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●明治維新=八百長革命!
 木田元 『猿飛び佐助からハイデガーへ』(岩波書店 2003年)より。  
 

● 『榎本武揚』
 安部公房の『榎本武揚』もそうだ。この小説は、著者とおぼしき「私」が、昭和30年代の半ばごろ北海道旅行をし、釧路から汽車で2時間ばかりの厚岸(あつけし)という町に寄ったとき聞きこんだこんな話からはじまる。

 明治3年、東京から北海道へ船で護送中の300人ほどの囚人が叛乱を起こし、厚岸の港に上陸した。旧幕臣を中軸とするその囚人たちはよく統制がとれており、まず乗組の士官に化けた囚人代表が町の役人たちを船に招待するふりをして一室に監禁した上で、家畜や食料や農具をすべて現金で買い集め、船から外した2門の大砲とともに手押車に積み分けて、悠々奥地を目指して脱走していったというのである。

 その後彼らは、はてしない原野をどこまでも越えてゆき、阿寒山麓に共和国をつくったと言われるが、その噂もいつしか消えて、今ではもうそれが何処にあったのかさえ確かめようもない・・・。

 ただ、この出来事があった2年後の明治5年の夏、戊辰戦争の戦犯としての2年半の禁固刑を終えて出獄し、北海道開拓使に吏員として出向く途中の榎本式揚が厚岸に立ち寄り、なにげなくこの徒刑囚上陸事件を確かめていったのが、幻のようなこの出来事の事実であったことを裏づけている。

 どうやら旧幕臣囚徒の蝦実地流刑そのものが、まだ獄中にあった榎本の新政府への献策に従っておこなわれたものらしいし、一方、船中での叛乱や厚岸への上陸、共和国建設も、獄中で榎本が囚人たちに与えた指示に従って企てられたものらしい。榎本武揚は、戊辰戦争でも最後まで徳川家への節を貫いたように思われるし、敗れたあとも、過去への忠節を捨てきれない幕臣たちにその生き場所を与えようとしていたように見える。

 だが、この小説、けっして榎本式揚の伝記などではなく、実に複雑な構成をもっている。「私」がこの話を聞いたのは、厚岸の旅館主・福地伸六からであるが、福地はその後も分厚い手紙をよこしたりして、この話に異様なほどのこだわりを見せる。それというのも、福地は第二次大戦中憲兵をしており、しかも反戦グループに属していた自分の妹の夫を告発し獄死させた過去をもっているからである。その事件のために妹も病死し、福地はその遺児を養子にして育ててきたが、間もなく成人するその子に自分の行為をどう申し開きしたらよいか苦しんでいる。過去を知る町の人たちからも白い眼で見られている。

 憲兵としての義務を果たし、国家に忠節を尽くした自分が、時代が変わったからといってどうして貴められなければならないのか。福地は、過去への忠節を貫こうとした榎本を自分の弁護人として呼び出そうとしているのである。

 だが、福地のこの企ても「五人組顛末記」という一通の文書の出現によってくつがえされ、彼はいずこともなく姿を消してしまう。この文書は、五稜郭まで土方歳三に随行してきた新選組の残党浅井十三郎の手になるものらしいが、奥羽戦争から箱館戦争にいたるまでの榎本武揚や大鳥圭介の行動がけっして徳川家への忠節にもとづくものではなく、彼らが目指していたのは、この戦争への外国の介入をおそれる勝海舟の指令に従って、頑迷な主戦派を蝦夷地までおびき出そうとする八百長戦争であり、はじめから負けることだけを目的とした戦争だったことを論証してみせている。浅井十三郎は、かねてからその疑いをいだいていながら五稜郭に斃れた土方の遺志を継いで、獄中の榎本を暗殺しようと「五人組」を組織するが、 この文書はその顛末記なのである。

 作品の大半を占めるのはこの「顛末記」なのだが、ここに安部公房の特異な明治維新観がこめられていて実に面白い。私もかねて明治維新というのは一種の八百長革命ではなかったかと思っていた。徳川幕府があんなに無抵抗に政権を放棄したのは不思議な話である。だが、この『榎本武揚』を読んで謎の解ける思いがした。

 言われてみれば確かに、この時代に実際に欧米の地を踏んで、国際的視野、世界史的視点で物ごとを見ることができたのは、勝海舟や榎本武揚ら幕府の開明派だけであった。しかし、幕府の内部に身を置いて徳川300年の体制をくつがえすには、彼らはあまりにも少数に過ぎた。薩長と戦い、しかもこの戦いに負ける以外、300年来の封建体制はつきくずせない。彼らにとって、この戦いに勝つ必要はなかったのだ。むしろ勝っては困るのだ。薩長が勝っても、この戦いが終わり次第、薩摩藩、長州藩などというものは日本から姿を消してしまう。むしろこわいのは、英仏米露いずれであれ、外国勢力がこの戦に介入してくることである。負けるが勝ち、これが戊辰戦争で勝や榎本の採った基本戦賂だったのだ・・・と、こう言われると、すっかり納得させられてしまう。

 ここに描かれている榎本武揚もまことに興味深い。豪放磊落、希代の話し上手で、芝居気もあればとぼけて相手を煙に巻きもする。しかし、その榎本も後年福沢諭吉に変節漢呼ばわりされるのを苦にして勝海舟に名誉回復を依頼にいき門前払いをくわされたというから、どうやら勝の方が役者は一枚上だったらしい。当時の人たちの豪快でユーモラスな語り口がみ、ごとに再現されてもいる。

 だが、この小説でもっとも心に残ったのは、2門の大砲を引いて荒涼たる雪原の彼方に消えていった囚人たちの姿と、彼らの足跡をさえも消し去った茫々たる時間の流れであった。
 どういうきっかけでかは忘れたが、フォークナーの『アブサロム・アブサロム』とバルザックの『暗黒事件』と安部公房の『榎本武場』を比較的短い期間に読んだような気がする。あるいは、そうではなく、登場人物がすべて消え去り、むなしく時間だけが残るという主題の近似性から、遡行的錯覚でそんなふうに思うようになったのかもしれない。フォークナーは結構まとめて続んだ覚えがあるし、バルザョクも前後いくつか読んだような気がするから。

 このころ、前に挙げたエドモンド・マニーの『小説と映画』も読んでいた。本業の哲学でも、ハイデガー、フッサール、ベルクソン、サルトル、メルロ・ポンティと私の読む哲学者はみな時間に強い関心を示している。哲学と文学にまたがる時間論のようなものを書いてみようかとも思ったが、フッサールの時間論について論文を1篇書いただけで終わってしまった。
 
 

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