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 ●疑史(第65回)

 ●疑史(第65回)  甘粕正彦と石原莞爾と東條英機  評論家・落合莞爾


  *************

 前月は番外編としたが、再び甘柏正彦論に戻る。「周蔵手記」に甘粕の名が出てくる三十一回目が、「昭和十二年十月頭条」である。同年九月に入って吉薗周蔵は、参謀本部第一部長の石原莞爾少将から、間もなく関東軍参謀副長として満洲に行くと告げられた。「もう遅い」と石原は言ったが、周蔵は九月二十七日付で関東軍参謀副長に就いた石原を満洲に訪ねることにした。

 「十月頭、石原サンノ後ヲ追フ気分デ、満州二行ク。甘粕ガ カナリノ官権ヲ握ラレテヲルノニ驚ク。正二軍服ヲ着ナイ軍人デアッテ、元々ガ強イ人デアラレルカラ、優勢デアル事二驚ク。金主デアルラシク、地位ヲ持ッタ軍人ガ、ヤタラ ヘーコラシテヰルノガ、見ルニ辛ラカッタ」。昭和四年秋以来、満洲を拠点とした甘粕は、昭和七年三月に満洲国建国の功労で民政部警務司長(警察庁長官)に任じ、翌年宮内府諮議、十二年四月から協和会中央本部総務部長に就いた。甘粕が関東軍の軍人を牛耳ったのは、周蔵も観察しているように金の力であった。その源泉は、大正七年三月にブラゴヴェヒチェンスクのロシア国立銀行金庫から黒河のロシア領事館に移されたシベリア砂金で、日露間の武器代金の決済のため、ロシア中央政府の命令でホルワット臨時政府に送られたと聞く。

 砂金は上原参謀総長の命令で黒竜江省の各地に隠匿され、張作霖支援の資金とする予定であったが、田中義一と蒋介石の青山会談で張作霖支援が殺害計画に変更されて不要となり、上原の後継者甘粕正彦の満洲での活動資金となった。この砂金を用いて甘粕は、東条英機以下の関東軍上層部と、岸信介ら満洲国高官を操縦して、権勢並びない立場を作ったのである。満洲国建国の功労と称して甘粕に贈与された金山は、実は廃鉱で、シベリア砂金をロンダリングするための装置であった。

 十一年十月に商工省工務局長から満洲国に移り、実業部総務司長を経て七月に産業部次長に就いた岸信介(明治二十九年生まれ)と総務長官・星野直樹(明治二十五年生まれ)が、明治二十四年生まれの甘粕よりも年下ながら、国家機構上では甘粕より上にいた。法匪と呼ばれようと、肩で風切る勢いであったが、何しろ甘粕は関東軍を動かせた。

 「石原サンハ 《云ッタ通り 来ルニ及バズ ダッタラフ」ト云ハル。《マフ内地二戻ッテ 紙ノ札ヲ 金トシテノ証シニナル 不動産ニデモ 代ヘル算段ヲシタ方ガ良イヨ》ト云ハル。《自分ハ ソンナ気ハナイ》ト云フト、《軍人デハナイカラ、コノママデハ 最後二損ヲスルヨ》ト云ハル」。この忠告を、さすがに庶民の事を良く知る石原の言葉と思い、周蔵は感謝した。以前、石原が仙台に居た頃に二度程訪ねたが、その折部下の一人から、石原の気づかいに感心したと聞いた。昭和八年から丸二年、石原が歩兵第四連隊長として仙台に勤務した時のことである。初年兵の入営の朝、雨中を兵舎外に並んでいた初年兵は、大部分が羽織袴姿であった。そこへ営門から乗馬で入ってきた石原から、いきなり「紋付は借り物だぞ」と怒鳴られたと石原の部下は語った。紋付を雨に濡らしては、返す時に問題になると、注意したのである。従来の連隊長なら、そんなことを気にもせず並ばせておくが、このような思いやりが、あの図抜けた頭脳から出てくることが不思議とさえ、周蔵には思えた。

 「トカク、頭ノ切レル人間ハ 他ヲ無視シ 冷タイモノデアラフニト 石原サンノ人間味ニハ、頭ノ切レルトハ 違ッタモノヲ感ヂル。日蓮上人ノ生レ代リ、或イハ スベテ日蓮上人ノ示唆ニヨル、ト云ハルル時、冗談カトモ思フガ、庶民ニマデユキ屈ク 思ヒヤリヲ知ルト、ツクヅク 冗談デハナイノダ ト思ユル」。石原莞爾は、自ら日蓮上人の生まれ変わりと、本気で信じていた。少なくとも、周蔵にはそう言った。冗談とは思った周蔵も、石原の人間愛に他の天才とは明らかに異なる点を感じ、「冗談どころか本当かもしれん」と思ったのである。

 因みに、先日高校の同窓会に出たところ、共産党の市会議員を数十年勤める学友が、不肖に名前の由来を聞くから、「母が不肖を受胎された頃、第十六師団長たった石原中将が一日和歌山へ来られた。そこで父が将軍の名前を頂いたと聞く」と答えたら、「石原なんて、あんなもん戦争屋の人殺しやないか」と応じたのには驚いた。史観の対立は容認せねばならず、人により好悪の違いもあり、人物月且にも差異はあろう。それを許すのが思想の自由と信じて、史観の違いを超えてその市議に投票してきた同窓生も多い。しかしこれを聞いて自分は、今まで考えが甘かったと覚った。

 これが石原莞爾に対する日本共産党の価値観なのだ。確かに石原は終世軍人であったから、下品に渉るが、戦争屋との言い方もあろう。しかし、いやしくも地方政治家なら、軍隊が単に殺戮を目的とする機関でないことくらい心得ていよう。現に共産主義社会では軍事行動を重視し、軍備の充実を眼目としているではないか。そのことを是認しながらも日本共産党は、反日的立場を未だに固持して、祖先の行為を自ら貶めているのである。戦後の学校歴史が満州事変を単純に否定するから、石原莞爾に対する曲解も正当化され、無知を誇って罵倒三昧に終始する。国費で行う教育が国民の歴史を改ざんし、反国家・反社会勢力を別しているのである。

 石原と甘粕と満洲国の関係が実際はどうであったか、「周蔵手記」に戻る。「満州ハ変ッテシマッテヰタ。軍人ダケデハナク、日本ノ官僚ガ法匪ト云ハレルラシイガ、大層 肩デ風ヲ切ッテ ノサバッテヲル。以前二 石原サンカラ聞カサレタ、満蒙二描イタ青写真ハ マッタク無クナッテヰタ。一日タリトモ 長クヲルノハ 嫌デアッタ。コンナ日本人ノ顔ヲ 見ルノモ嫌ダト 思ッタ」。昭和に入って進みだす日本の社会主義化は、満洲で実験された。社会主義を支えるのは法律体系で、作るのは官僚である。

 「甘粕サン、満州二映画會社作ルノ由。資金ノ事デ 内地二行ク予定トノ事。再来年クライニト、予定シテヰル由」。満映の経緯は、公称では次の通りである。昭和十二年国策会社として満洲映画協会が設立され、資本金五百万円を満洲国と満鉄が折半し、初代の理事長に川島芳子の兄の金壁東が就いた。しかし成績が上がらないので、二年後に甘粕を二代目理事長に就けたのは、甘粕の処遇を案じていた岸信介と武藤富男である。


 しかしながら真相は、周蔵が昭和十二年十月に甘粕から聞いた通りで、再来年くらいに映画会社を作る予定で、資金作りに内地へ行くと言っていた。すべては甘粕が二年越しに企画したもので、岸と武藤は狂言回しに過ぎなかった。そもそも映画はフィルムと映写機があれば作れるものではなく、脚本から劇場までに渉る長大な工程で完成される巨大複雑な産業システムであって、甘柏が満洲でこれを実現するには、天津のワンワールド勢力の支援を必要とした。そのための二年間だったのである。

 「周蔵手記」の本紀は昭和十四年を以て終わるが、最後は甘粕に関する三十二回目の記事である。「満洲キネマノ事、甘粕サンカラ聞く。応援者ハ 薩摩トツキアフ 連中ラシイ。カクトヲ氏モ 関係シテヰルヤフダ。尤、カクトヲ氏ヘノ薬ハ 甘粕サン回リデアルカラ、全テ連鎖ナノデアラフカ」。甘粕は二年前の言の通り、昭和十四年に内地に来て、周蔵に満映(満洲キネマ)の事を説明した。新たに映画会社を興すのではなく、満映の二代目理事長を継いだのである。甘粕が映画事業の応援を取り付けてきた相手は、薩摩治郎八と交際するワンワールドの連中で、別派のジャン・コクトーとも関係しているようだが、周蔵は甘粕経由で延命アヘンをコクトーに出しているから、すべてが連鎖していると、周蔵は感じた。 


 「ナチスハ ユダヤヲ 追放シテヰルノデアルニ、甘粕サンハ ユダヤ系ノ秘密結社ト繋ガッテヰテノ、キネマデアル ヤフデアルニ、東条ハ?」。昭和十二年に締結した日独伊防共協定は、帝国陸軍の意向で十三年夏から十四年にかけて強化された。ドイツの政権党ナチスはユダヤ人の追放を始めたが、甘柏はユダヤ系秘密結社と繋がったからこそ映画事業を進めることができるのに、甘粕と結託した東条は何を考えているのだろうかと、周蔵には疑問が沸いた。「石原サンノ説ナラ、東条ノ頭ニハ 主義モ思想モナイトノ事デアルカラ・・・アルイハ 思考ハ甘粕サンニ任セテヰル ト云フ事ナノデアラフカ。深ク考フルト 実ニ嫌ダ。然シ、親父殿ノ説ナラ、起ッタ事二 収マラナイ事ハナイト云フ」。

 石原が東条と比較される度に、「自分には思想があるが東条にはない」と公言していたことは広く知られている。思想理念を重視して世俗権力をバカにした石原は、甘粕の工作で東条に妨害され、経綸を実行に移せず失意のままに死んだ。どんな組織でも一つの社会であるから、必ず権力者が生まれる。当時の陸軍が統制派の制する処となった経緯は省くが、青年将校の内外情勢に対する危機感が集合無意識となって、独裁者東条英機を生んだ。憲兵をゲシュタポ、ゲーペーウーに等しきものとして活用した東条は、満洲で産するアヘンを資金源として、秘かに配下勢力を養った。法律に則り官権・軍権を以て個人の自由を奪い、金銭・地位を与えて人の行動を誘導する。これをしも金権支配と呼ぶが、組織支配の要諦中の要諦で思想も理念もへったくれもない。

 国運の行く先に塗炭の地獄を予見した石原の、言の通りに事態は進む。剛腕政治家が、甘粕正彦に操られて日本を破滅に導いていくのを、眼の当たりに見た周蔵は、「深ク考フルト 実二嫌ダ」と嘆いた。

 マックス・ウエーバーが「経済と社会」で、社会支配の三大類型として「合法的支配」、「伝統的支配」及び「カリスマ的支配」を掲げたが、「合法的支配」社会が、社会構成員たちの弱さによって非合理的に運営され、結果的に非合法をもたらすのが「全権的支配」である。金権支配を樹立した権力者は、国民の批判を恐れる必要なく、勝手気ままに政敵を束縛し、人権を蹂躙する。政党助成金を制度化して国帑を以て配下を養い、政治資金規正法を強制しながら自らは縛られない。資金を与えて議員とした配下を投票マシンと看看做して議場を投票所と化す。批判の絶えた政界に在って自制心は働かず、理念なき頭を国際秘密勢力に操られて国益を破毀し、隣国の蹂躙を受けて国民は嘲弄され、社会の伝統は損壊する。平成僥季の世に当たり、読者には同感を抱かれずやと思う。


 問題は甘粕で、周蔵は基本的に「国事を主として心身をそれに捧げた」と観ていたが、一方でワンワールドとの強い絆も知り、真相は終に理解しえなかった。軍服を着ない軍人の甘粕が、自決の機に至り、態と(わざと)短銃を捨てて青酸カリを求めたのは、いかにも軍人にそぐわない。周蔵がその真相を記した「別紙記載」は、今は★国家機関が押収して真相の暴露を防いでいるのではないかと思う。


 ●疑史(第65回)   <了>


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