カウンター 読書日記 ●宇都宮太郎日記(3) 引用・紹介。
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●宇都宮太郎日記(3) 引用・紹介。
                      宇都宮日記の全巻_1

 ●落合莞爾・「疑史」(七十回)の記述・・・

 ・・・『宇都宮太郎曰記』の解題で桜井良樹は、「宇都宮は、上原の政治的参謀の位置にあった」とするが、それ以上立ち入らないのは学校史学の限界であろう。宇都宮が上原の股肱として尽したことは、上原系事業のミノファーゲン製薬が、後に子息・宇都宮徳馬に与えられたことでも分るが、その宇都宮にして、高島鞆之助と上原勇作との間の極秘関係をどの程度まで知っていたのか、分らない。・・・

 の関連で『陸軍大将宇都宮太郎日記』の(2)から引用・紹介をしてきたが、
 未紹介の『第三巻』から1918年8月19日と1919年10月24日の日記を紹介して一区切りとしたい。
 
 *************

 以下引用。

 ************* 

 
 大正七年
 八月十九日  月  晴 

 
 午前歩兵第四十旅団(長、内野辰次郎)司令部、歩兵第七十九連隊(長、富塚貞一郎)、初度巡視。

 
 午前十一時三十分、新任第十九師団長・中将子爵・高島友武来り申告す。今朝九時過の汽車にて着任せるなり。中将は故・鞆之助中将の養嗣子にして、二十七、八年戦、故・中将台湾の南進軍司令官として渡台の折には、共に大尉にして、余は参謀として、(友武)中将は副官として随行、爾来懇親の間柄なり。往時を追懐して今昔の感深し。

 ・・・以下略・・・

 ************** 

 
 大正八年
 十月二十四日  金  晴 

 
 ・・・前略・・・ 

 上海の渋川雲岳(一部の人には悪声もある人物)、東京よりの帰途再び来鮮。
是非面会し度しとのことに、此夜引見せしに、国家改造を企図し居る或る人(姓名を明かさず)より宣伝を托されたり、国家重大の事に付き一読せよと申出に付き、見ても賛成出来ざるやも知れず、左る秘密の物を見るの意なしと答へしも、是非とのこと、然らば、
(一)見た上其儘差置けぬと認められたる場合には断然随意の処置を取ることあるべき事、
(二)見るも之に対して可否賛否の意見を言はざること、
(三)之を見たりとて為めに余が意思行為に何等の拘束を受けざること、
 以上三ヶ条を約し、渋川承諾を確め一読することを承諾す。

 
 其物とは、題して『国家改造案原理大綱』と謄写版摺りの一冊子なり。
此夜十二時半まで懸りて一読せしに、中には同感の点も少なからざれども、実行如何と思ふ点や修正を要する点、亦た不同意の点もこれあり。


 一言すれば、
 皇室を奉戴す、貴族を全廃す
 普通選挙、両院制度、
 私産を三百万円に制限 以上は国有   (*現価 概 三百億円か、違反者は死刑)
 土地は三万円以下、市にては市有、   (*時価で三万円以下と)
 個人の産業は一千万円以下、其以上は国営
 徴兵維持、全国皆兵
 英米等の経済上若くは海洋上の軍国主義の打破、
 東部西伯里、濠州等への発展

〔欄外〕 明石大将危篤の電報至る。 ・・・以下略・・・

 ************

 以上。
 
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