カウンター 読書日記 ●岩屋天狗と千年王国 <20>
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●岩屋天狗と千年王国 <20>
                           ザビエルとヤジロウの旅 大住広人_1


 ところで、この大内義隆との面談を「仲介」した「ある身分の高い貴人」とは誰なのだろうか?

 窪田一志氏は、「これは弥次郎(ヤジロウ)をさすものと思われる」と言う。
 (『岩屋天狗と千年王国』下巻 p33)
 *ヤジロー=橋口弥次郎左衛門兼清=岩屋梓梁

 また氏は、ザビエルはこの山口の地で「ヤジローとの宗教論争に敗退したため、豊後大分へ移り、ポルトガル船でインドへ帰った」とも述べる。

 真偽は藪の中だが、いずれにせよ、あれほどの期待を抱いて来日したザビエルの離日の動機は不明、不可解ではある。まして、イエズス会指導者の動機としてはいかにも弱すぎるのである。

 『日本史』を続ける。 二度目の山口入りとなる。  


 *************

 
 ●第四章(第一部五章) 文庫版、p50

 ★司祭たちが山口に帰還した後、この地で成果を生み始めた次第


 メストレ・フランシスコ(・ザビエル)師、がその伴侶とともに周防の国に向かい、国主(大内義隆)がその廷臣とともに住んでいる山口の市に戻って来た時に、フランシスコ師は、特に国主の好意と愛顧に与かるために彼を訪問しようと決意した。なぜならば彼は正統な国主であって、その同意と愛顧なしには同地に住むことができなかったからである。そのためにフランシスコ師は彼に捧呈する十三の立派な贈物を選定した。それらは、次のようなもの、すなわち、非常に精巧に作られた、時を告げる時計、三つの砲身を有する高価な燧石(ひうちいし)の鉄砲、緞子、非常に美しい結晶ガラス、鏡、眼鏡などであり、その他、インドの初代司教・ドン・ジョアン・デ・アルブケルケと、別に総督ガルシア・デ・サーからの二通の羊皮紙に書かれた書簡を添えた。ところでそれらの贈物は、いずれも、当時その地方ではかつて見たこともない品から成っていたので、国主は非常な満足の意を示し、ただちに街路に立札を立てさせ、その中で、彼は、その市ならびに領国内で、デウスの教えが弘められるならば喜ばしいとも、誰しも望みのままにその教えを信じてよいとも宣言し、それを周知せしめた。同時に彼は全家臣に対して、汝らは伴天連たちをなんら煩わしてならぬと命じ、フランシスコ師らに対しては、彼とその従者が居住できるように、一寺院(パコーデ)を提供した。さらに国主はインドヘの贈答品を携えて、一人の仏憎、もしくは俗人を自らの使者として派遣することを希望した。

 メストレ・フランシスコ師がもう一度国主を訪れた際、フランシスコ師は、はなはだ大型に作られており、ことのほか豪華な挿絵入りの聖書(ビブリア)と、新しく、かつ美しく華麗な注釈書(グロザ・オルデイナリア)を携え、これらの書物の中に私たちのすべての聖なる教えが記されていると語りながら、それらを彼に示した。国主は司祭が携えた緞子の(ミサ聖祭用の)祭服を見たがった。そこで司祭が提示すると、国主は彼に着用するように願った。ところでそれは非常に国主の気に入り、彼は手をたたき、「本当に、この伴天連は、我らの神々の一つに生写しじゃ」と言った。ところで数名の仏僧が同席していた。・・・略・・・ 

 
 以降、ザビエルと数名の仏僧の対話(教義論議)が続くが、片や〔三位一体〕此方〔真言宗〕(フロイスによれば、大日如来を本尊とする宗派となる)では、論争は成立しようもない。

 「仏僧」は、ザビエルの説に始めのうちは「笑う者」もいたが、そのうち論争自体を拒否(「彼らの僧院」へザビエル一行が訪れることさえ拒否)しだし、遂には「デウスのことに憎しみを抱き始め」た。

 ザビエルは、追放・暗殺などの虞れも感じたが、委細かまわず説教を続け、名望ある内田殿とその親族が入信したことを契機に「聖なる福音はその市(山口)に弘まりはじめた。」

 琵琶法師・ロレンソ=日本で初めてのイエズス会修道士=の入信もこの時であった。

 山口での布教は続くが、ザビエルはトルレス師とフェルナンデス師の二人を留めおいて、

 豊後の国へ向った。★

 フロイスは、その理由を「福音の種子を多くの諸国に蒔く」ためと記すが、すぐこうも書いている。「(ザビエル師は)ドゥアルテ・ダ・ガーマのポルトガル船がそこ(豊後)に入港したと聞いていたのである。」★

 豊後国主・大友義鎮はザビエルについてポルトガル人達を通じて以前から聞き知っていて、対面を待ち望んでいた。

 若き国主の歓待で布教の拡大も期待できたが、ザビエルが「インドへ旅行せねばならなくな」ったので、大友義鎮は一人の使節を派遣することにし、またインドから豊後への司祭の派遣を依頼した。


 **************

 『日本史』を続ける。
 フロイス版、パウロ・デ・サンタ・フェ(弥次郎)の棄教と彼の「最後」が示される。
 


 ●第五章(第一部六章) 文庫版、p60。


 「・・・司祭が豊後を出発するに際しては、右↑の使節のほか、インドとヨーロッパを見物することを願った他の二名の日本人を同伴した。そのうちの一人はマテウスと言い、山口の出身であった。彼はゴアの学院に数ヵ月滞在した後、病気で倒れた。もう一人のベルナルドという教名の日本人は、薩摩国の出身であった。彼は善い性格の持主であり、その徳操、敬虔、およびキリシタン信仰に対する愛によって一同を教化したとはいえ、容貌はいかにも優れなかった。メストレ・フランシスコ師が(インドを出発して)シナに向かったことについては追って述べるが、彼が出発した後、このベルナルドは〔司祭(フランシスコ)が当時インド布教長であり、ゴアのサン・パウロ学院の院長であったメストレ・ガスパル師に残して行った命令に基づいて]、アレシャンドゥレ・フェルナンデス修道士の伴侶として、彼とともにポルトガルヘ派遣され、聖父(ローマ教皇)の御足に接吻するために、そこから一行はローマに赳いた。彼は同所で目撃したもろもろのことにいたく感動した後、ポルトガルに戻った。そしてそこで病気となり、我らの主に召されて他界した。


 パウロ・デ・サンタ・フェ(弥次郎)が最後にどのようになったか。
を知りたいと思うのも当然である。それは人知の及ばぬ、計り知れないデウスの御裁きについて私たちの心に少なからぬ驚嘆と怪訝の念を生ぜしめずにはおかぬものがある。パウロは、この未開懇の葡萄園(日本)の発見者であるメストレ・フランシスコ師に日本の諸事情について知識を与えた最初の人物であった。彼は司祭たちをインドから日本へ導いた人であった。彼は彼らにこの国の言語や習慣について教えたその人であった。彼はまったく変身し、信仰に関することどもを十分教育されてインドから戻って来、人々がその円熟みと知識に期待していたとおり、あの当時、実際に良い模範を示した。ところが後になって幾人かは彼について(譬え話としてこんなことを)言ったのである。彼は賢人たちを東洋(オリエンテ)からよく導いて来たが、彼らといっしょにベツレヘムで厩の中へ入らなかった星のようだ、と。なぜならば、彼は〔既述のように〕その妻子や親族の者にキリシタンになるように勧め、そして事実彼らはキリシタンになったが、その数年後、〔彼は信仰を棄てたのか、キリシタンであることをやめたのか判明しないとはいえ〕、いずれにせよ異なった道をたどるに至った。というのは、かの薩摩国は非常に山地が多く、したがって、もともと貧困で食料品の補給を他国に頼っており、この困窮を免れるために、そこで人々は多年にわたり八幡(バハン)と称せられるある種の職業に従事している。すなわち人々はシナの沿岸とか諸地域へ強盗や掠奪を働きに出向くのであり、その目的で、大きくはないが能力に応じて多数の船を用意している。したがって目下のところ、パウロは貧困に駆り立てられたためか、あるいは彼の同郷の者がかの地から携え帰った良い収穫とか財宝に心を動かされたためか判らぬが、これらの海賊の一船でシナに渡航したものと思われる。そして聞くところによれば、そこで殺されたらしい。おそらく彼は死に先立って自らの罪を後悔し、立派に死んだのであろう。だがそれは不確かなことであるし、私たちは彼の最期について以上の情報以外のことは何も知っていない。

 ************** 


 では、フロイス『日本史」以外の、パウロ・デ・サンタ・フェ(弥次郎)の「最後」はどのように
 記されているのか? 次に確認したい。


 因みにフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「ヤジロウ」にはこうある。

 「・・・その晩年については不詳であるが、上記フロイスの記述によれば、ザビエルの離日後、ヤジロウは布教活動から離れて海賊の生業に戻り、最後は中国近辺で殺害されたという。またフェルナン・メンデス・ピントの『東洋遍歴記』、ジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』によれば、仏僧らの迫害を受けて出国を余儀なくされ、中国付近で海賊に殺されたという(岸野久『ザビエルの同伴者アンジロー』、191-197頁。)」

  続く。 

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