カウンター 読書日記 ●後藤新平と杉山茂丸
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


●後藤新平と杉山茂丸
 ● <続> 閑話休題 後藤新平

 後藤新平と杉山茂丸。 

 
 「まず気づくのは、「特集」冒頭の【後藤新平略年譜】(編集部作成か)にも、p64~65の 【お世話した人、された人】と題された交際録フローシート状のもの(川西崇行構成)のいずれにも★杉山茂丸の名を見ることが出来ないということである。
もっとも、直後のp70~73には、【「政界の黒幕」杉山茂丸との交友】と題した与那原恵の一文があるが・・・。」と前に書いたが、未紹介だったので、その一文の紹介から。

***************

 「政界の黒幕」

杉山茂丸との交友。
後藤の幅広い人物交流の最右翼には、明治・大正・昭和を通じて「政界の黒幕」と呼ばれた杉山茂丸がいた。
台湾・満洲政策に大きな影響を与えたといわれる、その交流を追う。

与那原恵
よなはら けい ノンフィクションライター。
1958年東京生まれ。月刊誌、週刊誌でルポルタージュや書評を執筆。著書に、大正期から終戦まで台湾で医師をしていた
沖縄生まれの祖父をめぐる『美麗島まで』、『サウス・トゥ・サウス』『もろびとこぞりて』など。

それを、どのような関係だったのかとはっきりと示すのは難しい。後藤新平と杉山茂丸。福岡・玄洋社系の大物で、明治・大正・昭和と「政界の黒幕」として名を馳せた杉山。山県有朋、井上馨らの参謀役を務めたものの生涯、官職につくこともなかった「壮士」は、後藤より7歳年下になるが、ふたりの親密さを物語るエピソードは数多い。

立場を異にするように見えても、かたや計画規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された後藤と、大言壮語がとどろき「ホラ丸」と呼ばれた杉山は、政治が生々しく動く時代ならではの共振があったのだろう。それぞれの人脈は幅広く、最右翼から最左翼まで延びていたことはよく知られている。
そこには今日ではとらえくいダイナミックな人物交流があり、たがいのよきもの(利用できるもの)を取り入れる柔軟性がある時代だった。
とりわけ、台湾統治、満鉄経営などの施策は、杉山が立案、後藤が実行者だとする見方さえある。両者と交友があった医学者・金杉英五郎は「後藤伯の大規模なる諸建案は天下一品であったが、これは終始匿れたる一参謀の在りしことを見遁すことはできぬ。それは稀代の知謀家・杉山其日庵主人である。彼は能く親切に伯に建言実行せしめたものであった」と語っている(『正伝後藤新平 四』)。

杉山の著書『俗戦国策』(昭和4年)は、義太夫好きの彼らしいリズミカルな文体が愉しい。きな臭い噂もまとわりつく杉山の実像をつかむのは困難だが、さぞ人を惹きつける魅力にあふれた男であったことは推察できる書物だ。そのなかに「後藤新平仲々話せるわい」(*書肆心水版ではp298~301)という一文があり、台湾銀行創設のいきさつが語られている。

 それは★明治32(1899)年ごろ。後藤が台湾総督府民政長官となった翌年である。ふたりそろっての浅草散歩のおりに芝居小屋に入った。名優の演技に感心した後藤は、この役者ほどの仕事を自らは台湾でなしえていないとつぶやく。それを受けて杉山は「マダ台湾座の舞台に対して、鍛錬が積んでない。又台湾にはマダ四囲の道具立が揃うては居ないよ・・・」と返す。足りない道具立とは何か、と尋ねる後藤に「台湾の道具立には、銀行という背景がない、之を備え付けねば政治の何物も出来ぬと思ふ」と応じる。(*このとき、台湾総督府民政長官・後藤は42歳、杉山は35歳である)

 杉山は以前より香港を往来し、香港の経済発展に銀行が大きく寄与していることを熟知しており、台湾にも銀行をつくるべきだと進言したのだ。さっそく台湾銀行創設に向けて動き出す児玉源太郎台湾総督と後藤新平。ふたりの仕事ぶりは「電光石火」のごとくであり、杉山はその機敏な行動を讃え「栗鼠(リス)総督、栗鼠長官」とあだ名を付けたと書いている。

「ホラ丸」の筆にかかると、まさに血湧き肉躍る芝居の一場面になる。けれども杉山が台湾統治を「舞台」と表現したのは言い得て妙だ。杉山と後藤は「明治という舞台」があって、その力を発揮できたのだろう。

●明治という舞台を、縦横に駆け巡ったふたり。

さて、この天下の名優ふたりはいかにして出会ったのか。
まず登場するのは、後藤の岳父・安場保和である。天保6(1835)年、肥後・細川藩(熊本)に生まれた安場は、近代日本草創期の官僚、政治家として知られる。
明治2(1869)年に胆沢県(岩手県)大参事となり、この地で若き後藤新平を見出し、給仕に採用している。これを糸口に、後藤は時代を駆け上ってゆくのである。明治16(1883)年、安場の次女和子と後藤は結婚した。

 いっぽう元治元(1864)年、福岡に生まれた杉山茂丸は、若きころから政治に目覚め、国内を巡遊している。伊藤博文暗殺を企てるも、本人に説得されて断念したという。伊藤は、20歳そこそこの壮士をどう使うべきか悟ったのだろう。杉山もそれに応えた。
安場と杉山が出会ったのは、明治19(1886)年。当時元老院議官だった安場を福岡県令に迎えるため直談判したといわれる。安場は鉄道敷設計画の実績があり、郷里の発展のために鉄道が必要だと杉山は訴えたという。この年、安場は福岡県令(知事)となり、鉄道をはじめ北九州開発が推し進められる。
 また、杉山が盟友を契る「同郷の偉人」、玄洋社の頭山満に初めて会ったのは、明治18(1885)年といわれるが(*17年とも)、これを仲介したのが★「熊本紫凕会」のハ重野範三郎だった。この熊本紫凕会は、これにさかのぼること4年前に、安場、井上毅らが国権愛国の政党にしようと設立した団体である。安場と頭山の関わりも深かったという証言がある。

 後藤新平は長州閥の官僚政治家としての側面ばかりでなく、熊本人脈も色濃くあると指摘されており、その背景には岳父・安場の影響力が読み取れるだろう。後藤に杉山を紹介したのも安場だったといわれるが、考えてみれば、このふたりが出会わないことのほうが不自然とも思える。

 時代は下るが、日清戦争(1894~95年)前後に、杉山は玄洋社の人脈から、東京日日新聞の主筆・朝比奈知泉と知り合い、彼を顧問に「暢気倶楽部(のんきくらぶ)」という会合を持つようになる。
 ここに後藤も加わっているが、伊藤博文や桂太郎など政府要人が会したといわれる。杉山は、暢気倶楽部の人脈を通じて、日本興業銀行の設立、さらには台湾鉄道の敷設の準備に奔走した。

 明治31(1898)年に児玉が台湾総督着任の際には杉山に意見を求めている。この5、6年前から知己を得ていたようだが、★当時31歳の杉山は「砂糖を以て、台湾の経済政策の基礎におくよう」述べ、自らも台湾製糖の設立(1900年)にかかわっている。児玉と後藤の名コンビに加え、利権うずまく台湾統治に杉山の存在感は大きいと同時代人は語っている。

 明治39(1906)年、後藤は南満洲鉄道初代総裁に就任した。その裏話を杉山が前掲書にしたためている。題して「庵主(注・杉山)の奇策」(*書肆心水版では、p471~4)。児玉と杉山の間で暗号電報が飛び交い、乗り気でない後藤に総裁就任を承諾させる画策をしている。後藤の性分を知る杉山の戦略が功を奏す。ところが、児玉が急死したことで、ことの顛末が後藤本人にばれてしまうのだ。怒る後藤をたしなめた杉山は「大改革の大事業」をなそうと約束を交わすのである。これなども、まるで芝居の一幕のように描いている。
 ところで杉山は、こんな意味の一文を書いている。芝居でも能楽でも華々しい場面に至るまでに俳優たちの苦心の芸があるからこそ、見どころを楽しめるのだ、と。
 なるほど。後藤と杉山は互いを認め合い、助け合い、親密な関係だったことは事実だが、案外、「苦心の芸」のウチは見せなかった名優(盟友)なのかもしれない。後藤が世を去った6年後、杉山は波乱の生涯を終えた。●

*************** 


 杉山茂丸と後藤新平、この二人の交際ぶり、その「濃密さ」を示す「場面」「風景」を

 杉山茂丸の回想に見てみよう。

 杉山著『俗戦国策』ー電車市有問題ー(書肆・心水版 p.499~511)から

 それを窺ってみるとこうなる。


****************

 ●電車市有問題  村上太三郎、小池国三君、深夜の訪れ (P.499~)

 <続く>
 


スポンサーサイト


この記事に対するコメント
後藤が上海へ渡った時に竜馬が随行した一説に手引きした吉井浄二郎なる人物の孫は
茂丸の息子直樹と結婚するクラなんですよ
吉井孫十郎-鎌田家養子にて昌一となり
中国荷役監督官になりますその娘がクラです
また昌一は鹿鳴館のシャンデリアに発砲した
ことでも有名です
【2014/02/01 10:07】 URL | 吉井は鎌田 #- [ 編集]


この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/467-784c9cf0



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。