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●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(22)-1
 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(22)
 -昭和金融恐慌の主役・鈴木商店と台湾銀行を操るこの面々
                              ◆落合莞爾   


 ★神戸のふたりの豪商 後藤勝造と金子直吉 


 日露戦の実行という重要な国務を抱えていながら台湾統督に座り続けた児玉源太郎に代わり、実質的に台湾行政を総覧していた民政長官・後藤新平は、台湾産品を扱う業者にとって神様的存在であった。インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア』は、杉山茂丸を「明治31年に第4代台湾総督に児玉源太郎が就任し、民政長官に後藤新平を就けると、杉山は両人に対して製糖業の振興による台湾経済の確立を献策し、自ら製糖会社の設立に携わった。また台湾銀行の創設や台湾縦断鉄道の建設にも関与した」と述べるが、これは皮相的にせよ、杉山と台湾総督府及び台湾産業の関係を示している。台湾における通貨発行権を有する台湾銀行と、台湾島最大のインフラたる台湾縦貫鉄道、さらに戦前の日本経済を支えた大日本製糖を始めとする製糖業は、すべて杉山が発案し推進したものであった。産業・経済に関する杉山の見識と実績は、どう見ても井上馨・渋沢栄一に劣らないが、そのことに従来の史家は全く触れてこなかった。その理由は、読者諸賢とこれから探っていくことにしよう。

 後藤と杉山の関係は、後藤の女婿・鶴見祐輔が「岳父と杉山は非常な親友であって、何十年となく交友した」と記した通り、極めて深かった。ドイツに留学してワンワールド哲学を体得してきた後藤の方向性は、高島鞆之助らワンワールド薩摩派や杉山のそれと極めて近いから、この3者は自然に共同歩調を取ったのである。後藤の信用を取り付けた商人は当然ながら大いに発展したが、その代表が金子直吉の鈴木商店と後藤勝造の「丸マ」後藤回漕店であった。嘉永元年(1848)生まれの後藤勝造は岩崎弥太郎に食い込み、回漕業として成功、神戸港で鈴木商店主の鈴木岩次郎らと並ぶ名士となった。旅館・ホテル業に進出した勝造は、たまたま宿泊客となった後藤新平に接近して、台湾での事業展開の基盤を固めるきっかけを掴む。JRの大きな駅に今も見かける構内レストラン食堂「日本食堂」も、新平の勧めで勝造が作った駅食堂から始まった。32年に食堂車営業を開業した山陽鉄道だがうまくいかず、30年頃に神戸市川崎町(後の郵便貯金センターの地)で開業した自由亭ホテルに食堂車の営業権を譲渡したのは34年で、自由亭ホテルは「みかどホテル」と改名したが、後に鈴木商店に建物を売却して廃業した。例の日本食堂は、昭和13年に「神戸みかど」を始め「上の精養軒」「福岡共進亭」など各地の列車食堂業者が共同で設立したものである。

 鈴木商店の大番頭・金子直吉は、神戸の豪商仲間の後藤勝造の紹介で後藤新平に接近したとされている(インターネット『月刊・きんもくせい』)が、これは表向きで、裏面では樟脳取引で知られた鈴木商店を総督府御用商人にすべく、ワンワールド薩摩派が周到に根回ししたと見るべきである。
薩摩派総長の高島鞆之肋の事業上のパーートナーであった吉薗ギンヅルは、ダミーの日高尚剛を通じ鈴木商店の経営陣に「手の者」を潜入させたと伝わるが、それは日高の母方の親類〔安達リュウー郎〕のことらしい。ともかく鈴木商店は御家はん(女主人のこと)ヨネを隠れ蓑にして、実質は薩摩派が支配していた会社なのである。

 明治30年に葉煙草専売法を公布、翌年に施行した政府が36年に「煙草専売制度理由及施行順序」を公表、翌年世上の猛反対を押し切って煙草専売方を施行した目的は、日露戦争の軍費に充てるためで、38年には台湾においても同法を施行した。専売法の施行後は、専売局が専ら製造販売を行い、民間業者の業務は輸出だけとなった。日露戦後にわが勢力圏となった満洲においても煙草需要は大きかったが、BAT(英米煙草トラスト社)の奉天工場新設により、内外業者による競争激化が予想されたので、専売局は国産煙草の輸出に関わる大小業者を糾合せしめ、外資に対抗する国策会社として「東亜煙草会社」の設立を促した。39年10月設立の東亜煙草社は、専売局から、官煙の輸出・移出の特許に加えて樺太全土の独占販売権を与えられて社長に佐々熊大郎が就任したが、この時の設立発起人の1人に、右の安達リュウ一郎がいるらしい。

 ★後藤新平も一目置いた 藤田謙一の辣腕ぶり


 その後、東亜煙草の株式を買い集めた鈴木商店は、大正2年12月24日の株主総会で、同店幹部の藤田謙一を取締役に送り込む。『弘前商工会議所』編集発行の『藤田謙一』によれば、藤田は豊臣方の武将明石掃部の末裔で、弘前藩士・明石栄吉の次男として明治6(1873)年に生まれ、5歳で藤田家に養子入りした。東奥義塾を中退して青森県庁の給仕となった藤田は、それも辞して24年に上京、明治法律専門学校(明治法律学校・明治大)に入学して同校創立者(正しくは関係者か)の法学博士・熊野敬三の書生となる。

 32年栃木県属に挙げられた藤田は、9月に大蔵省専売局属に転じ煙草専売制度を担当したので、蔵相(正しくは農商務相)曾根荒肋の知人たる後藤勝造と相識ったという(後藤勝造が、上に述べたように後藤新平に接近したのは、その後であろう)。折から葉煙草専売法公布の直後で、生産・製造・販売一貫の完全専売制の実施が迫る中、大小の煙草製造業者が乱立して過当競争に陥っており、天狗煙草で知られた業界トップの岩谷商会も経営危機に瀕していた。社主の岩谷松平は、後藤勝造が推薦した藤田に岩谷商会の一切を委ねる。34年6月に専売局を退職した藤田は、翌年岩谷商会の支配人に就き、会社組織に変更して自ら専務理事となる。BATに対抗して天狗煙草を売り込んだ藤田が大成功を収めたので、37年の専売制度の完全実施に際し、政府による岩谷商会の買収額は巨額になった。

 40年、藤田は再び後藤勝造に招かれ、今度は名古屋の豪商・小栗家の整理に当たる。42年5月に小栗系の東洋製塩の取締役に就任した藤田は、翌年同社を「台湾塩業」と改称し、建て直しに成功した。その手腕に驚いた金子直吉は、藤田を鈴木商店に招き、参謀として関東所在の傘下会社を任せた。今なら鈴木商店関東支部の関東東業部長に就任と言ったところである。

 これに先立ち前後して小栗家の整理に関わった金子と勝造はいずれも失敗し、勝造の依頼を受けた藤田が同社を見事に再生したわけだが、社名を「台湾塩業」と変えた処に台湾総督府の関与が窺われる。曾根荒助の知人とされる勝造も、大所高所から見れば金子と同じ位置で後藤新平の麾下にあったが、新平の背後に杉山茂丸がいた。
金子が藤田を鈴木商店に入れた経緯も、実は杉山が関与したのだろう。

 因みに、藤田謙一の子息がインターネットで語るには、「父は十六才の時、短刀一振りを手に上京し、桂太郎の家に厄介になった。桂家で忠勤を励むうちに岩谷天狗煙草の再建を命じられた」とあるが、藤田が16歳の21年には桂は陸軍次官で、書生も置いたであろうが、藤田が30歳で行った岩谷の再建とは時期が合わず、前掲『藤田謙一』にいう学歴・職歴とも両立しない。藤田を後藤勝造に紹介した農商務相・曾根荒助は長州派の領袖で、桂太郎とも杉山とも近かった。34年と言えば、杉山が桂・児玉と組んで、非戦派・伊藤博文を調略する秘密結社を作ったころで、杉山と桂が最も密接な時期である。桂と藤田の間に何らかの関係があっても不自然ではないが、謙一が子息に「桂太郎の書生云々」と語ったのは、出世譚につきものの誇張で、実は杉山が関係していたように思える。

 鈴木商店に入った藤田には、同店の死命を制する後藤新平さえ一目置いた。後に後藤新平四天王の1人と呼ばれた藤田は、もし後藤内閣が実現していたら大蔵大臣になった(前掲『藤田謙一』)と評されたほどで、金子の下風に立つ男では決してなかった。藤田はまた玄洋社の頭山満とも親交があったが、杉山の仲介によるのは自明であろう。そもそも薩摩派が裏から操っていた鈴木商店に、金子が藤田を招いたとは表向きで、真相は藤田の能力を買った誰かが、藤田の活動拠点として鈴木商店を提供したものではないか。その誰かが、在英ワンワールド直参の杉山なのか、それとも薩摩派総長の高島か、或いは東北キリシタンの棟梁・後藤新平なのか。それは目下のところ断定できないが、東京商工会議所の第5代会頭として日本商工会議所の創設に奔走し、自ら初代会頭に就いた藤田は、傍ら孫文ら亡命要人を匿い、またユダヤ満洲共和国の建国計画に参画したため、フリーメーソンの日本代表と噂された。いかにもと思うが、鈴木商店を足場に台湾総督府に食い込み、長州派を操縦した藤田の足跡は、玄洋社を看板にした杉山とまったく酷似している。思うに藤田は、鈴木商店に入社後幾許もなく杉山の代行役となり、対長州工作や財界工作を分掌したのではあるまいか。

 昭和2年に起きた金融恐慌の詳細に関する史書は、巷間に溢れているから、本稿で述べる必要はあるまい。

   続く。
 

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