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●杉山茂丸の実弟・龍造寺隆邦

 『百魔』 魔人龍造寺隆邦

 (『百魔ー正続完本』 杉山茂丸 書肆心水 2006年8月15日 発行)  

 ●44 家運挽回に志す勇少年 


★忠言忌諱に触れて山野に隠れ 幼童大金を負うて投機を為す 


竜造寺隆邦は、丁度幕政三百年の瓦解を胎む最初の頃、即ち慶応の寅年に生れたが為め、一方日本帝国が、世界の文明に気脈を通じて、握手すべき運命にも進まねばならぬ、両様の国運に遭遇したのである。故に家庭は父が旧藩学校の教授にして、其の師弟の業は、農工商の何れかに就かねば、衣食さえも出来ぬと云う、悲惨な境遇に取囲まれたのであった。父は逸早く、藩士帰農の建白書を藩公に提出したが、旧習固陋の多数藩論は、之と一致せず、却て父は執政の全部に取込められて、
 「君公御不審の次第有之、蟄居謹慎可仕候」
との命によりて、閉門の身と成った位であった。去らばと云うて、藩論は帰農排斥以外に、之と云う大策もなく、只だ因循として決する処はないのである。とうとう時世の進運に押された藩論は、隣藩他藩の振合いに捲き込まれて、矢張り帰農的の議論に傾き、終に何やら取止めもなき事にて、父は半年計りの後に、
 「御不審の廉相(かどあい)晴れ、蟄居差許さる」
との伝達を受けたので、父は一応の御礼を申し述ぶると同時に、一藩に先んじて旧領地の田舎に隠遁し、濁世の汚塵を避け、風月を伴侶として幕す事に成ったのである。此の時の庵主の家族は、老祖母と父母と、庵主と弟二人と、妹一人(次弟は即ち龍造寺、三弟は林駒生、妹は現在安田勝実の妻)都合七人であった。是に於て父は庵主を農工の事に従事せしめ、竜造寺は筑後河畔の材木問屋、西原弥一なる者の養嗣子として、入家せしめたのであった。此の材木問屋と云う者は、上は水源地たる豊後の国・日田の郷にて材木を仕入れ、之を筑後川の流域に沿う材木小売商に売捌きて、下は有明の海口、若津より長崎に至るまでが、大概の得意先である、故に総ての運輸機関は、悉く水運に由るのである。龍造寺が西原に入家したのは、丁度彼が六歳位の時、即ち明治四年の頃であった。其の後九州は、明治八年の頃より旱魃が多くて、雨が少なかった為め、さしも九州の大河たる、筑後川の流域も、一帯に水渇れて、殆んど水運は杜絶の有様となったのである。其の為めに一帯の農作は十分ならず、随って川船船頭や、筏乗りの多数は、殆んど其の営業の全部を奪われて、人心も自然と険悪になる有様である。処が明治七年来、佐賀の乱が導火線となって、秋月、熊本、鹿児島とも、人心頻りに穏かならず、流言蜚語は至る処に行われ、何時内乱の端を開くやら分らぬ形勢となって来たのである。斯る形勢故、右の材木問屋の弥一は、売先きの掛金は取れず、山方には仕入の払いはせねばならぬと云う破目に陥ったから、商運必至と行詰まった折柄、思わざる大病に取付かれて、どっと病床の人となったのである。強熱日夜に往来し、数人の医師は、入り代り立代り診察をしたが仲々重患との事で、家内一同只顔を見合す計りである。丁度主人が重病になって十日目の夜、養母のたつ子は涙に浸って、行末の思いに沈み打案んじて居る処に、当年十一歳になる隆邦は、養母の側に進み入り、下座に手を突いて斯く云うた
(以下は弥一の妻、即ち隆邦の為めには養母に当るたつ子が庵主に対しての直話である)、

「お母さん、貴方も私ももう決心をせねばならぬ時が来ましたと思います。其の訳を只今申し上げましょう。
 ○一つ、最前三人のお医者様が咄して居るのを立聞き仕ましたら、お父さんの病気は、チブスと云う熱病の極たちの悪いので、此の十日間は、とても持たぬであろうとの事でござります。
 ○二つ、番頭の六四郎は、お父さんが病気になられてから、方々の掛先きに談判をして、掛金を半減して集めて、身仕度を仕て居ると云う事を、酒屋の平助爺さんが私に教えて呉れました。
 ○三つ、世間の話しでは、どうしても騒動が起るとの事、若し起って、佐賀地方のように焼かれては、焼かれ損、取られれば取られ損でござります。此の川筋の各問屋にも、もう夜々士族の強盗が押入りを始めまして、警察でも手の付けようがないとの事でございます。
 ○四つ、夫(それ)で此の家計りでなく、此の川筋に商売をして居る者は、一帯に必至と(きっと)破滅する時が来ると思います。
 ○五つ、左すれば世間並よりも一と足早く『悪く計り成るもの』と決心を仕た者が一番能く運命に勝つ時と思います。
 夫(それ)故にお母さんが第一に其の御決心をなさる事を願ますので、其の御決心とは、
 ○一つ、お父さんは、どんなに御介抱を仕ても亡ならるゝものと御決心をなさる事、

 ○二つ、掛先きの得意には、直ぐに別の使を出して、今年の冬までは掛金を待ちますから、何者が取立に往っても、決して払うて下さるなと云うて、一文も取らぬとの御決心をなさる事、
 ○三つ、何れの道、お父さんとお母さんとの働き出して出来た此の家は、どうで一旦は滅亡する時が来たと思いますから、此の際有丈けの金を寄せて其れを持って日田に往き、現金で手附を打ち、日田の郷の材木全部買占めの決心をして我家の商運を一時に試して見る気にならるゝ事、
 ○斯う成りますと、得意先も喜び、山元でも見込を付ます、縦令え(たとえ)此の商売で此の家が潰れましても同情と信用とは他の家よりも豪いと思ます。夫はお母さん今の御決心一つでござりますがどうでござりましょう」

 と云うたので、母は目を瞠って斯く云うた、

 「お前さんの話はよく分りますが、そんな大胆な仕事を誰が仕ますか」

 と云うたら龍造寺が、

 「私が致します。お母さんは私に此の家を継がせようと思うて、幼少の時から養子に貰うて下さったのでございますが、今お父さんが亡くなられて、掛金が取れず、借金計り残った処へ、世の中に騒動が起りましては、私の継ぐべき家は影も形もないように成ります。夫ではお母さんと家族一同は、乞食に成って此の土地を立退かねばなりませぬ。同じ夫までに成るのなら、男らしく遣れるだけ遣って、後に立退きたいと思ますから、お母さんどうか此の家は私に継がせるお心で、私に潰さして頂きたいのでございます」

 と、是を聞いた養母も、只の者ではなかった、

  <続く> 
 

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