カウンター 読書日記 ●満洲国の断面 (9)
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●満洲国の断面 (9)
 ★ローマ王毒殺説

 ヨーロッパの天地に風雲急なること
 ヒトラーのパトロンを見やぶること  


 九月二十日、イタリーのヴェネチア(ヴェニス)からオーストリアに入る。ヒトラーがオーストリアを併合して六ヵ月目であり、物情騒然たるものがある。

 ウイーンでは、ナチス党の公式の歓迎の後、旧オーストリア帝室の宮殿シェーンブルンを見物する。国が亡びて宮殿は公園となり、観光資源と化しているのである。

 ここにはハプスブルグ家の遺物が沢山飾ってある。十六人の子を生んだ女傑マリア・テレサの居室。ナポレオンと政略結婚をさせられ、一子ローマ王をもうけ、ナボレ才ン没落後、ローマ王とともに実家に帰ったマリア・ルイザが余生を送った部屋。ローマ王はここで育てられ、二十歳にして、この宮殿で死んだが、彼が息を引きとった時のべッドもそのまま置いてある。

 使節団のうち、これを見て、ほんとのことがわかるのは、インテリだけで、それも精確な知識を持っている人は少ない。甘粕は私と並んで、これらのものを見て歩きながら、いろいろと説明する。

 「マリア・ルイザはナポレオン没落と同時にこの宮殿へ帰り、それから侍従の一人、つまらない男と夫婦になって一生を送ったのです。ローマ王の死因は病気ではなくて毒殺だという噂があります。ナポレオンはポーランドに侵入したとき、ワレスカヤ夫人というのとねんごろになり、その女に生ませた隠し子があったのです。」

 私が歴史の本で習わなかったことを、彼は次から次へと語る。各地の遺跡について、しっかりした知識をもっているのは、われわれのうちで甘粕一人であった。

 九月二十一日、ドイツ、バヴァリヤの首都・ミュンヘンに入る。折から、チェコ事件が勃発し、ヨーロッパの風雲すこぶる急である。チェコの北部ズデーテンにいるドイツ人はチェコ政府の迫害を受けているので、これを救うため、ドイツはチェコに出兵するだろうとの噂である。チェコは大軍を国境に集結しつつある。イギリス、フランス、イタリー、いずれも動員を行いつつある。

 千九百二十三年十一月九日、ナチス党示威行進のとき、政府の弾圧に会い、警官隊の凶弾に倒れた党員十六名の墓がここにある。また当時のナチス党本部の建物がそのまま保存されている。われわれはこの墓に詣でて花輪をささけ、次いで党本部に案内された。

 二階にヒトラーの居室が一九二三年当時のまま保存されている。甘粕はその部屋へ入るやいなや私の脇を突ついて、
「資本家が良かったね」と言う。
「ムソリーニよりもですか」
 と私が応ずると、甘粕は「そうです」と答える。

 ヒトラーの執務していた机は、磨きのかかったオーク製で、顔が映るぼどである。傍に大型の電気スタンドが立っており、ピンクのシェードがかかっている。旗上げの時から豪勢な調度を使っていた。部屋も二十畳敷位あって、まるで大会社の社長室に入ったようである。

 これに比べると、イタリーのミラノで見たムソリーニ旗上げ当時の居室は、すこぶるみすぼらしいもので、八畳位の小部屋の卓上に、粗末なコーヒー茶碗とコーヒー壷、手榴弾二箇、ピストル一丁、本立てにはイタリーの歴史という本が二冊おいてあるだけで、全く田舎新聞の主筆室といったところである。ここで、ムソリーニはポポロ・デ・イタリー紙という新聞を発行していた。

 ヒトラーの居室に入るやいなや、これをムソリーニの居室に比べて、めいめいに資金をみついだパトロンとその金額とを指示するところは、大した勘である。


 「ヒトラーの政治資金は何処から出たのでしょう。バヴァリヤとラインの工業地帯から出たのでしょうか」と私は尋ねる。


 「ムソリーニの政治資金がミラノを中心とするロンバルジヤ平原の工業地帯から出たことはまちかいありませんね。しかし、ヒトラーの運動は大げさですからね。それに徹底的反ソで、決して反英ではありませんよ。ナチスは、われわれみたいに、英国の悪口を云っていないのです。だから英国の資本家が臭いですね」

 と甘粕は言った。表面だけ見て感心してしまわずに、いつも楽屋裏を考える人である。


 この時から三年たって、一九四一年五月、独ソ開戦の直前、ドイツ副総統ルドルフ・ヘスが、飛行機で敵国イギリスに飛んだ。英国測はヘスがヒトラーの使として和平案を引さげて飛来したので捕虜にしたと発表し、ナチス・ドイツは、ヘスは気がちがったと宣言した。


 このニュースを聞いて、私は、ヒトラーのパトロンか英国資本家だという甘粕の言を思い出して、
 「ああ、そうだったのか、ヒトラーは英国と和平して、もっぱらソ連を打とうとしたのだ。そしてパトロンのいる英国とは和平の可能性ありと断じてヘスを送ったのだ」と直観した。


 ヒトラーがベルリソ陥落の直前に、
「私は大きな裏切りにあった。それがこのような悲劇を作り出
した原因である」と語ったことを、当時情報局にあって短波放送で知り、英国資本家の後押しで反共反ソを旗印としたヒトラーが、英国に図られて英米ソのはさみ打ちになって亡びたという悲劇的運命を思い、甘粕の勘の鋭さに打たれた。

              
 ****************

    続く。
 
   

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