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●石堂清倫『異端の昭和史』
●佐野学のおごり(p139-)                         

「転向」といえば何といっても、この佐野学と鍋山貞親の通称★「転向声明」が先ず問題にされるべきであろうが、鶴見・『期待と回想』には佐野学の名はみえない。

(★これは、正確には、1933年6月9日付けで為された、「緊迫せる内外情勢と日本民族及びその労働者階級ー戦争及び内部改革の接近を前にしてコミンターン及び日本共産党を自己批判する」声明で、特にその末尾にある「共同被告に告ぐる書」をいう。)

 母(愛子)方の祖父・後藤新平については、下のようにしばしば話しているが。

 幼い頃の思い出(「・・・私が小学校1年生のころー1928年―は、<鶴見>という名は<後藤>という連想を呼ぶんです。小さいときは得意ですよ。でもそれより大きくなると(母親は俊輔を無能な人間だと追いこんでいったということもあり、)私の生きる席はないと感じた」(『期待と回想』p49)ことや、

 「私は後藤新平とよく会っていたから、かれの風貌をはっきり覚えています。・・・かれが私にたいへん親切にしてくれたことははっきり覚えている。」(p83)こと、

 また「・・後藤新平は、それこそ男女関係はたいへんに放縦な人だったし晩年は家の中にお妾さんを入れて暮らしていた。そのお妾さんとのあいだに生まれた息子と私はつきあいが生じているが、ものすごくえらいひと」(p353)であったことや、

 父・祐輔の師・新渡戸稲造が弟子・祐輔を新平の娘・後藤(鶴見)愛子と結びつけたこと、そのことが一高生のあいだで批判がおこり、それを知った新渡戸が「ものすごく怒って」一高を辞めたこと(p442)、

 後藤新平のプラグマティストぶりや開けっぴろげな性格(p462)、等々・・・。


 ここで、●佐野学のおごり へすすむ前に、一文を紹介・引用しておく。

 ★藤原肇 『賢者のネジ』 たまいらぼ出版 2004.6.30刊 の

 ★第八章 大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁(p209より)。
 対談者は、藤原と小串正三(元フランス三井物産総支配人)。
*初出は『財界にっぽん』 2002年6月号
 
 
 ****************

 藤原が以前にも小串から思い出話として聞いたという、関東大震災のときの大杉栄虐殺について、もう一度じっくりと聞かせてほしいと、対談は始まる。

 ●後藤内務大臣のスパイだった大杉栄
 
藤原: 大杉栄と一緒に殺された伊藤野枝は個性的な女性で、福岡から上京して上野高等女学園の生徒だった時に、教師だった辻潤と同棲して大スキャンダルになり、その後に辻と結婚して息子を2人つくっています。そして、次に大杉栄と同棲関係に入って子供を3人生み、中でも有名なのは「魔子」と名づけた娘です。

小串: 辻潤は・・ダダイストとして一世を風靡した作家ですね。大杉と一緒に殺された伊藤野枝が、辻潤の妻だったとは迂闊にも知らなかったけれど、辻さんもパリに足跡を残した文化人です。

藤原: 松尾さん(元読売新聞パリ特派員で、小串の外語大の先輩)から聞いたように思うのだが、辻潤は読売の海外文学特派員の肩書きで、パリに常駐して活躍していたらしいです。何か辻のパリでの話について聞いたこととか、それに関連した本についてご存じないですか。

小串: <古い時代のことなので、不明。大杉が神近に刺された葉山事件は知っている>

藤原: (大杉は)刺される直前に後藤内務大臣の所を訪れて、300円の資金を内密に貰って来た話は、「自叙伝」の中に書いてあるから知られており、これが大杉スパイ説の根拠になっています。後藤新平は、・・・しかも各地の県知事を歴任した★安場保和の次女の和子を妻に持ち、愛知県病院に勤務していた若き日の後藤は、恩人で岳父の安場の引きで中央官界に出たのだし、この安場は横井小楠の弟子でもありました。
また福岡県知事だった安場を玄洋社の頭山満や杉山茂丸が尊敬し、しかも、後藤が民生長官として仕えた児玉源太郎総督に対して、政界の大黒幕だった杉山茂丸が私淑そていたのです。 (*ここの安場と杉山との関係は、杉山の著作からすると、逆のようにも思えるが、先に進むことにする。)

小串: じゃあ、後藤の人脈は高野長英だけでなく、横井小楠にまで広がるわけですね。

藤原: しかも、★『夜明け前の朝日』(鹿砦社 2001.5.1刊)の中に書いてあるが、後藤が名古屋時代に作った娘の静子の息子が、メキシコに渡った左翼演劇家の★佐野碩であり、彼は画家のシロイケスと組んでトロツキー暗殺に関連しスターリニストだったと考えられています。
 また静子が結婚した医者の佐野彪太の兄が佐野学で、野坂参三とは遠戚関係で繋がっており、野坂の身内は神戸のモロゾフ製菓の筋でして、その周辺には警保局長や特高課長が多くいる。しかも、後藤新平は凄い国際感覚と政治手腕の持ち主だから、弾圧しやすいようにシンパを結集するために、共産党を組織してスパイを潜り込ませたり、ソ連の外交官ヨッフェと親交を結ぶことで、英国流の帝国主義の実行を試みています。
 ★『夜明け前の朝日』については後述。
 ★佐野碩については、前記のように鶴見がかなり詳細に、このころの佐野碩の行動を述べ  ている。(『期待と回想』p427~432)

小串: 後藤新平は初代の満鉄総裁として満鉄を育て、日本における東インド会社にしようと考えたのだし、その延長の上に満洲国が作られたのです。

藤原: そうです。ただ、当時の日本は軍事至上主義に毒されていたし、民主的な植民地経営を実現するためには、ソフトの分かる人材が不足していたために、秘密警察によるスパイ工作と思想統制によって、全体主義国家にと偏向してしまったのです。

小串: 後藤新平が野坂参三や佐野学などを効果的に使い、共産党を作ったという藤原さんの仮説は、これまであなたが著書で強調していたから、ここでは素直に受け入れて置くとしましょう。そうなると伊藤野枝が大杉の内妻になったのは、純然とした恋愛ではなくてスパイのためであり、「くの一忍法」であると考えるわけですか。

藤原: さあね、その辺は個人の内面問題に関係するので、本人以外おがこうだと断定するわけには行かないし、大杉だってそこまで疑わなかったから、何人も子供を作って可愛がったのだろうと思います。
 また、カネを渡すことで大杉の軟化を試みるように、後藤に入れ知恵したのは杉山茂丸だろうし、杉山ならそれくらいの工作は朝飯前に等しく、太っ腹の後藤なら一つ返事(ママ)で了承したに違いありません。
 しかも、大杉のフランス行きの半年前に日本共産党が誕生しており、アナキストとはいえ大杉はボリシェビキと一緒に、協力してやっていけると信じていたことは、後藤が考える路線と共通していたから、スパイの秘密任務を引き受けていたかも知れません。

小串: 後藤のスパイである伊藤野枝の影響もあり、大杉がフランスに特殊任務を帯びて渡ったとなれば、その目的はどんなものだったのでしょうか。

藤原: 今の段階ではあくまで仮定の推論だが、陸軍のシベリア出兵の背後関係をはじめ、フランスのフリーメーソン(大東社)の動きについて、調べることだったのではないかと思います。だが、脇が甘くじっとしていられない大杉は、ボルトマイヨーに近い日本人会への出入りを始め、パリに住む日本人画家とつき合い、持ち前の派手な行動を大胆な形でやったわけです。しかも、第一次大戦後の円高のお蔭で当時のパリには、二百人を超える日本人画家が住み着いていたし、その頂点に立つ藤田嗣治は陸軍に頼まれて、怪しい日本人に対しての監視をしていたのです。

小串: あの藤田画伯が陸軍のスパイ役とは不思議ですね。

藤原: ちょうどソ連邦が誕生したばかりであり、シベリア出兵がらみで後藤外相が動いたし、当時パリにいた佐藤紅禄は大杉に会った時に、後藤新平の支援で渡仏したのかと聞いたほど、国際関係は非常に流動的だったのです。
 だが、そんな微妙な情勢を無視する大杉の大胆な行動は、彼一流のスタンドプレイヤー的性格のせいで、メーデー集会で演説を試みて警察に捕まり、パリの南のサンテ刑務所に勾留されてから、国外追放ということで放免になり帰国したわけです。また、大杉が日本に帰国して二ヵ月後に関東大震災が起き、その時に彼は伊藤野枝や甥の橘宗一共に、東京の麹町憲兵隊で虐殺されています。

 ・・・以降、甘粕大尉への言及が続くが、略。

 以下、上記★『夜明け前の朝日』(鹿砦社 2001.5.1刊)の中の当該箇所を紹介する。
  *******************
 
 (★上記書、p120-123)
 L:藤原肇とは30年来名前を知り合いながら一度も話し合ったことのない評論家。
 F:藤原肇
 初出は、『創』誌 1998年10月号。

 L: そうですか。それでは落合(信彦)はともかく松本清張ですが、私は『神々の乱心』を非常に興味深く読んだので、あれについてのコメントはいかがですか。

F: 私も先生と同じでとても興味深く読みました。
 冒頭にある大連アヘン密輸事件の密輸犯が、三島由紀夫の祖父の平岡錠太郎であり、吉薗周蔵という実在の人物を二人に分け、吉屋謙介と荻園泰之という主人公にして、筋を展開する清張の手腕はなかなかのものです。しかし、落合莞爾の『陸軍特務・吉薗周蔵の手記』を読んでいるので、清張が小説の中では触れるに至らない、アヘン売人の中に若き日の牧口常三郎(創価学会初代会長)がいたり、大杉栄が後藤新平のスバイだった話との関連で、ちょっと物足りないという感じがします。

L: えっ、大杉栄が後藤新平のスパイだったのですか。そんな話は今まで一度も聞いたことがないが、アナキストの大杉は後藤内相にとって、最も警戒すべき要注意人物だったはずです。それなのに、大杉が手下だったというのは奇想天外で、私にはとても信じることができないが、そんな奇妙なことがあり得るでしょうか。

F: だから、秘められた歴史の真相は興味深いのです。でも、この件に関しては『朝日と読売の火ダルマ事件』の中に、ちょっとほのめかして書いておいたのですが、先生はそれにお気づきにならなかったのですか。

●秘められた歴史のジグソーパズル

L: 後藤新平のことは正力松太郎の話の中ニ、だいぶ出て来たのは記憶しておりますが、大杉が後藤のスパイだということに関しては、恥ずかしいが、記憶に残っておりません。

F: 実は、大杉と同棲していた伊藤野枝がスパイで、彼女の祖父は玄洋社の頭山満と親しく、後藤の親分だった児玉源太郎に私淑した、杉山茂丸と繋がりがあったのです。

L: そう言えば夢野久作の親父の杉山茂丸は、明治から昭和にかけて政界の巨大黒幕だが、彼は『児玉大将伝』という非常に痛快な、児玉源太郎の伝記を書いていましたな。

F: 児玉台湾総督の下で民政長言だったのが、後に内相に就任した後藤新平だし、彼が名古屋時代に作った娘の静子の息子が、メキシコに渡った左翼演劇家の佐野碩です。静子が結婚した医者の佐野彪太の兄が佐野学で、野坂参三とは遠戚関係で繋がっており、野坂の身内は神戸のモロゾフ製菓の筋です。その周辺には警保局長や特高課長がいて、すべてが後藤に繋がっていることから、後藤が共産党を作ったと考えられるのです。

L: そんなバカな・・・。どうして内務大臣が共産党など作りますか。

F: 共産党を作ってそこにシンパを集めれば、弾圧する時に手間があまりかからないし、世界的なスケールで展望して見るならば、情報収集をする上で非常に便利です。後藤新平は日本人離れのした大型の政治家だったから、ソ連の外交官ヨッフエと親交を結び、英国流の帝国主義を手本に使いながら、日本の政治を改革しようと試みています。

L: 確かに満鉄の初代総裁として采配を揮い、関東大震災後の東京市長としても活躍して、日本の政治家の水準を越えている人です。
 ・・・中略・・・

F: ・・・それじゃあ、話を後藤新平が持つ実力の戻しますが、日本では本当に優れていたらダメであり、三流のものしかトップにならないのです
 それは歴史書の場合においても同じであり、幕末のことを知る上で最良の本としては、マリアス・ジャンセンの『坂本竜馬と明治維新』で、その次に大仏次郎の『天皇の世紀』が来て、奈良市辰也の幕末物が続くと私は思います。小説は十番以下に来ることになり、子母沢寛から海音寺潮五郎に続いた後で、司馬遼太郎が来ると私は考えていて、日本人がなぜ司馬を持ち上げるのか不思議に思うが、彼が日本ではトップ扱いされていますね。

L: 今の日本では司馬遼太郎を国民文学と言って、・・・以下略・・・ 

  

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