カウンター 読書日記 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(44)-2
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●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(44)-2
 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(44)-2
  孝明帝の孫にして荒木貞夫の草?「松下トヨノ」なる女性  

  
 ★明治天皇側室は虚報 母は孝明帝息女、父は有栖川宮 

 
 戸籍資料では加太に全く縁のないトヨノが幼時加太で育ったことは事実で、K氏の先代は、「松下さんは七歳の時に、まるで天狗さんに連れられて来たように、加太に現れた」と語っていたが、春日神社の向かい側にあった池田酒店に降臨したらしい。前出の戸籍の出生日が正しいならば(その保証は必ずしもないが)、降臨は明治三十年で、江戸時代から加太に住んでいた富商K家を頼ってきたものと思われる。トヨノが降臨した池田家の養女で中谷家に嫁いだ辰子は、トヨノは「島津の殿さんの子を生んだが、その子が風邪で死んだため島津家を出て、細川家家老の岩瀬家に預けられて、その子を産んだ」という。トヨノには伊丹の航空管制官をしていた子息がいたと新屋は語るが、K家の言でもトヨノは、「私は日本で最初に飛行機に乗った女」と言って、航空機との関係を語っていたらしい。

 加太の戸籍資料にはトヨノに関連する記載はないが、地籍資料にはトヨノの痕跡が残る。和歌山市加太字南仲町所在、地番一三四〇番地の家屋の保存登記に、所有者として東京都麹町区富士見町二丁目松下トヨノの名があるからである。新屋によれば、ここは元紀州藩の米蔵があり、二万円の大金を投じた竹中工務店の建築で、外見は瀟洒な日本家屋だが地下室があるという。この土地家屋は昭和五十三年七月二十七日のトヨノの死亡を機に、九月二十七日付で福岡県粕屋郡粕屋町の岩瀬幸之輔が相続した。法律上、贈与とは異なり相続権は親族にしか認められないから、伊丹空港の管制官をしていた岩瀬幸之輔がトヨノの遺児であることは戸籍上も明確である。

 こうして松下トヨノの実体がしだいに明らかになった。これまで巷間流布していた説に、トヨノが幼少にして明治天皇の寵愛を受けて某貴人を産んだというものがあるが、明らかに為にする虚報である。現在私(落合)が憶測する処では、トヨノの父は未詳で、母は孝明帝の娘である。生まれ育った京都市堀川通り六条の堀川御所は孝明帝の皇胤の隠れ住処であった。前述のK氏は、トヨノの父を有栖川宮と信じていたと家人はいう。有栖川宮には陸軍大将・熾仁親王(一八三五~九五)か、その子で海軍大将元帥の威仁親王(一八六二~一九一三)が該当するが、トヨノ出生年の一八九四年からすると、どちらの可能性もある。 

  
 ★石原莞爾手遅れ発言と貴志彌次郎の示唆と 

  
 吉薗周蔵の遺族もトヨノに関する伝承を伝えているが、真偽は定かとまでは言えない。ただし、『周蔵日記』にはその記事が散見する。最初は昭和十二年七月末弟である。参謀本部第一部長石原莞爾から、「たまには理由を付けて、お出で」と言われていた吉薗周蔵は、盧溝橋事件の事を新聞で知って知りたいと思い、西瓜を届ける口実で石原莞爾に会いに行った。石原は周蔵に、「満蒙問題の解決として満洲事変を起こしたことは誤りでなかったと確信するが、誤ったかと思うのは、あの奔馬のような松岡を見逃したことだ。甘粕に誘われて君と会ったあの時(注・昭和五年四月)明石閣下の話を君から聞いていれば良かったと、今は思っている」と語った。「明石閣下の策士たる姿勢を、君ほどに話す人を他に知らない。故に、明石閣下の真実を聞いて、今参考になっている。戦争は長引かせてはいかん、と君に犬弁舌されたというあの内容を閣いていれば、自分は松岡を逃がさなかった」と石原は言い、「国際連盟の脱退が失敗だったかどうかの答えはもっと先になるが、少なくとも今の状況に東条などが出てくる計算など出来ていなかった」と悔やんだ。

 九月に入り、石原が関東軍参謀副長として渡満すると聞いた周蔵け、「もう手遅れ」という石原にそれでも期待することにして、癌で療養中の貴志彌次郎中将を訪ねた。石原に会って手遅れ発言を聞いたと言うと貴志は衝撃を受け、「石原さんがそう言うの?」と言った。時々、荒木大将や甘柏の手伝いをしていることを告げると、貴志は「荒木さんは自分と郷里は同じで和歌山だ。荒木さんの手伝いをしているのなら、大したことではないが、知っておいた方が良いから」と言い、「荒木さんには、女の草が一人付いておられる、と聞いている。それがどうして、中々の人であるらしく、陛下とも懇意にされていると言ったことも、耳に入っている」と教えてくれた。

 周蔵は思わず、「陛下と懇意なるは、草ではなく、後援者なのではありますまいか」と応答した。陛下にまで道を持っているのは相当の婦人であろうから、「荒木には草がいるから疑われぬように」と、貴志が教えてくれたと周蔵は思った。「郷里和歌山の婦人で、山井・松下・草壁などと名乗る。姓は変えるが名はトヨ子、トモ子のどちらかだ」とも教えてくれた。

 二回目は昭和十四年で「周蔵手記・本紀」の最終部分である。荒木大将が何時の間にか「張子の虎の如し」となっていた、と記した後に、「貴志さんの云われたる女の事、偶然聞く」とある。トヨノと荒木との関係を耳にしたのであろう。

 次に出てくるのが、昭和三十年一月の「紀州徳川家に納まった焼物の件」である。一月早々に、貴志彌次郎の養嗣子・重光が周蔵を訪ねてきて、「奉天古陶磁」の「図譜」に関して幾つかの要望を出した。貴志重光の要望は紀州家の頼貞夫人の命を受けたものだが、その紀州家の背後には松下豊子なる女史がいて、その公認の保証人が荒木大将であることを、この時期の周蔵はすでに知っていた。上原勇作の遺言で後継者の荒木貞夫に仕えた周蔵は、戦後も荒木の活動を支援していて、前年末に荒木に会ったが、その折に荒木が「図譜」の件を頼んでこなかったのは、疚しい処があるからと推察した。松下なる婦人は井伊家も手玉に取ったと、親しかった井伊家から周蔵は聞いていた。何しろ宮中から「松下の事、よしなに」と頼まれて、協力している間に、いつの間にか手玉に取られていたということらしいが、真相は分らない。 

  
 ★トヨノが残した『黒皮の手帳』「地下室の金塊は?」の衝撃 

 
 吉薗遺族の言では、松下トヨノが宮中秘事を書きつけた黒皮手帳の一件があり、それを知った松本清張が翻案したのが『黒革の手帳』である。『週刊新潮』昭和五十三年十一月十六日号から五十五年二月十日号まで「禁忌の連歌」第四話として連載され、単行本が刊行された。七五六八万円を横領して銀座の高級クラブのママに転進した女性銀行員の、魑魅魍魎とした世界を背景に描いた作品で、過去に何度もドラマ化されているが、そのいかなる部分が翻案なのか知るすべもない。

 昭和三十年と言えば、松下トヨノが加太のK氏の協力を得て、紀州家伝来の「奉天古陶磁」の一部を換金しようとしていた時期である。目的は、慈覚大師を祀る施設を建てるための資金作りであったと伝わるが、周蔵が「図譜」の提供を拒んだこともあり、結局換金が成功せず、そのままになったらしい。因みに、公武合体のために、孝明帝の皇妹・和宮が将軍家茂に降嫁した折、持参した北朝皇統の秘宝が仏舎利と十一面観音像であった。家茂の薨去後、落飾して静寛院宮となった和宮は明治十年に薨去するが、件の秘宝は北朝皇統に返還され、松下トヨノが所持することとなった。蓋し、皇統の実在を証する数少ない物証である。

 地元の和歌山市ことに加太には、生前のトヨノに接した人士がまだ多い。世間話が好きだったトヨノが毎日訪れた「いなさ」の主人の息子は今も健在で、トヨノの思い出を話してくれる。修験道の根本たる友ケ島を抱えた加太で、旧家中の旧家は「行者迎之坊」を語源とする向井氏であるが、その当主が語るトヨノの晩年は、隣人に介護された日々で、隣人たちはトヨノの尋常でない身分を薄々感じていたが深く追究しなかったという。トヨノの没後、加太の寓居の所有権が転々していたことを知ったのは平成八年で、早速新屋隆夫に告げたら、「それじゃ、地下室のあの金塊はどうなりましたか?」と言い出したのには驚いた。新屋は、私(落合)に告げた以外に、トヨノから多くを聞いていたのである。

 ホル・ワット臨時政府の軍事顧問に就いた荒木大佐が、ロシア中央政府の命でブラゴベヒチェンスクのシベリア砂金を黒竜江省に隠匿したことは、本稿で既に述べた。砂金は予備役中将・貴志彌次郎が回収し、四分の一を上原勇作・田中義一と宇垣一成で分け、残りは満鉄に預けた後に張作霖に与える手筈であったが、方針変更で張作霖は暗殺され、砂金は上原の裏の女婿・甘粕正彦の満洲工作資金になった。しかし、中心人物が報賞に与らぬ道理はなく、荒木も幾らかの金塊を得た筈で、それをトヨノの寓居に隠したと、新屋は聞いていたのであろう。

  

 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(44)   <了>。

 

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