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 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(17)-5
 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(17)-5

 ●フルベッキの最大事績は ある人士らの啓蒙・育成  


 明治4年7月、松方が大蔵権少丞となった時、3歳年下の大隈は既に大蔵大輔を経て参議兼制度取調専務で、はるか高位にあった。
やがて松方は、13年2月に内務卿、14年10月には参議兼大蔵卿を拝するに至るが、大隈の参議就任は松方よりも10年以上も早い明治3年で、大蔵卿に就いたのも8年早く、6年10月であった。ところが明治17年の華族令で松方が伯爵を授かるのに対し、戊辰役で功績のなかった大隈は、20年になって伯爵を授かった。丁度その頃から2人の位置が逆転、内閣総理大臣の初就任は、松方が24年5月なのに対し、大隈は明治31年であった。侯爵への陞爵(しょうしゃく)は、松方が40年9月に受けるが、大隈は2度目の総理を拝命した大正5年7月まで待たされた。大正12年1月8日、死に瀕した大隈重信の公爵陞爵について論議される。佐野真一 ★『枢密院議長の日記』(*現代新書2007.10.20刊)によれば、当時宗秩寮総裁事務取扱をしていた貪富有三郎(勇三郎)日記の同日条には、宮内次官関谷(関屋)貞三郎から電話で「大隈は侯爵と為りたる後年数も少く、その後別段の功績なき故、普通にては陞爵の理由なきも、陞爵を主張する人は大隈一生の勘定を為せば陞爵しても適当なりと云ふものの由。貴見は如何」と問われた倉富は、「此の事に付ては昨日宗秩寮にて一応の内談を為し、予は陞爵の必要なしと考えたるなり。最高等の政策にて特別の恩典あるは格別、通常にては陞爵の理由なしと思ふ」と答えた。翌日も陞爵論議は続き、宮内書記官白根松介が元老の松方正義にお伺いを立てた。前日に意見を聞いた時には陞爵に賛成した松方は、白根に対し、

「(昨日は)山県公が陞爵の意見ならば反対しないと言ったまでだ。大隈侯は維新の功労もなく、その後も格段の功労があったとは思わない」と消極的意見を述べた、という。大隈の公爵陞爵を否認した松方は、8力月後の9月11日に公爵を授かり、13年7月2日に逝去した。

 明治維新を誘導したワンワールド人士の中でも啓蒙に尽くしたフルベッキは、維新前後には抜群の政治的影響力があった。天保元年(1830)年生まれのフルベッキは松方より6歳上、大隈より9歳上で、安政6年(1859)長崎に上陸し、佐賀藩の長崎致遠館で大隈、副島を教えた。

 大隈とフルベッキは無類のチームワークを組み、お互いに引き立て合った。明治新政府の顧問となったフルベッキの最大の事績は、大隈を通して新政府に持ちかけた岩倉訪欧団とされる。維新で権力を握った人士が挙って隊伍を組み欧米に渡った目的は、ワンワールド首脳に面晤する機会を作るためで、いわば集団入会ツアーを企画、実行したのである。

 その他、フルベッキが大学南校(東大法文学系)の教頭として多数のワンワールド人士を育成し、また宣教師ヘボンと共に東京一致神学校(後の明治学院)を創立したことは周知であるが、明治14年の政変で権力の座を追われた大隈に指令して東京専門学校(後の早稲田大学)を設立せしめた真相を誰が知るだろうか。フルベッキの政治的影響力が明治14年の大隈の失脚以前に衰えていたのは確かで、フランスでロスチャイルドの臣下になった松方が、以後大隈に代わり帝国財政の実権を握る。松方からすれば、明治14年までの大隈の権勢はフルベッキのお陰にしか過ぎなかったのである。フルベッキが赤坂の自宅で死去した明治30年は、松方が大隈
の協力を得て金本位制を断行した年であった。

 松方の金融ワンワールドにおける地位の一部は上原勇作が継承したとされるが、上原は安政3(1856)年の生まれで、右に述べた第1.5世代に属しており、或いはその世代的な位置が権力継承を可能にしたものかも知れぬと思う。

 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(17)  <了> 
 

 ★『枢密院議長の日記』(*現代新書2007.10.20刊)によれば、・・・の文中、

 貪富有三郎は<勇三郎>、宮内次官関谷貞三郎は<関屋>貞三郎 です。

 同上書 P242 

   
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