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●杉山茂丸の実弟・龍造寺隆邦
●48 男子志を決して立てば

  馬関の逆旅奇遇を談じ 菩薩の功力正覚を説く 

 
(*下関市は、明治22年の市制施行当初「赤間関市(あかまがせきし)」としてスタート、「赤間」の「間」の字に「馬」の字をあてて「赤馬関」、それが「馬関」となっている。明治35年以降、下関市となる。)

 前にも云う如く、龍造寺は福岡市を東に距(さ)る、須恵村の駐在巡査に転勤して居る中に、彼の鯉沼家の二女・増女(ますじょ)と結婚し、間もなく一男を挙げ、名を道之助と云うて段々生育して居る中に、父たる龍造寺は、職務上の事にて辞職する事になったが、元々一巡査で終るべき性質の者でない。胆大にして気力才幹ともに人に超絶し、総てが普通常規の事では厭き足らぬ男故、一度奮然として憤りを発すれば、何事を考え出すか分らぬので、此の巡査の職務上の事にて憤慨したのを機会として、一擢千金の事業家たるべく考えて、其の業を物色したが、扨此の男の性質として、事を起こすの前に、先ず徹底的の決心をすると云うが常である、夫(それ)には生命の限りを尽すのである。故に其の他の事は、何物も犠牲として顧みないのぐる。是が何時も兄たる庵主を困却せしむる第一の条件である。彼曰く、

 「獅子は兎を搏つ(うつ)に全力を用ゆ、人として豈獣類に劣るべけんや」と。

庵主自からも、素より天下の豪傑を以て任じては居るが、鯉沼家を再興し、妻子と家庭を造りて一家を成さしむべき使命を嘱したる龍造寺が、常往不断に兎を搏つ底の事業に、生命も妻子も犠牲にして、猛進計りされては溜るものでない。庵主が肚胸(とむね)を吐いて当惑するのは、何時も此の龍造寺の決心である。即ち今回も発端(*●43)に云う通り、鹿児島の某所にある金山を引受け、凡百(あらゆる)資本家を説いて、其の鉱山の経営に着手したが、何様学識は小学校の贋教員で、経験は巡査丈け(だけ)と云う男が遣る事業故、金鉱の無い方角計りに掘進して、只だ赤土と岩石を破壊する丈けの努力であったが、其処(そこ)に又西洋にも龍造寺的男がある物と見えて、長崎に在る和蘭生れの宣教師で、聊か(いささか)化学に経験ある男が、此の龍造寺の事業に引掛かり、講釈の百曼荼羅を尽くして、或る程度の資本を供給して、組合事業としたので、龍造寺は狂犬の尻尾に松明を付けたように無我夢中で駆け廻り、キリキリ舞いの後が、龍造寺も宣教師も、一斉にバタンと舞い倒れて仕舞うた(しもうた)のである。

 只簡単に書けば是れ丈けであるが、何様心力もあり、才気もある人間が、2人で心身を絞りて仕出かした失敗故出来る丈けの魂胆や、遣り繰りは仕尽しての後の失敗であるから、多くの災害を経済方面の人々にも加えて居る事は論を待たぬのである。夫で彼の宣教師先生は、教会堂まで引剥がれるまでに成ったのである。
此の時にも庵主は竜造寺を呼んで、多くの訓戒も加えたが、彼の答は頗る簡単明瞭であった。

 「不肖の私を人間らしく思召て懇切の御訓戒を賜わる段は誠に有がとう存じますが、併し山師事は私が仕た事で、決してお兄様がなさった事ではござりませぬ。之に伴う多くの不善事も、全く私の手にて致した事でございますから、私が始末を付けるが当然と心得ます、万一お兄様が山師事でも遊ばす場合が有ったら、只今私に御訓戒遊ばした通りの方法で、物事を処理遊ばすが宜う(よう)ござりますが、私が仕事の当事者でござりますから、私が最善と信ずる方法を考えて為すのほか致方(いたしかた)が有りませぬ、併し御訓戒の段は、将来の私に取っては慈愛の御教訓故、金科玉条として考慮の資料として、遵法致しますでござりまする。只茲に一言申しあげて、お許しを受けて置きたい事は、仮令私が不埓不届を致しましても矢張りお兄様の実弟たるを辱しめて居る事は、何処までも真実でございますから、人間生存中の一動作たる、仕事の遣り方が不味い位で、人類天縁の兄弟関係をまで、断絶遊ばすようの重大なお考えに至る様の事は、御無用に願います。夫はお父様も、お兄様も、私も各々甘く(うまく)か不味くか働いてこそ、人間生存の意義があるのでございます故、働き方が甘くとも、不味くとも、矢張親は親、兄弟は兄弟でござります。況んやお父様からも、お兄様からも、御教訓の一角として、御自身既往の失敗談等は沢山に伺って居る位でございますから、失敗も矢張人間の為る仕事には相違ござりませぬと思召て、馬鹿な弟では有りますが、今は人世学中の失敗科、功究中であると思召されて、矢張りお兄様は、お兄様丈けの御心配と、御迷惑は真正なる兄上と云うお名前の分量丈けはお引受け下されまして、私を活動させて見て居て下さいますのが、日頃の御浩量、即ちお兄様独特の太っ腹な処だと存上げますから其の境界線に混雑を生ぜぬように今からお願申上げて置きます」と。

 丸でどっちが教戒せられて居るか分らぬのである。併し云う事は真理である。そこで俺主が仮りにこう自問自答した。

 「いや、左様な事業は悪いからこんな仕事をせよ」と云えば、弟の事業ではなくて、庵主の事業となる、「そんな遣り方は悪い、是非斯様(かよう)にせよ」と云えば、弟が為るのではなくて、庵主が当事者となるのである。「俺の云う事を聞かねば構わぬぞ」と云うても、矢張り真実の弟には相違はないのである。
 「そんなに兄に心配と迷惑を掛けるなら、兄弟の縁を切るぞ」と云うても其の公証条件は、人間生存中の一郵作が予の気に入るか入らぬの一事であって、「生きて居て何も為るな、働くなら兄の気に入る通りの外、動くな」と云うのなら一気一体であるから、何も兄弟と云う二つ別々に体を拵えぬでも宜いのである。

 「心配と迷惑は、兄弟相互いの共通義務である」、日頃の御浩量とか太っ腹のお兄様など、煽り立られて見ると、「どうも心配と迷惑は、兄たる庵主の個性的職務らしい」と観念せざるを得ぬのである。

 止むを得ずこう考えるより外、仕方がなかった為めに、庵主は斯く(かく)決心して云うた。

 「真実の弟、可愛い弟、俺より1、2枚腰骨も肝玉も強い弟が、善でも悪でも働くと云うのは宜い事(いいこと)じゃ、然し俺の意を迎え、差図ばかりを待って阿附(あふ)順々たる弟ならば、死んで居ると一緒である。心配でも迷惑でも、腹一杯引受けて遣るから、腹一杯無茶の有る限りを遣って見よ」

 と申し渡したのである。
夫から龍造寺は、妻と子を庵主に託して、何でも宮崎地方に鉱山を開始したようであった。庵主は弟の妻子どもを自宅に収容して、両親と庵主の妻に、克く人間の大義を説得し、又人間一人の天才と力量を伸ばしみるには、其の本人の苦労以上に、周囲の者も輔翼(ほよく)せねばならぬものであると申し聞け(つけ?)、快く一家団欒の家庭を作らしめたのである。夫から1年ばかりの間は、絶えず音信もあったが、更る(かわる)衣も色褪せて、木々の梢も幾度か、葉を交え枝の影繁く、雨や嵐と春秋は、移れど待てど竜造寺は、何の便りもせぬ事になったのである。夫から丁度2年余りも経った頃、庵主が東京より帰国の途次、下の関の逆旅に1泊せし時、一寸外出の街上(まちなか)にてパッタリ出会した(でくわした)のが龍造寺であった。

 時恰も(あたかも)10月の肌寒き頃に、洗い晒した浴衣1枚に、垢染みた兵児帯を締めて、破れた蝙蝠傘を携え、裔(すそ)端折って草鞋掛けであった。庵主が、

 「ヤア、龍造寺でないか」
 と掛ける声に応じて、
 「ヤア、お兄様」
 と相応じた。夫から手短かに話をして、庵主は用事も中止をし、宿に連れ帰って段々と様子を聞けば、。
彼は2年半前宮崎に於て知人数名と連合して、有利な金銅の混合鉱を発見し、わずかばかりの資本を持ち寄って開坑したが、始めの間は鉱石の分止まり(歩留まり)も好く、各自年若な組合員は、何れも空を翔ける翼でも得たように景気付いて、更に資本増額の計画も立てて、豊前豊後の間の知人と相談して、神戸の或る外国商館に関係ある、西山某と云うを組合員に入れて、資本の供給と、販路の事共を任せ、更に技師や人夫頭等も、西山より入れる事になって、事業の手順も段々優勢になって来た処に、坑内に大変動を来たし、巨大なる断層岩石に衝突して、一塊(いっかい)も鉱石を出し得ぬ事となった。八方苦心して一同凝議もしたが、何とも策の施すべきなく、半年ばかりも掛って煩悶の結果が、とうとう維持の力尽き、やっと其の西山に少々ずつの金を立替えて貰い、一同散々(ちりぢり)ばらばらと退山したのである。然るに自分丈け(だけ)は、此の鉱山に対し、単独の責任にて借入たる資本も多く、懇意の人々に責任を以て勧誘し、金品を提出させた関係もあり、旁々(かたがた)更に一場の失敗談だけにては相済まざる訳もある故、一々其の人々に面会して、事の顛末を打明け、徹底的に承諾を得て、自分の再挙を待ち呉れるよう相談を極め、やっと其の関係は片付いたが、茲に1問題が突発したのは、彼西山は其の鉱山の権利全部が、自分一己の物に移ると間もなく、更に坑内にて一大脈を発見したと云うを名として、阪神の間にて資本を募集し、数月ならずして盛んに採掘出鉱の成績を挙ぐるに至ったので、元組合員たる一同は、更に集合をして、其の不徳を詰問もしたが、法律上の権利を楯として、更に談判に応ずる景色もなく、種々法律家などとも研究をしたが、少しも勝利の余地がないので、とうとう一同も泣寝入の姿と成り果てたが、更に又有望な問題が、自分一己の手に落ちて来た。其れは其の鉱山の1谷隔てた北方に当りて、巨大なる大鉱脈ある事を発見したる1坑夫があって、自分に密告して来たので、窃かに調査を遂げて見た処が、以前の鉱山の主脈は、此の谷に至って全く発展し、其処が該(この)鉱山の中心点たる事を見極めたので、直ちに充分なる鉱区の広袤(こうぼう)を測定して、試掘願いを提出し、其の鉱石等も携えて、千辛万苦の末、当・下の関の1友人に謀り、猛然として再挙の旗を揚げ、彼の悪辣なる西山等に鼻明かせ呉れんずと、計画中である云々の長物語りである。。
 庵主は此の弟が物語りを聞く中より、満身の悲哀は胸臆に湧いて、禁ぜんと欲しても止め得ぬ涙は、滂沱として双頬(そうきょう)に滴るのであった。漸くにして日(い)えらく、

 「汝龍造寺よ、汝は何が為に左様に利益成功の迷路に彷徨う(さまよう)のであるか。男子1度(ひとたび)意を決して志業の道に踏出し、敗を死生の間に争わんとするは、始めに先ず大義名分の道を明らかにし、次ぎに世道人心に益する事を定めてでなければならぬ。然るに汝は其の出発の第1歩に於て、興業射利の事に満身の精を打込み、1敗1励以て益々其の迷路を辿らんとするは、予の最も遺憾とする処である。

『昔印度に1農夫あり、平生は親に孝に、兄弟に友愛深き性なりしが、或る日山中に入りて、五彩長尾の極楽鳥が、地上に休らい居りしを見付け、之を手捕にせんと思い、飛掛って之を押えしに、其の鳥はポーッと4、5尺を飛去り、又地上に匍匐した、今度こそは屹度(きっと)捕押えんと、呼吸を決して再び飛掛りしに、又ポーと4、5尺を飛去り、何でも片翼でも痛め居るかのようである。そこで其の農夫は、今度は必ず此の鳥を間違いなく捕え得る物と信じて、3度4度と飛掛り飛掛りして、とうとう道もなき深山に分け入り、腹は減る、身心は疲れる、日は西山に傾くの時となったので急燥(あせり)にあせって、飛掛り飛掛りして居たが、忽然として其の鳥の行衛が知れぬようになった。何でも此の茂みの中と思うて薄暗き処に踏み込んだ一刹那、古き洞穴の幾百丈とも知れぬ、井戸の如き中に落込んだのである。其の農夫がはっと思うた時に、今までの迷の夢は忽ちに覚めたが、身は已に墜落の中にありて、手足をもがき、其の井戸の中途にあった1本の蔓(かずら)の根に手が触ったので、夫をやっとつかんで、1身をぶら下げる事が出来たが、何様身は暗黒の穴の中に釣り下って、只1筋の蔓の根が命の綱である。夫とても誠に手便りなき物にて、身動きの度々に、ぱりぱりと音がして、這い附いて居る岩石から、根は離れつつあるのである。夫と共に崩れ落る小石が、幾百丈と深き井の底に落込む音は百口(ひゃっこう)の半鐘を1度に撞き立てるが如き響きを立て、今其の手にする蔓が切れるが最後、身は百仞(ひゃくじん)の底に落ちて、微塵となるより外ないのである。
此の時山上紫雲の間に遊び玉える文珠、普賢の両菩薩は、此の農夫の叫び声が、何れかの地底より聞こゆるに驚き玉いて、直ちに馳せ来りて、知恵万丈慈悲の御縄を垂れ玉い、一斉に声を張上げて日わく、《汝農夫、一旦の迷夢覚る時は、人間生死の界(さかい)なり、生死の界は正覚の刹那なり、今我が垂れたる此の縄は、自他忍辱幾多行法の功徳ふんだる、百練の絆なり、凡念百劫の衆生、億兆の手を上げて、一斉に之に縋るとも、倶誓本願の功力広大にして、決して中断することなし、頓悔念仏帰依の心は、堕落地獄の刹那に於て結定すべし。速やかに凡百の疑念を去って、此の縄に縋るべし》
と涙を垂れて告り(のり)示し玉うと雖も、元々穢土不離脱の農夫の手は、万力の鬼と化して、此の不浄垂法の蔓根を離さず、徒らに悲鳴を暗黒の中に上げて、無法の救いを求むるのみである。菩薩は御声愈々悲しげに、我は倶誓の本願に渇仰し、已に六根を清浄し、五慾十悪の心魔に遠ざかりて、汝等を迷路に救うこと、其の数挙げて数う可からず、早く疑いを去りて、此の縄に縋るべしと叫び玉えども、農夫は尚未だ私情一念の悪根を捨てて、倶誓本願の大綱に随う能わぬ有様である。』

 と云う俚諺がある。今汝図らずも、射利追随の事業を起して、身を傷り(やぶり)心を損ない、尚追い縋らんとする5彩の鳥は、豈いずくんぞ百仞の地獄、暗黒の胴中に落ちざることを得んやと、自覚せねばならぬのである。其の兄たる予は、決して菩薩の六道を悟りし、解脱の仏には非ざれども、汝を思う慈悲の心念は、加何でか御仏に劣るべきと思うのである。今兄が垂れたる慈愛の絆は、少くも今汝の縋り附いて居る、蔓の根に勝ること万々と信ずる。方今文化の華とも云うべき、学理と学術の結晶に因って成功する鉱山事業は、汝等無感の力量にては、決して良果を収むべきものでないと云う事を、逸早く自覚して、男子一期の方針を改めよ。予は決して徒に汝に無法の教訓と干渉とを為す者でないと云う事を知ってくれ」

 と、涙と共に説得したのである。龍造寺は庵主が説き聞かせたる物語りを、何と聞いたか分らぬが、直ちに内懐より1包の書類を取出し、側にある火鉢の中に投入れ、火を点じて1片の灰燼と化せしめ双眼に涙を浮め、両手を膝にして、扨(さて)何事をか説き出だす。

  ● 48   <了>。
 

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