カウンター 読書日記 ●『満州国の断面―甘粕正彦の生涯』 (1)
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●『満州国の断面―甘粕正彦の生涯』 (1)
                         満州国の断面_1


 ●疑史 (第62回) 甘粕先生FMニ入社 で触れられていた、●『満州国の断面―甘粕正彦の生涯』 の紹介を始める。

 ***************


近代社 昭和31年9月10日 \230

茨城県立図書館


*************** 


 ★<目  次>


辻政信のえがいた波紋
嫌いな人物菅原道具
三十分で手を打つ
用件は三分間に
悲しい時に旗行列
大杉につながる両雄
お好きなレコードをかけましょう
日本人をなめるな
シンガポールでは船から釣
ドウチェと甘粕
勲章を返す専門家
大切な史料をなくす
ローマ王毒殺説
フューラーと甘粕
財閥を使いまくるナチス
ダンチヒの廊下を通る
映画会社ワーファを見る
ほら馬鹿が来ましたよ
憎まれたらやり切れない
岸流兵法の第一課
粉骨砕身は美辞麗句
李香蘭の月給は二百五十円
二重橋の前で一升徳利
妖気にあてられる
発財(フアーツアイ)!発財!
グランド劇場の前でニヤリ
岸流兵法の第二課
メロンと爆弾
鮎川なら資金は出る
いよいよ降参内閣
腰抜けの軍人はご免
木箱一つに百万円
最後 職場で
硯箱の下に遺書
右を日人、左を満人
甘粕正彦の解剖
 甘粕観のまちがい
 私の甘粕観
 甘粕の生き方
 甘粕の性格
 大杉事件起らざりせば
 
大杉事件の真相
 大杉事件あるいは甘粕事件とは何か
 日本陸軍の秘密
 上からの命令か
 殺害方法の不自然
 寺子屋を開いて藤山にささやく
 結論

甘粕正彦小伝

 以上、<目次>。

*************

 まず、興味深い一章から。


●大杉につながる両雄 (p35)

正彦、豊彦と食を具にすること
甘粕絶えず身辺を警戒 


 昭和十三年三月、賀川豊作が満鉄に招かれて満洲に来た。当時満州国には会作社運動、日本式に云えば産業組合運動が始まっており、産業部(通産省、農林省に当る)では五十子巻三という
官吏がその中心をなしており、協和会中央本部でもこの問題に力を入れていた。そこで賀川豊彦を協和会に呼んで懇談会をしようということになった。私は新京の日本キリスト教会の長老をしていたので、使者に立つことになり、協和会からの招待状をもって賀川豊彦を中央ホテルに訪問し、初めて彼に会った。

 賀川は私の顔を見るや、自分はこの宿を引払ってあなたの家に泊まると云い出し、その晩から二晩私の家に泊まった。それが縁になって今日の私と賀川との関係ができたのであるが、賀川は協和会の申入れを快諾して、協和会館の会議室で甘粕、五十子を初め、政府、協和会の首脳部と合作社問題について会談した。

 賀川は矢つぎばやにいろいろな質問を発した。合作社の社員は全国では何名いるかと尋ねたが政府側は人数がわからないと答えた。人数のわからないような合作社運動ではまだだめだと賀川は言った。合作社法を作って上からおっかぶせたばかりで、部落の居住者全粕を社員にするという政策をとっていた頃であるから、社員数はわからなかったのである。

 賀川は農業保険の必要性を強調した。保険制度は生命保険にしろ、損害保険にしろ、資金の都市集中を来たし、農村の資金を都市の施設のために奪ってしまう。これは資本主義の害悪であるから、合作社による農村保険制度を確立し、農村の資本を農村に還元して災害の保険となし、また農村の施設を作らせなければならないと主張した。

 会議がすんでから甘粕は「賀川の農村保険論は大した見識です。満洲国では、これを実行しなければなりませんね」と言った。

 その晩公記飯店で協和会主催による賀川の歓迎会を開いた。メインテーブルには甘粕と賀川が並んで坐り、私は二人に向って席をとった。

 いつもなら日本の料亭で、酒を飲み、芸妓をはべらしてさわぐ甘粕が、賀川のそばで行儀よくしているのだから、一寸しゃちこばった気分であった。甘粕の従姉・甘粕なべ子がキリスト教の伝道者であることを話題にして、賀川は甘粕と語ったが、話ははずまなかった。

しかし私自身はすこぶる愉快だった。豊彦、正彦と二人とも名前に彦がついており、経歴も性格も相違しているのも面白いし、賀川は若い時大杉と親交があり、大杉はよく賀川を訪れて本を
借りに来たそうだから、賀川は殺された大杉のことを思い、殺したといわれている甘粕のそばに坐って感慨が深かったにちがいない。

 甘粕の傍で働き、いっしょに料亭へ行って飯を食うことが多くなると、彼の挙動に具常なものがあることに気がついた。それは普通の人にはわからない微妙なことである。彼が部屋に入るため、ふすまやドアを開ける時には、私たちがするようにいきなりガラガラと開けることをしない。まず襖の前にちょっと立止まる、半秒か一秒の間、まるで祈るかのような静かな態度をし、心持頭を左右に振る。ほとんどかわらないほどの微動である。それから襖を開ける。

 初めはこれに気がつかなかったが、後をついて歩くと、どこでもそういう態度をとるので、なぜこの人はこういうことするのかと考えるようになった。武勇伝を読むと、武士は塀を乗りこえる時に、塀のこちら側から向側へひらりと飛びこむようなことはしない。一度塀の上にのぼって中をのぞき、安全であることを確かめてから降りるのが武道の心得だそうであるが、彼の態度はどうやらこれに似たものであることがわかった。つまり物蔭に彼を害する敵が居ることを警戒しているのである。ガラッと襖を開けて暗殺者にやられるかもしれないという危険を常に彼が感じていたので、身を護るために一瞬立止まり、襖のむこうの気配をうかがって、安全なのを確めてから開けるのである。

 彼を狙っている敵とは何であろう。最初私はこれを左翼であると考えた。大杉を殺したことを恨んでいる人たちがあり、彼に復讐しようとしているのかも知れないと思った。それともまた左翼の勢力全体が甘粕を敵に回して阻っているのかと思った。しかしこれは考えが浅い。


 甘粕は左翼の転向者をじつによく面倒を見た。日本で治安維持法の刑を受けて出獄してきた人を、協和会本部や他の団体に世話をして入れていた。転向したとはいうが、少々怪しいと思われるものでも、彼は寛容な態度でめんどうを見た。


 だから彼の警戒は左翼に対するものではなく、国際的な暗殺者に対するものだったようである。彼は私たちの知らない国際的謀略を絶えずやっており、常に英米、中国などに敵をもっていた。この敵に対する警戒が彼の異常な挙動になって現われたのであろう。

   続く。 
 


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この記事に対するコメント
こんにちは
この18回の記事にとても興味を持ちましたので、勝手ながらリンクさせていただきました。紙幣発行云々のあたりから入りましたが、敗戦を自覚しながら敗戦の認識にリアリティーがかけていますね。祖国が大きな国土をもっているという体験がないので、彼らの発想そのものを理解できないのかもしれません。
【2013/10/18 14:02】 URL | Bruxelles #qXcWIg3k [ 編集]


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