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●満洲国の断面 (6) 
   
 ★シンガポールでは船から釣

 甘粕訪欧修交経済使節団副団長に任せられること
 一度別れたら再び会えないと思えと挨拶すること 

  
 「人間というものは、一度別れてから再び会えると思うことは間違いなのです。一度別れたなら永久に会えないと言うのが正しいのです。この度私は命を帯びてヨーロッパに使いすることとなり、明日出発致しますが、一度別れたならば、再び会えないと思って下さい。どうかそのつもりで私の言葉を聞いて下さい。
民族協和、民族協和と口では云いながら、協和会の職員がうちあわで喧嘩するようなことで、どうして民族協和ができますか! 終り。」

 どうして民族協和が出来ますか! というところを彼は体を乗り出して大喝一声した。二百名の職員は、はっとなって、全員後に身をひくかの如き態度をした。甘粕のその時の気魂は、剣が相手の胸を刺す時のそれであった。

 七月二十九日、翌朝はヨーロッパに向って出発するという日に、協和会中央本部の全職員を集めて別れの挨拶をしたのである。

 ファシスト使節団が帰国して間もなく、満洲国政府はイタリーヘの答礼と経済取引の開始とを図るため、また満州国をすでに承認しているドイツ、スペイン、ローマ法王庁、中米のサルヴァドルとの修交経済関係を増進するため、外交使節団をヨーロッパに派遣することになった。この使節団は、満州国との間に領事を交換したポーランドをも訪問することとした。

団長には時の経済部大臣・韓雲階、副団長兼事務総長に甘粕正彦、もう一人の副団長に大連税関長・副本順三郎が任ぜられ、・・・中略
・・・随員を合せて総員二十六名の部隊であった。

 甘粕は「今度のヨーロッパ訪問は大役だから、あなたに助けてもらいたい、よろしく頼む」と言って私を団員の一人に加えた。

 服装に関しては甘粕は伊達者で、洋服でもネクタイでも、なかなかシックなものを身につけていた。驚いたことに、彼は外交官の服装について詳しい知識をもっていた。もちろん使節団一行は協和会服を着て行くのであるが、欧洲へ行って、みっともなくないようにするために長靴をはくこととし、また襟章や肩章に飾りのついた大礼服ばりの協和会服を作った。それからローマ法皇に会うために必要だというので、燕尾服を作り、社交用にタキシードをととのえた。すべて、甘粕の指示に従ったわけである。

 彼はまた団員を集めておいて、一時間にわたり服装の講義をした。燕尾服、タキシードの着方、ネクタイのつけ方、靴下、ワイシャツに至るまで細かい注意を与えた。ワイシャツの袖の長いのを買って、あげをしてゆくと、国賓になって、その国第一のホテルに泊まり、洗濯屋にワイシャツを出した時、笑われるから、たとえ出来合いのを買っても、袖を直して寸法に合わせるようにしなさい、またワイシヤツを洗濯屋に間違われないように、ローマ字で氏名の頭文字をつけておきなさい、というようた細かいところまでを注意し、その次は洋食の食べ方の講習をやった。

 なにせ「請々」(チンチン)と言って、自分の長い箸で大皿から料理を取り、客人の小皿にとってやることは知っているが、正式の外交場裡に出て、リセプションや宴会に列した経験のない者が殆んど大部分を占めているので、ナイフとフォークの使い方を知らないで恥をかいては国威に関するというわけであらう。彼は洋食の食べ方について一通り説明をした後、外交部から専門家を連れて来て、ナイフ、フォーク、皿を並べて実例を示しつつ説明させた。

 康徳元年(昭和十三年)七月二十九日、一行は新京を出発し、門司を経て海路イタリーに向った。 


船がシンガポールに着くと、一同はジョホール王国の見物に出かけるのに、甘粕は上陸しない。船室の窓から釣糸を垂れ、一日中釣りをしている。その日の夕方、彼は釣った魚を使節団一同に振舞う。どうしてあなたは船から降りないのですか、とたずねると、甘粕は「私はここで★いたずらをしたことがあるのです。私が上陸するとなると、★英国の官憲がこれを問題にし、うるさくなります。すると使節団に迷惑がかかるといけないから、おとなしくしているのです」と言う。彼はここで★謀略をやったことがあるのである。

  
 船がマラッカ海峡を通る頃には、他の一等客たちにもあれが甘粕だとわかるようになり、みな大杉事件を知っている年ぱいの人たちだから、彼に対して異常な興味を持つ。

 甘粕はデッキゴルフが上手であった。端正なフォームで球を打ち、甲板の端から反対側の端にあるものにも正確にぴしゃりと当てる。運動感覚においても、よほど勝れており、船客のうちに彼に太刀打できるものがない。

 デッキで談笑している時、みんなが暑い暑いと云うと、彼は私たちに向って牢の中に居た時の思い出話をする。「私の居た監房は西向き恐しく暑い部屋でした。私の仕事は和紙の封筒を貼ることでした。封筒を貼っていると汗が流れてきて手に伝わり、封筒の紙を溶かすので弱りました」などと言う。 

 また言う。「私の隣の監房には、強盗殺人で無期懲役に処せられたのがおりました。彼は私 と大へん親しくしていました。或る日、庭の草とりをしている時、彼は雀の子を捕らえて私にくれました。私を慰めようとしたのです。ところが監獄の飯を雀の子は食わないのです。そこで監房の窓に蜂が巣を作っていましたから、蜂の子をとって与えると、雀はこれを食べます。蜂の子のなくなるまで、雀の子に食わせ、それから放してやりました。」

 監獄の生活をまるで日常茶飯事の如く人前で淡々と語る甘粕に他の船客たちは驚き顔である。

 船がピナンに着く前、彼は一等船客全部に招待状を発し、「ピナンの朝日屋という宿屋の椰子の木の下で、本場のライスカレーを皆様に御馳走いたしますからお出で下さい」と告げる。船が港へ着くや、十数人の日本人が埠頭に甘粕を出迎える。その一人が朝日屋の主人である。船客一同はピナンの見物をすませた後、朝日屋の庭にある椰子の大樹の下で、甘粕からライスカレーの御馳走になる。朝日屋の主人と雇い人たちは甘粕の指図に従って彼の手足の如く動く。甘粕の勢力が★南の方に伸びているのを、このことがはっきりと物語っていた。

 エジプトのポートサイドに着くと、南部兄弟は店員一同を連れて出迎える。南部兄弟は観光のガイドや土産物等を扱っている日本人で、ここにも甘粕の勢力が伸びている。南部兄弟らは甘粕の指図を受けてカイロやスエズの見物に一行を案内する。

 **************

   続く。
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