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●満州国の断面 (3)
 ●甘粕のフランス語能力について「疑史 第62回」で落合氏はこう書いている。

 「・・・甘粕の仏語力について角田が嘲笑的なのは、「陸軍一の仏語遣いの自分でも、軍人仏語は通用しなかった。まして甘拍なぞは・・」との澄田の言に乗せられたのであろう。ところが甘粕に親灸した人物は正反対を述べている。満洲国の司法に携った武藤富男は甘粕に私淑した。戦後は明治学院院長に就いたが、その著(『満洲国の断面』☆だったと思う)の中で、甘粕と一緒に渡欧した際に垣間見た甘粕の仏語力を、「小鳥が囀るように」と賛仰している。裁判官とは、事実を法律的に整理するのみならず人間観察を心掛ける職種であるから、こんなことはまず間違わないだろう。甘粕のフランス語は軍人仏語ではなく、ポンピドーの姪から日夜教わった本場のフランス語だったのだ。・・・・」

 順不同となるが、先ず↑の相当部分を紹介しておきます。  


 ★映画会社ウーファを見る (p86-90) 

  スペインを訪問しフランコに会うこと
  米甘粕を嫌い使節団入国を拒むこと 


 それから東ドイツのケーニヒスベルクに入った。哲学者カントの墓があるこの都は、物凄い反共気分でコッホという地区指導者がいる。ヒトラーの大久保彦左衛門格である。ここの農産物見本市には、満洲国承認前に満洲国旗を掲げて、満洲大豆その他の農産物を出品したとすこぶる得意であった。

 ケーニビスベルクを最後として、ドイツ旅行を終り、十月十日にわれわれはベルリンのテンペルホーフ空港からスペインに飛んだ。

 スペインはまだ革命の動乱都市で、首都バルセロナは共産軍の手にあり、首府は北スペインの小都ブルゴスにあった。人口五万の田舎町ブルゴスは、おびただしい軍隊と政府官吏とでごった返していた。

外務大臣ホルダーナ、ファランヘ党書記長クェスタ等の招宴が次々に催されたが、驚いたことに、宴会は夜の九時頃から始まり、十二時頃までつづく。息子は共産軍、父親はフランコ軍などというのが何組もある。父子、兄弟が分れて闘っているのである。

 フランコ将軍は、われわれのため、わざわざ前線からブルゴスに帰って来た。十九日、モロッコ儀仗兵の一隊に護衛されて、われわれはフランコの館(やかた)を訪れ、彼に会見した。丸顔で色白、膚は美しく、髪とひげは黒く、すこぶる美男子で、これだけ端麗な顔をいまだかって見たことがなかった。

 甘粕は何処で情報を得たか、会見後、こんなことを私に語った。
 「フランコよりもえらいのがいたのです。それがスペインの天下を取るべき男だったのですが、その人の乗った飛行機が、戦争中山に激突したため、死んでしまいました。フランコの謀略だったといううわさがあるのです。」

 使節団一行は、ヨーロッパの訪問を終った後、一ヵ月の間は自由行動をとることとし、めいめい思い思いの国に遊んだ。

 甘粕は私をつれて、ベルリンで二つのものを見に行った。一つは映画会社ウーファである。スタジオからセット、道具、衣裳、機械に至るまで丹念に彼は視察した。もう一つはアルバイトーディーンストで、青年を組織化して義務制とし、国土の開発をやらせている勤労奉公隊である。 甘粕は被服から道具、給与、職階、仕事の種類にいたるまで詳細に調べて、品物は一々点検し、隊員と会見して、親の職業から家庭の状況までたずねた。その調べ方の機に入り細をうがっているのに、私は感心した。
 
 それから彼はパリに行った。パリにいる甘粕は、まるで籠を離れた小鳥が木々を飛びまわってさえずるように、フランス語を巧みにあやつりながら、あるいは大使館に現われ、あるいは酒場に姿を見せた。日本の外交官や武官や実業家を料亭に招いてごちそうするかと思うと、裏町のとんでもないところを見学したりした。

 彼はこういうところには、決して私をさそわなかった。その代り風早義確を同伴した。帰って来て、コンビネーヨンという人肉市場のあることを私に教えてくれた。年とって性的に衰えた夫を鼓舞するために、夫婦が何十組と集まって、合意の上で、一時的に妻を交換場所がパリにあり、そこへは独身者者の男女も出入し、性の完全なる乱れを実行する。いかにヨーロッパには淫蕩な場所があるかを説明した。 


 十一月九日、使節団はナポリに集結した。
もともと、われわれは、中央アメリカのサルヴァドルに行く予定であった。これは小国であるが、満洲国を一番目に承認したからである。サルヴァドルに行くには、アメリカ合衆国に上陸し、そこから飛行機で行くのが、最も便利なので、使節団は日本の外務省を通じてアメリカに人国許可を交渉したが、アメリカ政府は二つの理由をあげてこれを拒絶した。一つは満洲国を承認していないこと、もう一つは、使節団の中に、好ましからざる人物が一、二あること、というのである。日本の外務省の説明によると、この一、二とは外交辞令であって、実は一人だけ、すなわち、甘粕正彦である。そこでサルヴァドル訪問は取りやめ、ナポリに集結した一行は、ふたたび海路インド洋を通り、日本に行くこととなった。

 船が地中海に入ると、甘粕は一同を集めてきついお達しを布告した。彼はこう言った。
 「日本は今、支那事変遂行中で、外貨を必要としています。みなさんにお渡ししたポンド(英貨)に、余りがあるならば、それは日本に持ち帰って、そのまま正金銀行に納むべきものです。ところが日本の円が国際市場にだぶついているため、これから先の港々には、両替屋がたくさんおり、一ポンド十七円のところを、二十二円から二十六円までで、交換が行われております。十七円のものを二十五円で売れば、もうかることは事実ですが、それは国家に対する背信行為ですから、ポンドのあまりを円に替えることをしないで下さい。それで、みなさんは日本に着くまでは、もう円が要らないでしょうから、私が全部それをあずかります。持っている円を全部袋に入れて、金額を書いて、私にさしだして下さい。」

 持っている円を取上げたところで、ポンドを両替するのを防げるものではないが、甘粕にはまだ甘粕の考えがあるだろうと思って、私は黙っていた。みんな甘粕の命令に従って、袋に円を入れて、彼にさしだした。

船がポートサイドを過ぎて紅海に入るとや、甘粕は私のもとに来てこう言った。
「驚いたものです。あれほど言ってあるのに、ポートサイドで二十二円で円に替え、船の郵便局から妻子に宛てて送金したものがあるのです。私は郵便局に行って調べて来ました。それは鮮系の使節団員です。」

私は司法官を七年間勤めたが、甘粕ほどの勘をもっていなかった。これは彼が憲兵だったからではなく、人間性について、異常な臭覚をもっているためであった。

 ************

   続く。
 
 
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突然ですが、私のブログと相互リンクをしていただけましたらと思い、コメントさせていただきました。
http://seo.link-z.net/yumeni2009/link/register
こちらから登録する仕組みになっています。ご迷惑でしたらすみません。よろしくお願いします。
lit
【2009/11/23 14:13】 URL | 相互リンク #0eGhl/No [ 編集]


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