カウンター 読書日記 ●『俗戦国策』 杉山茂丸 (2)
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●『俗戦国策』 杉山茂丸 (2)
●まだ<目次>を紹介していなかったので、それから。

 ************

<目次>

●我国上流の腐敗、下流の健全
●決闘介添え事件
●黒田清隆と初対面
●生首抵当事件
●背汗三斗
●雌伏して風雲を狙う新聞売り子
●帝国憲法発布
●東亜の大経綸と大官の密議
●血を以て彩る条約改正事件
●爆弾事件(大隈伯の片足が飛ぶ)
●星亨との強談判
●決死の苦諌、伊藤公に自決を迫る
★伊藤公、韓国統監となる
★伊藤、約を破る
★藤公と一騎打 
★決然!長船則光の短刀
           ノ
●ー億三千万弗借款事件

★総理大臣相手に経済論争
★頭山翁ビックリ仰天
★藤田伝三郎の霊に手向ける
★二万円転げ込む
★素裸で茶漬飯を喰う
★黄金王モルガンとの問答

●政府と三菱の大経済戦
●悪政党撲滅論
●児玉、後藤と台湾銀行問題
●日露開戦の魂胆
●公然たる賄賂収容銀行兼賄賂行使銀行
●古鉄責め事件
●伊藤公の霊に捧ぐ
●日露開戦
●牢記せよ国難に当たれる先輩の苦心
●戦後の大経綸―満鉄の創立
●反対党も陛下の忠臣
●電車市有問題
●大隈内閣、寺内内閣、政党の罪悪
●寺内、原、加藤、田中
 ********** 


以下、●ー億三千万弗借款事件 から紹介していきます。

 ★藤田伝三郎の霊に手向ける

 
 **************

 「・・前略・・道を開いて見たいと思います為め、東京を後にして態々(わざわざ)大阪の貴下に御相談を試みた訳であります」
 と云うたら、藤田(伝三郎)は暫く考えて居たが、斯く云うた、
 「私が五代友厚等と日本株式会社の創始を相談したのも、詰り我帝国の工業を盛んにしたいと思う趣旨に外ならないので、私は一言の御不同意を申す筋もありませぬ、成程、貴下の御咄の通り松方侯野経済論は、日本内地に限られた旧幕経済であります、日本が外国と通商条約をした以上は、外資の疎通をせねば、国は開ける鍵がありませぬ、世界の国々は、決して自国の経済丈けでは其経済が発展する訳あおりませぬ・・併し私は一言貴下に私の経験上の御注意を申して置きたいです・・・貴下が米国の資本家との御相談は、貴下が金を借りて来る事ではありませぬ、金の借りられるように、金が米国から貸される様にする事でありますぞ、夫から貴下は、決して金儲けをしてはいけませぬ、貴下が金儲けをしたら、其時から人が貴下の云う事を聞かぬようになる物と御承知になりたい、貴下が金儲けを為られたら、斯く云う私も貴下の云う事を聞ませぬぞ、故に私以外の誰でも聞ませぬ・・・貴下は現代の国家に対し、日米の間に立って大切な事を為る責任がある事を、決してお忘れになってはなりませぬ・・・此の種の事で若し費用等の御入用があったら、外間の何者にも知れぬようにさえ仕手下されば、私、今は極々の貧乏でございますが・・・ドウにも仕て御入用だけは、何時でも御用達致します」

 と云うた。庵主は此の藤田の咄を聞きつつある間に恍惚として、何だか宇宙の真理を絞り寄せた咄のような心地がして、庵主が経済界に一歩踏み入れんとする矢先に、生涯忘るる事の出来ぬ大教訓を得た思いがした事を茲に明記して、謹んで故藤田伝三郎氏の霊に手向けるのである。

それから晩餐の馳走になって帰京したが、その道々でも、3千円の借用金の事の感謝は何時の間にやら薄らかに忘れて、その藤田の無意識にスラスラと咄してくれた咄の方が忝なくて耐えられず、庵主はそれを生涯に通じて、此の日の一言を忘れず、藤田翁の死後、庵主64歳の今日まで、全く庵主の第2の性質のようになったのである。


★二万円転げ込む

 夫(それ)から横浜に行って「モールス」に面会して、洋行の決心を咄したら、彼(藤田)曰く、
 「貴下は日本の工業発達の事を思念して洋行せらるゝなら、先ず米国の工業と云う物を知らねばなりませぬ、工業を知らずに、工業の資本だけ出来る筈がありませぬ、私が今、米国の各工業家に紹介状を認めて差上ます」
 と云うから、庵主は又ギャフンと参ったのである、庵主は対松方候の開墾拓殖の資本一件と、工業発展の資本一件に対抗する事許りを考えて、先ず工業を知る事を忘れて居た所に「モールス」氏の一言にて言句も出ぬ事となって、惘然沈黙の儘「モールス」氏の云うが儘に従うたのである。
夫から、庵主は書生の時からの定宿たる、横浜停車場前の山崎屋と云うに休憩して居たら、3時間許りの後、「モールス」氏が来訪して、5通の手紙を持って来て、庵主に渡した夫を一々読み聞かせたが、通弁(通訳)は明細に之を庵主に伝えた。
曰く、第一が紐育(ニューヨーク)の本社社長「ウィリアム・スチーブン」宛、次は「チカゴ」市「イリノイス・スチールオーク」の社長宛、次は「フィラデルフィア」の「ボールドインロコモチーブ・オーク」の社長宛、次は「ダンカーク」の「コロ(ロコ)モチーブ・オーク」の社長宛、次は「バッフワロー」の「カーウィル・スチール・オーク」の社長「グリッフィン」宛である、其文面は、
 「此の手紙を携帯する○○氏は、日本に未だ一度も唱えられぬ、工業発達の実際を、実現せしめんと、夫(それ)を米国人と相談の為め渡航する人である、即ち米国の将来に対して、偉大なる好得意の代表者と見なして待遇せられん事を希望す、云々」
 等の事であったと思う、夫から「モールス」氏は「ポケット」から、金2万円を出して斯く言うた。

 「此の封金は、さきに仁川鉄道の事にて、貴下の尽力を煩わした事と、神戸水道布設の事に尽力をして戴いた事との二つに対して当時薄謝を呈したが、貴下が東洋『ヒロイズム』とか云うて受けられなかったが・・・実は本社から私の手許には支払い済みとなって居るのである、永久に私の手許に預って置く事にも行かぬから、幸い今回の用に使用して下さい・・台湾鉄道創設の事に付、重役松本直巳氏より申越された事を本社に報告して置いたから、貴下はドウカ台湾鉄道の事を充分に本社長に説明をして戴きたい、夫を願います」
 と云うて、懇々との話故、庵主はトウトウ其の2万円を受取った。
 
サア、是所が今時の青年達に庵主の一言して置きたい老婆心である、諸君は三千円入用の旅費を千辛万苦してヤット出来た所に、別に2万円立派な理由でどうしますか、今日から30年前の2万円は、今の20万円よりも使い力があるかも知れぬ、夫が庵主が金とも何とも思わず、一に藤田や「モールス」の箴言を真面目に考えて其使用方法を誤らなかったためにこそ、今日斯くして、太平楽を並べて威張っているのである。

 此の時過まって居たら、誰も疾うの昔、相手にする者はなくなったと思う、庵主は元々3千円の入用であるから、此の2万円は無くても好い物である。故に一文も之に手を付けず、頭山翁其他の親交ある恩人に幾らか分配した残りは、大軍のように押寄せて居る借金取と、九州に庵主の為に破産せんとしつつある幾多の人に塩を撒くように、少しずつ分配して仕舞うたのである

 此の心と行為が、人間味の通行券となって、幾多の不満足はあっても、一人も庵主を怨むる者がなく、先生々々と今日まで云うてくれる、即ち人間でない神の声と化して居るのである。今時の人間の有様はドウじゃ、筋悪き泥棒同様の、金をかっぱらうが早いか直ぐに銀行に入れて預金帳に書いて眺める、夫から夫を使い払う有様は、直ぐに家を建てる、芸者を受出す、別荘を構える、自動車を買う、紳士々々と云われて居る間はホンの瞬間で、直ぐに手が後へ廻る、夫から法廷に立っての言論は、大恩人が有罪になろうが、男の一分が廃たろうが、嘘八百を云うても罪さえ遁がるれば「青天白日」と云うて、泥棒の本体を大道にひけらかしている。

諸君よ、人間とは金を摑むだけが人間ではないぞ、有情共に恥辱を知るだけが人間と云う、他の禽獣と異なる者である。斯く云う庵主の行為も、決して威張る事は出来ぬ、唯禽獣でなかっただけである。ヤット人間の度外れを仕なかっただけである、其の剃刀の刃を渡るような危険な所を、よく注意して貰いたいのである、夫から東京に帰って、3日目に藤田から手紙が来た、夫は藤田の使であった、其文面は、

 「拝啓、此の間は久々振りに御来訪被下、結構なる御咄を承り、大慶此の事に存候、其節快哉に取紛れ、失念致し候間、在京の手代を以て御意を得候、其の節3千円の御入用との事故、それだけ御用達致置候が、御用途を承り、御用の事柄筋合としては、到底アノ金高にては大なる不足と存候間、取敢えず更らに金3千円、第三銀行小切手にて差上置候間、御落手被下度候、此の上とも金銭の事に就いては一層の御注意、更らに御用も有之候わば、電報を以て御申越し被下度候、海陸御無事、一入の御健康を為邦家祈上候、云々」
 と云うようの事であった。夫から直ぐに外務省の懇意な朋友に尋ねて見たれば、
 「通弁を連れて米国に行くのに、3千円位で行けるものか」
 と、事もなげに云われて、又ギャフン・・・貧窶(ひんる)なる庵主の書生魂性から、勝手に3千円もあればと速断した粗雑な考えで、又もや恥を掻いたのである。

●素裸で茶漬飯を喰う

 夫(それ)から、早速藤田へは其調査の顛末を報告して、厚く厚く親切を謝して、6千円を正金銀行に託して、米国に向って出発したのである、夫が何でも明治30年の6月3日の事であったと思う。
通弁には「モールス」氏の与えたる、店員の清水林吉という老功の人であった。横浜から乗った船は「オリエンタル・オキシデンタル・スチーム・シップ」会社の「チャイナ」号と云うのである。当時はこんな船齢40年も経った船が、一番良き船であった。

 此の時、官界日の出の働き人(て)である農商務次官藤田四郎氏及び大学教授箕作佳吉博士が「ベーリング・シー」の海豹(シール)の問題にて、華盛頓(ワシントン)大会議の為め官命を奉じて渡米するのと同伴したのである、其の外には米国政府の大蔵次官の「ハムソン」氏とかも一緒であったと思う。
夫から船中では、黒い洋服に着換えて食堂に出るのが面倒臭い為め、庵主は「ケビン」の中に閉じ籠り、海疫(シーシック)に罹ったと云うて、素ッ裸で3度の飯を食い、日本人の「ボーイ」に賄賂を遣って、何でも甘味い物を取寄せ、缶詰の沢庵などを出して茶漬飯などに舌鼓を鳴らすので、始めの程は、藤川、箕作の両紳士は庵主を野蛮的の杉山杉山と云うて居たが、段々布哇(ハワイ)近くなって暑気が増して来たら、トウトウ両氏とも庵主の「ケビン」に集合して、日本で仙人程厳格じゃと評された箕作氏が、庵主と藤田氏の真似をして素裸で茶潰飯を食出したので大笑いとなり、布哇の「ホノルルに着いたら、島村久氏(後に大阪の住友か鴻池の番頭に入った)が公使であったので、ドヤドヤと公使館に押込んで、日本的の御馳走を鱈腹食うて3人共舌鼓を鳴らしたのである、夫から桑港(サンフランシスコ)に着いたのが、何でも24日目であったと思う。
それから直ぐに「シカゴ」に往って「イリノイス・スチール・オーク」を視たが、茲に不思議な事は、庵主は少しも其の壮大に驚かなかった、ナゼなれば、総て経済的設備に注目し、其の「ミシガン」の湖水を応用して居る処を見て、日本では海とドンナ関係に仕ようとか、其燃料の石前輪送管を使用して居る処を見ては、何、金さえあれば其の30哩に対する資本償却法は何でもないと思うた。

人間は不思議な動物であって、其の思念と境遇が緊張すれば、決して驚く物ではない、日露戦争でも、外国の観戦武官が見ての驚きは大変な物であったが、戦争当事者の日本軍人は其の戦時の責任に当面して居るから、何をしても当然の事を仕て居ると外思わぬのである、庵主も当時は、全く渾身の精が其の視察に注がれて居た物と思う、夫が観光旅人ででもあったら、只だ驚いて少しも要領を掴む事は出来なかったのであろうが、庵主は其の社長の饗宴に往っても、色々の奇矯の言を吐いて其の社長を煽だて、色々と手に入れる事の出来ぬ書類まで貰うて来て、帰朝の上、時の農商務次官金子堅太郎氏に之を提出したが、何でも金子次官がそれらを何とかして、門司の製鉄所を創設せられたそうである。
時の農商務大臣・榎本武揚氏は庵主が前から懇意の人であったから、築地の柏屋と云うに招待して製鉄所創設の事を説いた事がある、此等は帰朝後の話である。

●黄金王モルガンとの問答 へ続く。

 

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