カウンター 読書日記 ●疑史(第16回)  甘粕正彦の正体
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●疑史(第16回)  甘粕正彦の正体
●疑史(第16回)  甘粕正彦の正体

 南開学校からの留学生・王希天は、背後組織からの脱退を望むようになり、関東大震災直後の亀戸で、垣内ハ洲夫中尉の聾撃を受け死亡と判断されて姿を消した。憲兵大尉・甘粕正彦の企画によるものであった。奇天は以後、上高田の救命院で吉薗周蔵の保護を受けつつ薬物研究に取り組んでいたが、
昭和4年の末、周蔵・藤根大庭と忘年会を催した折、「上原元帥と甘粕正彦は、精神的に日本人からはみ出し、いわゆるユダヤ(ワンワールド)に加わっている」と明言した。当人がワンワールドの拠点南開学校から日本偵察のために派遣されていたのだから、信憑性の高い証言である。

 これのみならず、甘粕と秘密結社の関係は、史料を注意深く渉猟すれば、方々に散見される。まず甘粕伝記で最も普及している角田房子著『甘粕大尉』には、「フランス時代の甘粕はフリーメーソンに関係していた。または日本人メーソンであった・・・という説がある。大東会編『甘粕正彦先生の年譜』(昭和40発行)にも、「パリーではFMのグレート・トリアント・フランスに入社、ヨーロッパの枢要地を視察・・と書かれている」とする(FMとはフリーメーソンのこと)。自著で大東会説を紹介したものの、角田自身は「大杉事件という過去を持つ元憲兵、甘粕とフリーメーソンが結びついたとすれば興味深いが、渡仏中の甘粕の世話をした澄田来四郎、遠藤三郎の二人は「噂を聞いたこともなく、信じられない」と言った、と否定的見解を述べ、さらに自論を補強するために澄田説を掲げる。「武官時代にフリーメーソンを調査し本省へ報告書を出したことがある」と語る澄田は、この秘密結社に精通している。彼は〔あの当時の甘粕が近づけるような結社ではない。彼の語学力を考えただけでも不可能だ〕と語った。つまり、陸大首席卒で渡仏し、陸軍きってのフランス語使いと言われた澄田中将に直接会い、「自分の軍人語学が現地では全く通用しなかったのだから、陸大も出ていない甘粕にできる筈がなく、故に甘粕のフリーメーソン入会は不可能」と聞いたというのである。

 上記を判断するに、大東会については未詳だが、甘粕“先生”と讃える所からみて、昭和9年に甘粕が創立した苦力斡旋業者の大東公司のOB会の類と思われる。

 それならば創立者の年譜を編集しても当然だが、角田の引用文から窺うと、年譜と言うのに、甘粕のFM入会と枢要地視察の時期を特定していないようだ。尤も、角田や澄田の(表面上の)立場からすれば、甘粕の仏国留学は仮釈放後の昭和3年1月から1年余りの陸軍支援の新婚旅行以外にはあり得ないから、FM入会はその時期しかないことになる。しかし、本稿で見てきたように、甘粕は実際には陸軍戸山学校で膝を怪我してから朝鮮赴任までの間、秘密裡に仏国留学をしたのは確かで、甘粕が仏国FMのグラントリアン・ド・フランス(大東結社)に入会したのは、むしろその時期であろう。もっと言えば、上原の命令で、大東結社入会を目的として秘密裏に渡仏したのではないか。とすれば、台湾の南国公司に倣って設立した山東苦力取扱業者の社名を、甘粕が「大東公司」と名付けたのはグラントリアンに因んだものかも知れない。

 次に、仏語会話について言えば、日仏混血の愛人と現地で同棲した甘粕の力量は、陸大首席の畳水練(畳の上で泳ぐ練習で、身につかないことの喩え)とは段違いに上位だった筈である。現に後年満洲国で甘粕に親灸した武藤富男は、甘粕と伴にした欧州行の思い出として、

 ①シンガポール当局から1人だけ上陸を拒否された甘粕は「自分は以前ここに立ち寄って、悪さをしたことがあるからだ」と説明し、

 ②フランスでの甘粕は小鳥の歌うように流暢に仏語を話した、と証言する(『満洲国の断面』)。

 ①は、軍費新婚旅行の際の可能性もあろうが、やはり秘密留学の折と見た方が自然である。②については、甘粕の仏会話が下手とは澄田が意図的にした嘘で、甘粕FM説を打ち消すための協力だろう。

 「FMを調査して本省へ報告したことで、FMに精通している」と自称する澄田は、昭和8年に駐仏武官、同15年に大本営参謀・仏印派遣団長と、対仏関係の要職に補せられた。これは経歴から当然としても、夫子自身がFMに関係したフシがある。子息の★澄田智も東大卒後大蔵省に入り、海軍経理学校から海軍士官として南方勤務、戦後は大蔵省に復帰して事務次官に昇ったが、昭和59年に日銀総裁となり、プラザ合意を実行して日本バブルを発生せしめた。明らかにワンワールド・バンカーの指令によるもので、澄田父子には、ともどもワンワールド員と観るべきフシがある。ソルボンヌで学んだ角田も、大東結社員たる疑いがあり、件の甘粕伝記もその類からの依託によるものと観て間違いない。


 なお、★については、広瀬隆の諸著に詳しい。


 甘粕に関するその他の証拠を、『吉薗周蔵日誌』から捜してみよう。昭和12年9月、石原莞爾少将が関東軍参謀副長となると聞いた周蔵は石原に会いに行く。「もう遅い」と言われたが気落ちせずに、市ケ谷陸軍官舎に隠棲する貴志彌次郎中将を訪ねると、貴志は、癌による背中の痛みを堪えながらも周蔵の質問に答えてくれた。貴志から「情報が色々入リマスカ」と聞かれ、「実は今、石原さんにお目に掛かってきたところで、間もなく関東軍参謀副長として発たれるが、もう遅いようだ」と答えると、「石原サンガサフ云フノ?」と言われたが、かなり衝撃だったのかも知れない。近況を問われた周蔵が「今はケシ栽培だけにさせて貰っている。人間には迷ってしまっているが、時々は荒木さんや甘粕の手伝いはしている」と答えると、貴志は荒木貞夫大将の内情を二三、教えてくれた。

 貴志さんは、他人の評価なぞ口にしない、正に紳士で気の澄んだ方だが、目に余る事でも知っておられるのか、加えて甘粕の事で忠告してくれた。「甘粕さんの場合は、石原さんのように言葉のまま受け取っては迷うという事を、君の胸にしまって置きなさい。悪人ではないが、大分以前、秘密結社との繋がりもあると聞いている。それは定かではないが、彼の話はほとんど正しくはない。彼の本当を知っているのは上原閣下と東条さんでしょう」

 それに続き、「甘粕さんの事は、経歴、私生活など偽られたところで痛くもかゆくもない。気にする必要はなし、と覚ゆ。ただし、秘密結社との繋がりには驚くが、気がつく事多し」と記した周蔵は、8年前に上高田救命院で、王希天から 「上原閣下と甘粕さんは、いわゆるユダヤに加わっている」と聞いていたから、〔気がつく事多し〕の方が本音で、〔驚く〕の意味は、貴志さんがそれを知っていた事であろう。

 引き続いて「(甘粕は)石原さんと親しくされておるが、東条さんに石原さんの青写真を流して、その先勢を潰しておると、牧野さんも安太郎氏も言われている。こうなると、それは正しいようにも思う。しかし、その場合、思想・主義は何なのだろうか?」と記す。「甘粕は、石原と親しくしていながら、世界と日本の将来に関して石原が作った総合設計図を東条に流し、その進展を邪魔させている」と、牧野三尹からも若松安太郎からも聞いていた。現状を見ると、たしかに甘粕謀略家説が正しいようにも思うが、その場合、東条の思想・主義とはどんなものだろうか?」(注・牧野は開業医を看板にした陸軍の裏軍医で、秩父宮とも親しかった。若松安太郎は本名堺誠太郎、水産業を看板にした上原勇作のスパイである。周蔵が抱いた昭和12年のこの疑問は、大戦後の今日では推測が可能であるが、ここには紙数がない)。

翌月、石原莞爾の後を追うような気分で満洲に行った周蔵は、甘粕が現地でかなりの実権を侍っているのを目の当たりにした。金主であるらしく、軍の高官がやたらにヘーコラしている。「俺が言った通り、来るに及ばずだったろう」と言う石原の、「もう内地に戻って、紙幣を、金としての値打ちの証になる不動産にでも代える算段をした方が良いよ」との忠告に反論すると、「君は軍人ではないのだから、このままでは最後に損をするよ」と言われ、さすがに民情を良く知る石原の言と感じた。日本人官僚が肩で風を切り、法匪と呼ばれている満洲は、石原が描いた青写真からは全く逸れてしまっていた。周蔵は、甘粕の満映計画をこの時に聞く。「甘粕さん、満洲に映画会社作るの由。★資金の事で、内地に行く予定との事。再来年ぐらいにと、予定してゐる由」

 さらに『周蔵手記』昭和14年条。「満洲キネマの事、甘粕さんから聞く。応援者は薩摩とつきあふ連中らしい。カクトヲ氏も関係してゐるやふだ」。甘粕から満映の事を聞いた周蔵は、欧州にいる応援者は薩摩治郎八と付き合う(秘密結社の)連中らしいが、知人のシャン・コクトーも関係している事を知る。この裏打ちを、私(落合)はさる外国系情報員から教わった。つまり「映画とは、カメラとフィルムと映写機があれば出来るというものではなく、脚本・制作から何から、膨大な周辺作業を必要とする総合システムのため、当時の日本人だけでは逆立ちしても出来ないもので、要するにユダヤ(ママ)の支援約束を取り付けたので、甘粕が満映を設立することが出来た」との事である。

「尤、カクトヲ氏への薬は甘粕さん回りであるから、全て連鎖なのであろうか」。藤田嗣治から紹介されたシャン・コクトーが必要とするケシ薬を作り、予てから送ってやっていた周蔵は、薬の中継役の甘粕に対してコクトーが協力するのは当然かも知れぬが、結局はコクトーも藤田も含めて、すべてが連鎖関係にある、と考えた。藤田からすでに、コクトーが秘密結社テンプル騎士団の総長であることを聞かされていたからである。しかし「ナチスはユダヤを追放してゐるのであるに、甘粕さんはユダヤ系の秘密結社と繋ってゐてのキネマであるやふであるに、東条は?」と、以前から抱く疑問がまた起きてきた。つまり、「東条英機の信奉するナチスは、ユダヤを追放している。その東条を牛耳っている甘粕が、ユダヤ系秘密結社と繋がっているからこそ可能な満映であるのに、東条はその辺をどう考えているのか?」ということで、何がなんだか分からなくなった周蔵は、結論として「石原さんの説では、東条には主義も思想もないというから、あるいは、思考は甘粕に一任という事だろうか。深く考えると実に嫌になる」と慨嘆する。国家主義者の象徴甘粕が実はワンワールドであった。その甘粕が頭として乗っかった胴体の東条英機の正体は、果たして何であったかと周蔵は迷った。

 我々も深く考察する必要がある。

 第16回 <了>。
 
 

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