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●山崎淑子さんインタビュー。
                   真珠湾の審判 _1

                               ★『真珠湾の審判』

 
 ■山崎淑子(としこ)さん。 米国での通称は“サラ = トシコ・サラ・ヤマザキ”という。
                               
 2010年8月10日。

 フリージャーナリスト・岩上安見によるインタヴューが行われ、その模様が【山崎淑子さんインタビュー】として、YouTubeにアップされた。(「山崎淑子さんインタビュー」で検索)。

 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=Wn0blcET8V8 

 (1)~(21)まで、およそ160分のインタビューだが、一言でいえば、
 稀有な才女による現代の奇跡の物語というべきもので、未見の方には是非! とお薦めする。 
                                  
 **************
 
 東京生まれで東京育ち。

 1984年に渡米、米国での就職が内定し、一度帰国して1985年春から2003年まで米国滞在。
 (この間夫の失業-日本帰国にともない3ヶ月間一時帰国(大阪)したが7日目に阪神・淡路大震災1995年(平成7年)1月17日に遭う)。

 2001年9月11日、偶然にあの9・11「事件」(「アメリカ同時多発テロ事件」2001年)に遭遇する。

 2003年帰京し日本の事業展開に努力する。(事業も軌道に乗りかけていた)。

 2005年~2007年 ニューヨークにもどる。

 **************

 こんな経歴の彼女が「まったく思い当たる節もない>まま突然日本に滞在中に逮捕され、米国に【拉致】され、刑務所に入れられ、肉体的・精神的な拷問を受ける。

 今の彼女の「願い」はただ一つ、

 【雪 冤】(せつえん=冤を晴らす)を果たす! だ。

 身に覚えの無い【罪】でアメリカの刑務所に投獄され(心無くも)有罪を認めさせられた。

 その人生の汚点を晴らし、「雪のように白く」「真っ白な出発点に戻りたい!」ということだ。

 ***************

 以下、(1)を文章化しておく。(音源が聞きづらく曖昧な点もあり、誤りがあれば後ほど訂正する)。
 *但し、要約を含む。

・・・・・・・・・

◆岩上: インタビューにあたっての山崎淑子さんの名前の確認。谷川サラさん、でいいのか? 等々・・。

●サラ: 私はどちらでも構いません。【谷川サラ】という仮名は、*テレビ朝日のサンデー・プロジェクトという番組放映のときに、局側から依頼されたものです。
 (*TV朝日 サンデープロジェクト 2009年4月26日(日)放映。
  <司法は誰のものか~「日米条約」と「日本の司法>Dr江南亮 Pd:上田未生)


◆岩上: サラさんの問題は突き詰めれば、日米合同(米主導の合作)の冤罪事件ということだが、先ずサラさんが、ニューヨークでどういう生活をしていたのか?そしてあの事件というものがどんな感じに降りかかってきたのか?あの事件というのはもちろん【9・11事件】のことなんですけど、そのあたりからお話を聞かせていただきましょうか。

●サラ: あのー・・・私はよく日本が嫌いだとか日本のことをすごく悪く言ったり、男性社会が嫌で逃げるようにニューヨークに来て、活躍してるキャリアウーマンの方とか多いんですが、私は日本が大好きだったんです。大好きだったけど、ご縁があって1964年にライシャワーご夫妻(*当時・駐日大使)によばれてクリスチャンの子供達や当時慈善活動をしていた聾唖学校とかの障害者の子供たちをクリスマスに毎年大使在任中の1961年から66年までの間クリスマスパーティーを開いてまして、私は64年にお付合いがあったクリスチャンの方のお声がけで夫人のハルさんの妹さんのご招待で日本人の子供の一人として行きまして(4歳でした)、その64年にポピュラーを初めて― 人前で教えてもらったのを― 拙い外国語で歌ってそれがご縁でハルさんに知己を得て、アメリカに留学する機会を得て中学ー高校とうけて、その時に身元保証人が元の駐日大使というだけで私は随分アメリカに大事にしてもらったので、基本的にアメリカが大好きな少女だったんです。
 でも日本が嫌だからじゃなくてチャンスがあったので留学して・・・でもやがては最後には歳をとったらやっぱり親からもらった土地で自分で農業をして自分で家を建て自分の土で死んでいきたい、というのはしっかりありましたから、アメリカに30年近く住んでも一度も日本人というアイデンティティーが絶えたことはないし、日本にいつか帰りたいという願いつつアメリカのほうが女性にとっては働きやすいと思ったことと、私は<喘息もち>でしたからタバコの煙の少ない職場(は米国のほうが多い)というのは事実でしたので・・・嫌煙運動が70年代からずっとアメリカのほうが進んでましたので、スモーク・フリーの職場で働くということで働く女性になるために留学を終えて一度アメリカから日本の大学に戻りましたがまたニューヨークに戻ってアメリカの大学に編入しまして、昼間は働き、夜大学へ行くという暮らしをしてました。


 ●山崎淑子さんインタビュー(1)    <了>。


   少しずつ  続けます。

 

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