カウンター 読書日記 ●『考証 ノモンハン事件』
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●『考証 ノモンハン事件』
『考証 ノモンハン事件』 の<区切り>の意味で、最後に著者・楠裕次氏の人となりがよく表れているとおもわれる一文を紹介しておきます。
 

 ***************

●はじめに

 北緯50度30分、東シベリアの山中の小さなラーゲルに転属したのは、1946年9月半ば極く短い秋の終わり頃だった。いよいよ厳しい冬が訪れる。毎日、木の葉の色が変わり、その葉が全部落ちるとすぐ雪が降ってくる。沢山は降らないが、降れば全部が根雪となるのだ。

 殺人的なシベリアの寒さを再び味わうかと思うと、不安と絶望とがいりまじり、うちのめされた思いがしたものである。この辺りは夜、狼の遠吠えが聞こえ、姿を見たという者も何人かいた。

 退院して間もなかった私は、重労働を免れ、数人の仲間と飯盒を手にして毎日、タイガ(密林)へ、ヤーガダ(黒ふどうを小さくしたような灌木になる実=ビタミンCの補給になった)を採集に出掛けていた。

 ある日の夕方、といってもとっぶりと日は暮れて夜になっていた。同室の作業隊員がバラックに戻り、ランプの暗い灯の下でストーブを囲んで話し始めた。

 ソ連のトラック運転手の中に、日本人がいるというのである。彼らの話をまとめると

「身なりはソ連人だが、どうみても顔立ちや表情から、日本人にまちがいない。朝鮮人や中国人ではない」

「あれはたしかに日本人だ。おれたちの話すのをじっと聞いていたが、あの目や顔つきは日本語の解る者にちがいない。普通のロスケではあんなことはない」

 「第六感ははずれない。たしかにあの男は日本人だ」と、いうのである。
 この話を聞いていた40歳近い男がすっと立ち上がって

 「ひょっとするとその男は、ノモンハン事件でソ連軍の捕虜になった兵隊かもしれない」と言った。
 みんなは「まさか・・・」と驚きの声を上げたが、彼は話を続けた。
 「みんなは知らないかもしれないが、ノモンハンでは日本軍は大敗を喫したのだ。軍の発表も新聞報道も、本当のことを隠していたのだ。俺は満鉄社員だったので、ある程度の情報を耳にしていた。実際は惨敗だった。一個兵団が全滅したと聞いた。相当数の日本車の将兵が友軍から孤立しソ連車の捕虜になったようだ。停戦協定が成立して捕虜交換があったが、日ソ同数ということだったので、物凄い数の日本兵が向こうに残ったらしい」
 
 殆どの者が初めて聞く話であり、急にしーんとなってしまった。
 「とにかく捕虜になった以上は、帰ってきてもまず軍法会議は免れない。降等はおろか軍の刑務所行きになる。一生、捕虜の汚名がつきまとい累が家族全体、一族郎党にまで及ふのは目に見えている。それで帰りたくても帰れずにそのままソ連に帰化し、ロスケの仲間入りした連中がかなりいたということだ。皆の話の日本人らしいソ連の運転手は多分そのうちの一人かもしれない」

 その場にいあわせた3、40名は大きなショックを受けた。「ふだん日本語をしゃべることがなくても、僅か5年6年で忘れるはずはない」「なぜ、『俺は日本人だ、ノモンハンで捕虜になってしまい、帰りたくても帰れなかったのだ・・・』と、俺たちにうちあけなかったのだろう。」
「その男に、あんたは日本人だろうと、声をかけたら悲しげな顔をし、返事もせずにトラックに戻り、どこかへ走り去っていった。あれはまちがいなく日本人だ・・・」と、ひとしきり話がつづいたその夜のことを、50余年経ったいまでも鮮明に覚えている。  


 「恥を知る者は強し、常に郷党家門の面目を思い、愈々奮励してその期待に答ふべし、生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の悪名高い『戦陣訓』は、1941年1月、当時の陸軍大臣東條英機の名で示達されたもので、ノモンハン戦当時は存在しなかった。★ちなみに相当な有識者がこの事実をまちがえている著述に出合うことがある。

 日本軍将兵は、いついかなる場所、状況下にあっても頭にこびりついて離れなかったのは『軍人勅諭』にある文言である。

「只々一途二己力本分ノ忠節ヲ守リ 義ハ山獄ヨリモ重ク死ハ鴻毛ヨリモ軽シト覚悟セヨ 其操ヲ破リテ不覚ヲ取リ 汚名ヲ受クルナカレ」がそれである。



 ノモンハン戦の当時、どんな不利な状況下、たとえ絶体絶命の淵に立たされた時でも日本軍の将兵は一名たりとも手をあげて敵側に投降し、捕虜になった者はいなかったにちがいない。私は前にも書いたが、当時の兵隊は最精鋭の粒ぞろいではなかったかと思っている。多分、重傷で身動きできずにいたか、失神していたか、何れにせよ断末魔の死闘の渦中にあってやむなくソ連軍に収容されたものと思っている。

 1989年6月~10月にテレビ西日本制作の『あヽ鶴よーノモンハン50年目の証言』が放映された。若干物足りないものを感じたが、見終わったとたん、表現しようのない重苦しさ、それは肩から背中にかけて何者かに押えこまれているような、かつて一度も経験したことのない嫌な圧迫感を味わった。シベリアでの一件が蘇ってきて、なぜ、もっと早い時点で帰国できなかった

ノモンハン捕虜兵のことに目を向けようとしなかったか、当時、何かあったのか、その真相を見究める努力をしようとしなかったか、正に自責の念にかられてしばらくの間、悶々としていた。

 テレビ西日本の制作プロデューサー・徳丸望氏は、その反響の大きさに驚いて、『月刊民放』10月号に書いている。その一端に次のくだりがある。         

「・・・その真相が語られたことが少なく、50年が経ってしまった。仏事では50年忌を区切りに死者との縁切りが許される。
 ノモンハンで何が行われたか、その兵士たちがどのような運命に翻弄されたか、(中略)そのほんの一端を垣間見せたテレビに、多くの人々が強い関心を寄せても不思議ではなかった。いま知っておかないとこのまま何にも分からないまま、時は流れ去る。死者のためにも生者のためにも「知っておきたいこと」であった。時間ほど恐ろしいものはない。ノモンハン事件の取材は、その暗闘に向かって歩く取材であった。辿りついたところは空洞であった。番組はいまや幻となったノモンハンの捕虜たちの軌跡をぼんやりと示唆することで終わらざるを得なかった。その空洞があまりにも大きかったからである。そしてその暗闇の恐怖は、ノモンハン捕虜たちの運命を想像するだけで十分である」と結んでいる。

 復員後の40年間、私なりの社会活動もやり決して無為にすごしてきたつもりはないが、平和的家庭生活に安住してきたことは否めない事実であり、残留孤児や残留婦人の悲劇も、当時その現場を見聞していながら、彼らが帰国してきたニュースをみても何もしようとしなかった。自分自身の不甲斐なさに苛立ったり、慙愧の思いにさいなまれながら歳月が流れていった。前出『ああ鶴よー・・・』を見た後、徳丸氏の言う大きな空洞、暗闇が何を意味しているか、謎にみちたノモンハン事件を勉強してみようという気になった。
 

その頃までわが家の墓地のすぐ隣りに、ノモンハンの戦死者の墓があることすら見のがしていた。市内太田町にある時宗の名刹、稲久山一蓮寺(住職・河野叡祥)の墓地に眠るのは、陸軍砲兵伍長勲七等功七級・由井実、戒名は大考院実阿賞照建忠居士である。
墓誌に「昭和十四年六月満ソ国境事件勃発スルヤ三嶋部隊東隊二属シ東久邇宮盛厚王殿下御統帥ノ下二「ノモンハン」附近の戦闘ニ参加シ奮励努力常ニ赫々タル武勲ヲ樹テアリシガ七月二十五日ノ激戦ニ遂ニ壮烈ナル戦史を遂グ」 陸軍中佐・貫名人見誌と刻まれている。

 正直のところ、当初は墓誌を読んでもわからなかった。こんなことでは申し訳ない・・という思いにかられ、手当り次第、ノモンハン記を読み漁り、三嶋部隊とは野戦重砲兵第一聯隊(聯隊長、三嶋義一郎大佐28期)のこと、東隊とは第一中隊長・東久邇宮盛厚中尉の東をとったもの、貫名中佐は東久邇の専属武官だったこと、七月二十五日朝、敵弾が第一中隊砲列に命中、第二分隊長・由井伍長勤務上等兵(のちの兵長)戦死などがわかった。(以下略)
 この頃はまだノモンハン参戦者が元気でおられ、地元の3、4人の方に逢って話をきくこともできたし、ノモンハン関係の図書もかなり出版され、目星しい物は手当り次第購入できた。
  <続く>
 *************
 

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この記事に対するコメント
wattanさん。
残念ながら映画は未見です。
この夏に仙台で見るチャンスはあったのですが、・・・
是非この楠さんの著作を読んでみてください。
【2008/10/15 20:29】 URL | ひろもと。 #- [ 編集]

映画 『ノモンハン』観ました
渡辺文樹監督の映画『ノモンハン』を横浜で観ました。パンフレットにもここで紹介された文献が掲載されています
【2008/10/15 19:14】 URL | wattan. #RNzINLYw [ 編集]


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