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●『期待と回想』
●寄り道ついでに、もう少し。


 ( 『期待と回想』 P232-3)
 <質>鶴見さんの中には、転向しなかった人はえらいという感じがありますでしょう。

 あります。桑原武夫さんは戦時中、獄中共産党員に対する引け目がなかったみたいですね。私にはあります。同時に、獄外にいて活動した尾崎秀実のような人に対する引け目もあります。それは桑原さんとのちがいでしょうね。
 桑原さんと松田道雄(小児科医)さんは京都一中で同じ時期に中学生だったことがあるんです。ただし三年ほど差があって、松田さんには共産党に対するコンプレックスがある。日高六郎(社会学者)と私の関係がそうです。日高さんは私より五つ上です。日高さんが中学生になったころは、まだ『日本資本主義発達史講座』が古本屋で買えた。ところが私のころにはもうなかった。大杉栄は買えたんですよ。大杉栄訳の『クロポトキン自伝』は買って読んだ。この本が偶然、アメリカヘ行く前に、私をマルクス主義に対して免疫にしたんです。
アメリカで会った都留重人はある意味でマルクス主義者でした。南博もそうです。この二人から多くを教わりましたが、私の立場は動かなかった。・・・

 *************

 しかし、鶴見の日本(思想家、政治家、等)に対する失望は、日本を離れるころからはっきりとあったという。(鶴見は1922年生まれ、15歳で渡米~1942年「交換船」で帰国―6月アメリカ出航、8月に横浜着―)。
 政治家の父・祐輔と後藤新平の娘で「病的な」母の家庭の食卓の話題は政治だった。
「・・・私の親父は大正時代の自由主義なんで、いいことをいってたんだ。それが、満州事変(9.18)のころから」変わってきた、という。

 9歳の鶴見少年は「あてにならない人だな」と思う。

 無論、父・祐輔だけでなく、倉田百三や尾崎喜八、武者小路実篤といった俊輔が子供のころから尊敬していた人たちまでが日中戦争勃発(37年)を契機に一変する。
鶴見俊輔が帰国(42年)したときには「神風が吹く」と言っていた。

 「結局知識人は言葉だけなんだ」という絶望感を抱き、知識人や哲学者を全否定する。戦後の思想的出発点はここにある。

 ●もうひとつ、桑原武夫と鶴見、桑原と松田道雄、日高六郎と鶴見の関係を例に述べる、わずかな年齢の違いから来る共産主義や獄中共産党員(獄中非転向組)に対する、対応(引け目や劣等感があるかどうか)も個人の努力ではどうしようもない、避けようのない「時代の風圧」であり、「出生の秘密」(三浦雅士)の時間版というものだろう。

 そういうものとして自身をも「受容」することが戦後の鶴見の思想営為の根っこにあるのだろう。

 「1968年の2年後に大学生になるというのは、1793年にサン=シールの士官学校(アカデミー)へ入学するようなもので、生まれてくる年を間違ったような気がした。」
(『フーコーの振り子』 7。ビナー  U・エーコ 新潮社)

 「・・1969年に20歳で、立命館大学史学科3年生だった。小柄で、笑うと八重歯がのぞいた。・・・美人だった。」 高野悦子は5月23日、キャンパスで機動隊に投石し、逮捕こそされなかったが、連行され警棒で殴られ、髪を引っ張られた。
 6月24日未明、下宿を出て、列車に身を投じた。
 
 著者・関川夏央(高野と同世代)は、その6年前(1963年)の『愛と死をみつめて』の大島みちこを取り上げながらこう書いた。
 「・・・ふたりとも若くて賢明、同じ京都で学生生活を送った女性なのに、たった6年でこれだけ違う。
 60年代末、時代の空気には、彼女に限らず、誠実な青年に過剰適応を強いる悪意が潜んでいた。いたましい、とつぶやくのみである。」
 (『本よみの虫干し』 関川 岩波新書 2001.10. ) 
 **************

 続いて、山上たつひこ(『がきデカ』の)『光る風』と「マルタ」について。

 p250
 ●希望としての『がきデカ』 より。

 鶴見は、なぜ山上たつひこをとくにとりあげたか?

 息子(太郎か?)が「おもしろいから読んでみろ」と山上の処女作『旅立てひらりん』を持ってきたのがきっかけだという。鶴見は読後これは「日本最初のエコロジー漫画だと思う」。

 その次に『光る風』という自衛隊のクーデターの話を書いて、・・・

 その後、姿を消したと思っていたら『がきデカ』につながる『喜劇新思想体系』を出した。
 
 「マジメな反ファシスト漫画を描いていた山上が、急カーブを描いて変わっていった。
 それに感激したんです。・・・」

 **************

 ・・・とあるが、私の印象に残っているのはそこに描かれている「マルタ・丸太」状態であった。以前(2007.2.16)、こう書いた。
 
 ●<丸太・マルタ><芋虫>、戦争のイメージ

  <戦争の悲惨さ>は、と問われて浮かんでくるイメージは、人によって様々だろうが、

私の場合は、<丸太・マルタ>・<芋虫>である。

1. 森村誠一の『悪魔の証明』シリーズによるもの。

2. 江戸川乱歩の文字通りのタイトル、『芋虫』(1929年)によるもの。
  
 ★江戸川乱歩「芋虫」(昭和4年1月発表)
 この作品は、作者のグロテスク趣味の極限を代表する佳作である.この作品が発表された当時は、プロレタリア文学の盛んだった頃で、反戦小説として激励されたりした。だが、作者はそんな意図のもとに書いたのではないと言っている。
苦痛と快楽と惨劇を書きたかったのだと言っている。これも探偵小説ではないが、探偵小説の枠を一層拡げたものと言えなくもない。(江戸乱歩傑作選、解説より)

3. 反戦詩人・川柳作家、鶴彬(つるあきら)の作品によるもの。

  * 手と足を 大陸におき 凱旋し(1930年)
  * 万歳と あげて行った手を 大陸へおいて来た(1937年)
  * 手と足を もいだ丸太に してかえし(1937年)
   (盛岡市光照寺にある墓碑には、「かえし」=「かへし」とある)

4. あの、少年警察官・こまわり君登場の『がきデカ』(1974年大ヒット)で一世を風靡した山上たつひこの初期の作品・『光る風』によるもの。

  (どういう経緯で読んだのかも、今は忘れてしまったが・・・確か「ちくま文庫」版によってだった。つまり、『がきデカ』以後に読んだ。ちくま文庫版は1997年12月刊上・下 現在品切れ。また、連載は1970年少年マガジン。単行本は朝日ソノラマサンワイドコミックス、1986年初版)。

 ギャグ漫画家としてのイメージが強いが、元々氏は『光る風』に代表されるような
 非常にシリアスな漫画を描いていた。
 
 手足をもぎ取られた、<自由度の無さ>と、それにも拘らず、<可能な思考の継続>という 状態への「関心」とでも言おうか。 
 

 
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