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●疑史(第15回)  大杉栄暗殺の真相  
 ●疑史(第15回)  大杉栄暗殺の真相  

 僑日(在日学生等の)共済会会長・王希天が大正12年の大震災の直後、府下大島町に住む同胞を案じて亀戸に来たのは、9月9日の昼であった。「午後、王希天は、野重七連隊に逮捕され、亀戸郵便局隣の憲兵司令部に連行さる」と仁木ふみ子著『震災下の中国人虐殺』がいう根拠は遠藤三郎日記である。野戦重砲兵第三旅団第一連隊第三中隊長から9月5日付で第三旅団参謀に捕せられた遠藤大尉は、自警団の暴走を警戒し、戒厳司令部の了解の下に習志野廠舎を、朝鮮・支那人の保護収容のために開放することを決めたが、護送を担当する第六中隊長佐々木兵吉大尉は不安がる支那人労働者を安心させるために、たまたま亀戸署を訪れた希天を利用することにした。

 野重が希天を逮捕して憲兵隊へ連行したと言われる実情は上の通りで、同胞説得を依頼された希天は進んで協力し、10日午後6時半に亀戸警察署に移り(伍銘鐘証言)、11日には支那人受領事務を手伝ったが、同日昼頃から始まった護送の途中で、「自分は役場に行く用事かおり、習志野には行かない」と言い出し、独り自転車で別路を辿るが、午後再び亀戸署に現れた。12日早暁に亀戸署を出た希天の身柄を受け取った佐々木大尉が希天を千葉街道を東へ連行し、逆井橋で待ち受けていた垣内八洲夫中尉が背後から斬り付けた。襲撃は、旅団司令部の命令を受けた佐々木中隊長が中隊付垣内中尉に命じたものだが、必殺命令ではなかったと見え、「希天の死亡までは確認しなかった」と垣内は証言している。

 関係者と目撃者の証言を合わせると、以上を大筋と見てよいのだが、
これには驚くべき裏面があった。既述のように王奇天は、呉達閣・周恩来と共に南開学校から偵察目的で派遣され、中華メソヂスト教会・中華YMCAを拠点にして留日支那学生の反日運動を指導してきた。大正11年から方向を僑日労働者の保護・救済に転換した奇天だが、その間いつしか秘かに対日協力派に乗換えていたのである。奇天を調略したのは憲兵大尉・甘粕正彦で、両人はアルザス出身のメソヂスト牧師ポンピドー(支那名彭彼得)を介して、人間関係が極めて近かった。南開学校と関係が深く、同校出身の奇天に中華メソヂスト教会を引き継いだポンピドーは、妹シルベールと上原元帥との間に姪がいて、その愛人が甘粕であった。つまり両人は、片や憲兵、片や反日留学生と、表面上は正反対の立場だが、同じくワンワールドに属していたのである
 かくの如き事情を吉薗周蔵が知るのは昭和4年の末で、場所は周蔵のアジトの一つ上高田救命院であった。ここには周蔵の従兄で外科医の渡辺政雄が大正6年から住み、垣内中尉の軍刀により片脚になった王奇天が大正12年から隠れていた。昭和4年末のある日、周蔵と藤根大庭が加わった4人が交わした会話を、周蔵が手記の『別紙記載』に記している。

 その内容は日本近現代史の真相を暴くものだが、余りの重大性に鑑みて、ここにはその一端しか記せない。『別紙記載』は「コノ年ハ 實二社會勉強ヲシタル。今年ハ 田中義一ト後藤新平ガ死ンダ」で始まる。続いて「これには上原閣下-久原、久原--○○なる人物、の関わりがあるようだ。これらの人物たちは、いまだ研究途中の、生アヘン十△△△△十抹茶(茶道の濃茶)の、個々の形によって死亡のようだ」とし、「王さん云わるに、王さんはどうやらその所に推理したるようだ。となれば久原か」と自らの推測をも加えた。

 つまり、
田中義一と後藤新平は自然死ではなく、前者の死因には上原と久原房之助が関係し、後者には久原と○○が関与していて、生アヘン・某生薬・茶道の濃茶の三点セットによって死亡したようだ、と言うのである。その根拠は、「王さんの研究はいまだ途中であり、王さんの実験とちょうど同じような様子らしい」。つまり、目下生アヘンの応用を研究している希天が、そう推断したからである。生アヘンと聞いた途端に周蔵が、久原が関係していると直感したのは、上原から紹介された久原に対して、この十数年間、自分自身がアヘン末を提供してきたからである。

上原は父の従兄だから、周蔵は親戚として気になる。「自分にとって閣下は多少縁戚であり、理由を知りたいと思い、王さんに推理を頼むと、王さん曰く、推理しなくとも少しは心当たりがあると言わる」。抜群の頭脳の上にワンワールド情報も豊富な希天に推理を頼むと、希天は「とくに推理せずとも、心当たりがある」と言いだすが、同席の藤根が先に口を挟んだ。「藤根さん言わるに、おそらく甘粕さんが大杉の家や野枝の住まいの家捜しをして、それなりに何か見つけたであろうし、後藤は何か大杉に残したる物あって、それを甘粕さんに揺さぶられることになったであろうから」

 大久保の全竜寺境内に住む
藤根は、請負師を看板にした上原の草(=スパイ)であったが、水沢出身だから同郷の後藤にも通じていた。大杉栄の渡仏費用を後藤が出したことは周知だが、渡仏の目的が、後藤の依頼により上原・甘粕の秘密結社関係の調査にあったことは知られていない。大杉の帰朝報告を受けた後藤に尻尾を掴まれた上原と甘粕が、事態に対処せざるを得なくなった時、絶好の機会が到来した。関東大震災である。部下に大杉を検束させた甘粕は、その間に大杉と愛人伊藤野枝の家捜しをして、後藤が大杉に与えた何かを見つけ、これを後藤を揺さぶるための材料とした。因みに、大震災の直後に噂された陸軍による暗殺予定リストに後藤の名があるのも何かを示唆する。 

 右は単なる想像ではない。「藤根さんは、後藤新平から聞くと共に、野枝を使うは大杉にて、大杉は本来、後藤と直接という顔せぬために、藤根さんがその間に頼まれることとなったようだ」。右の如き事情は、何と藤根が後藤本人から聞かされていたのである。大杉と後藤が直接会わずに済むよう両者を中継していた藤根は、後藤が死んだ今、その事を周蔵らに打ち明けた。
 
 次いで希天が説明した。「パンビダフ神父 カノ神父ノ妹トノ間二 閣下ノ子供。サノ子供ト 甘粕サンノ愛人関係。 (青山)教会ニモグリ込ムダルハ 野枝。 大杉栄 伊藤野枝ハ共産党デハアルガ 後藤新平ノ草デアッタ由。 同席ノ藤根サンモ認ムル」。中華メソヂスト教会を引き継いだ希天は、本来ポンビドーと親しく、当然上原・甘粕を含めたポンビドー一族の内情に通じていた。共産主義者の大杉は後藤の草でもあり、伊藤野枝を青山教会に潜らせてポンピドーを探らせたと聞き、周蔵は後藤の正体が分からなくなる。「では、後藤は何であるか」と問うと、藤根さん「実はこの研究を乗っ取られそうで、恐ろしか時もあったから、そろそろ引延しに苦慮しておった時で、実は死んでくれて助かった」とのこと―この研究とは毒物研究のことである。呉秀三博士の依頼を受けた周蔵は、渡辺政雄と王希天を頼み、上高田の薮の中で生化学兵器の開発を進めていた。周蔵が費用を負担し、陸軍に顔が利く藤根が陸軍との連絡に当たっていた。あくまでも上原の配下であった藤根は研究成果の提供を迫る後藤に対して、回答を引延していた。

  「後藤がこの毒物を何にしたいか」と問うと、「これはね、権力者は皆、欲しいものだよ」と、藤根さんも王さんも言わる― 遅効性で証拠が残らない毒物は、権力者なら誰でも秘かに求めている物だというのである。「だから自分は支那に戻ることを辞めたのだ。権力者になるは地獄道だから、何処まで行くも際限がなく、苦しいと思うよ」と言った希天は、予て(ワンワールドからの?)足抜けを図っていたが、大震災を好機会に、親友の甘粕に頼んで自ら死亡を演じた。甘粕の手配違いで片脚を切られたが恨む様子はなく、「ここまでやらなけりゃ、足技けなぞは到底出来ん」と呟いたという。足抜けの後、周蔵に協力して上高田で毒物研究を始めたが、成果を権力者に利用されるのが嫌で、帰国を諦めた。

 ここまで聞いた周蔵は合点がいった。「ところが大杉は、その根がさもしく、さもしい故に、後藤に直接、会いに行ったらしい。何度か借金に行った模様。※それは自分には納得できる。自分の見たる大杉も、まことにさもしい表情をしておった」。上原の命令で無政府「主義者」を探索していた周蔵が、荒畑寒村と大杉が宣伝ビラを印刷している現場を覗き見た時、周蔵を振り向いた大杉の顔は、まるで臆病な小動物のように不安気で下品だった。「であるに、当然のことながら、大杉は、閣下の事も甘粕の事もゆすったのであろう」。根がさもしい大杉は、後藤からの報酬を藤根が中継するのが不満で、直接会いに行き、後藤をゆすった。内務大臣として警察を統括した後藤さえ脅迫した程だから、当然上原や甘粕をゆすった筈である。「となれば、大杉をああまで始末したるは、閣下の命もあろうが、なるほど甘粕さんの意向もあろう」。大杉を始末したのは、上原の命もあろうが、甘粕自身の個人的な意思も働いた筈である。

 ここまで推理して周蔵は結論を出した。「正しく後藤もそうであろう。同様の意はあるであろう。藤根さん曰く、「後藤は割りと人の良い所ある由。しかし後藤は大杉を使って、閣下を調べる」。つまり、後藤も大杉と同様で、暗殺目的は口止めであるが、後藤側近○○が後藤を暗殺するに至る事情が甘粕―大杉の場合と似ているという。上原の娘の嫁入り先は後藤新平の分身中村是公の子息であるから、上原・後藤の両人は元来「対立風二見セテヲルガ、實際ノ所ハ 原ツブシデアッタ。原ハ閣下ニハメラレ、後藤ノアヤツッタル人物二殺サル」。原敬暗殺の犯人を後藤新平が操っていた疑いを指摘する史家はいるが、後藤が上原と組んでいた事を推察したのは周蔵しかいない。上原の命令で大正8年に大連アヘン事件を調査した周蔵は、自分の報告書が原政暗殺の導火線に使われた事を知るのは昭和9年で、上原から頭山満に渡された報告書が改竄されて後藤新平に回り、暗殺犯人の義憤に火をつけたのである。原暗殺で後藤と組んだ上原は、今度は後藤の口止めのために、久原と繋がりのある後藤側近の○○を使って暗殺させたらしい(だが、更に裏があるとの説も)。「王サン日ク、閣下ハ日本人二非ヅ、トノコト。渡辺サンノ云フユダヤニ 加ハッテヲル、ト言フ意。甘粕サンモ」。上原も甘粕もワンワールドの一員、と指摘した希天は、自分の願いは研究だけで、もう政治的な事に関わり合いを持ちたくないという。「王サンカラ 渡辺ト云フヤフニ 云ハル」。今後は日本人として渡辺と呼んで欲しい、と頼んできた。

  続く。

 参考までに、
     http://blogs.yahoo.co.jp/sckfy738/26149809.html
     http://blogs.yahoo.co.jp/sckfy738/23874704.html
     http://blogs.yahoo.co.jp/sckfy738/19179337.html


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