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●『期待と回想』 鶴見俊輔
●『期待と回想』 鶴見俊輔 朝日文庫 2008.1.30

(原著は1997.8月刊 晶文社。) よりのメモ。


7。伝記のもつ意味  より。 p396~
 (質問者は小笠原信夫 日時は1994.4.30 )

*章頭の質問は次の通り。
 鶴見さんの仕事で伝記というスタイルの表現が多くありますが、人とその生きてきた時代を、いまという時代に置いてみようということではないかと思います。
 70年代に入り『高野長英』、それ以降『柳宗悦』『太夫才蔵伝』『夢野久作』『アメノウズメ伝』。こうした伝記を書こうというときに何を心がけていますか。
 *************


★『高野長英』は史料がものすごく多いという感じがしました

 江戸時代の史料というのは使ったことがなかったんです。本格的に史料調査をやる人だったらもっと楽々と書くのではないでしょうか。これを書こうという直感は、高野長英(1804一50)は悪党だということなんです。高野長英を美化しようとか、尊皇の志士という諸説から切り離したかった。それからもう一つある。「べ平連」での脱走兵援助があったことですね。高野長英は脱走囚となって逃げたでしょう。それです。

 高野長英自身は悪党なんだが、かれを助けた人は長英より逞かにえらい人なんだ。長英を助けている人たちが、あちこちにいて、いずれも立派な人たちだった。貧乏しているけど先祖が長英をかくまったことを今も愉快に思っているんだね。上州にいましたよ。このことな
んです。私か脱走兵援助をしていなかったら、これを書くモティーフは出てこなかったでしょう。長英が残した『蛮社遭厄小記』はすごい。牢屋に入れられるとふつうはあきらめるものなんだが、高野長英は金を小者にやって火をつけさせ逃げるでしょ。すごい知恵じゃないですか。「べ平連」で脱走兵援助を一所懸命やったが、それはいったん終わった。アメリカの基地から出てきた脱走兵を助けた人たちと同じ気分を、高野長英を助けた人たちはもっていたと思う。そのことを、ゴシップでもいい、嘘でもいい、集大成してみよう。そんな思いなんです。

 『夢野久作』は、京都で「家の会」(サークル)をつくったころに話したことがあるんですが、杉山茂丸と夢野久作という父親と息子の関係に興味をもっていたんですが、意外なことに夢野久作の長男の杉山龍丸さんという人物が現れて、私の家に何度もやってきたんです。私が夢野久作について20枚ほどの原稿を書いた(1962年)ことがきっかけなんです。手紙を送ってきて、それから来るときはかならず伊勢名物の「赤福」を持ってきたんですよ。京都駅で買ってきたのでしょ。

 三一書房が夢野久作の全集を出すというので、谷川雁が兄の谷川健一に頼まれ、私を巻きこもうとした。杉山龍丸は、この全集の編者に入ってくれるなという内容の電報を打ってきた。そのあとに手紙がきたんだけど、「あなたと私とのあいだに金を介在させたくない。あ
なたが編者に加われば、かならず金の問題について私は要求することになる。それがいやだ」と書いてあった。

 かれとしては、私との関係は「赤福」を持って訪問するだけにしたい。『声なき声のたより』という小さな通信に文章を書いて送ってくれたこともあった(鶴見著『夢野久作』に収録)。こうした関係性は右翼的なものなんです。

 あとでわかったんだが、かれは夢野久作から3万坪の土地を残されていた。その金で、インドのガンジーがつくった塾の生き残りを日本に連れて来たり、世界の砂漠の緑化をやったりと全部使いきっていた。全集を出した三一書房から多くの印税が入ったと思うが、それも使いきっちゃっていた。ほんとに何にもない、文なしで人生を終えた人なんです。

 私から見るとそれは壮挙だね。こういう人間が日本の高度成長という時代にいるんだね。私もそうありたいと願っている。一種の理想なんだ。それに感激して、『夢野久作』を書いた。はじめは「家の会」的に親と子という関係で書こうと思っていた。杉山茂丸から夢野久作へ。それはある程度アカデミックな構想なんです。しかし変わってしまった。杉山龍丸という人物の登場によって。私としては、この本は、杉山龍丸に対する供養という気持ちがつよい。高度成長のときに、こういう人間がいる。福岡で3万坪というのは大変なものでしょ。それを少しずつ売っていった。かれは弟にもほとんど金をやっていない。弟に家をたててはいるんですが、戦前の長子相続権を戦後になってもがんと守った。無茶な人ですがね。

 彼は、CDIのアンケート調査で、福岡にずっと住みつづけるつもりだ。どこか別のところに行くとしたら京都だ。あそこは友だちがいるし、いい学生たちがいる、と答えた。友だちというのは私のことで、いい学生たちというのは奈良でハンセン病患者でも泊まれる家(むすびの家)をつくった柴地則之といったワークキャンプの学生たち。私は胸をつかれた。かれは杉山茂丸の孫だということで、左翼から毛嫌いされ、右翼とも喧嘩ばかりしていた。こういう男はすごいなあと思う。光を放つ、そこのところがないと伝記は書けないでしょう。

★右翼といえば、鶴見さんは葦津珍彦さんとも親しいですね。
             
 葦津さんには感心しています。葦津さんを記念する本をつくりたいと思っているんですが、もう私には力がなくてね・・。葦津珍彦という人は市井三郎が連れてきたんです。葦津さんに、夢野久作の息子が生きているはずだけど紹介していただけないか、と頼んだことがあるんだが、それはできない、あの人はよく喧嘩する人です、といった。たしかにその助言は有効だったんです。しかし私は杉山龍丸とは喧嘩をしたことはないんですよ。かれは突如として来るけど、私が家を出る用事があるというと「赤福」だけを置いてすぐに帰っていく。お
互いのあいだに最後までお金をいっさい介在させなかったね。・・・以下略・・・

  <続く>
 

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