カウンター 読書日記 ●『アメリカン・ドリームという悪夢』 (5)
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●『アメリカン・ドリームという悪夢』 (5)
 ●『アメリカン・ドリームという悪夢』に戻る。

 1607年、イギリスの植民地投資家たちが勅許を得てヴァージニアのジェームズタウンに植民地を開いてから、英国政府が意図的に海外棄民した罪人を含む数百万にのぼる貧民たちを誘ったのは、ドリーム=【土地】と【財産】の所有という夢であった。

 しかし、その豊かな大地は「神が白人に与え賜うた」無人の広野ではなかった。何百万という先住民が豊かな生活を営んでいたのである。

 **************

 ◆なぜアメリカ史の学び直しなのか 
 
 ◆感謝祭 
 

 予定の着岸地(ジェームズタウン)から北東600キロのプリマスに錨を下したのは、1620年11月10日だが、すぐには上陸はせず、まず偵察隊が上陸してみる。

 すると予備情報とは違い、あるはずのインディアン集落は遺棄されて人影もなく、何らかの伝染病の蔓延が疑われた。ピルグリムたちは死体が埋葬された墓地や地下に埋められた大量のトウモロコシに行き当たり、これは押収した。陸上生活の準備に手間取り、一ヶ月は船内生活を強いられる。(12月)

 総勢102名の一隊に厳しい冬が襲いかかる。新鮮な野菜はなくビタミンCの不足による壊血病などの疾病のため、翌1621年の春には52名が生存していたという、
惨憺たる出発であった。

 そんな中にも、季節はめぐりプリマスに春、夏が訪れる。

 近郷のインディアンたちは、白人の集団に女や子供も居ることから、すぐには敵視せず「見守る」姿勢を取り、英語を話せるスクゥアントという男を差し向けて来た。そして彼らはピルグリムたちに魚の獲り方や海藻を肥料に使うことを教えたという。

 近郷のインディアンの友好的な援助がなければ、ピルグリム一隊のその後を想像することは容易だろう。

 ところが、現在でも「最初の感謝祭」の伝説は、↑とは大きく異なる。

 ・・・1621年の秋、ピルグリムとインディアンはあれこれの食べ物をお互いに持ち寄って収穫を神に感謝するお祭りをした・・・という「伝説」と化す。

 11月の第四木曜日と以後の連休はアメリカ人が大いに楽しむ「ホリデー」で、最初の感謝祭の「挿絵」には普通ピルグリムたちが、裸のインディアンをお祝いの食事に招いている場面が描かれている。挿絵には「・・インディアンたちは、こんなご馳走は見たことがなかった・・」という説明が付く。
 連休前の小学校では、子供たちがこのような内容の劇を見せられ、「アメリカという国は、このように神を敬い、野蛮なインディアンにも親切に接した、勤勉な人びとによって始められたのだ」とインプリントされる。

 実際には、白人側の食糧の内容は極めて貧弱で、インディアン側が五頭の鹿や多くの野生七面鳥などを持参した。プリマス植民地の定着・成功はインディアンたちに負うところが大きかったにも拘わらず、である。

 感謝祭が現在のように米国の国家的祭日として持ち上げられたのは、南北戦争の最中の1863年、リンカーン大統領がアメリカ人の
愛国心を鼓舞するために初めて国家的祭日にしたのである。

 奴隷解放宣言もこの年だが、リンカーンは同時に、解放された奴隷をアフリカ大陸か、カリブ諸島に送り出してしまいたいと真剣に考えていたのも事実である。

 **************

 プリマス植民地の開拓指導者の一人エドワード・ウィンスロウが1621年に書いた「ニューイングランドへの入植者への助言」から、ピルグリムたちが土地のインディアンから助けてもらう様子がはっきりと読み取れる。

 「わたしたち同胞のうち少数のものは、こちらにきてからすこしの間に、七軒の住み家と四軒の納屋とを建て、またそのほかの建物のためにもいろいろな手はずを済ませた。・・・そしてインディアンのやりかたににならい、ニシンを畑の肥料にした。・・・牡蠣は近くではとれないけれども、ほしいならいつでも、インディアンに持ってきてもらえる。・・・この土地に欠けているのは勤勉な働き手だけだ。・・・

 あなた方の住む世界が、過大な人口に圧迫されるほどにもなっていることをお考えになれば、この欠如はあなた方の胸を痛ましめるであろう。以上の事柄は、私ができるだけ身近に体験して知ったものの実相であるから、それをあなた方に知らせたがいい、と私は考えたのである。
 わたしたちをかくも恵み深く導き給う神に、わたしたちのために感謝をささげていただきたい。・・・」

 (アメリカ学会訳編『原典アメリカ史』第一巻、岩波書店、1950年、117~119p、藤永氏が少し改訳) 


  

 
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