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●杉山茂丸の実弟・龍造寺隆邦
● 50 祖国の危機を憂えて

  兄弟再び南北に別れ  諺話更に雪山に深し 


 庵主は龍造寺に伴われて薄暮の頃より籠手田知事、久保村警部長に面会すべく鍋茶屋へと出掛けたのである、名にしおう北な県の冬の夕暮れ、眼も開けられぬ粟雪を、嘯く海の荒風に、卍巴と吹き捲くるを、硝子障子に隔てつつ、手炉を囲みし友垣は、10年ぶりの邂逅にて。音する鍋の沸沸に、連れて豆腐か千賀小鯛、四面八満方(よもやまがた)の物語、相互(かた)み交りの応答(うけこた)え、絶え間もなしに打ち廻る、盃の数塁(かさ)なりて、顔に漲る紅潮の、堪えに近き頃となり、さて久保村は云えるよう。

 「久方振りの酒莚、子極(ねがた)の陸の涯(くがのかぎり)にて、雪を褥の物語り、尽きぬ中にも一入に、先ず問い度きは此の土地に、思いも寄らぬ珍客のさすらい、殊に今日まで吾々に、何の信牒(しらせ)も無かりしは、事故(ことゆえ)あってか又外に、余儀なき理由のありしのか」

 と、夫とは無しになじり問う、詞(ことば)に庵主は心中に、尠なからざる警戒の、慮りを起せしが、いや待て暫し、此の2人は昔日より、一入我を知る友垣、武道の親交(ちぎり)に年古く、往き通いたる人々故、包み隠すは野暮の至、事の顛末赤裸々に、明け語って荒胆を、抜いて見るのも可(よ)かるべしと、即時に決して座を正し、

 「其の問いこそは僥倖(もっけ)のさいわい、夫を賢兄等(きみら)に告げざりしは、賢兄等に友誼を重んずる、聊かわれらの心尽し、其の訳こそは二賢兄共(ふたりとも)、首傾けずして判るべし、
抑も庵主が此の土地に、来たりし事は先月の、末つ方より二賢兄とも、既に知って居たではないか、夫に今日まで音信の、我らに無きは中央政府より、厳敷き通牒(しらせ)を受けしより、賢兄等は下僚に命を下し、事故の顛末細々と、探偵したが何より証拠、夫を我らは知らず顔、今日まで旅宿に蟄居して、過ごして居たは県にて他に並びなき大官の、旧知の友が嫌疑の眼に、掛れるを知る故である、、公私の別に賢兄等の、職務を安すくさせん為に今は賢兄(きみ)より招かれて、隠れ潜むべき時ならず、下風に趨(ゆ)いて本末を、親しく話すは身に取って、此の上もなき倖なり、我が心尽しを先ず識りて、是れから話す物語りを、私事の1節(ひとふし)と、思うて緩々(ゆるゆる)聞き玉え、

 抑も我らが新潟を、地点に選びて浦塩や、西比利亜などに耳を伸べ、露西亜北欧の鋒先に、眼を離なさざる其の訳は、帝国の廟議浅薄に流れ、安危の鎖鑰(さやく)方外に逸し、恥辱を損得の数に加えず、徒らに戦いを忌んで国力を蹙め(しずめ)、苟且偸安(こうしょとうあん)を以て国策とするを慨するより、止むなく是に出づるのである、夫国家なる物は、栄辱を以て生命となす、辱を忘るれば国家に非ず、即ち名なき民族の集団なり、国家と云う名を取除けたる物である、此故に国家には往昔より興亡の歴史あり、力足らざる物ぱ必ず亡ぶ、之を防ぐの道、宇宙間に決して無し、故に理由あれば何時にても亡ぶる物である、此の場合志士の務むべきは、只だ其の亡び方の如何にあるのみである、樽俎、揖譲、事理、道徳、如何なる事の限りを尽すも、彼れ意を只だ力の一点に注いで之を圧倒し来たらば、何を以て亡びざるを得んやである。国を解せざる鄙流の族(やから)朝に立って、「峨冠長衣」徒らに国際の理義を尽すと雖も、其の亡滅に帰するの時、何を以て其の責めを償わんとするやを問わば、只だ茫として答えるの辞はないのである、彼の印度の歴史を見よ、比爾西亜(ペルシャ)の歴史を見よ、土耳古(トルコ)、希臘(ギリシャ)の歴史を見よ、否な波蘭(ポーランド)を見よ、匈牙利(ハンガリー)を見よである。

 理に酔うて力に醒めざる者、悉く皆、然らざる者は無いのである、今帝国の有様は、理の酒に酔う鄙流の輩に向って帝国の千鈞を一髪に掛け、力の上の亡滅に対する損害賠償を覓めん(もとめん)とするの時機である、見られよ露西亜には、多年国家呼吸器の障害に苦しんで、之をバルカンに求めて得ず、又之を阿富汗坦(アフガニスタン)、卑利斯坦(ベルジスタン)に求めて得ず、今や既に窒息の境遇に苦しんで居るのである、故に挙国満朝の力を傾けて、東洋に突出せんと企て、既に国帑2億6千万ルーブルを注いで、烈寒瘠土(せきど)の西比利亜を通じ、以て浦塩に達せんとする大鉄道の布設に着手し、国内第1の名望家にして、経済上の大識見者と謳われたる、ウィッテ伯を起して、西比利亜鉄道布設首部の委員長となし、日夜其の行程を急ぐの時、我国の大官はどうして居た、椅子に臥し酒を仰いで、「なに、云う可くして行われざるの事は西比利亜の鉄道である、あのバイカルの湖がどうして越せるものぞ、長蛇の中断は両方共に首と尾とを欠く、只だ事を構えて内政に偸安する露国1流の政策である、と罵って居たではないか。然るに豈図らんや、其のバイカルの湖は、見る間に、フェレーボー(フェリーボート)にて連絡をを取り、半成の線路ハルピンに達せんとするの時に、露国は直ちに清国との秘密条約を発表し、欠びして手を伸ばすように、「ぬーっ」とブランチ・ラインの南下を企てた、奉天、遼陽、金州、南山、旅順は、見る見る中に輸送の開始をし、あれよあれよと云う中に径ちに朝鮮に爪牙を伸べた、其の王室と内閣とは忽ちにして露国公使館に贅を贈るの有様になったでないか、歳久しく我国は、日韓協約の誼を重んじ、第1・朝鮮王室の隆盛を謀り、第2・朝鮮富強の基を開き、第3・朝鮮の独立までは無期限に資を投じて保護して遣った、其の苦楽糟糠の好誼を無視するのは、其の背後に非議非道の露国と云う姦夫あるが為に非ずして何ぞやである、今や帝国安危の一髪は、多年放縦無稽に国政を玩弄して、一時の偸安にのみ酔うて居た廟堂の汚吏に掛って、其の興亡を決せんとするではないか、二賢兄等(きみら)は今猶お此の当路に向って、現在国家の蒙りたる、損害賠償を覓めんと欲するのであるか、又夫を可能性の事と思惟するのであるか、予幸いにして永年知を2兄に辱う(かたじけのう)す、いずくんぞ肺肝を披きて教えを乞わざるを得んやである、予不肖なりと雖も、我国祖先伝統の血液を享けて、常に身を国家の安危に委ぬ、之を坐視するに忍びず、之を傍観するに堪えず、身を挺して制機の大策を立てんとすれば曰く、国法を犯す、曰く法制を乱ると、忽ちにして幾多枝葉の小属に命じて進退を拘束し、動(やや)もすれば桎梏其の後えに臨まんとす、何事の児戯ぞ沐猴にして冠するの徒、国運廻転の大豪傑を犯して、其の裳を拿かんとするやと云いたくなるのである、二賢兄等不幸にして濁世汚流の末に入って、身をユニホームに包むと雖も、元是憂国慨世の傑士、何の戯れにか、触れなば燃えんとする予を縛するの事を為さんや、又何の慰みにか手に、憂世の涙を徒放せしむるの事を為さんやである、庶幾(こいねがわ)くは、二賢兄、旧誼の私事を懐ふ勿れ、只だ旧知奉公の精神を採って済世の大業に、義奮一片の誠を贈って呉れられよ」

 と、心を傾けて説いたのである、現今の世には爪の垢程もそんな事の分る人間は居らぬが、此の2氏は素より日本武士道に精神を弁えたる、曠世の士人であるから、口を揃えて、


 「よし分った、安心して遣り玉え、出来る丈けの便利は足すよ、君が悪い事を仕たと云うても、米国の密猟船に因って浦塩に無券の旅行をさせた事と、無券の洋人を内地へ入れたる丈けであるから、夫は手続上の事を追駆け、事務にして仕舞えば幾等も前例があるから、能く調べて遣ってやるよ、其の位の事は何でもないが、縦んば(よしんば)容易ならぬ事件が起こったとしても、元々主意を国家的善意に起した事なら、我々の職務にどんな障害の犠牲が掛って来ても、此の国難を救い遂げる目的の前には、少しも恐れる事はないから、安心してしっかり遣って呉れ玉え」

 と、青竹を割ったように、口を揃えて云うて呉れた時には庵主は、

 「あー、日本はまだ亡びぬわい、日露戦争には屹度勝つわい」
 と思うた、斯る話を最前より押黙って聞いて居た龍造寺は、一言も発しなかったが、庵主は両人の好意を心より謝して、明早朝出立の事を告げて、とうとう其の夜の12時少し前に別れて宿に帰ったのである。夫から又、兄弟床を並べて寝る事になったが、龍造寺は庵主の枕元に坐して、尤も真面目な顔付きで斯く云うた。

「お兄様、今日私は始めて阿方(あなた)が知事や警部長にお咄になったのを能く側にあって聞きましたが、私が幼少より褥を同じゅうして成長した自分の兄は、こんな人で有ったかと云う事を始めて知りました、小耳にお兄様が国事国事と云うて居らっしゃるのは、一体どんな事が平民のする国事であるかと思うて、今日まで聞き流して居りまして、そんな詰まらない事よりも、男子の為すべき事は、実業の事より外はないと思うて居ましたが、実に国事と云う物は実の入った面白い事でございます、私は幼少よりお兄様と鬼ごっこも共に為ました、百姓も共に為ました、山遊び川遊びも共に為ましたが、成長して世間に対する仕事丈けは、全く別々になって仕舞いました、今日のお話で始めて自分の兄はこんな事を仕て居る人であったかと云う事を知りましたので、今では私の今日迄幾多の辛苦を累ね、幾多の失敗を積み、幾多の人の産に危害を加えて、努力仕ました実業は、夢見る片手に温い(ぬるい)風呂に入って居たような、馬鹿臭い事が分りました、私も武士の家に生れた者でございますから、今日から総ての仕事を打捨てまして、お兄様の弟子となって、国事専門に尽したいと思いますが、どうでございましょう」

 と云うから、庵主は思わず噴き出して笑うた。

 「貴様は俺より生れ勝って居る点は沢山あるが、国事に関する事は俺の方が先輩である、此の商売は中々一寸早速に出来る事ではない、其の入門の試験に四鯛病(よんたいびょう)を根治させねばならぬ、夫は『長生仕鯛、金儲け仕鯛、手柄が立鯛、名誉が得鯛』の四つである、即ち死、貧、功、名、の上の観念を解脱して、命は何時でも必要次第に投出す、貧乏は何程しても構わぬ、縁の下の力持をして、悪名計りを取って、少しも不平がなく、心中常に爽然の感が漂うて春風徂徠の中に徜徉(しょうよう)するが如き境涯にならねばならぬ、今の世の国事家は、往成(ゆきなり)に国事を触声に売歩きて、次手(ついで)に死の責任は免がれよう、次手に金は儲けよう、次手に手柄自慢は仕よう、次手に美名は得ようと云う『四よう病』に罹った患者計り故、働けば働く程、害菌毒素を第三者に振り掛けて、世に多くの迷惑を掛けるのである、今若し貴様が国事家となって入門するには、此の種類の国事屋の番頭により外成れぬのである、夫では国事上に何の利益もないのである。真の国事家は国家が事実の上に利益する事である、故に其の国事家は損して、悪名を取って、身を粉に砕き、揚句の果ては死んで仕舞う、夫が大成功であるから、普通常識の考えからは大損である、先ずそんな事は止めたが好いと思う、俺は端なくこんな家業に取り掛かったから、親を凍(こご)やし妻子を飢やし、身に襤褸(ぼろ)を纏うて道路に彷徨し、終には虱の吸う血程の月給を取る役人から、鍋茶屋で御馳走になって有りがたいとお礼を云うて、こんな古雨戸を背負ったような堅い蒲団にくるまって、此の寒国に愉快がって寝ねばならぬ者に成り果てた、故に貴様丈けは夫に仕たくないと思うから、どうか貴様は人間並に身の振り方を付けてくれ」
                   
 と云うたので、龍造寺は何と思うたか、暫く頭を下げて考えて居たが、こそこそと寝に就て仕舞うた、庵主も共にとろとろと眠ったかと思うと、窓打つ夜半の寒風と、霰(あられ)の音に夢覚めて、起きよと歌う鳥の声、朝餉の支度もそこそこに、其の宿を立ち出たが、龍造寺は善光寺まで送ると云うて、庵主に同行して呉れた、ああ持つべき物は兄弟か、丈なす雪の野中道、辿り辿りて其の晩に長岡に所用ありて1泊し、其の翌日は又直江津に1泊し、又高田の旧友の孤独に暮す老母を訪い、とうとう4日目に長野町の更科館と云う旅亭に辿り付いたのである、此の間龍造寺は庵主をして、生来始めて兄弟の親しみを感ぜしめて、今尚お夫(それ)が忘れ難いのである、道中荷物の宰領から、雨具草鞋の調度まで、一切龍造寺の世話・賄いに何の不自由もなく雪中の旅行を続けたが、此れより、是に待居たる西洋人1名と、友人1名と共に旅立ねばならぬのである、夫から幾多の艱難を嘗めて木曾街道を辿り、名古屋に到着したのは、9日の後であった、此の道中の奇話珍談は筆に尽されぬ面白味があったが、夫は後日の談片に譲るとして、庵主は此の長野に於て龍造寺と云い得られぬ哀愁の念を忍んで袂を別ったのである、或る伊国の情話に、2人の兄弟が雪の山中にて離別をする時、兄は10マイル程山奥の鉱山に、雇い主          の命に依て其の要書を届けねばならぬ、弟は8マイル先きの渓村に、弧棲する老母に糧を届けねばならぬので、両方共寸時も等閑にすべからざるの要務を持って居るから、別るべき事は双方共決心をして居た、然るに兄は弟の事を案じ、弟は兄の身の上を気遣い、或る繁れる大樹の下に火を焚いた、暫く沈黙して居たが、兄は意を決して弟に斯く云うた、
「弟よ、予は汝と共に母に顔を見せる事を無上の楽として居るから、遅くも明日の昼までには要務を仕舞うて是に来るから、汝は此の薪に暖を取り、此の餉(かれい)を食して是に待ち居らぬか」

 「兄上よ、母の糧は尚お半月を支うべし、予は予々(かねがね)兄上の往く鉱山を1度見たいと思うて居るから予が代って鉱山に往きたいから、兄上は此所に居て予の帰り来るを待ち玉わずや」
 
 「いや、予は予が雇主より予が命ぜられたる要書を他人に届けしむる事を好まぬ、是非共汝此所に待て居るべし」 と、

此の兄弟切情の話の中に、峠の方の道より下り来る1人の旅客があった、図らざりき夫が手紙を届く可き兄の鉱山の支配人ならんとは、故に兄は其の要書を親しく手渡して、兄弟共々にとうとう母の村に往って糧を渡し、又共々に顔を揃えて母に見せて、限りなき母の喜を得て、共に元の雇主の所に帰り来たのである、夫から後に段々と聞いて見ると、其の来りたる人は鉱山の支配人ではなかった、1羽の白鳥が飛来りて、其の兄の携えたる要書を其の支配人の家の窓際に置いて飛去らんとするので、不思議に思うて見て居る中に、忽ち夫が1つの老宣教師と化し「我は天使なり」と叫んで消失せて仕舞うたとの事である。

 素より1片の情話、取るに足らざれども、人種・教育を異にしたる伊国でさえ、兄弟相思の情は無言沈黙の間に、直ちに神に感応するのであると云う諷諺であると思う、庵主と龍造寺が長野駅頭の離別は伊国の兄弟と其の目的も境遇も異にしては居るが、只だ沈黙不言の中に心を浸した情合は、今尚お髣髴として忘却し難いのである。
 
 ● 50  了。
 

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