カウンター 読書日記 ●満洲国の断面 (12)
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●満洲国の断面 (12)
 ★ダンチヒの廊下を通る

 甘粕駐ポーランド酒勾大使と親ソ反米英を論ずること
 ダンチヒでポーランドの接伴員を口惜しがらせること
   
 
 満洲国から乱暴者が来たというので、ワルソーの日本大使館では、大分困ったらしい。酒匂秀一大使は使節団一行を招待したが、主賓席にポーランドの外務大臣を据えるというので問題になり、こちらを招待しておきながら、ポーランド外務大臣を主賓にするとはなんであるか、韓雲階を主賓にせよと、使節団側からねじこんだところ、大使館側は、満洲国は内輪であるから、外務大臣の傍に韓雲階を坐らせ、どこまでも外務大臣を主賓にすると、つっぱり、この問題で大分もめた。

 そんなこんなで、酒匂大使と使節団との間には、感情のわだかまりがあった。ところがワルソーを去る晩、甘粕と酒匂とは食事を共にし、語り会って、すっかり打ちとけてしまった。
 甘粕はソ連と事を構えないようにして、英米を撃つという考えをもっていたが、当時日本の軍部は対ソ作戦のみを考えており、満洲国の政策も軍備も、対ソ作戦に集中していた。甘粕は東亜を侵略したものは英米であるから、これを東亜からおい払って、東亜諸民族の独立を実現しなければならない、そのためにはソ連を敵にまわさず、味方につけておくべきだという考えをもっていた。酒匂大使も同じ考えをもっていたらしく、食堂で杯をかわしているうちに、両者うちとけ合った。

 夜行列車でワルソーを発つというので、ホテルの玄関に日本大使館員一同が並んで、われわれを見送ってくれたが、酒匂と甘粕とは手を握り、肩をたたき合って別れを惜しんだ。お蔭で酒勺大使は私にまで愛嬌をふりまいてくれた。

 ポーランドは、使節団のために特別列車を仕立てて、これを列車ホテルとしたため、われわれは、列車に乗ったままで、クラカウ、カトヴィッツ、ロズ、グディニアと引き廻された。接伴員は商工書記官のスヴェコフスキーという四十代の男で、人のよい、あまり賢そうでない人物であった。みんなでミスター・ツベコべと呼ぶと、イェースと返事をした。

 問題の都市ダンチヒヘ入ったのは、十月十二日。ダンチヒは自由市であり、市民の大部分はドイツ人。宗主権はポーランドにあり、国際連盟が代表を送っている。ダンチヒの東隣は東プロシャでドイツ領。第一次大戦の平和会議の結果、ポーランドが、ダンチヒの港に直通するために、ドイツ領に廊下を通して東プロシャをプロシャから引きはなしてしまった。他人の邸の中に、一寸ご免といって通路をつけたようかもので、ドイツの領土はポーラソドの廊下で、東と西とに断ち切られているのである。

 一九三九年四月、ヒトラーはポーランドに対し、この廊下の明渡しを要求した。ポーランドがこれを拒絶するや、ヒトラーはソ連と不可侵条約を結び、八月三十一日にポーランドに侵入、ポーランド西半を占領してしまい、まもなくソ連と組んでポーランドを分割してしまった。これが第二次世界大戦のきっかけとなったのである。

 われわれが、このダンチヒを訪れたのは、大戦勃発の十ヵ月前である。だから政治情勢はすこぶる複雑で一触即発の危機をはらんでいた。

 ダディニアから小汽船に乗じ、水路を通ってダンチヒに入るや、出迎えたのはダンチヒのナチス党である。制服をつけた五百人ほどの党員、青少年団が埠頭に参列し、党旗を立て、楽隊をくり出し、上陸するわれわれに向い一斉に右手を挙げて、ハイル・ヒトラーを叫び、代表者は歓迎の辞を読み上げるという熱烈な迎え方である。

 ポーランドの接伴員スヴェコフスキーは甘粕に向って、
 「まずポーランドのコミッサール(執政)に挨拶に行ってもらいたい。それから国際連盟の代表者をも訪問してもらいたい。自分が案内する」
 と言う。すると甘粕は 

「満洲国を否認した国際連盟に挨拶をするわけにはいかない。ポーランドのコミッサールには名刺だけ出しましょう」と答える。

 それから甘粕は私に向って、「市長はドイツ人だから、挨拶に行くのは、市長だけにしましょう」と言う。

 ナチス党差し回しの自動車に韓と甘粕と私の三人が乗り、ポーランドの執政府には玄関で名刺だけ出して挨拶をませ、ただちに市役所に行った。

 スヴェコフスキーもさすがはポーランドの愛国者であると見え、どういうわけで、市役所に行くのかと、私に問うたので、甘粕が行こうというので行くのだと答えると、ポーランド側にも名刺だけ出したのだから、市役所にも名刺だけ出せばよいと言う。

 受付へ入って、刺を通ずると、市長は今不在であると云う。スヴェコフスキーは、それでは名刺だけ出して帰ろうとうながす。すると甘粕は私を突ついて、「代理に会うと言え」という。私が受付にそう言うと、スブェコフスキーはそんな必要はないと主張する。受付でひと揉み揉んだ末、三階へ通されて、助役に会い、韓雲階から使節団の来意を伝え、私がこれを通訳していると、スヴェコフスキーがこれに口をはさもうとするので、「ビー・サイレント」といって、これをおさえる。彼は歯をくいしばってくやしがる。今考えると、すいぶんひどい外交をやったものであるが、これも甘粕の押しの一手であった。

 ****************

   続く。 
 
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