カウンター 読書日記 『ニューリーダー・落合論文』
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


『ニューリーダー・落合論文』
  
 (1)-5)渡辺ウメノと政雄にまつわる数多くの秘話 


 渡辺ウメノが生んだ哲長の種と称する一子は、性別ははっきりしないが、女子と思われる。とにかくその子を通じて、ウメノの孫の渡辺政雄が生まれた。政雄は大正6年ころ盛岡の医専を出たらしく、周蔵と同年輩である。
 
 手塩にかけて育てた政雄を、ウメノが医専に入れたのは、上田吉松・出口ナオらと組んで始めた皇道大本(大本教のこと)の仕事に携わらせる目的があった。
 外科医となった政雄はそれを警戒し、同じ哲長の孫として従兄弟にあたる周蔵を頼り、大正6年に東京に移ってきた。
 政雄は、周蔵が作った上高田救命院という私設の研究所で、ケシ栽培の研究を行う。
 この間の経緯は、中華民国留学生の周恩来や王希天、呉達閣が登場して面白いのだが、それは別に述べる。

 政雄は後年、祖母・渡辺ウメノの母系の丹波国桑田郡曽我部郷穴太村の上田家の伝承を、周蔵に詳しく教えた。
 ウメノが哲長に教えた薬の原料は特殊のケシで、その種子は江戸時代にオランダからはいってきて、穴太村・上田家に伝わったものらしい。
穴太村は、古代に朝鮮半島の南端の加羅の安羅(アナ)から渡来してきた石工・穴太(アナフ)衆の旧址である。
 
 穴太村を本拠とする上田家の家伝では、上田の本姓は海部(あまべ)で、丹後一宮の籠神社の神官から出た旧家である。海部・上田家は、古代に渡来したイスラエルの子孫で、なかでもアヤタチと呼ばれた特殊の家系という。
 これは、戦前の皇国史観や戦後の弥生史観に泥んだ耳には荒唐無稽に聞こえるかも知れぬが、他の伝承などに照らしても、充分首肯しうるものである。

 さらに、古くからオランダとの取引をしてきた上田家には、夙にオランダ人の血が入り、吉松の五代前の先祖で画名を丸山応挙として知られる上田主水も、オランダ血統であったという。幕末の当主は上田吉松で、「言霊呼び」という御祓いをしながら、全国を巡ってケシ薬を売り、裏では朝廷の諜者として働いていた。

 その子が上田鬼三郎(*これが本名で、どこかで喜三郎と変えたらしい)すなわち後の大本教の聖師・出口王仁三郎である。渡辺家に嫁いだ吉松のオバ(叔・伯は不明)がウメノを生むが、そのオバがケシ薬の秘伝を渡辺家にもたらしたものと考えられる。いとこのウメノを愛人としていた吉松は、同じような関係にあった出口ナオと図って、明治25年に皇道大本を立ち上げるのである。

 なお、周蔵は大正3年に青森県下北郡の古畑温泉で吉松に会ったことを「手記」に記している。吉松の没年は、伝えられる明治初年とは大違いで、本当は大正年間まで長生きしたのである。 

 <吉薗周蔵の手記・(その2)>へ続く。 

   

スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/80-7d0be8cc



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。