カウンター 読書日記 ●『いり豆の花』 出口和明
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●『いり豆の花』 出口和明
 ●前回の陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(28)に関連して、出口和明・『いり豆の花』から当該部を紹介しようと思うが、その前に、

 【O オニド ― 出口王仁三郎と霊界物語のサイト】
 http://onido.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=29

 の中に、Onipediaという人物事典があり、その【出口清吉】を先ず読んでみる。 出典: Onipedia
 

 ●出口清吉

 明治5年(1872年)6月1日生まれ。[1]

 明治25年(1892年)12月1日、東京の近衛師団に入隊。明治28年(1895年)、台湾に出征し、同年7月に戦死した。

 しかしその後、清吉は死んでない、と受け取れる筆先が降る。

 「清吉は死んでおらぬぞよ。神が借りておるぞよ。清吉殿とお直殿がこの世のはじまりの世界の鏡」(明治30年1月7日)

 「他ではいはれぬが、出口清吉殿は死んではおらぬぞよ。人民に申してもまことにいたさねど、清吉殿は死なしてはないぞよ。今度お役に立てねばならんから、死んでおらんぞよ」(明治32年旧8月10日)

 役場から軍隊に問い合わせると、清吉が所属していた隊に戦死者は一人もいないとの回答があり、果たして本当に死んだのかどうか疑惑が持ち上がる。清吉は筆先で「日の出の守護」と呼ばれ、神業上、重要な役割を担っていると言われていた。そのため開祖・出口直を始め信者は、清吉は死んではおらず、そのうち大手柄を立てて帰国するのでは、というような期待を持っていた。

 大正13年(1924年)、出口王仁三郎が入蒙したときに、清吉の娘だと思われる若い女と出会う。蘿龍(ら りゅう)という名の21歳の馬賊で、3000人の馬賊を率いる頭目である。日本語をしゃべり、母は蒙古人だが、父は「デグチ」という日本人で、蒙古では王文泰(おう ぶんたい)また蘿清吉(ら しんきつ)と名乗っていたという。


 王仁三郎が蒙古で用いた名刺。朝鮮姓名として「王文泰」と記されてある。王文泰は明治33年~34年の北清事変(義和団の乱)の時に、殊勲者として新聞で報道されており、その名を見たときに王仁三郎は異様な神機に打たれた[2]。そのため入蒙時に王仁三郎は王文泰と名乗った。

 清吉は蒙古独立軍に馬賊3000騎を率いて加勢していたが、5年前に張作霖に欺かれて殺されてしまったという。

 蘿龍は蒙古に国を建てるため、王仁三郎の別働隊となって働く。しかしパインタラの遭難の後、蘿龍も捕まり殺されてしまった。

 脚注
↑ 『入蒙秘話』35頁では6月1日生まれ、『大地の母 上巻』68頁では6月6日生まれになっている。
↑ 王仁三郎の歌集『青嵐』に次の歌がある。「王文泰の英名聞きて我はただ異様な神機にうたれたりける」

 **************

 続く。
                      
 
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