カウンター 読書日記 ●岩屋天狗と千年王国 <24>
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●岩屋天狗と千年王国 <24>
                          インド・ユダヤ人の光と闇_1
                          ヒトラーの教皇_1



 『ザビエルの同伴者アンジロー』の紹介も長くなったが、最後にアンジロー書翰、
 度々論じられる有名なアンジロー(ヤジロウ)の自己紹介的書簡についての興味深い一章を読んでみる。
 

 ■アンジロー書翰

 ・・・中略・・・


 ★過去の翻訳の問題点
 
 本書翰は過去七〇年間にわが国で四回翻訳され、キリシタン史の開幕を飾る書翰として、また日本人がポルトガル語でアルファベットを用いて記した最初の書翰として知られてきた。私も作者がアンジローで、使用言語がポルトガル語であると信じて疑わなかったが、アンジローの生涯を調べる必要上、念のため現存する本書翰のマイクロ・フィルムを南欧三カ国から取り寄せた。その結果、原本が現存しないことから、原本とほぼ同時期に作成された四写本が手元に集まった。これらの写本を比較対照すると、いろいろなことが分かってきた。意外なことに四本ともポルトガル語ではなく、すべてスペイン語で書かれていた。原本がポルトガル語であるとしたら、本国ポルトガルに残す二本までがスペイン語であることは不自然である、と直感した。さらに事実として、アンジローがスペイン語を学んだ形跡はまったくないことから、今まで言われてきたように本書翰の作者がはたしてアンジローなのか、という疑問が生じてきた。そこで私は四写本中、書体から判断して、最も古いと思われるポルトガルのアジュダ図書館蔵写本(ジェズイタス・ナ・アジア部四九-Ⅳ-49、二葉裏~六三葉裏)をテキストとして翻訳していく過程でさまざまなことに気づいた。

 ★書翰の構成と内容分析

 説明の関係上、まず本書翰の構成を述べておこう。本文は上述の書翰中に示したように三部から成り立っている。第一部はイエス・キリストヘの信仰によって得られた救いに対するアンジローの感謝、第二部は曰本脱出から二度の了フッカ行きを経て、ザビエルと出会い、ゴアで受洗するまでの体験、第三部は神の恵みに対するアンジローの感謝とザビエルの曰本布教への協力表明と支援の要請であ これらの各部分を詳細に検討していくと次のような新たな事実が分かってきた。
 第一部は書翰の導入部分であるが、そのほとんどすべてが聖書の語句からなっている(その出典はすでに先学によって明らかにされている。このことから作者は常曰ごろから聖書に慣れ親しみ、自然に聖句が口をついて出るような教養の持ち主であること。
 第一部から第三部までに使用されている語彙は豊富で多彩であり、文体は文中に分詞構文や接続法が自由に用いられ、ヨーロッパ人の発想にもとづく完全な文章体であること。
 第二部はアンジローの体験であり、この内容はザビエル書翰(一五四八年一月二十日付コーチン発)に記されているアンジローにかんする記述と一致すること。

 以上から、私は作者・作成過程・使用言語・史料的価値について次のように考える。

 ★アンジロー書翰への新見解

 作者は従来よりアンジローと考えられてきたが、現存する写本がすべてスペイン語であること、第一部の導入部分の聖句の引用、語彙の豊富さ、文体などから、アンジローではなく、聖パウロ学院において彼の指導者であったスペイン人のパードレ・コスメ・デ・トーレスと考えられる。

 作成過程として、トーレスはアンジローがみずからの体験(第二部)をポルトガル語で下書きしたものにもとづき、第一部と第三部を加えて作成し、アンジローが最後にサインしたと考えられる。
 使用言語はトーレスの母国語であるスペイン語であり、原本はスペイン語であったろう。

この原本から写本がただちに作成されたので現存する同時期の写本がすべてスペイン語であると考えられる。

 史料的価値について、本書翰の実質上の作者はトーレスであるが、第二部はアンジローの体験にもとづいており、このことはザビエル書翰からも裏付けられるので、信憑性が高く、史料的価値が高いこと、第一部と第三部は直接アンジローが書いたものではないがアンジローの立場に立って彼の高揚した気分を代弁したものと考えられること、などからともに史料として十分活用できる。

 現在までわが国で本書翰がアンジローによってポルトガル語で書かれた、と信じられてきた理由は、
 ①ザビエル書翰にアンジローは八ヵ月でポルトガル語の読み書きを学び、ロヨラ宛に詳しい内容の書翰を書いたと記されていること、
 ②過去四回和訳されたが、そのテキストが一五九八年ポルトガルのエヴォラで出版された『イエズス会日本書翰集』(いわゆる「エヴォラ版」)であり、同書の表記がポルトガル語であり、当然アンジロー書翰もポルトガル語であったこと、などの理由から、今まで作者や使用言語にかんしてあえて詮索されなかったからであろう。

 ★エヴォラ版の削除箇所

 今回、エヴォラ版アンジロー書翰とアジュダ写本を比較対照していたとき、エヴォラ版に一カ所重大な削除箇所を見出した。この内容はザビエルとアンジローがマラッカで出会う前に、すでにポルトガル商人がアンジローにゴアの神学校である聖パウロ学院へ行くように勧めていることである。このことはサビエルによる日本開教のいきさつとポルトガル商人の役割を再検討するきっかけを与えてくれた。
 次にこの「アンジロー書翰」をもとにアンジローの前半生を明らかにしてみたい。

 *************** 
 

 アンジローの「前半生」とは、当然一五四八年十一月二十九日附けイエズス会総長・ロヨラおよび同僚宛ての書簡をもとに推察していく「作業」なのだが、次回からは↑の写真の
 ★『インド・ユダヤ人の光と闇』に(主に)拠りながらザビエルその人、時代、ザビエルと「ヤジロウ」との出会い(また「ヤジロウ」に戻す)をみていくことにする。
 (『インド・ユダヤ人の光と闇』 徳永恂・小岸昭 新曜社 2005年7月。)

 ただし、その前に●疑史 第56回 と ●吉薗周蔵の手記(29) の紹介をしておきます。
 

 
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