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●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(32)-2
 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(32)-2
  ― 彷徨える至宝の古陶磁「奉天秘宝」の数奇な運命


 ★大谷光瑞師の壮大な文化工作倣造人脈はほとんど本願寺系


 奉天秘宝の倣造計画を進めた上田恭輔は、満鉄本社内に一種の権力を有していた。張作霖が奉天秘宝を取得した直後、まだ売却話も固まらない段階で、上田が満鉄中央試験所に窯業科を新設させ、満鉄の予算を用いて倣造を始めたことでもそれは分かる。秘宝戦略の目的がただ金儲けのためであるのなら、倣造なぞ最初から必要なかった。本物の信用と価値を落として所有者の利益を損ねる倣造は、将来の所蔵者を探す作業である換金工作とは確実に矛盾する。秘宝収奪に当たり張作霖の配下となった上田が、買手も決まらぬ段階で倣造を実行したのは、要するに張作霖には真の処分権がなかったからである。つまり倣造は張作霖を超えた真の権利者からの命令であった。秘宝を用いた戦略として、換金よりも倣造を重視した、真の権利者が誰であったかを探るために、秘宝収奪前後の経緯と登場人物を考察してみる。

 日露戦争中、満洲軍総参謀長・児玉源太郎大将の側近として陸軍奏任通訳(佐官級)を務めた上田恭輔は、戦後児玉の依頼でイギリス東インド会社を研究して満鉄の青写真を描いたとされ、大連の満鉄本社に入って総裁特別秘書となった。一方、西本願寺法主の大谷光瑞師は、イエズス会を手本にしたかヴァチカンに倣ったのか、とにかく国事熱心が過ぎたため、大正三年西本願寺の全役職を辞す羽目になるが、以後も大連を本拠として国事に邁進した。光瑞と上田の関係の端緒は未詳だが、大連の邦人社会で両者の親交は必然で、光瑞が上田の著書の序文を書く間柄になった。

 倣造親場の中心小森忍は、真宗大谷派本覚寺の住職藤岡秀夫の子として、明治二十二年に大阪市で生まれた。天王寺中学から大阪高等工業窯業科に進み、四十三年卒業して堺煉瓦に就職したが、間もなく京都市立陶磁器試験場に移る。陶磁器を一見しただけで釉薬☆の科学方程式が浮かんだという異才を謳われた小森の経歴は、西本願寺末光徳寺の住職の子に生まれ、北野中学時代から画才で知られた佐伯祐三と良く似ており、真宗門下の人材を漁った大谷光瑞師の眼に留まって当然である。小森の長兄・了淳が大谷大学の学長になり、その子の藤岡了一が住職を兼ねながら本邦有数の陶磁学者となったのは、佐伯祐三と父祐哲・兄祐正の関係を彷彿する。

 倣造計画の立案者は光谷光端師であったと私(落合)が臆断する根拠は、倣造関係者と古陶磁研究者が全員本願寺系人脈ということの他にも、購入資金の出所がある。紀州家の奉天秘宝購天は大正十三年に纏まるが、『周蔵手記』には「紀州家は銀行から三百万円借りたうち二百五十万円を出したが・・・最終的に張作霖の懐に入ったのは七百五十万円」と記す。その意味を永年掴みかねていたが、近来仄聞したのが次の言葉である。「張作霖の例の焼物ですが・・・あの時には紀州家の金では足りず他からも足したので、一部はそこの所有でもあるのですよ」と聞いて、翻然覚る所があった。「その資金は、少なくとも表向きは光端師の資金では?」と反問したら、無言の肯定と受け取れた。つまり、表面上の買手紀州家が全額を出したわけでなく、残りは光端師が管理する特殊基金から出たというのである。

 これは、光端師が当初から秘宝戦略に絡んでいたから、そうなったものと思う。以下は推測だが、愛親覚羅氏から奉天秘宝の処分を託された堀川辰吉郎は、支援者の京都寺社勢の中心人物たる大谷光端師に相談を持ちかけた。時期は大正五年の秋ころであろう。主旨は奉天秘宝を日本の富豪に買わせることで、光端師はいろいろ考えた上、単なる物品売買でなく国策協力として、買手に倣造を承諾させ、代償として倣造品ないし倣造利益の配当を与えるというような案を立てたのではないか。軍事戦略的には最優先であるべき倣造工作を後回しにして、わざわざ倣造を優先した理由は、大谷光端師の壮大な「文化工作」と観る外はない。そのことは後稿で追求したい。


 ★紀州徳川家の奉天来訪 模造を先行させた理由


 奉天秘宝の買手に指名された紀州家は、大正六年の夏、世子徳川頼貞と財政顧問上田貞次郎が、下見のために満洲に赴いた。『上田貞次郎日記』の七月三十一日条には、赤塚総領事の案内で奉天北陵を訪れたと記すが、北陵の番屋に隠されていた秘宝に関する記述はない。八月七日条には、大連の満鉄窯業試験所を訪れて平野耕輔に会ったと記す。平野の傍らには六月に来たばかりの小森がいた筈であるが、その記述もない。これは当然で、そもそも『上田貞次郎日記』は貞次郎が自らのアリバイ作りが目的で記していたものだからである。ともかく満鉄窯の見学は、紀州家に倣造計画を理解させるためで、平野・小森がお目見えして試作品を見せたのであろう。しかしながら、紀州家は諾否を明らかにせず徒らに決断を引き延ばし続け、結局大正十三年暮れに至って購入を実行した。購入を遅らした理由は色々あるが、資金問題が絡んでいたのは当然である。

 東京高工窯業科長だった平野が、直接面識もなかった大阪高工卒の小森を、評判を聞いて抜擢したという巷説が専らだが信じがたい。二十八歳の若手技手・小森忍は、仲間内はともかく業界での評判が確立していたとは思えない。この真宗寺院の息子を満鉄の窯業科に送り込んだのは、本願寺の計らいと見た方が自然ではないか。それならば上田恭輔が換金工作を後回しにして倣造工作に邁進したのも光瑞師の指令と見るべきであろう。更に、小森の甥の藤岡了一が本覚寺の住職を継ぎながら、わざわざ陶磁学に走った筋道も理解できる。上田・小森の倣造窯は満鉄中央試験所に始まり、その後は小崗子窯業試験場、合山屯窯、瀬戸山茶窯と転々したが、昭和十六年になり、満洲の支配者甘粕正彦の支援と木村貞造の出資で創立した佐那具陶研は、正にその集大成であった。

 佐那具陶研の創設者・木村貞造とは何者か。
 『小森忍の生涯』を著した松下旦が、「大阪の富豪」とだけしか記さないのは、何も理解していない証拠である。東本願寺の近隣「間之町通り廿人講町」に籍を置く木村家は、代々本願寺の財務を務めてきた家筋である。木村が、大谷探検隊の発掘品を表向き全品買い取り東京国立博物館に寄贈したのも、家職を遂行したに過ぎない。だが、第二次大戦冒頭のシンガポール攻略に際して世界最初の銀輪部隊を発案したのは木村貞造であった。現地人の協力を取り付けた後方支援により、要塞陥落を成功に導いた壮挙こそ本願寺特務の面目を遺憾なく示したものである。光瑞師直下の木村貞造が佐那具陶研を創立したことは、上田・小森の倣造工作がもともと光瑞師の指示であったことを明示している。小森の実家の寺は東本願寺系だが、裏の分野では東も西も光瑞師の隷下に在った事は、他にも例がある。

 倣造工作に関与した本願寺系人材は他にもいた。明治十五年に京都に生まれた薬学博士・中尾萬三も光瑞師の配下であった。東京帝大薬学部を出て関東都督府中央試験所(後の満鉄中央試験所)に入るが、漢方薬の権威として釉薬にも詳しく、小森を後援した。伏見に荼室「不可得斎」を作り、自由茶道を興した中尾を後援したのは光瑞師である。

 紀州家の購入話が進まず、任務に悩む 貴志彌次郎を見かねた周蔵が、光瑞師に側面支援を求めに行くと、「君ソンナ事 心配スルコトハナイヨ。僕二任セタマヘ」と言いながら、光瑞師が紹介してくれた美男の茶坊主は、光瑞師が武庫仏教中学で鍛えた凄腕の本願寺特務であった。深川の寺の次男で姓は菊池らしいが、貴志と周蔵は二代目照小森と呼んだ。光瑞師が宮中を舞台にした茶会に徳川頼貞を招き茶を献じさせた処、忽ち気に入られて紀州家に召されたので、頼貞の父頼倫の俳句仲間で君寵を得ていた照小森に因んだ名前である。二代目照小森は、頼貞に購入決断を促した。そこで資金問題となり、紀州家の資金では足りず、結局光瑞師が自ら管理下の基金を充当したのであろう。光瑞師が当初からその基金をアテにしていたのかどうか不明だが、その覚悟があったからこそ、倣造を先行させる秘宝戦略を立てたものと思われる。本願寺系の人材を相次いで倣造工作に投入した光瑞師が、自らも古陶磁研究に没入し、陶磁書も何冊か著すほどに心魂を傾けた。これは所詮倣造工作から生まれた因縁で、いわゆるミイラ取りがミイラになったわけである。  

 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(32)   <了>。                      
 
 ****************


 ☆釉薬(ゆうやく、うわぐすり、釉、上薬)
とは、陶磁器や琺瑯の表面をおおっているガラス質の部分。陶磁器などを製作する際、粘土等を成形した器の表面にかける薬品のこと。粘土や灰などを水に懸濁させた液体が用いられる。(→ウイキペディア)
 

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