カウンター 読書日記 ●岩屋天狗と千年王国 <19>
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●岩屋天狗と千年王国 <19>
 ●『フロイス・日本史』より、「ヤジロウ」に関する章の紹介を続ける。 

(一五四九年一月二十五曰付、ゴア発信、コスメ・デ・トルレス師より、ボルトガルのイエズス会修道士らに送った書簡)

 (前略)八月二十曰、本年になって初めてヨーロッパから司祭たちが到着した数曰後に、メストレ・フランシスコ師はコモリン岬のキリシタンたちを訪問に出かけました。司祭は私に、以前からしていましたように、司祭館(カーサ)に来る子供たちに聖マテオ福音書の講話を続け、毎日曜日の午後には教会において、特に新たに改宗した人たちにも同じ話をするよう命ぜられました。またメストレ・フランシスコ師は、日本(Iapao)という名の国について話されました。あなた方はその国民についての覚書とか素質について近くお知りになることと存じますが、フランシスコ師は、コモリン岬から帰れば私をかの国に伴って行きたいと申されました。秋はその申し出をさっそく承諾して、それこそ我が主の大いなる御恵みであると信じ、司祭が私に示されました大きい愛と、私を選んで下さったことに対する感謝として、司祭が赳かれるところへは、どこへなりと従って行く覚悟でおります(中略)。

 この学院にはパウロと称する一人の若者がいますが、彼は先に記しました日本という国の出身です。あなた方は彼の書簡を御覧になるでしょうが、
彼は明晰な判断力の持主で、デウス様について深い知識を備え、優れた記憶力と才能の持主でもあります。私は彼に☆心霊修行を指導することになりました。またすでに二度にわたって彼に聖マテオ福音書の説明をしましたが、二度目には、第一章から終章まで全部説明いたしました。彼はキリシタンになって六ヵ月になります。 

 註:☆心霊修行については、ロヨラ著『霊操』(岩波文庫、1995年)に詳しい。
   ☆メモ: 『クアトロ・ラガッツィ』文庫版上-p250


 本年一五四九年の四月に、私たちは日本国に向かって出発いたしますが、秋のほかに誰が行くようになるか今のところ決ってはおりません。私たちはことに二つの理由から、かの地で大いなる成果を挙げ得ることと期待しています。その一つは、彼ら日本人が、今有している宗教よりももっと優れた宗教を持つに至ることが明らかに予言できるからであります。もう一つの理由は、かの国の僧侶や修道者たちが新しい我らの教えを大いに知りたがっているという事実であります。それらはメストレ・フランシスコ師に大きい成果を挙げさせることになるだろうとの希望を抱かせるのです(以下略)。

    一五四九年一月二十五日、ゴア市のサンタ・フェの学院より。
                無益なる僕コスメ・デ・トルレス」

 *****************

 我ら、五名の司祭と六名の修道士は、一五四八年にポルトガルから(インドに)来て、ゴアでメストレ・フランシスコ師に会った。彼は日本へ渡る計画で多忙であり、同所のサン・パウロ学院には、修道士のように装った上記のパウロ・デ・サンタ・フェ(弥次郎)がいた。彼は三十六、七歳くらいと思われた。彼は我らといっしょに食堂で食事をし、修道士たちのように毎土曜日に告白をし、日曜日には聖体を拝領した。彼は二十日間以上もイエズス会の心霊修行を行ない、ついで自ら伴っていたジョアンという教名のその兄弟にもその修行をさせた。その少し前に、スペイン人のコスメ・デ・トルレス師が、ゴアで(イエズス会員に)採用されたが、彼はノヴァ・エスパーニャからマルコ(モルッカ諸島)を経由して来たのである。メストレ・フランシスコ師はトルレスに対して、バウロ・デ・サンタ・フェ(弥次郎)がデウスのことにいっそう理解を深めるよう、聖マテオ福音書の言葉の意味を、毎曰一定時間、弥次郎に説いてもらいたいと特に依頼するところがあった。ところで弥次郎は、はなはだ有能であって、聞いた人がすべて理解できる程度まで、すでにポルトガル語を話した。そして教わったことすべてに対して理解力を示し、信仰に関して聞いたことすべてを彼の曰本文字で書き留めようと努力した。そこでコスメ・デ・トルレス師は彼に二度、聖マテオ福音書を説明したが、コスメ・デ・トルレス師が書簡で報じているところによれば、彼は二度目には、第一章から終章まですべて記憶したということである。かくて彼は同所にいた六ヵ月間、ポルトガル語の読み書きを学習することに専念し、その点で学院中、彼に優る者はほとんどいないほどにまで著しく上達したし、他方、彼は自ら模範を示して人々を大いに感化した。

 一五四九年の四月、ドン・ジョアン・デ・カストゥロの後継者ガルシア・デ・サーがインド総督であった折に、メストレ・フランシスコ師は、曰本の国王ならびに諸侯の許へ贈物としてもたらすための相当な数の品を調達した後、ゴアを出発した。彼は七名の人々を伴った。すなわち、コスメ・デ・トルレス師、コルドヴァ出身のジョアン・フェルナンデス修道士、パウロ・デ・サンタ・フェ(弥次郎)、その兄弟ジョアン、およびアントニオという名のパウロの日本人召使い(criado)、また二名の従僕(mossosu)で、一人はアマドールというマラバール人、他はマノエルというシナ人であった。

 当時はまだ日本への航海は定期的に行なわれておらず、ザビエル師はマラッカに至った際、そこには日本へ乗せて行ってくれるようなポルトガル船を見出し得なかった。だがこの企てに対する彼の願望は非常なもので、その心には日本人の霊魂を救いたいという聖なる熱意が激しく燃え立っていたので、彼は自ら危険に曝されていることも忘れ、一人の異教徒のシナの海賊に身を託した。この海賊は、マラッカの司令官ドン・バウロ・デ・シルヴァに対して保証金を支払い、司祭たちを年内に日本へ連れて行くことを約束した。彼はマラッカで世帯を持っており、アヴァンと称した。 ・・・以下略・・・

 **************


 〔註〕


 フロイス・『日本史』を続ける前に、言わずもがなかも知れないことだが、いくつか確認しておきたい。

 この大航海の時代、日本はといえば戦国時代の末期で下克上の時代、戦争は日常茶飯事、武力が全てで命の軽さが突出した時代であった。

 こういう時代に期待さるべき宗教(仏教)界もその莫大な財産を戦争に費やしていて、「慈悲」も「祈り」も放り投げられてれていた。

 後にフロイスも記しているが、イエズス会はその日本、日本人批判として、主に次の三点を挙げた。

1 偶像・物質崇拝

2 男色(武将・僧侶)

3 堕胎や「子殺し」、棄児(捨て子)、「間引き」
  (一般に、避妊の知識はない。)

 しかし同時にフロイスは、打ち続く戦争が生んだ物価騰貴と飢饉により、「・・・男も女も痩せ衰え、目を窪ませ、色つやを失った黄色い顔をしていた。この土地の荒廃と困窮は死の絵姿ないしは描写であった。人々は食べ物を求めて山中に草の根を求めて掘った・・・」が力尽き「・・・草の根を握ったまま死んでいる死体があった。」と当時の山口の様子を紹介している。

 「・・・世間は滅ば滅よ。」という時代が産んだ上の「3点」だとも言える。

 **************

 一方、訪問者・ザビエルのイエズス会を見てみると。

 ★イエズス会〔Societas Jesu〕:カトリック教会内の男子修道会のひとつ。司祭修道会。

1534年 モンマルトルの誓願-貞潔・清貧・エルサレム巡礼
<世界宣教>
    -パリ大学の6人の同志。
(ロヨラ、ピエール・ファーヴル、ザビエル、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、シモン・ロドリゲス)

    以後ポルトガル王・ジョアン3世がイエズス会に対して
    アフリカ、インドへの宣教を要請し始める。

1540年 教皇・パウロ3世 イエズス会を認可
    (総長:イグナチウス・デ・ロヨラ)
    カウンター「宗教改革」としての組織。

    イエズス会の世界宣教始まる。

1541年 ザビエル、インドへ出発

1549年 ザビエル、日本到着

1556年 ザビエル、死去。

★会員数

1534年 7人(司祭1人)
1540年 10(司祭10)
1556年 約938
1610年 13112

1773年(解散)22589(司祭11293)

1814年(再興)約600人


1995年 22869人 


     日本:306人
 
     中国:282人
     韓国:115人
     インドネシア:442人
     フィリピン: 353人


 **************


 ●『日本史』 第二章(第一部二章)

 ★彼らが曰本に渡った次第、および彼らが薩摩に滞在中に生じたその他のこと


 彼らは同じ一五四九年の洗礼者・聖ヨハネの祝曰にマラッカを出帆した。途次、彼らは、メストレ・フランシスコ師が詳細にその書簡の中で報じているように種々の困難や辛苦、危険に際会したが、我らの主なるデウスは、一行がいとも長く危険な航海の後、ついに一五四九年八月十五曰、すなわち天使たちの栄光の女王(マリア)被昇天の祝曰に、薩摩国の首都・鹿児島の港市に至ることを嘉し給うた。上陸後、彼らは市(まち)の代官を訪れ、ついで司祭はそこから五、六里離れたところに住んでいた国主(レイ)を訪問した。ザビエルは異国人であったので、国主から歓待された。ところで司祭がもっとも願っていたのは、特に曰本中の最強の国主の許へ出向くことであり、都(ミヤコ)に居を構えている(天)皇(オウ)は、もはや前任者たちほどの権威をなくしているとは言いながら、全曰本六十六ヵ国における最高にして正統な君主であることを彼は聞き知った。そこで司祭は薩摩の国主に対して、自分を都へ派遣してほしい、またそこへ行くことができる船を用立ててもらいたいと切に要請した.国主に喜んでそれに応ずる態度を示し、いつもの航海の季節となって都に行くために好都合な風が吹くようになれば、万事において好意と援助を授けよう。たが目下のところは国内で戦争が行なわれていて、今は希望に応じかねる、と言った。そこで一行は彼が約束を果す日を待ち続けたが、彼は決してその約束を履行しはしなかった。

 彼らは鹿児島に滞在中、ただちに信仰の最初の基礎づくりを開始したが、日本語の知識がないために非常た不自由を忍んだ。というのは、当時彼らが知っていた日本語といえば、フェルナンデス修道師が、インドからの航海中に、かの日本人たちから教わった程度に過ぎなかったからである。彼らは日中の大部分は近所の人たちとの交際に忙しく、夜は祈ったり、非常な熱心さで初歩の日本語を学ぶために遅くまで眠らずにいた。ほんの少しばかり日本語が判るようになっていたメストレ・フランシスコ師とジョアン・フェルナンデス修道上が、こもごも異教徒たちが提出する質問に答えたり、彼らの質疑を解くことに一日中を費やして過した。司祭はさっそく、パウロ・デ・サンタ・フェ(弥次郎)の妻、および彼の親族や友人たち、また市(まち)の外から説教を聞きに来た幾人かの人々に洗礼を授け始めた。これらの人たちの中には一人の老人がいて、司祭から★ミゲルという教名を与えられたが、彼は新納(ニイロ)伊勢守殿という異教徒の殿の家臣であった。その殿には二人の夫人と数人の子供、および大勢の一族郎党があり、殿は鹿児島から(六)里距たった市来(イチク)なる城に住んでいた。

 *************


 慣れない国の厳しい旅を歩きぬき彼らは山口(周防国の首都、国主:大内義隆)の市(まち)に至った。当時日本有数の勢いのある都市である。
 ある高い身分の人物の仲介で大内義隆と相対したザビエル(一行)は、義隆の質問(いかなる教義をここで説きたいのか?)に対して、率直に前記3点を挙げて、日本人の誤りについて述べた。


 「・・・ 禽獣より下劣であると(ザビエルは日本語に訳してあった「帳面=カルタパシオ」に拠って)述べた。この箇条が読みあげられると、国主(義隆)はただちに心に強い衝撃を受けたらしく、この教えに対して激昂したことを表情に表わしたので、上記の貴人は彼ら(ザビエル一行)に退出せよと合図した。そこで彼らは国主に別れを告げたが、国士は彼らに一言も応答しなかった。ともあれ修道士は、国主が自分たちを殺すように命じるだろうと考えた。

 その翌日、司祭は国主の裁定なり許可をこの上待つことなく、山口の街頭で説教することを決意し、それを次のように実行した。

 彼らは、人の集まりがより多い街路や道の四つ辻に立って、修道士がまず翻訳した書物(「帳面」)から世界の創造に関する箇条を読んだ。そして彼はそれを読み終えると、ついで人々に向かい、日本人はことに次の三つの点て何という大きい悪事を行なっていることかと大声で説いた。

 第一は、日本人は、自分たちを創造し、かつ維持し給う全能のデウスを忘れ、デウスの大敵である悪魔が祀られている木石、その他無感覚な物質を礼拝していることである。
 第二は、日本人が男色という忌わしい罪に耽っていることである。-修道士は彼ら(聴衆たち)に、その罪がいかに重く汚らわしいかを訓戒し、天地の主なるゼウスがこの悪行のために、極度に重い懲罰をこの世で与え給うたことを人々の眼前に思い浮ばせた。
 第三は、婦人は子供を産むと、養育しなくてよいように殺してしまったり、胎児をおろすために薬を用いること。-それはきわめて残忍かつ非人道的なことである。

 修道士が人々にこのように説教していた間、司祭は彼の傍に立って、修道士の説教に好い成果があるようにと、また聴衆たちのためにも心の中で祈っていた。

 そして彼らは連日、説教して歩き廻ったので、山口の市は非常に大きく人口も多かったが、人々が群集する通りや四つ辻で彼らが説教しないところはなくなるに至った。ところで彼らは、わざわざ呼ばれて行って多くの貴人の邸宅でも同じように説教をしたのだが、ある人たちは暇つぶしに、またある人は新奇なことを聞こうとして招いたのであり、なかには彼らをからかう者もいれば、また彼らに好意と同情を表わす者もあり、ある者は軽蔑の色を示したりした。ともかくその連中は、そうすることによっておのおのがいかなる人物であるかを示したのである。

 これらの人の中には、見受けたところ、座興なり暇つぶしに司祭らを招かせたらしい一人の身分の高い貴人もいた。修道士が彼の家で、世界の始まりのこと、ルシフェル(悪魔)が自らの傲慢さのために地獄へ落された次第、また傲慢な人だけ、それと同様に悪魔の手に渡され、永遠の闇に投ぜられて、無限の呵責と苦痛を忍ばねばならぬことなどを読み上げると、その貴人は、修道士が語ったことに対して軽蔑した態度を示し始めた。だがメストレ・フランシスコ師は彼を訓戒して、たとえあなたは自分が強いと見なしていても、自分の罪に思いを致して涙を流し、謙虚にならないならば、デウスは地獄の呵責を加え辱しめ給うだろうと言った。それを聞き、ことに謙虚になって自分の罪を悲しまねばならぬと聞くに及んで、その人はいっそう嘲笑した。・・・以下略・・・。」


 如何なザビエルもこれでは、諦めざるを得ない。


 **************

  続く。                      
 

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