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 ●疑史(19回) 張作霖・殺害の真相・ 参考
 ●疑史(19回) 張作霖・殺害の真相 

「本誌先月号(*『月刊日本』2006年3月号)に旧知の宮崎正弘氏が「ブッシュ大統領の愛読書『マオ』を紹介された。アイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』と同様、反日性を秘めたものだが、大変なベストセラーという。宮崎氏は著者を、日本文化について無知と評されるが、そもそも支那文化人の反日性は中華文明と日本思想の構造的対立を反映したもので、日本に対して意図的に無関心なのであって、理解を進める手だてもない。しかし、このまま放置すると『レイプ・オブ・南京』のように、ベストセラーに乗じて誤った日本像が英語圈に流れてしまい、困ったことになる。有志は各自の分野で直ちに反駁し、以てこのような害書を弾劾すべきであろう。

 同著は、何気なく挿入された逸話の形で「張作霖爆破は日本軍ではなく、ソ連の陰謀であった」との説を出す。根拠は 『遼源日報』2005年1月20日、同2月6日号の「天も驚く大ニュース、ソ連の特務機関が張作霖を爆殺した」という記事で、内容はソ連の歴史学者プロパオロフの「張作霖元帥の死に関する文献」の紹介だが、「暗殺はソ連特務機関がやった」との趣旨にわが愛国者の一部から歓声が聞こえる。
・・・略・・・」

 ● 先日紹介した、疑史(19回) 張作霖・殺害の真相 には上のようにあった。
  
   
 ここで取り上げられた『マオ』(“Mao: The Unknown Story”)とその見解に対して、

 矢吹晋が強く批判しているので、参考までに紹介しておく。

 初出:『中国情報源』2006年、
 後、『中国の政治経済の虚実』 2007年5月7日 日経BP社

 以下引用します。先ず「はじめに」から。**********


 ★はじめに

 「中国が目覚めるとき、世界を揺るがす」とは、ナポレオン3世の言といわれる。この警句を用いてフランスのある作家が、これをタイトルとした本を書いたのは、文化大革命期の最中であった(『中国が目覚めるとき世界は震撼する』アラン・ペールフィット著、白水社、1974年)。まさにこの書名のように、文化大革命は全世界に政治的衝撃を与えたが、それはマオイスムの同調者を世界各地に生み出すことによってであった。

 21世紀初頭の今日、改めて世界がこの言葉を想起するのは、目覚めて離陸した中国経済のグローバル経済へのインパクトによってである。価格破壊と評されたような安価なメード・イン・チャイナ製品に敗れて倒産した企業・業種は、日本でもアメリカでも枚挙にいとまがないほどだ。原油や鉄鉱石をなりふりかまわず買い漁る中国企業のおかけで国際市況が急騰したという話もしばしばである。むろん、安い中国製品が中国内外の消費者に歓迎されていることは確かな事実だ。

 こうして世界に政治的衝撃を与え、人々の経済生活に大きな影響を与えつつある中国にわれわれの目が向かうのは、自然の成り行きである。だが、中国は実にとらえどころのない巨象であり、それゆえ虚像があふれている。

 本書は、中国について書かれた本を「批判的に読む」という作業を通じて、中国の実像に遣る方法を選んだ。いわば「話題の本によって、中国を読む」試みだ。有体にいえば、他人の褌(ふんどし)を借りて中国に迫る、褌作戦といってよいかもしれない。

 しかし読み方は我流に固執する。公正・中庸を目指さないわけではないが、虚飾はどこまでも追及する。こう書くといかめしいが、要は歯に衣を着せず発言する、このスタンスを終始堅持したい。妄言多謝。
 
 2007年春

 ************

● 1部 歪曲、誤解にまみれる「嫌中、嫌毛」狂想曲を読む

★常軌を逸した毛沢東像

張戎ほか『マオ 誰も知らなかった毛沢東』

 『マオ』のイギリス版が出たのは2005年6月、アメリカ版が10月に出て、邦訳は11月に出た。『毎日新聞』桐山正寿記者は、出版宣伝のために来日した著者をインタビューして「中国人7000万人の死に責任がある」と題した記事を書き(2005年11月4日付)、『読売新聞』植田滋記者は「冷酷非情、世界支配欲、毛沢東の実像」と題したインタビュー記事を掲げた(12月7日付)。

 『朝日新聞』書評欄(2005年12月25日付)では2人の「書評委員」が持ち上げた。スタンフォード大学名誉教授青木昌彦書評委員のお薦め「今年の3点」のうち、一冊は『マオ 誰も知らなかった毛沢東』であり、これを推した青木の説明は次の通りである。
「大躍進や文革時代の毛の凄まじい権力志向についてはこれまでも公にされてきたが、『マオ』は前革命時代にも同じような行動パターンがあったとする。ソ連邦、コミンテルンの資料や関係者の証言に基づいて、スターリン、毛、蒋介石の間の駆け引きが織りなす日中戦争と国内戦争・革命の展回について新「事実」を提供する。これからの史実的検証に耐えれば、20世紀中半の東洋史(神話)の書き直しを迫るインパクトをもつだろう」。

 三文小説にまんまとだまされた、したり顔の白髪老人の中国理解度はこの程度であったか。

 テレビ朝日系「報道ステーション」人気キャスター・加藤千洋書評委員のお薦め「今年の3点」のうち、1冊はやはり『マオ 誰も知らなかった毛沢東』だ。曰く、
 「「農村で都市を包囲する」と革命戦略を語ったのは毛沢東。「農民は動揺していない」と天安門事件で北京のデモ鎮圧を指示したのは小平だった。それほどに中国政治で決定的な要素であるはずの農民に、富農出身の毛沢東は強いシンパシーを実は持っていなかった。意外な毛像を提示したのが『マオ』だ。旧ソ連資料を用いて書きかえられた毛沢東像、中国現代史の「実相」は衝撃的だ」。

 やはり虚偽宣伝にまんまと乗せられて、宣伝にこれ努めていることがわかる。これがボーン賞を得た元中国支局長だから、ボーン賞の水準も、この新聞の中国報道も、読むに堪えないレベルであることは、察しがつこうというものだ。加藤千洋氏は『週刊朝日』2005年12月16日号に4ペーージにわたって張戎をインタビューした記事を発表している。タイトルは「毛沢東は始皇帝よりも暴君だった」である。これは典型的な提灯記事であり、張戎の誤謬に対する批判は皆無である。

 『朝日新聞』書評欄は、2006年1月15日、松原隆一郎教授の書評を掲げたが、これもド素人のたわごとである。問題はこれら3人の無学無知な半可通が判断を間違えた事実にあるのではない。真偽を鑑定するに足るまともな中国分析を『朝日新聞』等が過去10~20年にわたって怠ってきたことが重大なのだ。大事な報道、大事な分析を怠ってきた結果がここに露呈されたと読むのが私の見方である。だからこそ由々しい事態なのだ。もし必要とあらば、その材料をいくつでも提示したいが、あえて絞り込み、最も基本的な文献を2つ挙げよう。

 1つは日本で編集された『毛沢東集』(補巻を含めて全20巻)である。これは中国語原文であるが、1949年までの毛沢東の書いたもの、話したものは可能なかぎり原文に近い形で収めて、テキスト批判を加えてある(北望社、のち蒼蒼社)。

 毛沢東論が揺れるのは1949~76年、すなわち建国以後だが、この時期の毛沢東について最も詳細に描いたのは、中共中央文献研究室の『毛沢東伝1949~1976』(上巻884ページ、下巻914ページ、計1798ページ、2003年)である。

 張戎はこの両者をまったく無視している。プロならば、ここを見ただけで、書かれたものの水準がわかるのである。張戎の無知はどうしようもないが、このように最も基本的な文献を知らないで、毛沢東を論じようとするのは、そもそも間違いである。そこに気づかないのは、専門家をかたる素人教授たちである。無知高慢は許されない。

 『日本経済新聞』2006年1月8日付、慶応大学国分良成教授(日中友好21世紀委員会委員)の書評も、あとで厳しく批判するが、文意不明の言葉コロガシである。

早稲田大学大学院天児慧教授の駄文「衝撃の書『マオ』の読み方」(『現代』2006年1月号)は、「衝撃」「衝撃」を繰り返した。毛沢東と小平を描いた天児著『巨龍の胎動毛沢vs小平』の「絶版」を宣言するならば潔いが、この程度の本を定説と自賛し、他方でまったく異なる基調からなる『マオ』を手放しでほめるのは、無節操も甚だしい。こんな支離滅裂の学説を聞かされたのでは、まともな学生は教室から逃げ出すであろう。

 大新聞、有名学者がこぞって大宣伝に努めた結果、この悪書はベストセラーのトップを続け、インターネットのブログでは、いまや「『マオ』の謬論」を前提とした中国論が広く行われ、暴論が「ナウイ中国イメージ」扱いされている。嫌中・反中ムードに便乗して悪書が良書を駆逐し、日本に中国脅威論の亡霊が漂う。これを煽る悪書の代表が『マオ』だ。由々しい事態ではないか。

 *長くなりますが、続けます。

 **************

  
 ● 著者張戎およびその夫・ハリデイ氏について


 本書“Mao Unknown Story”はイギリスで2005年6月2日にランダムハウス社から出た。著者はJung Ghang Jon Halliday夫婦である。アメリカ版は10月18日にクノップフ社から出た。日本版は11月17日に講談社から出た。訳者は土屋京子氏である。張戎の前著『ワイルド・スワン』(講談社、1993年、土屋京子訳)は、著者三代の家族史を現代中国史に位置付けて好評であった。これはファミリー・ヒストリーであるから、虚実とりまぜて面白く書いても、フィクションか、その性質を問われることはなかったからだ。

 ところが、今回は、「虚実皮膜の間」といった曖昧さは評されない。毛沢東の生涯は即中国革命史であり、中国現代政治であるからだ。もし本書がフィクションならば、私がこの書評を書く必要はない。文芸評論家の仕事だ。

 今回の『マオ 誰も知らなかった毛沢東』が、「数百人をインタビューして」「膨大な文献目録」を付しているのは、その「実証性」を売り物にしたいためである。「史料に基づく新たな現代史解釈」なるものを売り物にしたいためだ。現に日本のほとんどの大学教授はこれを「歴史書」と受け止め、やれ「衝撃だ」とか、やれ「現代史の書き換えが必要だ」と大新聞等で大合唱を続けているのが、その証左である。

 これらの間違った情報に誘導されて、普通の読者は、「虚実皮膜」というよりは、「虚ありて実なし」の偽作をあたかも史的事実として読む恐れが強い。私か徒労感を押さえて、あえてこの1文を書くのは、この問題の根深い根源を剔抉するためにほかならない。

 今回の『マオ』は、明らかに失敗作である。早い話が訳者・土屋京子は著者名の表記さえ間違えている。この欠陥商品を中国現代史に疎い素人教授たちが大新聞の書評などでもてはやすので、私のところにも真偽確認の問い合わせが少なくない。大迷惑だ。

 初めに断っておくが、毛沢東の「神格化」否定や虚像破壊に対して、私は反対ではない。毛沢東個人崇拝が現代中国史を彩る悲劇の核心であることは明らかだ。しかし「神格化」を否定しようとして単に「悪魔化」しただけでは、悲劇を克服することにはならない。毛沢東を「スターリンよりも、ヒトラーよりも悪い梟雄」と見るだけの視点から、強引に通説を否定した『マオ』は、遺憾ながら三文小説の域を出ない。「新説の論拠」がまるで示されていないので信憑性が問われる。

 著者・張戎は、1952年生まれ、14歳で紅衛兵を体験し、文化大革命後四川大学英文科を卒業し、1978年にイギリスに留学した。1991年に『ワイルド・スワン』を書いて、全世界で1000万部以上を売り上げた。この本の邦訳が出たとき、私は講談社に依頼されて張戎と対談した。それは『週刊現代』(1994年4月16日号)に載っている。

 共著者の1人である張戎の夫ジョン・ハリデイ氏については、ロンドン大学キングズ・カレッジの前上級客員特別研究員と紹介され、アメリカ版では、その著書として、三冊(略す)が挙げられている。いずれも中国近代史やロシア史とは無縁だ。・・・略・・・
 以上の著作から浮かぶハリデイのプロフィールは、「中国問題専門家」や「ロシア史専門家」などではない。どうやら「新左翼崩れ」のもの書きといったところか(なお、後述のネイサン教授の評価も参照されたい)。・・・略・・・


 ●張作霖爆殺事件について

 「張作霖爆殺事件は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から
最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」(邦訳上巻301ページ)。英語の原文はどうか。
 This assassination is general1y attributed to the Japanese,
 but Russian intelligence sources 
have recently claimed  that it was
  in fact organized, on Stalin's orders, by the man laterresponsible for
 the death of Trotsky,
  Naum Etingon,and dressed up as the work of the Japanese.
  (アメリカ版175ページ)。

 「(矢吹訳)しかしロシア諜報機関の資料は、実際にはスターリンの命令で組織され、トロツキー暗殺に責任を負うナウム・エイティンゴンによって実行され、日本軍の仕業に見せかけた、と
最近主張している」。 

 いま私が傍線(*ここでは青色文字としました)を引いたように、邦訳は「最近明らかになった」と既定の事実として描いているが、原文は「(諜報機関が)主張している」だ。つまり「明らかになった」と断定するのは早計であり、スパイの手柄話し、自慢報告のなかに、その記述があるといった趣旨にすぎない。問題の1つは誤訳である。原文では「主張している」にすぎないものが、訳語では「明らかになった」ともはや確定的だ。

 もう一つは、原文自体の誤りだ。著者の典拠は何か。・・略・・
(その典拠とする)資料はGRU(旧ソ連国防省参謀本部諜報部)の本であり、カギになる役割を果たしたのは「ゾルゲの前任者サルニン」だという。もう1つの間接的証明なるものは、ヴィナロフの「本の写真」で、「本人撮影」のキャプションがつけられている由だ。

 これだけの記述から、「張作霖爆殺事件はスターリンの陰謀であった」と信じ込むのは、よほど脳細胞の単純な人か、陰謀好きのマニアか、あるいは知的水準の疑わしい知識人たちではないのか。情報は具体的に検証しなければならない。当時の満洲では、張作霖の部隊と日本の間東軍が対峙していた。その周辺には国民党の諜報員、中国共産党の諜報員がいて、さらにコミンテルン、スターリンの諜報員もいた。関東軍高級参謀・河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか。事件について「事後に」、謀報員たちがそれぞれの報告を上司宛てに書いた可能性はあろう。写真も添えたであろう。したがって、「ブルガリアで1969年に出た」とされる本のなかに、写真があってもおかしくはない。こうして「ゾルゲの前任者・サルニン」の指揮の下で、「トロツキー暗殺にかかわったナウム・エイティンゴン」が実行し、「ブルガリア人ヴィナロフ」が写真を撮影した。これが張戎の妄想した「スターリンの陰謀」である。私はむろん、この分野の専門家によって陰謀物語の信憑性が点検されることを期待するが、虚構につきまとう臭気がぷんぷんしているのは否みがたい。この本はデタラメだらけであり、他のあまたの間違いから類推して、この部分も歴史の偽造の可能性が強く、妥当な結論とはとうてい認めがたい。

 インタビューの実態 ― 2人の米専門家の猛烈な批判

 本書(『マオ・・』)は「10数年を費やし関係者数百名をインタビューした」と宣伝されているが、中国で取材を受けた人物の中には、章含之のように、取材を受けた事実を否定した者さえある。例えば『ニューヨーク・タイムズ』クリストフ記者の確認に対して、章含之は引用されたような発言をしていないと否定したことがインターネット上の百科事典ウィキペディアで紹介されている。

 このような「自称ノンフィクション」が「史実」と誤解されるのは、由々しいことだ。この本が検証に堪ええない欺瞞に満ちていることを鋭く指摘したアメリカの見識ある2人の教授のコメントを紹介しよう。すなわちイェール大学ジョナサン・スペンス教授が書いた「モンスターの肖像」(『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』)および先のコロンビア大学のアンドリュー・ネイサン教授の書いた「翡翠とプラスチック」(『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』)である。
 
  ● スペンス教授の「モンスターの肖像」
 
 スペンス教授の書評「モンスターの肖像」は『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』(2005年11月3日号)に掲載された。

 同教授はまず、S.Bernard Thomas,“Season of high Adventure:Edgar Snow in China”(カリフォルニア大出版, 1996)から書評を始める。『マオ』の仮想敵の1冊がエドガー・スノーの『中国の赤い星』であるからだ。張戎夫婦はエドガー・スノーが共産党員だから、毛沢東の言い分をそのまま書いて、ウソを世界中にまき散らしたと非難している。スペンスはトーマスが40年後に、スノーの訪中前後の事柄を再調査した本を丁寧に紹介しつつ、張戎夫婦の主張を批判する前提として、スノーの描いた毛沢東を確認しながら、張戎夫婦の毛沢東と対比して行く。

 そして第19章「戦争拡大の陰に共産党スパイ」(アメリカ版タイトルは、” Red Mole Triggers Ghina―Japan War“)まで来ると、スペンスの張戎夫婦批判が猛火を吹く。この章は国民党の、南京・上海警備区司令官張治中将軍が「長期にわたって共産党スパイ」であり、1937年8月にスターリンの指令によって「眠りから覚め、日中戦争を拡大した」と主張する。

 張治中将軍が「スターリンの指令に基づいて」、大山中尉殺害事件などを引き起こすことによって日本軍の戦線を華中まで拡大させ、日中全面戦争を導いたと説くのだ。この荒唐無稽な珍説を白面自賛して、「張治中は史上最も重要な働きをしたスパイと呼んでも過言ではないだろう。ほかのスパイは大半が情報を流しただけだが、張治中は事実上たった1人で歴史の方向を変えた可能性が大きい」「これは、おそらくスターリンにとって大成功の作戦だった」「張治中と接触したソ連大使館付き武官・レーピンとソ連大使・ボゴロモフは、直後に本国に召還され処刑された」(邦訳上巻344ページ、アメリカ版203ページ)と書く。

 張治中将軍スパイ説について、スペンス教授は明確に否定する。曰く、
 「当時、国民党と共産党が争っているところに日本軍が介入した。3者がそれぞれの諜報部員と暗殺組織をもち、その1部は2重スパイ、あるいは3重スパイであった事例は確かに存在する」「1つは国民党と共産党との国共合作のため、相互の連絡調整は不可避であった。将校たちはかつて1920年代初頭に広州近くの黄埔軍官学校で共に学ぶ関係にあり、そこではコミンテルンのオルグたちが活発に活動していた。蒋介石は学校長、周恩来は政治部主任であった。蒋介石は軍事訓練を学ぶためソ連を訪問し、周恩来はフランス勤工検学から帰国したばかりであった。蒋介石のお気に入り張治中将軍が1949年に蒋介石とともに台湾に撤退せず、大陸の八路軍に降伏したのは事実だが、ここか
ら類推して張治中将軍スパイなる新説を出す前に、次の点を検証せよ。
(1)スターリンは日本との戦争を拡大するために、どのようにして、張治中将軍を眠りから覚めさせ、活動を始めさせたのか。
(2)上海を基地とするコミンテルンのスパイは、まだモスクワのスターリンと秘密の無線通信を保持していて、それを張治中将軍に伝えたというのか。
(3)張治中将軍が眠りから覚めるまでの、実際の任務は何であったのか」。

『張治中回想録』(1936年2月の記述)によると、当時国民党軍官学校校長を務めていた張治中は、蘇州上海地区を日本軍から防衛する「秘密計画」を立案した。この仕事は1937年になって、張治中が青島の医療施設で治療を受けたときも続けたが、1937年7月9日、日本軍が華北を攻撃したニュースに接するや、彼は急いで南京・上海地区防衛のために戻った(『張池中回想録』 109、111、116~117、123、139ページ)。

 「(張治中が)共産党のために働いているようには見えない。張治中将軍は日記で、1932年初め上海で日本軍と積極的に闘ったことを記した。蒋介石が南京に戻ったとき、空港で張治中に会い、張治中の報告を聞いた上で、部下として信頼した」。

 張戎は張治中将軍が「日本軍との戦闘に積極的であったために、1937年9月に辞任させられた」と書く。だが、上海地区での日本軍初期の勝利以後、「張治中は上海から湖南省知事に配転された。これは左遷ではあるまい。蒋介石の全体計画は長江の南にある湖南省を越えて西南に移動しようとしていたから、湖南省は中国の将来にとってカギになる地域なのだ」「1937年11月、張治中将軍は黄埔軍官学校以来10年ぶりに周恩来ら同校の旧知の仲間と再会した。張戎は『張治中回想録』を援用しているが、張戎の主張を裏付けることはできない」。

 スペンス教授は『マオ』の主張の核心の1つを崩してみせた。

 堅い話に続けて、スペンスが超柔らかいエピソードを紹介する筆力には、思わず笑わせられる。それは林彪夫人葉群と総参謀長・黄永勝の情事を描いた睦言の電話盗聴記録なるものだ。彼は『マオ』から次のように引用する。

 「葉群は性欲の盛んな女性だったが、どう見ても不能な林彪元帥が夫では性欲のはけ口がなかった。葉群は林彪のことを「キョンシー」(硬直死体)と呼んでいた。葉群と愛人の関係については、3時間にわたる電話の盗聴記録が残っている。

葉群: あなたが肉体的満足を求めたせいで面倒なことになるのではないかと思うと、心配でたまらないわ。正直言って、わたしの人生はあなたと切り離せないけれど、政治的にも個人的にも・・・ねえ、101 [林彪のコードネーム」が家でどんなふうか知ってる?
わたし、いつも虐められているの・・・あなたは気持ちをだいじにしてくれる人よ、わかるわ・・・この国は大きいんだから。わたしたちの子供にひとつずつ重要な仕事を与えればいいわ!そう思わない?

黄永勝: ああ、まったくきみの言うとおりだよ。
葉群: わたしたちの子供を合わせれば、5人になるわね。5人の将軍みたいにして、うまくやっていくと思うわ。1人1人を重要な地位につけて、みんなあなたの助手になるの。
黄永勝: ほう?それはうれしいね!
葉群: 処置はしといたわ[避妊のこと]。万一できて堕ろさなくていいように[赤ん坊のこと」、いちど会いに来てほしいわ。[すすり泣く声」
黄永勝: 行くから!行くから!泣かないで。わたしが悲しくなる。
葉群: もうひとつ言っておくわ、あなた、わたしに縛られる必要はないのよ。好きに遊んでくれていいの・・・わたし、心の狭い女じやないから。あなた、他の女性を相手にして、熱くなってくれていいのよ。わたしのことなんて気にしないで・・・」(邦訳下巻357~358ページ)

 いかにも三文小説だ。

 スペンスは林彪夫人・葉群と総参謀長・黄永勝の情事をめぐる「盗聴記録」とされる箇所について、次のようにコメントしている。この部分は、四人組・林彪事件裁判当時の資料を基に作家が書いた肖思科著『超級審判 図椚将軍参与審理林彪反葉命集団案親歴記』(済南出販社、1993年、87~91ページ)の引用であるが、この「盗聴記録」なるものの信憑性はどうか。林彪・葉群夫妻、長男林立果の3人、この事件で最も重要な関係者はいずれも死亡している。このような状況で、『超級審判』の記述を検証なしに、そのまま受け取ってよいのか、と。さらにこの「語り口」からわかるように、これは「黄の盗聴記録」というよりは、bawdy Chinese popular story tellin tradition ではないか、とコメントしている。bawdy house とは売春宿のこと。ここでは、中国的ポルノ小説の主役を葉群と黄永勝に当てはめただけではないか、というのがスペンスの解釈である。

 私が三文小説というのは、この部分を含めて、毛沢東を隈取りも憎々しい悪役に仕立て、王明や劉少奇を悲劇の英雄になぞらえた大衆小説を描いたことを指す。著者は「旧ソ連アーカイブ」や『毛沢東思想万歳』の片言節句をちりばめて史実に見せかけたが、一知半解のわが専門家たちはコロリとだまされた。彼らは現代中国を語る知見を欠いていることを重ねて暴露されたわけだ。『超級審判』該当箇所の中国語原文も手許にあるが、紙幅の都合で割愛する。内容は邦訳の睦言と基本的に同じである。スペンスが具体的に実証してみせたのは、張治中将軍のスパイ問題と葉群と黄永勝の「盗聴記録」だが、これらの典型的な事例から推して、『マオ』全体の信憑性を否定しているわけだ。これが専門家の見識というものだ。スペンス教授に敬意を表したい。
 
 ★ 書評の鑑、ネイサン教授「翡翠とプラスチック」
  
 次にアンドリュー・ネイサン教授「翡翠とプラスチック」(『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』(2005年11月17日)を紹介しよう。

 日本の「書評もどき」の氾濫に対して、暗澹たる気持ちになっていたところへ、本命書評が出た。改めて図書館へ行く必要を感じていたところ、友人がインターネットで簡単に読めることを教えてくれたのだ。これはありかたい。この程度の費用を惜しむわけではまったくないが、図書館まで出かける時間労力とインターネット・アクセスを比較すると、その快適さは雲泥の差である。私は、実は天安門事件以後のネイサン教授の民主化論、人権外交論には好感を抱いていなかった。しかし、今回の書評を読んで、やはりまともな学者はエライと見直した次第である。

 張戎夫婦の『マオ』には、「インタビュー対象者が38カ国、363人だ」と数えてある。「教百人」でごまかすのではなく、議論においては具体的な数字が必要である。実はこの数字は実名が挙げられている場合のこと、このほかに「匿名のインタビュー対象者が何ダースか」いる。例えば延安時代に毛沢東の上製の木綿シャツを洗ったとされる洗濯屋、毛沢東のライバル王明に消毒液リゾールをのませようとしたとされる薬剤師、「多数の」毛沢東のガールフレンドなどだ。

 ネイサンは張戎夫婦の以下の記述に注目する。

(1)毛沢東は江西ソビエト期に私財をためこんでいた。
(2)毛沢東の部隊は長征の間、1度しか戦闘しなかった。
(3)紅軍が国民党の包囲追撃をかわすことができたのは蒋介石が逃亡を許したからだ。
(4)大渡河濾定橋での戦闘はなかった。
(5)1962年に毛沢東はソ連の支援を受けてインドを攻撃した(ここで矢吹が一言コメント。最後の箇所「ソ連の支持を受けた上でのインド攻撃」とは、噴飯物だ。1960年半ばにソ連は対中国援助を引き揚げ、62年には中ソ関係は敵対的状況になっていた。そのような状況下でソ連がどうして中国を援助するのか)。

 ネイサンは張戎夫婦の以下の記述にも注目する。
(6)毛沢東は延安時代にライバル・王明に毒を盛った。
(7)毛沢東は自分の党内地位を上げるために、部隊が殺戮されるのを承知の上で派遣した。
(8)毛沢東は文化大革命期に劉少奇を時間をかけてなぶり殺すのを楽しんだ。
(9)毛沢東は利己的で無慈悲だ。残忍で嗜虐的な権力亡者であり、理想を欠き安逸を好み、富と性欲を満たすために、革命をやろうとした。

 このようなトピックにこだわる張戎夫婦についてネイサンは言う。
「小平による毛沢東の「功績7分、過ち3分」論の以後20余年、いまでは毛沢東を聖人と見るような、古いイメージにこだわる者はほとんどない。しかし張戎夫婦にとっては、暴露が今日でも必要なのだ」。

 しかしながら、とネイサンの批判は、ここから始まる。張戎夫婦の発見した多くの事柄は、典拠を調べることができない。他の場合は当て推量か、あるいは状沢証拠しかなく、1部のものは真実ではない。
 典拠を調べられないのは、2種類ある。1つは匿名者へのインタビューであり、もう1つは未刊の文書あるいは書籍を用いていることだ。匿名インタビューの例として、以下の事例をネイサンは丹念に拾い上げている。・・・略・・・

 ネイサンはさらに文化大革命期に劉少奇を死刑判決にするかわりに、「長たらしいなぶり殺し」を行い、「その過程を楽しんだ」と記述した箇所について、典拠は「劉少奇夫人・王光美」と「林彪1家の匿名の一員」とされているが、この典拠も確認するすべがない、と批判している。さてこのように指摘したあと、ネイサンは「匿名インタビューをすべて否定し、未刊の資料を用いること自体が悪いのではない」と留保している。

 「私自身必要な場合には、それをやっている」「だが、張戎夫婦の場合には典拠の信頼性を検証するための情報をまったく提示していないことが問題なのだ」というのが批判の核心である。

 このあたりを読むと、私は研究者としてのネイサンヘの共感を新たにする思いである。ネイサンは中国の民主化運動を支持し、時には、国外逃亡を肋けるような活動にもコミットしたことがあると記憶している。当然ながらその人々や情報源を守るために、表現方法には工夫を加えなければならない。しかしながら、それを口実として、勝手なインタビュー対象者をデッチあげるならば、それは偽造になる。したがって、一方で匿名性を守りながら、他方で匿名の必要性がなくなった時点で実名を公表できるようにしておくことが望ましいし、そこまでの事態は期待できない場合でも、少なくとも、その匿名化の理由と、その匿名によって架空のインタビューをデッチあげたのではないことを納得させうるような方法を提示するのが研究者の義務である。

 張戎夫婦はどうやら、こうした「学問研究のABC」についての訓練を経ていないごとくである。実に安易に匿名の人物に語らせるのは、虚構と史実とを区別する必要性を理解していないのではないかと疑わせるに十分だ。私(矢吹)が『マオ』で最も強く疑惑を感じ、批判したいのは、著者たちのこの曖昧な態度にほかならない。
・・・略・・・

 私(矢吹)は『天安門文書』の編集の仕方や彼の民主化論には、賛成できないが、『マオ』に対する本格書評については、まさに「書評の鑑」として学ぶべきだと考える。
・・・略・・・
 
  続く。   

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