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●『真贋 大江山霊媒衆』 栗原茂
■『真贋大江山系霊媒衆』 ★序章 大江山系シャーマニズムとは? <続>

 ●統一場を啓く共時性

 日本を和と仮定すれば、東西混淆の洋は南北を巻き込む遠心力のもとに、求心力が働く核心の和に集中するのが回転トルクのベクトルである。短絡的な文明史観に陥る人の通弊として、和を保つ努力が稀薄になると、和洋折衷の千切り取り思想に奔るという傾向が生じてくる。

 富国強兵を誘引する兵制改革は日清戦争の顛末情報を正確に伝えられず、抜き差しならない日露開戦も止むなき成り行きに流されたが、歴代の神格に支えられた天皇の透徹史観は常に備えを怠らない。フランス仕込みの陸軍とイギリス仕込みの海軍が橇を合わせる何ぞは夢物語なのである。光格天皇の御代を振り返り通暁すれば、すでに答は出されており、アメリカ独立戦争やナポレオンの執政などの事例を引いて多くを語る必要はあるまい。

 光格天皇は神変大菩薩の諡を贈号して役小角シャーマニズムを蘇らせた。さらに約四〇〇年にわたって途絶えた石清水八幡宮や賀茂神社の臨時復活祭なども挙行した。東京遷宮の強行さえ超克する神格天皇ゆえ、祐宮兼仁(ともひと)親王(光格天皇)と同じ称号の祐宮睦仁親王(明治天皇)が新開を啓く奥義も、相応の未来透徹から生じている。

 すなわち、祐は「う」を「示す」天子の真事を顕わす表意であり、連続性を断つ局面のとき、天子が超克の型示しで民心一つに纏め上げる振る舞いから、霊言「あおうえい」五十音図をフル活用する意を潜ませるのだ。

 統一場を啓く共時性は開かれた空間に顕われて、素元の因子が恒久リサイクル・システムにより、分子結合構造を成すが、分子の結合法すら弁えない閉じられた空間では、霊言五十音図の原義を勘違いして外来文字と結ぼうとする本末転倒さえも起こる。例えば、漢字「安」から霊言「あ」が生まれたように勘違いして、分子構造「安」の還元論から素元「あ」を突き止めようとするのだ。この還元論が似非教育の病巣であり、実証現場を知らない文学の仮説が史観の原義を狂わせている。

 ●大江山系シャーマニズムの留意点

 光格天皇による神変大菩薩号贈号で蘇るシャーマニズムは吉野(金峰山)に根ざしている。御所の消失で聖護院三年間の仮御所生活をした光格天皇の神意によるが、東京遷宮の暴挙を犯した人意は大江山系シャーマニズムを編むと兵制に基づく擬似天皇制を仕立て上げた。これが役小角らの呪術的伝承とともに、似非の神を奉じるユダヤ病ウイルスの増殖と重ね合わさり、日清開戦や日露休戦を通じて広く大陸各地に拡散していく。似非教育下で巣立つ純心の傷には慈悲の念を禁じ得ないが、展開図法による擬似立体史観では総合設計が成り立たず、結局は部分接合が仮説の重ね着となり、本義の立体史観である共時性を伴う統一場は完成に至らない。

 筆者は落合(井口)莞爾の純心を深く愛して、その史観設計に取り組む努力に多大の敬意を表するも共振は得られない。なぜ落合を引き合いに出すかというと、善くも悪くも、落合ほどの大仕事を成し得た生き証人はおらず、ニギリ・ホテン・トバシの渦中で純心を失わず、自ら稼ぎ出す多額資金に溺れず、歴史の焼き直しに献身的努力を怠らないからである。

 惜しむらくは最高学府に巣くう性癖を拭いきれず、思考回路が構造不全のまま情知が先んじるため、実証現場の意を整えきれず、共時性を伴う統一場を形成できない。

 しかし筆者は井口に期待している。人の本能的属性は純心を失わなければ、必ず瞬時の閃きによって覚醒したうえ、積み上げた素養が役立つ時が必ず訪れよう。それが純心の本義だからである。落合が誤る還元論を改めたとき、筆者も井口と場の共時性を保ちながら意の共振状態を形成するに違いないと期待している。

 本稿では落合説を根幹から揺るがす因子の不全を時に指摘するかもしれないが、現行下の状況では落合説の誤謬を質す次元ではない。
 
 さて、大江山系シャーマニズムの留意点であるが、出口家また大本教幹部の編む史料も所詮はオカルトロマンであり、落合説も含め密教を解くような文法では、迷路を彷徨う仮説を重ねるしかあるまい。

 ●大江山系シャーマニズムとは

 大江山系霊媒衆がなにゆえに近代に出現したのか。その要諦を禊祓(みそぎ・はらい)すれば、役行者は時空の伝道師であって、その託宣は上古の代に使い古された言質を繰り返して、場の非時性を訴えるだけの求道にすぎないことが分かる。

 つまり、新開を啓くものなどは何もなく古語を新語に置き換えて、単なる時代的徒花にも均しい亜流の増殖を拡散させるだけの存在にすぎないと言わざるをえない。

 落合が解読した『吉薗周蔵手記』は労作であり、生ける屍が政官業言に跳梁していく近現代史を描いており、大江山系シャーマニズムを解く仮説では出色の著作と言えよう。

 むろん、詮ない個人情報には限界があり歴史の真事に通じないが、大江山系シャーマニズムの問題提起としては、他に類例のない設計パーツを揃えていると評価することができる。

 大江山系シャーマニズムの本質は、本筋を外した亜流であるところにあり、政策に綾なす徒花として咲きほころぶ現象にすぎない。

 光格天皇の神変大菩薩は純血皇統に立脚する聖地(結界)に根ざすのだが、亜流の大江山系霊媒衆は混血の統御に立脚するため、更地(俗界)を紡いで繕う版図(ロードマップ)に重点を注ぐことになる。

 人類文明最古の皇紀暦を刻む日本史が何ゆえもっとも遅れて記紀を編んだのか。それは人類の知を剌激して已まない問題であるが、捉え方を誤ると、記紀も単なる物語でしかなくなる。

つまり、大江山系シャーマニズムのような亜流は須佐之男命(すさのおのみこと)を尊崇するが、スサノオは総じて神話の主役であり、ワンワールドを企んで勇躍するコスモボリタンたちが奉ずる似非の神に共通する。

 記紀がスサノオを主神とするのではなく、そのスサノオを窄(たしな)める天照大神を中心に定めるのは深い理由あってのことであり、最古を刻む皇紀暦が記紀編纂を遅らせた理由でもある。

 考古渉猟は情知を刺激して已まないが、記紀の解読すらいまだ暗中模索の状態であり、過去と未来とを透徹する基礎校本に成り得ていない。ここに、大江山系シャーマニズムを解く意義があるのであって、その意義とは現行下の妖怪変化に対抗して自らを強化し、欺し欺される生活から脱却する素養を磨く土台を整えることにある。

 例えば、大江山出自の大本教教団が衰退すると、現行下の徒花に相当する創価学会のような新興勢力が出現して、際限ない宗教ビジネスを目指す妖怪が霊媒衆を食い物にしていく。つまり、大江山系シャーマニズムを題材として過去と未来を透かすと、地名の大江山は単なる象徴にすぎないが、その歴史はやがて室町幕府を滅ぼすことになる鉄砲伝来に通じて世界史全般に及んでいくのである。

 ●八紘為宇の誤訳

 日本書紀の(*巻第三)神武即位前己未年三月に「兼六合以開都、掩八紘而為宇」とあり、この紀の記述に基づいて<八紘一宇>なる語が生まれ、これを大日本帝国は海外進出の口実として、軍国主義を高めるスローガンに掲げたという通釈一般説がある。

 また「宇」は家をイメージしており、「八紘」つまり地の果てまでを一つの家のように統一支配する野望を秘めた語であるとか、あるいは元来は日本国内を一つに纏める必要があって生まれた標語だったとか、「八紘一宇」という語の解釈は様々あり、国際社会でも広く物議を醸す言葉となっている。

 しかし、日本書紀の記述はあくまで「八紘為宇」であり、「為宇」と「一宇」とではたった一字の違いながら、意味するところが微妙に、そして深く違ってくる。

 大江山系シャーマニズムは近現代を司るロードマップに荷担し、その影響力は国際社会にも通じて、生ける屍の増殖拡散を促している。近代オリンピックと称する五輪大会は、金・銀・銅のメダルを競い争う運動会で人の本能的属性を露わにするが、学芸を競い争うノーベル・ショーも金・銀・銅の物性を論じる分野に力を注いでいる。

 記紀は三種の神器として鏡・玉・剣の機能性を論じつつ未来透徹の禊祓を説くが、似非の神を奉じる文明史観は誤訳を恥じずに、勝手な仮説を講じて共時性に伴う場の歴史を破壊していく。大義名分の演出を問えばキリないが、その核心は神の正体を掩蔽するものであり、神々に肖(あやか)ろうとする人の本能的属性が為せる業に支配される。

 脳内を狂わせる周波数を使うテレビ機器が出揃うころ、仏文学一九二〇年代末の流派としてポピュリズムと嘯く「立体的平面思考」が普及していく。例えば球は立体であるが、球を平面化した円に準(なぞら)え中心を描く設計があり、楕円の場合は中心点二つだから、集束も一つではない。それと同じように、真理は複数の場合もありうるとして、物質リサイクル・システム恒久化原理を否定する愚昧も出てくる。

 「八紘一宇」というスローガンも同様の思考不全から生じており、それらは大江山系シャーマニズムの影響であり、未来透徹が求められる現在において、記紀解読の誤謬を正すのは急務なのである。

 ●天気予報を嘲笑う気象攻勢

 現行下の社会を透かそうとすれば、共時性に伴う場の歴史を整える必要がある。人の違いが五十歩百歩とは、国連の井戸端会議でも立証されており、環境に伴う族種の異質性を訴えて部分を論じても詮ない話にしかならない。

 もともと生命は安定しようとする要求をもち、不飽和の状況下では要求度も低いが、飽和状態に陥ると要求度が高まり、様々な手段を講じて淘汰も辞さない現象を歴史に刻むのである。

 朝令暮改の天気予報を嘲笑うかのように、近年の気象は文明の如何に構わず、その脆弱性を露わに暴き出している。土石流に巻き込まれ事物損壊する様は言うまでもないが、気象は元気・病気など含めて気を象るものであり、気は圧を受けて変わり、不飽和が飽和に転じるメカニズムとも通ずる。文明は神の正体を暴き出すため苦心惨憺しており、天体を地球から観測する術を磨くと、宇宙船を放ち地球を観測する段階にまで達したが、情報は未だ神の正体を見極めていない。

 前項で「神の正体を掩蔽する」と馴染みの薄い語を用いたが、これは地球から天体を観測するとき使う語であり、掩蔽(occultation)とは通過(transit)や食(eclipse)に比べて、近い天体が大きく見えて遠くの天体を完全に覆い隠すとき使われる。

 因みに、通過は日面通過の略であり、天体による見かけの大きさが、遠くの天体より小さく見えるときに使うが、例えば、水星や金星など惑星が太陽面を通過していく様を指している。また食とは特定の天体が別の天体にできる影に入って隠れる様をいう。

 だが、この「食」なる用語が情報化されると、まさに神話スサノオ文明を象徴する解釈論となって、大同小異を伴いつつ大江山系シャーマニズムとも通ずることになる。つまり、朔望時に目視可能な現象で月食また日食という語は広く使われるが、月食は兎も角として、日食などありうるはずがない。月は太陽と地球の間を移動して、陽光を遮り地球一部に自らの影を及ぼし、太陽を食したような錯覚を生じさせるが、錯覚するのは人の都合で、月には何の責任もない。実証現場ではすでに日食を掩蔽と正している。

 ●神話スサノオ伝説の文明概略

 古代四大陸文明を基準とする仮説を究めていくと、文明の一般論は総じて神話スサノオ伝説に集束されて、記紀編纂が何ゆえに後発であるかの理由も定まり、陽光アマテラス祭祀の意義も、そして月光ツキヨミ輔弼の義も明らかになり、畢竟してスサノオ文明が電光(雷光)を放つ理由も解けて、未来が透けてくる。

 気象攻勢による土石流が暴き出した情報量は膨大であり、それは気象操作基地(アラスカ州ガコナ)の隠匿情報まで普く知らしめるに至った。記紀を参照しつつスサノオの伝承を引き継ぐ文明を実証的に検証してみると、通説の大陸文明すなわち大河・車輪・金属を利用する点で共通する歴史に転機が訪れるのは、非時性を同じくしながら場の歴史で大陸文明に優るとも劣らず、完全に異なるマヤ文明を掠奪してからである。

 以後、侵略文明は異質文明に関する情報の隠匿を徹底するため、マヤ文明本拠地・ユカタン半島の破壊を敢行すると同時に移転先を定め、「メシカ」と自称したアステカを再現して擬似文明体制を仕立て上げた。

 いま、カテリーナやグスタフなどと名付けられるハリケーンによって天誅が降されるのは、侵略文明に対する戒めであり、いかなる時代にあっても常に難儀を祓うのは神である。こうした現実を含め、「神とは何ぞや」という問が解けなければ、未来を透徹するなど不可能であり、霊媒衆の筆先に降る位相も単なる幻想で消えるだろう。

 これら実証考古の事物を透かすのが記紀であり、それは不飽和を保つ神世に始まり、飽和状態に陥る人世を救う禊祓の原義を活かし、神武天皇即位を皇紀元年としている。

 而して、以下の年代表記には皇紀暦を主に用いて、便宜的に西暦を括弧内に記すことにする。その理由は共時性に伴う場の歴史を基準にして記述を進めたいからであり、実証考古から導く教本に記紀は必須であり、世界最古の暦に基づかなければ、歴史が千切れてしまうからである。

 *****************

   ★ 序章   <完>。
                      
 


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