カウンター 読書日記 ●『アメリカン・ドリームという悪夢』(10)
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●『アメリカン・ドリームという悪夢』(10)
 ●『アメリカン・ドリームという悪夢』 
 
  ************** 

 
 ◆白い奴隷、白いインディアン、黒い奴隷 
  続きです。
 
 
 最終章(第十三章)「白いインディアン」の最後のパラグラフを引用する。

 ・・・白いインディアンの大多数は彼らの選択について何の説明も残さなかった。もとの言葉を忘れ、過去を忘れ、彼らはただ彼らがこれと選んだ社会の中に消えて行った。しかし、インディアンに捕らえられ、帰って来てからその経験談を記した人たちが、捕庸になったまま留まることを選んだ者たちの動機について、幾らかの手がかりを残してくれた。彼らがそのまま留まったのは、インディアンの生活が、社会連帯の強いセンス、豊富な愛情、並々ならぬ清廉高潔さを持っていることを見いだしたからである。これらの諸徳は植民地ヨーロッバ人の間でも重んじられてはいたものの、インディアンには及ばなかった、しかし、インディアンの生活はこれ以外の、社会的な平等、可動性、冒険、といった価値についても魅力的だった。そして、二人の成人白人インディアンが認めたように、【最も完全な自由、生活のしやすさ、それに、我々がしばしば支配されてしまうあれこれの心配事や心をむしばむ孤独感が全くない】のだ。近年明らかになってきたことだが、これらの価値基準は、大西洋岸の、古い、次第に人口が増え、分裂し、争いの絶えない社会でだけでなく、もっと新しいフロンティア社会でも、なかなか実現しなかった。  (アクステル、327p)

 一七七六年、「独立宣言」で、万人に生命と自由と幸福の追求の権利ありと高唱したアメリカが、すでに、完全な人間的自由と生計の基本的幸福を保証する社会を実現していたインディアンの土地を奪い、北米大陸からインディアンを抹殺することを新国家実現の必須条件としたことは、まことに、瞠目に値する歴史の皮肉である。この避けることのできない認識が、アメリカ人の集団心理の奥底に沈潜して彼らの原罪意識となったものと、私は考える。

 アメリカ白人は黒人の血が混ざっていることをひた隠しにしようとする。フォークナーの『八月の光』のクリスタルがその象徴であることはすでに言及した。リンカーンの黒人混血の説が執拗に唱えられるのは、その心理の裏返し。ところが、一方、ウィルソン大統領夫人のイディスやレーガン大統領夫人のナンシーは、かのインディアンのプリンセス、ポカホンタスに遡る高貴な血筋であると自慢した。カナダのアルバータ州をアメリカの石油資本の完全支配下に置いたことで知られる、カナダの高名な政治家ピーター・ローヒードもインディアンの血を引いているとされる。高貴なインディアンの血を引いていることは、汚名どころか名誉なのだ。ヴァージニアの法律では、少しでも非白人の血が混ざれば白人と認められないが、インディアンの血については、混入度が一六分の一以下であれば、白人として認められたという。インディアンと黒人、なんという違いであろう。現実社会でのインディアンに対する蔑視偏見の依然とした横行を思えば、馬鹿馬鹿しい「インディアンの血の高貴さ」のナンセンスは、白人の深層心理にうずくまる原罪意識が浮上したものと考える以外には、説明の仕方があるまい。

 しかし、白人奴隷(白人罪人や白人年期奉公人)たちは厳密には奴隷ではなかった。一六一九年、オランダ船(実はアメリカ船)が、ヴァージニアのジェームズタウンに二十人の黒人奴隷を運んで来てからは、次第に加速しながら、黒人奴隷が白人年期奉公人に取って代わっていくのだが、その第一の理由は、購入費は割高であっても、年期制限がなく、死ぬまで使役できて、プランテイション内での増殖もできる黒人奴隷の方が結局安上がりなことであった。しかし、もう一つ汪目すべき理由がある。白人年期奉公人と年期を終えた白人たちが、植民地社会の中での貧困下層民として、不穏分子となる危険性を植民地の上層支配勢力が認識し、警戒心を高めていったことであった。一六六三年、英国の北米植民地で初の重大な奴隷反乱の企てが発覚した。

 ヴァージニアのグルセスター郡で白人年期奴隷と黒人奴隷が力をあわせて雇用主を倒し、自由を獲得する計画を立てたが、バーケンヘッドという名の白人が裏切って反乱は挫折した。反乱者の血まみれの首が幾つか煙突に晒された。密告者は、褒賞として五千ポンドのタバコを与えられ、自由の身となった。将来の密告者を誘惑するのが、晴れがましい褒賞の狙いだった。

 一六七六年には、米国史上有名なナサニエル・ベイコンの反乱が起こる。

 一六七六年アメリカの最初のCIVILWARともいわれるベイコンの叛乱Bacons Rebellion は、ヴァージニア西部の開拓小農民らの、総督・バークリーおよびプランター貴族の専制にたいする民主的叛乱であったが、その開拓小農民の大多数はもとの年期奴隷で、プランテイションの現役年期奴隷の動揺があったとしても当然であった。この叛乱以来、プランターは、白人年期奴隷の輸入を危険と感じて抑制し、より安全と見える黒人奴隷に依存する傾向を強めたのである。  (菊池、11p)

 実は、この反乱は、土地獲得の熱に駆られたフロンティア白人が、植民地政府の対インディアン政策に不満を抱き、抗議したことから始まった。一六四四年、侵入白人のとどまることを知らない横暴に対して、二十余年間鬱積した怒りを爆発させたポワタン・インディアンは、ヴァージニアの白人四百名を殺害した。一六四六年の終戦協定で、ジェームズタウンの北を流れるヨーク河以北の地域ヘの白人の不侵入がインディアンに保障されたはずだったが、その後に植民地の外縁のフロンティアで農地を求める開拓民たちは、インディアンの土地を奪取することを強く望んだ。

 二九歳でタバコ・プランターとなったベイコンはもともと富裕階級の出身だったが、時の総督・バークリーの融和的なインディアン政策に不満を持ち、自ら民兵集団を編成してインディアン討伐を開始したため、総督・バークリーはベイコンを反乱者として一度は捕えられたが、間もなく釈放した。しかし、ベイコンは、総督・バークリーに代表される特権的な大プランターたちの専制政治に対する下層民の反抗心を巧みに動員して、逆襲に転じ、ジェームズタウンに攻め入って、市街のほとんどが灰塵に帰した。このアメリカ初の内戦は、ベイコンの突然の病死で幕が引かれたが、揺籃期にあった専制富裕階級(大プランターたち)に、大衆労働者階級に対する深甚な警戒心を植え付けることになった。この警戒心は、やがて、一七七六年の「独立宣言」、一七八七年の「アメリカ合衆国憲法」の成文の中に注意深く根を下すことになるのである。

 菊池謙一氏は北米植民地奴隷制度の本質を次のように要約する。

 そして、資本、土地、奴隷、市場のあらゆる点て、本国の独占商人や貴族、王の総督などと、密接な関係にある大プランターは、決定的に有利であり、中小プランターは圧迫され、またその中小プランターは周辺の小農民や開拓農民を圧迫して犠牲を転嫁しようとした。大経営による小経営の圧迫駆逐は、プランテイション経済においても基本法則であり、駆逐されたものは、あらゆる労苦をもって開拓線をおしひらいてゆく外なかった。
  (菊池、15p)

 ベイコンの反乱は、その後二百年間アメリカ史で繰り返される社会的ダイナミズムのバターンを見事に示している。大農園主を核とするプルトクラシー(富裕層政治)は、強制奴隷労働力を利用する大規模経営で周辺の小自営農民層を圧迫する一方、内陸僻地のインディアンには目先だけの土地不可侵を約束する。圧迫された小農民たちは、雫細浮浪民化しないために、インディアンの土地を暴力的に奪ってフロンティアを押し広げていく。際限なく利潤を求めて拡大化するブルトクラシーの専制システム下にもかかわらず、貧困下層民の数が過度に膨張しなかったのは、ひとえに、広大な土地が入手可能であったという、本質的には、歴史的な偶然のおかげであった。シンボリックに言えば、英国で多数の貧民浮浪者を生み出した「囲い込み」は北米植民地に引き継がれ、それはまた、独立後のアメリカ合衆国にも受け継がれていったのだが、それが大規模な社会的悲惨を生まなかった唯一の理由は、インディアンを抹殺したあとに残った広大な土地があったからであった。

 しかし、奴隷制度が廃止され、フロンティアの土地が尽きてしまった時、アメリカ史には何か起こったか? 自らの土地を持つ夢を断ち切られた貧者の大群と、貧者に低賃金労働を強制して、いやが上にも富の蓄積を求める少数の富者だちとの激突の時代が幕を開けたのである。ヘイマーケット事件は、その後に続く労働組合運動の熾烈な弾圧の歴史を象徴する事件である。

 この一八八六年のシカゴでの労働組合運動の弾圧では、四人の無実の労働者が絞首刑に処せられた。ここで、本書66頁に引用した『愛国者のアメリカ史』の修辞疑問を思い出そう。「アメリカは、コロンブスのインディアン皆殺しに始まり、黒人差別法やロックフェラーの労働運動壊滅へと突っ走って、挙句の果ては、フランクリン・ルーズベルトのニューディールでやっと救われたのだろうか?」

 ジェファソンの独立宣言の「すべての人間」とは、さっぱりと「すべての白人男性」と読んだほうがよい。百年後にリンカーンも友人にはっきりとそう言っている。その上、独立宣言からはぼ十年後に発効したアメリカ合衆国憲法には、有産有識の支配層(エリートたち)の意向が、一般庶民の欲求で覆されないようにする工夫が、はじめから注意深く組み込まれていた。ファウンディング・ファーザーたちに言わせれば、衆愚政治を避けるためということになろうが、これは直接民主主義的憲法ではない。アメリカの大統領選挙が直接選挙でなく、選挙人団制という形での間接選挙であることがそのわかりやすい一例である。この意味では「すべての白人男性」の間にも、はじめから、差別が設定されていたのであり、決して「すべて平等」ではなかったのである。

 アンドリュー・ジャクソン(一七七六=一八四五)は一八二九年に第七代大統領に就任した。二〇○八年一一月に出版されたジョン・ミーチャムによる彼の伝記『アメリカン・ライオン』は大評判である。そのカバーに次のように書いてある。

 アンドリュー・ジャクソンは孤児から身を起こして権力の絶頂までの道を戦い抜き、民主主義のために国家を彼の意志に従わせた。一八二八年のジャクソンの大統領当選は、雲の上のエリートたちではなく、人民がアメリカ政治の先導力になるという新しく、そして、永続する時代の到来を告げるものであった。

 こうして、ジャクソンは、真の民主主義実現への夢と、社会的上昇可動性(upward mobility)の夢という、アメリカン・ドリームのシンボルとみなされるようになる。次に登場する若きエイブラハム・リンカーン(一八〇九~一八六五)が憧れた政治家ヘンリー・クレイ(一七七七~一八五二)はジャクソンの政敵だったが、セルフメイドマン(独力立身の士)という言葉は彼がつくったとされている。

 一八六〇年一一月、リンカーンはアメリカ合衆国の第一六代大統領に選出されたが、彼が奴隷制反対の姿勢を示していたため、次々に南部諸州が連邦から離脱し、一八六一年四月には南北戦争が始まり、南北の死闘は一八六三年四月まで続く。南部諸州の奴隷制に対するリンカーンの態度は歯切れの悪いもので、一八六二年八月になっても、「もし私が一人の奴隷も解放することなく連邦を救うことができるなら、私はそうするだろうし、また、もしすべての奴隷を解放して連邦を救うことができるなら、そうするだろう。また、一部の奴隷を解放し、他をそのままにしておいて連邦を救うことができるならば、私はそれでもよい」(ハワード・ジン『民衆のアメリカ史』原書191p、訳書344p)と言っている。彼にとって最も大切なことは、連邦を分裂させないことであって、奴隷を解放してアメリカ合衆国の自由な市民にすることを求めたのではなかったのである。事実、彼にとっての解放奴隷問題解決の最善策は、黒人たちをアメリカ合衆国外の何処かに送り出してしまうことであった。アフリカ西岸のリベリアがその第一候補地となり、カリブ海のハイチが次に考慮された。

 リンカーンは下賤から身を起こし、刻苦勉励してアメリカ合衆国大統領という最高権力の座まで見事に上り詰めた。その当人が社会的上昇可動性をアメリカン・ドリームの粋と考えたのは至極もっともなことであった。リンカーンの言葉として最も有名なのは、南北戦争のさなかの一八六三年一一月にゲティスバーグで行った演説の中の「人民の、人民による、人民のための政府」だが、この「人民」という訳語の響きの故に、日本人には、これが一般大衆の意向によって先導される真の民主主義政体を宣言したものと受け取られがちだが、リンカーンの真意はそれより遥かに保守的で曖昧なものであった。実は、「リンカーンの民主主義」に先行する、いわゆる「ジャクソンの民主主義」についても、同様の認識が求められる。

 上掲のジャクソン伝記のカバーから引用した「雲の上のエリートたちではなく、人民がアメリカ政治の先導力になるという新しく、そして、永続する時代の到来を告げるものであった」という文章も、眉に唾をつけて読んだほうがよい。今日に至るまで、アメリカ合衆国政府が真の「人民の、人民による、人民のための政府」であったことは一度もない。世襲的であろうと、社会的上昇可動性の夢を成し遂げた場合であろうと、アメリカ社会の上層を構成したエリートたちが、一度の革命的断絶も経験することなく、一貫して一般大衆を支配し続けてきたのが、アメリカという国の特色である。近頃はやりの語り口で言えば、「アメリカのメイン・ストリート(一般市民)がウォール・ストリート(金融界)を支配したことは一度もない」のである。

 **************  

 
 ◆白い奴隷、白いインディアン、黒い奴隷 
  <了>。

  続く。
 
 
 
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