カウンター 読書日記 ●岩屋天狗と千年王国(16)-1
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●岩屋天狗と千年王国(16)-1
 
 ■明治六年政争の真相

 ★朝鮮使節論争の発端

 明治維新後、日鮮間の紛糾が外交問題として正式に俎上に上ってきたのは、在釜山の外務省出仕・広津弘信からの報告(釜山日本人居住地施設草梁公館の門前に、朝鮮側が、日本は「無法之国」であるとして、公館への生活物資の供給を停止して日本人の貿易活動を妨害していることなど)に基いて、外務少輔・上野景範(当時、外務卿・副島種臣は特命全権大使として清国渡航中)が、その実情を太政大臣・三条実美に報告し、三条が、明治六年六月十二日の閣議に「最早此儘難閣、断然出師之御処分無之テハ不相成事二候、乍去兵事ハ重大之儀、軽易二之ヲ開クベキコトニ無之候得者、先ヅ今般不取敢我人民保護ノ為メ、陸軍若干、軍艦幾隻、彼地へ被差置、一旦有事候ハバ、九州鎮台へ神速応援二可及旨ヲ達シ、猶此上使節ヲ差遣シ、公理公道ヲ以テ、屹度可及談判様被遊度思召候条、篤ク此旨ヲ達シ、一同協議可致被仰出侯事」という、思召(天皇の意志)を添えた議案を提出した時からであった。(上野は薩摩藩出身で、真方衆の画策により動いたものだったのである)

 これに対し板垣は、居留民保護のため、兵一大隊を急派せよと説いたが、西郷は、まず使節を派遣して公理公道をもって談判すべきであると主張した。

 三条は、たとえ使節を派遣するとしても、それには護衛兵をつけて軍艦で行くべきであると主張したが、西郷はそれにも反対して、使節は礼装(烏帽子直垂)して単身(もちろん、幾人かの随員は伴ったであろうが、護衛兵は連れず)行くべきだと主張した。

 しかし、三条は、当面の責任者である外務卿(副島)が渡清中であり、かつ、内閣の首班的立場にある西郷を一使節として朝鮮へ派遣することを躊躇したので、その日の閣議は結論を得ずして終った。

 ★西郷が征韓論者として誤解された第一書翰

 七月二十六日帰朝した副島を翌二十七日夜、訪ねた西郷は、六月十二日の閣議の次第を説明して、西郷を朝鮮使節として派遣することを許容されるよう懇望するとともに、同席した真方衆・窪田次郎助の説明、西郷家が易断者なる特殊な家系であることの原因が、西郷家の祖先岩屋梓梁なる大天狗が日本で易断政府なるものを樹立するとともに朝鮮においても巫堂(ムーダン)政治を確立した事実が歴史から抹殺されていることの朝鮮における史料史蹟を調査する必要があると強調する声咳流涕に、流石の副島もついに「西郷の境遇を察し終に枉げて譲渡」(『大西郷伝』他)する決心をするに至ったのである。

 この時の副島との会話で、副島が西郷に、まず何よりも、好戦家板垣の賛意を得ることが必要であるとして、そのためには ①岩屋梓梁と易断政府のことは極秘にすべきこと。②好戦的板垣の賛意を得るため、板垣に、好戦的言辞の秘弄を図るべきことの二点を強調したため、それを承知した西郷は、七月二十九日に始まる八月十四日、八月十七日附の左記(下記)書翰を板垣へ贈った。

西郷が七月二十九日附板垣へ送った手紙
「先日は遠方迄御来訪被成下厚御礼申上候。扨て(さて)朝鮮の一条副島氏も帰着相成候て御決議相成候哉。若しいまだ御評議無之候はば、何日には押て参朝可致旨御相達成候はば、病を侵、罷出候様可仕候間、御含被下度奉願候。弥御評決相成候はば、兵隊を先に御遣し相成候儀は如何に御座候哉、兵隊を御繰込相成候はば必ず彼方よりは引揚げ候様申立候には相違無之、其節は此方より不引取旨答候はば、此より兵端を開き候はん、左候はば初よりの御趣意とは大に相変し、戦を醸成候場に相当り可申哉と愚考仕候間、断然使節を先に被差立候方御宜敷は有之間敷哉、左候得ば決て彼 より暴挙の事は差見得候に付、可討の名も慥に相立候事と奉存候、兵隊を先に繰込候訳に相成候はば樺太の如きは、最早魯より兵隊を以保護を備、度々暴挙も有之候事故、朝鮮よりは先に保護の兵を御繰込可相成と相考中候間、旁獄先の処故障出来畝はん、夫よりは公然と使節を枝差向畝けば暴挙は可致儀と綾絹察畝付ヽ何卒私を御遊技下僕処ヽ伏して卒願畝ヽ副島君の如き立派の使 岬 節は出来不中佐得共、死する位の事は相談可中かと卒存畝間、宜敷卒希畝、此旨暗涙以書中卒得
 御意候、頓首
 追啓 御評議の節御呼立被下候節は 何卒前日に御達し被下度 瀉薬を相用候へば決して他出相調中候間 是又御含置可被下候」

 西郷はこの手紙で、朝鮮に兵隊を派遣すれば、朝鮮側から必ず「引揚げを申し立」ててきますから、それを日本が拒否すればそれを切掛けにして兵端が開かれることになります。だから、兵隊でなく、まず使節を先に立てるべきであります。そうすると、必ず朝鮭側が使節に対し「暴挙」を加
えることになりますから、その時は、改めて、日本が朝鮮を「討つ可き名」が出来ると思います。

 ですからぜひ私を公然と使節として差し向けて下さい。私は、副島君のような立派な功績(副島使節が清国において、清国政府から、清朝は、朝鮮琉球問題には関与しないから、日本が自らの手で朝鮮、琉球問題解決に当って良いという言質を得たということ)を挙げることはできませんが「死する位の事」はできますから、ぜひ私を朝鮮使節として出すことに賛成して下さい、と西郷は板垣に懇望したのであるが、この手紙は、西郷使節が「暴挙」を受けるようなことがあった時始めて「討つべきの名」が生ずるものであるとするもの、つまり征韓のための西郷使節でなく、西郷使節が暴挙を受けることによって始めて征韓の名が生れるものだとする間接的消極的意味しかなく、西郷が、自ら、積極的に韓国征伐をするなどと言ったものではないことに留意すべきである。

 この手紙は、朝鮮使節となることを副島から譲渡して貰った西郷が、副島の板垣の賛成を得ることが何より肝要だとする意見を体して、好戦家・折込の賛意を得ることを念とし書いた、謂わば
好餌を附した便法の書であることを心得て置く必要があるのである。

 毛利敏彦氏は、この事に関して「書簡の文言の解釈のみでなく、書翰、が書かれた主観的客観的状況を検討してみる必要があろう」とし「西郷は真剣に朝鮮との交渉を考えていたのであって、そのために使節就任を切望したのだと推論するのが諸史料から判断して最も合理的であろう」と誌されている。

  続く。                     
 


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