるべき独立平等の地位を王張しなければならなくなる場合がある。そうした場合、人類の意見をしかるべく尊重しようとするならば、その国民が分離せざるを得なくなった理由を、公に表明することが必要であろう。

 これに続いて、前にも引用した最も有名な「すべての人間は平等」のくだり、

 すべての人間は平等に創られていること、彼らは、その創造主によって、奪うことのできない一定の権利が与えられていて、その中には、生命、自由、そして幸福の追求があること、我々はこれらの真理を自明なものであると考える。という一節が来るのだが、独立宣言の中には、黒人奴隷への言及は見当たらず、インディアンはイギリス国王が操る嫌悪唾棄すべき野蛮なテロリスト的存在として一度現われるだけである。要するに、この、【すべての人間】の中にはインディアンは入っていなかった。宣言の主文ではイギリス国王を「彼」と呼んで、彼がアメリカ人に対して行ってきた多くの不当行為が非難されているが、その中に次の文章が見られる。

 彼は、我々の間に国内の反乱を起こさ廿、また辺境の住民に対して、残忍なインディアン蛮族に攻撃させる努力をした。インディアンの戦闘のルールが、年齢、性別、貧富の別なく相手方を殺戮するものであることはよく知られている。

 これで明らかだが、北米東海岸にピルグリム・ファーザーズを含むアングロサクソンなる人たちがたどり着いた初期にインディアンから受けた多大の恩義は、それから一五〇年後の独立宣言起草の時点で、綺麗さっぱりと無視され、彼らを野蛮人と決めつけ、全く恩を仇で返す姿勢をとっている。アメリカ合州国憲法の起草の際に、国会下院議員数の各州への割り当てをその人口に比例して決定するにあたって、すでに多数の黒人奴隷を抱え込んでいた南部諸州の主張によって、黒人男性は白人男性の百分の三と数えることが合意されたが、これは男性黒人奴隷の人権を部分的に認めることでは全くなかったことをはっきりと理解しなければならない。例えば、五〇人の男性黒人奴隷を所有する白人には、白人三〇人に相当する政治的発言権のウエイトを与えるということにすぎない。奴隷インディアンは憲法起草の時点では極めて少数であったから、この点でも、まるっきり問題にされなかった。

 「すべての人間が平等に自由に生き、幸福を追求する権利が与えられている」という上記の宣言は歴史上最も重要な人権宣言として世界中に知れ渡って一人歩きを始め、その文面がそっくり額面通りに受け取られて、それがアメリカン・デモクラシーの本質を見誤らせる結果を生んでいる。アメリカの独立宣言の執筆者トマス・ジェファソンが、はじめにこの格調高い(しかし内容的には虚偽の)人権宣言の文節を掲げ、続いて、英国王ジョージ三世の罪悪を二八項目にわたって数え上げた理由については、いろいろに論じられている。当時、人権思想が高揚していたフランスの好意を引き寄せ、武器の供給の形で軍事援助を得ようとしたという説さえある。私たちにとって重要なのは、しかし、この人権宣言がアメリカ独立を遂行した植民地支配階級の「魂の中の嘘」であったことをはっきりと認識することである。

 英本国に対する北米十三州の独立戦争は植民地側の勝利に終わり、一七八三年、パリ平和条約でアメリカ合州国の独立が決定した。一七八七年、合州国憲法制定、一七八九年、独立戦争の英雄ジョージ・ワシントンが初代大統領に選出された。一七九〇年、初の国勢調査によれば、総人口三九二万九千(黒人七五万七千、そのうち奴隷六九万八千、自由黒人五万九千)。ワシントンの選挙には三万八千人の成人白人男性が投票したが、これは成人総人口の僅か一・六%にすぎなかった。それから後の各種選挙においても、選挙権が非支配層に広がること、とりわけ黒人の投票権を阻止する、あらゆる手段が用いられた。独立宣言に麗々しく謳い上げられた人権宣言の文字通りの実施を要求する黒人には、はじめの数十年間は、死の罰が与えられたのである。

 ノース・カロライナ州で自由黒人として生まれたデイヴィド・ウォーカー(一七八五~一八三〇)は、読み書きを学んで育ち、一八一五年には、実質上奴隷制が廃止されていた北部のマサチューセッツ州に移り住んで勉学を続け、一八二九年、『ウオーカーの訴え』と題する書物を出版した。奴隷制を維持して利益をむさぼる白人たちを非難し、アメリカ独立宣言冒頭の人権宣言の偽善性を激しく衝く文章が含まれていた。

 アメリカ人よ、「独立宣言」を読んでみなさい。あなた方は自分の言葉を理解しているのか? 一七七六年七月四日にあなた方が世界に向かって宣言した言葉に耳を傾けてみるがよい。

 〔すべての人間は平等に創られていること、彼らは、その創造主によって、奪うことのできない 一定の権利が与えられていて、その中には、生命、自由、そして幸福の追求があること、我々は これらの真理を自明なものであると考える。〕
 あなた方自身が言ったこれらの言葉と、残酷非情なあなた方の父親とあなた方が、我々の父親と我々に加えた残忍な仕打ちと殺人行為をくらべてみよ。我々の側からは、あなた方の父親やあなた方に何の挑発もしてはいなかった。

 奴隷保有者たちはウォーカーの、単純明快で手厳しく、反論の余地のない正論に追い詰められたと感じ、驚き慌てて、黒人の間に読み書きの能力が広がるのを阻止しようとした。南部諸州では黒人に読み書きを教えることを罰する法律が成立した。ウォーカーの逮捕には、生きたままならば一万ドル、死体ならば千ドルの報奨金が賭けられた。一八三〇年六月二八日、四五歳のウォーカーの死体が彼のボストンの自宅の玄関の前で発見された。

 その翌年一八三一年八月二十一日、奴隷の黒人青年ナット・ターナー(一八○〇~一八三一)の率いる奴隷反乱がヴァージニア州サウサンプトン郡で起こった。ターナーは自分が働いていた農園の奴隷数人とともに行動を起こして、主人一家を殺して銃を奪い、次々と農園を襲って仲間を七〇人ほどにまで増やしたが、弾薬が尽きて鎮圧された。殺された白人の数は婦女子を含めて五五人だった。州当局は反乱奴隷の五六人を絞首刑にしたが、他に約二百人の黒人が怒り狂った白人群衆から暴行を受け、殺される者もあった。その多くは反乱とは関係のない人々だった。ターナーは幼少の頃から利発で、たちまち読み書きの能力を身につけ、聖書を熱心に読んだ。独立宣言の記念日七月四日を期して反乱を起こす計画苦だったが、病気のために延期を余儀なくされたという。独立宣言の言語道断の偽善性に対するターナーの怒りはウォーカーの怒りと通底していたに違いない。

 ボストンの名高い奴隷解放運動家(白人)ウィリアム・ロイド・ギャリソン(一八○五~一八七九)も七月四日の独立記念日の偽善性を鋭く批判した。

 毎年の七月四日、わが『独立宣言』が、激しい怒りをもって、母国の専制政治を列挙し、世界の尊崇をかちとるために持ち出される。しかし、今日わが国の奴隷が耐えている諸悪と対比するとき、この文書は何とつまらぬ不平の数々をのべ立てていることか。・・・わたしは、神の前で言わねばならない。われわれの信念と実践のあいだに存在するこのようなあからさまな矛盾は、人類五千年の歴史にも例がない、と。その意味で、わたしは自分の国が恥かしい。わたしは、自由と平等を誉めたたえるわが国民の空々しい大演説、人間の奪うべからざる権利にかんする偽善的な空念仏に吐き気がする。  (山本幹雄『異端の説教師ギャリソン』95p)

 ナット・ターナーの反乱から三〇年後の一八五二年の七月四日、ニューヨーク州ロチェスター市開催のアメリカ独立記念日の式典に招待された元奴隷の奴隷制廃止運動家フレデリック・ダグラス(一八一八~九五)は、『奴隷にとって七月四日とは何か』と題する歴史に残る名演説を行った。その中から最も激烈な部分を引用しよう。

 アメリカの奴隷にとって、皆さんの七月四日とは何でしょうか。私は答えましょう、彼が絶え間なくその犠牲者になっている目に余る不正と残酷さを、一年の他のすべての日にもまして、思い知らされる日付と。
 奴隷にとって、皆さんの祝典は見せかけだけの偽物です。皆さんの自慢たらたらの自由は、ひどい放埒です。皆さんの国家の偉大さは、膨れ上がった虚栄です。皆さんの欣喜の声は空虚で、非情です。専制君主に対する皆さんの弾劾は、鉄面皮の厚かましさです。自由と平等の叫びは、中身のないまがい物です。皆さんの祈りや賛美歌、説教や神への感謝、宗教行列、儀式は、奴隷にとっては、単なる大言壮語・欺瞞・詐欺・不敬・偽善でしかなく、この野蛮人の国の恥さらしともなる犯罪を覆い隠すための薄い布です。この現時点において、合州国の人々ほどショッキングな血なまぐさい行為を犯している民族は、地球上一つとして存在しません。
 皆さんの思う所に出かけて調べてみてください。旧世界のすべての君主国や専制国を歩き回り、南米をくまなく旅し、虐待を洗いざらい調べ上げ、そして虐待の調べが終わったら、皆さんが見つけた事実をこの国で日常茶飯に行われていることと並べて置いてみてください。そうすれば、反吐が出そうになるような蛮行と、厚顔無恥の偽善において、アメリカは天下に並ぶものなく君臨していると、皆さんは私と一緒に言うことになるでしょう。


 勇敢な発言である。しかも、それは、二一世紀の現時点の「七月四日」の祝典にも突きつけるにふさわしい内容だ。特に「この現時点において、合州国の人々ほどショッキングな血なまぐさい行為を犯している民族は、地球上一つとして存在しません」以下の文章は、イラク・アフガニスタン・パキスタンの民衆がこぞって賛同を惜しまないであろう。では、アメリカ国内の声はどうか。ある人々は主張するだろう。「アメリカには奴隷はいない。黒人も完全にアメリカの中に受け入れられた。黒人大統領バラク・オバマの出現がその決定的な証拠だ」と。この主張を受け入れることができない理由は、もう一人の勇敢な黒人の声を聞いたあとで論じよう。

 フレデリック・ダグラスの激烈な演説から十一年後の一八六三年には、リンカーンのゲティスバーグの演説が行われ、そのちょうど百年後の一九六三年の夏、首都ワシントンのリンカーン記念館の巨大なリンカーン座像の前で、私たちはキング牧師の歴史的名演説『私には夢がある』を聞くことになる。このあまりにも有名になってしまった演説については、未来の〔夢〕を叫んだ終わり三分の一の部分だけが一人歩きして、多くの人がキング牧師の激しい怒りと要求を忘れがちだ。アメリカ人が傾聴すべき部分はその冒頭にある。そして、それは、ウォーカーの、ターナーの、そしてダグラスの声と同じ声であったのだ。キング牧師は、まず、百年前のリンカーンの奴隷解放宣言と、それが何百万もの黒人奴隷に与えた絶大な希望を語り、続いて次のように言った。

 しかし、その百年後の今、黒人は未だに自由になっていない。百年を経た今も、黒人の生活は未だに隔離政策の手枷と差別の鎖で痛ましく自由を拘束されている。百年を経た今も、物質的繁栄の広大な海の真ん中に浮かぶ貧困の孤島で生きている。百年を経た今も、黒人は未だにアメリカ社会の片隅で惨めに悩み暮らし、自分の土地にいながら流刑人の自分を見いだす。だから、我々は、このけしからぬ状況を劇的に示すために今日ここにやって来たのだ。

 ある意味で、我々は約束手形を現金化するために我が国の首都にやって来た。この共和国の創設者たちが憲法と独立宣言の堂々たる言葉を綴った時、あらゆるアメリカ人が相続すべき約束手形にサインしていたのである。この手形はすべての人々に、そう、黒人にも白人にも、〔生命、自由、そして幸福の追求〕という〔奪うことのできない権利〕を保証したはずの約束であったのだ。しかし、有色の市民に関する限り、アメリカがこの約束の手形を不払いのままにしてきたことは、今や明らかである。この神聖な債務を履行する代わりに、アメリカは黒人に〔資金不足〕として突き返されてきた不渡り手形を与えたのだ。

 またしても「生命、自由、そして幸福の追求〕だ。一七七六年七月四日のアメリカ独立宣言の目玉の人権宣言は、その原初の虚偽性の故に、アメリカの歴史を通じて、抗議の標的にされ続けてきたの 二〇〇八年、アメリカの出版大手ダブルデイから『別の名のもとの奴隷制』が出版されて評判になった。著者はダグラス・ブラックモン、保守系有力新聞『ウォール・ストリート・ジャーナル』のアトランタ支局長。彼によれば、アメリカの奴隷制は、一八六五年の憲法改止による奴隷禁止令の以後も、実質的には綿々と維持されて二〇世紀に及んでいる。公式に奴隷は消えたとしても、実質的に奴隷の苦難の中にある人々は、現在のアメリカにも数百万を数える。圧倒的に有色の人間たちである。彼ら、彼女らの声の代弁者もいる。大メディアの騒音にかき消されてはいるか、私たちが耳を澄ませば、ウォーカー、ダグラス、キングの直裁さに劣らない厳しい声を、グレン・フォードやシンシア・マキニイなどの黒人指導者から聞くことができるのである。残念ながら、黒人大統領バラク・オバマは、これらアメリカ社会の底辺に呻吟する数百万の人々の声を代表していない。この第四四代アメリカ合州国大統領は、ろくでなしの黒人男性たちを叱りこそすれ、代弁する気はほとんど全く持ち合わせていないのだ。

 一七七六年のジェファソン筆の「独立宣言」は、女性の全体、無学で無財産の白人、インディアン、黒人のすべてを政治のプロセスから除外する、優れて反デモクラティックな国家創設の文書であった。ところが、アメリカの指導者たちは、この独立宣言の欺瞞を見事に隠蔽する詭弁を発明し、綿々と使ってきた。「独立宣言の冒頭の人権宣言は、アメリカが国家の理念として、その完全な実現に向けて絶えず前進すべき聖なる目標であり、アメリカはその完成に向かって確実に進歩している」というものである。バラク・オバマも著書や演説の中で繰り返しこの立場をとっている。  

 ***************  

 
 第三章 アメリカ史の学び直し
     <了> 
 


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