カウンター 読書日記 ●「疑史」 (第1回)
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●「疑史」 (第1回)
 前稿の「☆印の「第1回」分の紹介です。

 論旨は後半部に尽きますが、あえて全文を紹介します。

 ●「疑史」 (第1回) 『月刊 日本』 2004年 10月号

 ★高句麗問題と「歴史の歪曲」


 中韓間に高句麗問題が生じた。
 古代の高句麗王国を国家・民族の祖先の1つと認識する韓国と、中華帝国内の1地方政権と見做す中国との歴史認識の相違が表面化し、双方とも相手国を「歴史を歪曲した」と非難した。
しかし、結局、中国高官が訪韓し、次官級の話し合いで政治問題にはしないことに決め、中国は「両国は友好協力関係の大局に立ち、高句麗問題を妥当な方法で処理した」と発表した。

 近年とみに増した経済力を背景に、韓国政府は旧史研究の意気込みを高めているが、対象地域が韓国領土に止まらず、北朝鮮領土に及ぶのは当然である。
現在は分裂国家だが、韓国と北朝鮮のナショナル・アイデンティティは同じく統一新羅以来の半島国家意識で、朝鮮半島を分割支配した3国のうち百済・高句麗が滅亡し、残った新羅が半島を統一して以来、高麗・李氏朝鮮と続く1300年の間、国号と宗主国は数次変遷したが、人民領土はほぼ変わらなかったからである。

 そこで韓国の国史研究が北朝鮮領土も併せた朝鮮半島全体を対象とするのは分かるが、さらに鴨禄江対岸の吉林省から南満洲に及ぶと聞くと意外に思う人もあろうか。
近年とみに「韓」の名称が幅を利かし、韓半島とか韓流とか呼ぶことが多いが、本来この半島の地域・人民を呼ぶ学術語は朝鮮である。これは近世の国号に由来するが元来シナが認めた呼び名で古代にも同名があり、各王朝を区別するため支配者の名を冠して檀君朝鮮・箕子朝鮮・衛満朝鮮・李氏朝鮮と呼ぶのは儒教の方式で、だから北朝鮮は将来には金氏朝鮮と呼ばれるかも知れない。

 李氏朝鮮の領土は朝鮮半島の全域にわたり、金氏朝鮮は半島北半部だが、古代朝鮮国の領土はずっと北方に偏り、地域観念の重心はむしろ鴨緑江北岸の南満洲にあった。
 そもそも高句麗は満洲の深奥に発祥した北方騎馬民族の夫余族が樹立した国家で、先んじて朝鮮半島を南下した同族別派が半島南西部(全羅道・忠清道)に建てたのが百済国である。

 百済の北端を南欧とした高句麗は、半島北部から南満洲にかけてを頂上としたが、国の中心は鴨緑江北岸の吉林省にあり、英雄・広開土王の石碑も同省集安県に立つ。この石碑は中国国宝の筆頭格とされるが、韓国・北朝鮮としても国宝にしたいだろう。
 高句麗滅亡後に後裔が建てた渤海国の本拠も南満洲にあったから、高句麗国は明らかに満洲に本拠を置く国家であったのだ。

 そこで、近現代の朝鮮観念はどうか。
 古代史を軽視した普通(外国から)の見方はこれを半島国家と同一視するから、高句麗の旧領のうち南半分の鴨縁江南岸だけが「朝鮮」に入るわけで、この見方を仮に小朝鮮主義と呼ぶとしよう。

 ところが、中国東北部と呼ぶ満洲の、中でも吉林省では、今も住民の大半は朝鮮族で日常朝鮮語を話し、至る所の食堂の看板に「犬肉スープ、冷麺、焼肉」と大書してある。にも関わらず族籍を漢族と唱える人が多いのは、法律的に漢民族として扱われているからである。つまり、吉林省の朝鮮系人民の実数は統計よりずっと多く、逆に漢民族の人口は統計ほどもいない。

 この地史的事実を直視した場合、現に朝鮮族の居住地域で、歴史的にも朝鮮民族の祖先が建てた高句麗国が本拠とした吉林省は、朝鮮観念と切り離すことができない。

 すなわち「朝鮮」なる地理的観念には吉林省を加うべきとの認識も一理あり、これが大朝鮮主義にあたる。先祖3国のうち2国まで満洲出自とする韓国が歴史研究をするには、満洲の地誌と北方民族史を対象とするのは自然で、国民総生産で中国を追い抜きかけたほど国力を増した韓国において、国民の歴史意識が大朝鮮主義に移ったのも自然であろう。
 どうしても高句麗国の歴史に眼がいくわけである。

 さて、中国政府の外国紹介ホームページには、むろん韓国に関する分(韓国政府の歴史ホームペーシから取ったものか)があるが、その高句麗の箇所が突然削除された。
 その理由は、高句麗国が隋唐帝国の1地方政権であった史実を韓国は歪曲しているからというものである。韓国はこの処置を捉え「中国こそ歴史を歪曲した」と非難し、重大な政治問題にする構えを見せたので、中国は高官を派遣して韓国と協議させた結果、中身は良く分からないが、妥当な処理をするということで決着したらしい。
 何で今頃、と言う疑問がわくが、北朝鮮も最近、高句麗を賛美して中国を批判する発表をし、これに応ずるように中国が「北朝鮮を政治的に支持し経済的に援助してきたが、恩義を感じているフシがなく、こんな国を支援していく道義的責任はない」とする王忠文論文を発表したから、これらの一連の動きの基底には、中朝関係の変化があるものと見られている。

 ところで、中韓両国は近年、何かにつけて「歴史認識が誤っておる」「歴史を歪曲した」などとわが国を非難する。
 これに対して、わが政府はまともに応答せず無視を決め込むことが多い。「金持ち喧嘩せず」を決め込んでいるようだが、反論能力がないように見え、情けない体たらくである。このまま放置すると、「事実上反論できない」、つまり相手の言い分が正しいと誤解する国民も出てこようから、今にえらい事になる。
 さらに、政府の弱腰を奇貨として、革新政党や朝日新聞などの反日派がここぞとばかり祖国の過去を非難する。拠って立つ所が正確であればそれもやむを得ないが、相手国の論拠に同調するばかりで、史実の検証など全く行おうとしていない。
 あたかも国損を急ぐかのような野党やメディアの姿勢は、政治権力に歯向かうことに意義を感じる彼らが、自国の汚点は即ち現政権の弱点と勘違いして幼稚な功利主義に走るのか、それとも外国から巧妙な隠蔽の請託を受けたのか、分別に苦しむが、両方ともあるはずだ。

 政府の弱腰と野党やメディアの対外迎合姿勢が、同じベクトルを向くから国民は致し方もなかったが、時に敢然と政治的生命を賭して当方の歴史見解を述べた政治家も一昔前にはいて、奥野誠亮氏・藤尾正行氏らの記憶は今も消えない。

 その後は状況がさらに悪化し、進んで相手国に迎合して謂われなき汚辱を国家と国民に残した与党政治家さえ出てきた。
 河野洋平氏が官房長官の要路に在ったために取り返しのつかぬ国損国辱を来たした例が従軍慰安婦に関する発言だが、陸軍慰安施設の史実についての誤認(百歩譲っても、いまだ定まらない史実に対する独自の認定)が、無知にせよ私利的動機にせよ、公的立場を弁えぬその僭越は国民の決して許せない処ではないか。

 徹底して追及すべきものと思うが、不思議にも問責の声が小さいのは、何が事実かを知らないからで、国民的判断を形成する責任階層(河野洋平氏を含めて)に史的事実を学ぶ機会がなかったからと思われる。
 要するに、この国が戦後、国をあげて歴史の意義を軽視してきた結果、国の未来が重大な損害を被ってしまったわけである。この責任は偏向した学校歴史教育と、事に際してただ黙るだけの政府に帰すべきであるが、未来にわたる国損を修復すべき責任は、同時代のわれわれにも課せられたのである。
 ここでの修復の道とは、歴史の見直しと再構築の他にあるまい。

 今般、東京都教育委員会が中高一貫校の教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した教科書を採択したのに対しても、韓国の潘基文外交通商相は遺憾の意を表明してきた。
 「歴史真実は1つだ。日本政府は過去を直視し、末来志向的に確固たる認識を以て対応すれば状況は変わりうる」と、のたまうのは、「つくる会」の教科書が史実を見誤っているという意味だろう。
 しかし、歴史の真実は1つしかないにしても、誰かが史的真実を見定め、且つそれを万人が認めるまでは、これは空論である。潘さん腹中の歴史真実がどのようなものか大方見当が付くが、わが国史に関する限り、われわれが真実と認めるものではあるまい。

 しかし、われわれも自国の歴史、ことに近現代史について明らかにしておらず、そのための努力を怠ってきたように思う。その点で「過去を直視していない」とのご指摘はまさにその通りであろう。

 堺屋太一氏は、人類が他の動物と大きく異なる所を3点あげ、第1を「歴史すること」、つまり「自分たちの行為を記録して後世に伝えること」と云われる。他の2つは「設計すること」「予測すること」という。
 氏はまた「過去の出来事を反省し、それを今起きている事と比較分析して未来の予測を立てる」作業を「歴史を使う」と表現する。
 人類にとって歴史の意義はまさにこれに尽き、分かりやすい言葉なので暫く借用するが、ここで強調したいのは、「歴史を使う」には、そもそも使えるように「歴史する」、つまり使えるような歴史創ることが最も肝要なことである。

 そもそも「歴史」とは、「人間行動の変化に関する文字による記録」の謂で、人類は言語を覚えて以来、ずっと「歴史して」きた結果、膨大な史料を残し、後世はこれを系統的に整理して年代順に並べ、相互関係を勘考して社会の様相を推認することで歴史認識を深め、時代精神を見分けて時代区分を行って史書にしてきたが、その作業を支えるものは歴史観(価値観と信念)である。

 つまり歴史とは史実そのものではなく、固有の歴史観に基づいて史実を整理した文書、すなわち史書のことである。
 中国・韓国などは期するところあり、わが国の近現代について独自に「歴史して」きた。すなわち、日本帝国の政治的・軍事的行為を彼らなりに記録し、独自の「日帝被害史」を作った。
 目的はそれを使うためだが、この場合、堺屋氏のいう「過去の出来事を反省し、それを今起きている事と比較分析して未来の予測を立てる」作業はさておき、独自の方法で歴史を利用する。
 つまり「日帝被害史」を常に前面に出し、わが国がこれと異なる歴史認識を示す時をとらえて歴史歪曲と非難し、代償を得ようとするもので、かかる外交戦術のための歴史は「1つしかない真実」からは程遠いが、これに対してわが政府・政治家が堂々と対処しない理由は何か。

 国内政治利用もそれだが、そんな企み自体、国民の歴史的認識の空白に付け込もうとの意図で、問題の根本は結局、国民と世界に示すべく近現代を「歴史して」こなかったことにある。
 早急に始めるべきであるが、それとともに肝要なのは、先人の史書を批判する「疑史」作業で、歴史研究の停滞から史実の検証が遅れてきたことも、外国の歴史干渉を許している。
 
 

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