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●疑史(第29回) 日本に渡来したイスラエル族(1) 
 ●疑史(第29回) 日本に渡来したイスラエル族(1) 

 ヘブライ文化史専攻の歴史学者・小辻誠祐博士の『ユダヤ民族』は昭和40年に公刊された。セファルディムとアシュケナジムについての説明は、ケストラー説が出る前だからさすがに苦しいが、全体として博士の学者的誠意と永年の研讃が伝わってくる良著と思う。

 しかし、次の記述となると、どうであろう。「イスラエル王国が紀元前722年にアッシリアのサルゴン王に滅ぼされた時、多数の住民が虜囚としてアッシリアにつれ去られていった。ところが、彼らはその後ばったりと行くえを絶って、〔失われたイスラエルの10の支族〕としてしばしば好事家の怪説の対象となっている。日本の論者の中には彼らをもって日本人の先祖であるとする向きもあるが、★まじめな学問的考証にめぐまれぬ巷間の思いつきとしか思われない。彼らはいずれ現在のイランやイラク地方の住民の中に吸収されていったものであろう。」(青文字は落合)

 断言の背後には、小辻博士が「まじめな学問的考証」と自負するところの近代的方法論がある。そう言うと、ほとんどの史家から、イスラエル族渡来説のごときは伝統的考証法においても論外だ、と非難されよう。

 秦利勝をユダヤ人景教徒とする佐伯好郎博士の説も、史学界は受け入れない。佐伯説に景教の伝播と秦氏の渡来についての時間的矛盾があるにしても、秦氏の出自をイスラエル族と観る分には特に矛盾はあるまい。しかしながら、史家はそんなことより、〔ユダヤ人の渡来〕説そのものをハナから荒唐無稽と見ているのである。

 ★これ偏えに彼らが借り物史観から脱却できていない証拠である。もしそれ汝らにして真の史家たらむと欲すれば、宜しく国内を巡り巷間に史的伝承を拾ふべし。虚言を伝ふる古文献にすがるばかりでは史実は遂に分からぬ。

 そこで史的伝承の1例を挙げよう。例の『周蔵手記』には外科医・渡辺政雄から聞いた上田家伝承を記す。聞いた時期は大正末年と思われる。政雄の祖母・渡辺ウメノは丹波穴太村の上田家から出た。出口王仁三郎の実父・上田吉松の従兄弟にあたる。ウメノが公家・堤家の嫡男・哲長と親しくなって生んだ子の、さらに子供と称する政雄は、同じく堤哲長の孫にあたる周蔵とは、表向き従兄弟の間柄となる。

 伝承では、上田家は古代に渡来したユダヤの末裔で、本姓を海部(アマベ)といい、丹後一之宮の篭神社(元伊勢与謝の宮)の宮司の一族である。アマベは丹後半島に上陸し、各地を開拓して“近江の伊勢”まで勢力を伸ばした。アマベは全国海人の頭となり、伊勢の海女が手拭いに付ける護符のドーマン(格子模様)とセーマン(五芒星)もユダヤがもたらしたもの、とのことである。

 驚いたことに、★昭和50年代に滋賀県守山市伊勢町という所で宅地造成中に、大規模な弥生村落がたまたま発見され、伊勢遺跡と名付けられた。規模はクニといえるほど大きく、ここには弥生時代の王がいた筈だと史家は言う。以後も発掘が進み、平成15年には竪穴建物が出土したが、1世紀末から2世紀初めの築造と見られ、弥生時代の方形建物としては最大の規模である。生活臭がないから祭殿と見られ、様式は伊勢神宮の神明作りと似ている。

 建物の長さの単位が22.5センチで、漢尺であるから、漢ないし朝鮮半島との関わりが見て取れる。朝鮮半島経由で渡来したアマベは、丹後半島の与謝を出発し、以後各地を開拓してはクニと祭殿(イセ)を建設していった。到達点の伊勢皇太神宮だけを残して、あとは元伊勢として扱われたから、篭神社が「元伊勢根元の宮」と自称し、伊勢神官の本家と主張するのも宜なるかな。

 伊勢遺跡の遺物から、ここに達したのは紀元前後と分かるが、与謝から守山に至るまで何百年を経たのであろうか。守山の伊勢宮も元伊勢の1つなのだから、神明作りであって当然である。昭和50年代まで、こんなものが隠れていたことは史家も全く知らなかった。これを以て上田伝承が裏付けられたことを潔く認めるべきである。

 アマベの渡来時期は縄文末期と思われる。「縄文文化に生きていた人々が、ある日突然、弥生文化を取り入れた」との説が近年台頭したが、弥生人渡来の経緯は必ずしも明らかでない。江上波雄の騎馬民族説の枕に、漢帝国の成立を受けて対漢交易民族の倭人が、商売のために朝鮮の南端と日本に渡った、と述べているだけである。

 伊勢遺跡は弥生文化そのものである。ゆえに、これを基準に「縄文社会が、アマベの渡来によって、弥生社会に移行した」と考えた方が良いものと思う。倭人の統率者をアマベと観れば、江上説とも矛盾しない。渡来の時期は、伊勢遺跡の始まりから適当な時間を遡った ― 紀元前3~4世紀あたりと見当をつけてはどうだろうか。

 それはともかく、渡来したのは南朝ユダヤ2支族ではなく、北朝イスラエル10支族のようで、アマベの祭祠イセはイスラエルの謂であろう。

 砂漠の遊牧民の神・ヤアウエに帰依した南朝とは違い、北朝では地祇(農業神)のバアルやアシュトラ、ミトラの崇拝が本流であった。イセの宮の本来の祭神ホアカリ(天火明命)は別称天照国照彦で、その名の通り太陽神と見られるが、伊勢皇太神宮が国家の太廟となる際、内宮の祭神として女神化し天照大神に改変したが、太陽神たる性格に変化はない。ホアカリの実体は、牛角を生やした天空神バアル、ないしその子の太陽神ミトラと考えられる。ミトラはマイトレーヤで、仏教に入って弥勒仏とされる。

 さて、年末に書庫を整理していたら、月海黄樹著『竜宮神示』という本が見つかった。10年ほど前に山窩を研究していた時、著者が山窩(サンカ)の家系と称するのに興味を持ち、購入したが、どうしたことか未読であった。多分、同じ著者のもう1冊『稀代の呪術師・秀吉の正体』という本だけで満足してしまったような気がする。著者は高野山関係の山伏の家系で山窩の血筋であると自称する。祖父が赤い羽織を一着に及んで持山の見回りをする時には、山民衆が土下座して迎えた話を著者から直接聞いた人もいる。

 この書は大本教の尊師・出口王仁三郎の予言について述べたもので、内容については措くが、「王仁三郎の出自の穴太村という所は、穴太衆という海人の石工集団がいたところである。その土着の名家である上田家は生粋の海人族〔朝廷に漁業をもってつかえる1族。漁業のみならず石工、製鉄、木師などの職人集団を形成した〕であった」と述べており、さらに「王仁三郎の説いた〔国常立大神はトルコのエルサレムから来た〕には、海人族上田家に伝えられる何らかの口伝が影響していたのかもしれない」と、期せずして上田伝承の存在に触れているのには驚いた。

 また、「海部家の口伝では、神武天皇は、応神天皇、崇神天皇と同一人物であるとし、古事記においては3世紀頃の天皇とされる応神天皇の時代に、朝鮮・北九州の合衆国の王・応神天皇が大和に東征するに至り云々」と、海部家の伝承にも触れている。3天皇同体説は、私の現在の仮説とはやや異なるが、それはともかく、いかにも海部家・上田家の内情に詳しいような著者の口ぶりである。

 それもその筈、仄聞ではあるが、月海女史は渡辺政雄の子孫としての認知を(上田家側に)求めたらしい。認知されれば、上田の血族として何かと優遇されるらしいが、結果は聞いていない。

 大正末年頃に『周蔵手記』に書き留められた上田家伝承の内容が、60年後に伊勢遺跡として発見され、その10年後に月海黄樹の著書に発現した。こういう口伝が各地各家にあり、原初の純粋さを失っていても、史実の片鱗はどこかに必ず残っているのだから、史家は、遺跡を掘ったり古文書を捲るのも必要だが、同様な労力を口碑の採集と分析にかけて貰いたい。それもせずに、「まじめな学問的考証にめぐまれぬ巷間の思いつきとしか思われない」などと澄ましておってはいかぬのではないか。

 それはさて、『周蔵手記』には「流れついたるユダヤ」というだけで、支族までは明らかでないが、月海女史のこれに対する見解は明快である。前掲書は出口王仁三郎の予言の解説が主旨で、王仁三郎の予言を称揚するための作為、いわば山窩史観を随所に感じるが、傍論としてヘブライ族に関する独自の見解を披瀝しており、その方は甚だ面白い。

 曰く、そもそも、バビロン虜囚から解放されたヘブライ族は、ダビデ王の代にヤアウエの神殿を建てて帰依するが、一神教と多神教の溝が拡がり、その子ソロモン王の代には10支族が反乱してイスラエル王国を建てた。彼らの信仰はバアルとアシュトラ(イシュタル)およびミトラで、他のオリエント民族とも宗数的な差異はなかったから、紀元前722年イスラエル王国の消滅後、彼等は他民族の間に自然に混入していった。ここが唯一神ヤアウエに拘泥した南朝ユダヤと違う点であり、日本に渡来したのは無論イスラエル族である。

 さらに、11世紀までのユダヤ人は、ヤアウエ以外の神も祀る多神教徒であった。現在の旧約聖書は11世紀以後の成立か、それ以前のものをユダヤー神数を基盤にして書き直したもので、聖書に出てくる神も、ある場合は明らかにヤアウエでなくバアルを指している、と指摘する。甚だ論理的で肯綮に当たる。小生のごときは、聖書にあまり馴染まぬから、逆に聖書なぞ百万遍も考究し尽くされたものと、テンから思っていたので、まさに驚天動地である。

 ルシファーについても首肯すべき説を唱えている。太陽神と混同されることもあるバアルは、本来天空神で、エジプトではオリオン三星、ヘブライでは明けの明星(金星)を以て象徴されていたが、ヤアウエ信仰が強化したユダヤとキリスト教を国教化したローマで、堕天使ルシファーと見倣されるようになった、というのである。ワンワールド首脳の信仰対象と私が推定するルシファーは、金星バアルでもある。

 イスラエル族の護符ドーマン(格子紋)が水神として、セーマン(五芒星)が金星女神として象徴するイシュタルをユダヤ数とキリスト教が悪魔に落とした仕打ちが中世人類の不幸を招いたのである。

 
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