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●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(45)
 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記 (45)-1            落合莞爾
  -底知れぬ来歴と事跡を持つ怪人・堀川辰吉郎と杉山茂丸 

 
 ★明治天皇落胤説は「為にする虚伝」

 
 京都皇統が隠れ住んだ堀川御所では、明治二十年松下トヨノが生まれたのを機に、七歳に育っていた辰吉郎は博多に移る。黒田藩士の政治結社たる玄洋社に預けられ、実質社主の杉山茂丸や社長の頭山満から武士的素養と気風を学び、小学校に通って下情に通じるためである。辰吉部について述べた書物は数少ないが、その一つ中矢伸一者『日本を動かした大霊脈』(徳間書店・平成十四年)は辰吉郎に関する伝聞を羅列しており、情報の乏しい辰吉郎の輪郭を掴むのには極めて役立つが、タイトル通り宗教色に傾き、内容にも学習院長・乃木大将の事績に不用意と思われる誤りがあるから、参考にするならば、その点に注意すべきである。

 他には辰吉郎の遺児を称する国際政治評論家・中丸薫の幾つかの著書がある。自ら「堀川辰吉郎と中島成子の間に生まれ、北京大学教授・松村夫妻の養女となった」と語る中丸は「辰吉郎は明治天皇と千種任子の子」と明言する。中丸の唱える辰吉郎の出自に対しては、インターネット上で、「生母に擬される花松典侍すなわち千種任子の事績に合わない」との批判が盛んで、堀川姓の所以についても「岩倉具視の関係ならば、堀川でなく堀河の筈ではないのか」と攻撃されている。中丸薫を辰吉郎の遺児と認めない中矢は、明言を避けながらも「辰吉郎は明治天皇が某典侍に産ませた皇子」と、実質的には落胤説である。堀川姓についても「博多で預けられた地元の名家」と説明して、ネット勢の批判をかわしている。

 伝聞として曖昧化する中矢に比べ、中丸は明治天皇落胤説を真正面から唱えるから本来不要な中傷・非難を蒙っているわけだが、結論を言えば、中丸も中矢も辰吉郎の出自に関する「為にする虚伝」に惑わされているのである。辰吉郎の真相は、本稿が明らかにしたように孝明帝の男系の男子であって、父は無論明治天皇ではない。辰吉部の明治帝落胤説は、要するに「為にする虚伝」であって、主目的は北朝皇統の存在を世に隠蔽することにある。おそらく「その筋」に隷する末端が、意図的に流布したもので、中丸も中矢も最も信頼する筋からそれを聴かされたために、堅く信ずるに至ったものであろう。「敵を欺くにはまず味方から」の戦術に中てられて誤信した両人に邪心はなく、誤信の理由も明らかであるから、出自詐欺の謗りはいかにも酷で、寛恕さるべきであろう。

 しかしながら週刊誌などが、「宮内庁に確認したら、辰吉郎の明治天皇落胤説は否定された」として、中丸を出自詐称と誣いるのは、実は「為にする虚伝」とワンセットで、これまで散々流してきた虚伝を宮内庁を用いて浄化する仕掛けに一役買わされているのだから、これこそ批判さるべきである。マスコミが日頃標榜する使命に従うのならば、まず辰吉郎の真相解明と、中丸が実母と称する中島成子の追究から開始すべきであるが、それをしないのは、追究能力の欠如だけではなく、宮内庁談話で辰吉郎落胤説を否定して一件落着として、それ以上の追究を封じる策略に、加担ないしは利用されているからである。

  
 ★「何を書き留めたか」より「何を隠したか」に注目せよ 

  
 中丸蕉の出生は昭和十二年五月二十三日とされるが、当時、中島成子は満人富豪で鉄道技師の韓景堂の妻で、既に女子を産んでいた。成子自ら 序文を寄せた朽木寒三著の成子伝『馬賊と女将軍』には、「盧溝橋事変の起きた昭和十二年七月七日、成子は末の女の子が生まれて一カ月余りで、三人の子を連れて大連星が浦の海水浴場に保養にきていた」とする。ところが、その二十八年後、朽木の遺した資料により神野洋三が書いた成子伝『祖国はいずこ』には、「長女出産のあと暫く子宝に恵まれなかった成子は、昭和十二年夏に出産予定があった」としながら、「出産後の保養中の星が浦に、北支那方面軍参謀の山下奉文少将から電報が来て、北京で特務機関員になった」と明言する。同著の後書で神野が、「作中の登場人物の一部を仮名にしたり、家族や私生活については創作である」と斯ったのは、成子の伝記とは言いながら史実を故意に隠したからで、隠蔽対象に中丸薫自身が入っているのは謂うまでもない。

 自著の幾つかで、中島成子が実母と述べた中丸は、二冊も公刊されている伝記がいう成子の年譜と自ら伝聞した母の実像との、照合と訂正を怠ったから、両方を読んだ読者の混乱を誘うのは当然で、現に副島隆彦から「中丸の実父は韓景堂であるとの指摘を受けている。正に樹を観て森を察せざる批判ではあるが、戸籍資料の背景を知らずに金科玉条としたために誤解を生んだ例は他にもある。例えば、吉薗周蔵の娘・明子が、両親が遺した佐伯祐三絵画の由来を明らかにするため、河北倫明の指示によって家伝を記した『自由と画譜』を公表したが、家伝の内容の吟味を省いたために、戸籍資料との矛盾を学芸員・小林頼子に追究され、それが原因で塗炭の苦しみを嘗めさせられた。中丸も吉薗明子も、「渡る世間はみな味方」とのお嬢さん的な思い込みから、自家伝承の吟味をおろそかにしてこのような批判に会うたが、私(落合)自身も以前の本紙連載で橋本龍太郎の系図を論じた時、早とちりして祖父・卯太郎の再婚を見落としたことがあるから、偉そうなことは吉えない。韓景堂の妻たる者が辰吉郎の子を産んだ理由と、北京特務機関に入ったことの関連を追究すれば、辰吉郎の一面が見えるが、それもしないで中丸を批判するのは失当である。

 前掲二書が伝える辰吉郎の事績は、出自の他には大した誤りはなさそうだが、およそ伝記を読む場合、「何を書き留めたか」よりも「何を隠したか」の方に注目すべきで、辰吉郎と玄洋社との関係を述べる中矢が、頭山満だけを挙げて杉山茂丸を無視しているのが興味深い。尤もこれは、中矢が故意に隠したのでなく、辰吉郎と茂丸の関係に関する情報が中矢に届く前、つまり一般社会に発せられる前に、茂丸側が意図的に削除したものであろう。杉山茂丸は辰吉郎に匹敵する謎の大人物であるが、自著が多いので知られ、それにも拘らず辰吉郎について書いたものを聞いたことがない(寡聞かも知れず、もしあるのなら、御高教をお願いしたい)。

  続く。 

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